散歩するなべさん

しょうがなくも所在なく散歩するなべさん。近頃野鳥に目覚めて鳥見お散歩の日々。病気もしたけど時には山歩きに物思い旅ね。

読み残し、読み直しの藤沢周平

2022-08-17 17:23:45 | 

 


机の片隅に5,6冊の本がずっと積み重なっています。
本棚から取り出されて、そのうちに読もうと手近に置いといたつもり。
ですが、もう4,5年もそのままなのであります。

でもって、ふとその気になって埃りを払い拾い出してみた1冊は、

「小説の周辺」藤沢周平。

途中まで読んで、まあそのうちぼちぼちと、という感じで放ったままでした。

周平さんの小説はほとんど全部読みました。読み漏れがあるかもしれませんけど。
その全部を読み切る終わりころになると、
そのあとの楽しみが失われてしまいそうで何だか寂しい心持ちでしたな。

随筆・エッセーの類は次へ次へという催促感がありませんから、
こうして読まずじまいの本もいくつかあります。
せっかくだからと手に取って読みだすと、結局最後まで読み切り、
周平さんの佇まいが何とも懐かしくなって、

「父、藤沢周平との暮らし」(遠藤展子)、「半生の記」

も、本棚から探し出して、一気に読み直してしまいました。

 

 

一世代、二世代も前の山形の田舎の風情が浮かんできます。
娘さんもまたその文章の控えめであって品の良さ。よろしいこと。


さてまた勢いに乗ってその小説でも再度読み直そうかと思ったのですが、
その本のほとんどが数冊を残してすでに断捨離されておるのであります。
娘さんが一番好きな父の小説として挙げていた「橋ものがたり」、
どれどれと思っても本棚からは消えております。

断捨離の選択を誤ったかと思いながらもやむを得ないこと。
またぼちぼちとブックオフで買い直してみるかと思ったりするのであります。

「鷦鷯(みそさざい)」という短編小説がありましたな。
近郊のお山でその囀りを聞いてこの鳥をちょうど覚えたころですから、
印象が強く残っていますよ。

 

 

周平さんは69歳没。こちらはもうその4年も長く生きてしまっています。
山形もまたいつか旅行したいとも思ったりするのですが、さて。


気温がいくらか下がったかと思うと、黒雲が湧いて不穏なお天気。
湿度も高く少しも涼しくありません。秋の気配にはまだ遠そうです。
引き籠りの日々ね。やれやれですよ。

 

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寂しいですな、哀悼、中井久夫

2022-08-11 11:43:44 | 

敬愛する精神科臨床医にして著作家、中井久夫が亡くなりました。

 

 


次々とファンだったともいうべき著作家がこの世を去っていきます。
よく読んだし、新刊本が出ればよく買い込んでもいた作家たち。
古井由吉、吉本隆明、鶴見俊輔、そして中井久夫。皆、鬼籍に入ってしまいました。

まあ、こちらが70を超えたじいさんですから、やむを得ないことですが。


沢山の著述がありますが、私にとって最もインパクトの強かった本は
「精神科治療の覚書」。


かつて帰省先から帰途の新幹線の中にこの本を忘れてしまって、
問い合わせたものの戻ってくることもなく、買い直した本です。
この買い直した本も今回本棚を探してみると、これが見つかりません。
6年前の引っ越しの折、断捨離に紛れてしまったのでしょうか。
そんなことはないはずと思いながら、かなり残念なこと。ちょっと悔しいです。

 

 

中井が初めてヨーロッパを訪問した折、「ヨーロッパは実在したんだね。」
と名言を述べたというのは同行者山中康裕の伝えるところ。


博覧強記の驚嘆すべき知性がその高みと深さを広げているかと思えば、
その臨床においては患者の「心のうぶ毛」を察知する繊細さ。
そして見事にこころの波長を合わせていく感度のチャンネル。

「世に棲む患者」というタイトルの何とも絶妙なこと。


「看護のための精神医学」という本の冒頭にはこうあります。
「医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。
息を引き取るまで、看護だけはできるのだ。」

 

その著作は、論文、随筆、エッセーなど多岐にわたり膨大です。
また少しずつ暇に任せて読み直していくとすれば、こちらが
そのうち中途で倒れてしまうでしょう。 ま、それもよろしいことかと。


8日、88歳。いつかはと思いながら残念なことです。
一読者、一ファンとしてご冥福を祈りいたします。(合掌)

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猛暑の鳥枯れですから、読書日記でも

2022-08-03 14:27:38 | 

 

暑さを押して、野山散策と出かけても鳥さんさっぱり。
段々とこちらもお出かけの元気がなくなって、引き籠りとなってしまいます。

ですので、久々の読書ネタでもと思う次第。でもってアトランダムに。

 

 


・「独ソ戦ー絶滅戦争の惨禍ー」大木毅(岩波新書)

プーチンのウクライナ侵攻以来、その戦争の傍若無人で裸形の野蛮さは
時代が100年も逆戻りしたような空恐ろしさを与えます。
その野蛮さはもちろん戦前の日本軍のアジア侵略の行為を思い起こしも
するのですが、それにしても兵士の野蛮さを是としつつ、自らも率先して
前面に押し出していくプーチンの鉄面皮共々、日本のそれとどこか質の違いも
感じさせるのであります。あまりにも大陸的ということでしょうか。


第2次大戦での「独ソ戦」についてはスターリングラードの激戦など
はなはだ断片的な知識だけで、全体像を結んでいませんでした。
ソ連側でだけでもおよそ2000万を優に超える死者を出したという戦争。
その戦争の内実は今回のウクライナ侵攻にもどこか地続きになっているだろう
と思っての読書でありました。

ヒトラーとスターリンがまるで合わせ鏡のようになって、
その悲惨さを増幅させていった戦争をつらつら眺めてみれば、
プーチンをヒトラーにもスターリンにもなぞらえてみたくなります。

それにしても大国である隣国の傍若無人に翻弄されてきて、
今また翻弄されている東欧・北欧諸国民の苦難はいかばかりでありましょう。


・「熱源」川越宗一(文春文庫)

「独ソ戦」を読み終える頃、この本が文庫化されて売りに出ました。
単行本の折から少し興味をひかれていましたから早速購入。

明治維新前後から第二次大戦直後までのサハリンを舞台にした群像劇。
皇帝暗殺事件に連座して、流刑となったポーランド人とサハリンアイヌとの出会いを
軸としながらの物語。
否応なく滅びへと運ばれていく民族の運命へ抗して人々の、
時代へ翻弄されながら、それでも生きていく「熱」を描いていくものであります。
こちらも一気に熱っぽく読まされてしまいます。
ビウスツキというポーランド人民族学者、ヤヨマネフクというサハリンアイヌの存在など、
色々啓蒙されるところがありましたね。                                             ウリヤノフというレーニンの兄、大隈重信、金田一京助、二葉亭四迷、横山源之助、                 南極探検の白瀬中尉などもエピソード的に次々と登場したりします。

独ソ戦からサハリンへ転戦してくる女性兵士の話が小説の導入部となっており、
直前に読んだ「独ソ戦」と奇妙に符合するところもありました。


ロシアといえば、ウクライナ侵攻の少し前に読み直していたのが
「カラマーゾフの兄弟」。
若い時に読んだ本は処分しておりましたから、新訳で評判の良さそうなこちら。

・「カラマーゾフの兄弟」亀山郁夫訳(光文社文庫1~5)

評判通りよくこなれた訳文で面白く読みました。若い時に読んだ分は何だか
読んだことがあるのかどうかさえ、記憶があいまいになっておりましたが、
それは訳文の悪さがあったのかもしれません、と訳者に失礼ながら思ってしまいましたな。

 

 


でもって、この流れでチェーホフの戯曲4部作も読み直してみます。

・「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「桜の園」「三姉妹」(新潮文庫)

こちらは赤茶けた昔の文庫本のそのまま。
ドストエフスキーのような重々しさはなく、明るいパステル色のイメージですが、
もうひとつピンとこないところがあります。実際の舞台ではどのように演じられるのか
見てみたいと思ったところ。
たしか中村雄二郎がチェーホフを推奨して論じていた思って
蔵書を探してみましたが、見当たりません。たぶん処分してしまったかと。

 

年金生活者ですから、残している古い本を読み直したり、未読の本を
読み解いたりしております。ブックオフで安い本を見つけると買ったりも致します。
それでもたまには世相に近づきたくなって新刊本も無理して買ったりします。
頭で予算を組み立てながら、読書にもなかなか苦労するのであります。


危険な暑さが続く日々、皆さまどうぞお気を付けくださいませ。

 

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古井由吉の最後の小説です

2021-04-21 23:12:01 | 

たまにはご無沙汰の本ネタです。

 

 

本屋の片隅の書棚の小説群に挟まれて、静かに置かれていた古井の小説集。
平積みになるでもなく、新聞広告もあったのやらどうやら。

昨年の2月に82歳で亡くなった古井氏ですが、
その最後の連作小説集「われもまた天に」であります。


3編の短編と遺稿(未完)の4作品が収められていて、内容的には、
亡くなる1年前の2月から遺稿の10月までのことが書かれています。


古井独特の幽明の境地を行き来する文章はいつものことながら、
少し平明で何がしか清澄な香りもする文章になっていて、読みやすいものでした。
別の本を1,2冊間に挟みながら2度読みしてしまいました。


若いころの東北乳頭山への単独行を回想する箇所がありました。
土砂崩れでふさがった下山道を恐れつつも押して渡りきる体験です。

数人のメンバーで、秋田駒から乳頭山、そして乳頭温泉へ下りるというコースを
私も行ったことがありますので、さて古井の歩いたコースはどこだろう、と、
山の地図を広げてみたのですが、裏岩手縦走にしてもよくはわかりませんでしたね。


最後の遺稿の10月から4か月後に亡くなったことになります。
入退院を何度も繰り返しながらの執筆ですから、
どこか生涯の終わりをつぶやくような趣もあるのは自然なことのようです。

「これでさっぱりしたよ。世話になったな。雨があがって、夜も白んでくるようなので、
そろそろ出かけることにするか。…」(「雨上がりの出立」)

夢うつつの中で、どこからともなく聞こえる声、亡き父のものか、それとも自身の声か。

切ないですな。哀悼。

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古井由吉が亡くなりました、哀悼

2020-03-01 00:08:47 | 

新型コロナで、大変そうな騒ぎの中、古井由吉逝去のニュースでした。

 

 


新刊本が出ればすぐにも購入し、読みかけの本も脇に置いて
とりあえず作品に目を通していた敬愛する作家でありました。


「杳子」が芥川受賞作品ですから、まあデビュー作といっていいのでしょうか。
読んだ折には「これはもう古典になりますね。」と思ったものです。
こちらも30代。「聖」「栖」「親」を読んでいる時分は実にスリリングな気分でありました。


自身への慣れを嫌ったのでしょうか、それからあとの作品は幽明のぼんやりとした境を
たゆたうような文章になっていき、なかなか読みづらい作品ばかりになりました。
これといった筋もないような作品ばかりで、文脈を追うのがなかなか苦労でありました。


ですが、なぜか魅力的。こちらもぼんやりした静かな境地へ入り込んだものです。
そしてその微細な心持を表現する文章に舌を巻く思いでもありましたよ。


先ごろから、古井の作品をその初期から読み直しておりました。少しづつです。
大部の作品群ですから、全部を読み通すのは無理かと思います。
こちらにも寿命があることですから。


古井由吉、82歳。愛すべき人たちが次々と亡くなっていきます。
残念無念。そして、切ないですな。    (合掌)

 

 

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「ヒトラーの時代」、池内紀を悼む

2019-09-16 00:10:44 | 

          

 

 

池内紀の本については、新書の数冊を読んだ程度の読者でしかありません。
ドイツ文学の人ですが、むしろ 「ひとり旅は楽し」などの紀行文を好んで読ませてもらった方でしょう。
自由人然としていて、肩肘を張らない文章が好ましいものとなっています。
本業のドイツ文学論なども 少し正面をはずしたところから軽妙に論ずるところがありました。

 

 

 

その池内紀が、中公新書で「ヒトラーの時代」という本を出しました。

以前であれば即、買ったりもしたのですが、新刊本にはちょっとためらいがあります。
「年金生活者がやたらめったら本を買い込まないように、」という自戒でありますな。

ためらっているうちに、池内紀の訃報が報じられました。
でもって、あわててその日に購入。

「ヒトラーの時代」ードイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのかー

「気が付くと、自分の能力の有効期間が付きかけている。もう猶予はできない。」
として書き上げた著者最後の著作物であります。

ドイツ文学の恩恵に浴しながら、ヒトラーの事は喉に刺さった大きな棘であったのでしょう。
「(カフカの)評伝を書いていたとき、カフカが愛した姉や妹や恋人が
アウシュビッツで死んだことを、かたときも忘れなかった。」ともあります。

ドイツ文学者として最後に振り絞った矜持でありましょう。

現在の推移していく時代の相への危機感も行間に感じられます。
読者にも、おおっぴらにして静々と浸透していくファシズムの動きが
ダブってきて空恐ろしくなります。
何せ「ヒトラーのやり方に倣ったらよい。」などという某大臣が
何年もそのまま大臣の椅子に平然と座っていたりする国でもあるのですから。

もちろん、この本、なかなかの良書で優れものでありますよ。

池内紀、78歳、2019年8月30日死去。

ご冥福を祈ります。(合掌)

 

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ご無沙汰の本ネタのこと、あれこれです

2018-08-11 00:48:50 | 

(手すさびの唐辛子スケッチ。↑)

 


立秋は過ぎていますが、秋の気配には程遠い酷暑が続いています。
ですので、相変わらず外出は控えめで、家の中でぐだぐだしております。

でもってしょうがありませんから、久々「本ネタ」でもと思うのですが。

 

鳥さんばかりを追いかけて本ネタもずいぶんとご無沙汰です。


2年前の引越しの折、沢山の本を処分いたしました。
ずいぶんと情けない思いを致しましたが、
死んで残してもどうせゴミの山として扱われるものと慰めて、思い切りました。


残した書物は、買っておきながら読まないままであったもの、
読んでいるけど、また読むかもしれないもの、
そしてぼろぼろだけど愛着のある本たち、などであります。

 

全集本のおおかたは売り払ってしまいましたが(情けないほどの二束三文!)
残しておいたのは漱石全集とカフカ全集。 ↓

                         


そのうち、読まねばと思っております。


さて、すっかり年金生活者となってみると、新刊本の値段の高さが、
あらためて身に沁みるのであります。
かつてはその時の読みたいという気分のまま買い込んでおりましたが、
今やそうも行かず、ためらわずにはいられません。
それに、ゴミ扱いのように始末してしまった長年の蔵書の記憶もまだ新しいですし。


さて、そんなわけで、かつて買い込んで読まずに来てしまった本たちを
少しずつ本棚から引っ張り出しているのですが、
世間様への色気も残っておりますから、新刊本も気になったりするのであります。

 

ということで、最近ためらいつつ買った文庫本。↓

     

 

原田マハの「楽園のカンヴァス」は大変面白く読ませていただいて、
以来ルソーの絵にも何だか親しみを持ちつつ興味をそそられてしまいました。
続けて読んだ「ジヴェルニーの食卓」も面白かったです。
ですので、この「暗幕のゲルニカ」も期待したのですが、
そして期待はずれではなかったのですが、前作と比べるとややあざといというか、
エンタメ系へ上滑りしてしてしまっているかな、という感想ですね。


これに触発されて、スペイン市民戦争の内実ははどうだったのか気になり、
買い込んで読まずに来てしまったオーウェルの「カタロニア讃歌」を読んでみました。↓

                        

 


「讃歌」と言いながら、叙述されるのは戦争の有様や
共和国側の党派の内部抗争、プロパガンダと策謀など、
いつかどこかで見てきたような悲惨で滑稽で愚劣な状況なのですが、
それでも悲惨ななかでのほんのわずかに見せられる兵士達の人としての品位が
希望を見せてくれると、オーウェルは言いたげであります。

 

とまあ、こんなふうに、本棚の読まずに来てしまった本たちを引っ張り出しながら、
時折りは新刊本も買いつつ(文庫本ですけど。文庫本だって高い!!)
老境の読書生活を行っているのでありました。

 

それにしても毎日暑いです!あと少しの辛抱でしょうか。


 

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鶴見俊輔が逝ってしまいました

2015-08-01 00:38:15 | 

山から帰って、数日分の新聞を広げてみると、鶴見俊輔の訃報が報じられておりました。

 

 


小田実が逝き、吉本隆明が逝き、そして鶴見俊輔。
次々と鬼籍へ入っていきますな。こちらがそれ相応に歳をとってきているので
やむをえないことではありますが、寂しくなるばかりです。


かつてその昔「ベ平連ニュース」なるものを取り寄せていた頃があって、
「イントレピッドの4人」の米軍脱走兵の援助活動が華々しく
掲載され、感心するところがありましたね。1967年のことでした。
記者会見の写真には緊張した面持ちの小田実と鶴見俊輔がいてちょっと印象的でした。
その2ヵ月後には原子力空母エンタープライズの佐世保入港阻止の闘争でした。
いわゆる「エンプラ闘争」ね。1968年1月。

高校3年だったわたくしのたぶん初めてのデモ参加ではなかったでしょうか。
もう半世紀近くも前ね。結構「ベ平連小僧」だったわけであります。


鶴見はどちらかといえば、ピラミッド的に理論を組み立てていくわけでなく、
平面で、拾えるだけの物を拾っていきながら織り広げていくような印象。
だからどこからも入りやすく、またその分とっかかりにくさもあったでしょうか。

この人すごいなぁと思い出したのはもっと後年になってからでしょうね。

「期待と回想」の自伝が何といっても面白いです。

平場に立って、決して手離さない思想の核を抱いています。

いくつかの本を引っ張り出してめくってみると、そのまま引き込まれて
しばらく読み返したりしております。


司馬遼太郎がこの国の行く末に不安を抱きながら逝き、
吉本は「これからの人類は危ない橋をとぼとぼと渡っていくことになる。」
と言って逝きました。
そして時代はますます居丈高で剣呑な風潮。

 

でも安保法案に若い者が完全と声を上げ始めたその声を聞きながら
鶴見は逝ったのだとすれば、少しは希望を抱いて逝ったのかもしれませんね。


93歳だったとか。(合掌。)

 

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断捨離、ままなりません

2014-04-26 23:10:01 | 


本の置き所もなく、人生の仕舞い方も考える今日この頃、
本の少しばかりの断捨離をやろうと思ったわけであります。

                                                                                                                                                                                                            古本屋さんをお呼びいたしました。

                                                                                                                                                             売る本を仕分けして、書棚のひっくり返しで大変です。
「思いっきりが大事だよ、」と一生懸命仕分けするのですが、
片付けには物を動かすスペースが必要であります。
そのスペースがないほどもう本は部屋中満杯状態でしたので、
本を動かすのはスペース確保のパズルみたいなもの。
思い切りより、実際の作業に時間ばっかり食って苦労なことでありました。

 

 

すっかり疲れてしまって、古本屋さんが来るまでの時間、
ちょっとお散歩に出かけて、気分転換です。

 

すっかり、あざやかな新緑でした。
この1週間で若葉の緑が輝きを増したようで新鮮でした。
「気が付いてみれば、新緑ね。」という感じであります。

 

青モミジです。 ↓

コナラの緑もあざやかです。↓

こちらはカワラヒワ。 ↓

こちらはツグミね。↓

 

 

さて、自宅に戻って、やって来られた古本屋さんのお相手。
本の引き取りは、覚悟はしていても、
何ともがっくりしてしまう値段であります。
それでも、全部引き取ってもらえるのかと思えば、
めぼしいものを選んで、かなりのものを
                                                                                   「これは、値段が付きませんね。」

と置いていかれる始末で、
こちらとしては思い切った断捨離が、
何だか不発に終わった気分でありました。

 

 


残された本を再び書棚に何とかねじ込みながら、

「まあ、もうちょっと生きなさいよ~ということなのね。」

と思いなして、慰めるのでありましたが。

 

 

(本は少しずつ、ゴミとして捨てるしかないのかしらん??
と、少々せつなく哀しくなりますけど。)

 

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吉本の「開店休業」、いいね

2013-06-23 21:39:55 | 

 

 

吉本隆明が亡くなって、想定どおり、
あれこれと遺作やら関連本の出版が続きました。
最も秀逸だったのは、吉本の語りによる「フランシス子へ」でありましたね。

ところが先頃、最後の自筆連載物として「開店休業」が出版されてみると、
これも劣らず実に見事なできばえであります。


吉本がインタビューによる語りを主とするようになって、
文筆とは違った「話体」をずいぶん意識していたようですが、
それは、幾分か「生身を出来るだけ出してみる」
ということもあったのではないでしょうか。
でも結局は文筆家のさがからは逃れられません。
うまくいっていたのかどうか。


「開店休業」は吉本の食べ物エッセイの一篇一篇に
その長女がほぼ同じ分量の追想文を付け加えたものになっています。
これがなかなかの圧巻でありまして、吉本自身が、
語りつつ書きつつ、自身の生身を出そうとしていた、そのことを
介護し食事の面倒を見る娘さんが、いともあっさり成し遂げてしまっているのです。

「『食』を巡る物語はそのまま『家族』の物語だ。」と言う長女ハルノ宵子、見事であります。
吉本晩年の、家族の中での姿が、何だか小津の映画の場面々々を見るような気も致しました。
愛おしいですね。娘の最後の文「氷の入った水」は特に秀逸ね。


本の半分ほど続けて読み、残りを時に任せてだらだら読んでいると、
ふと娘の文章を父親の文章のように読んでいたりするのに気がつきます。
時々、渾然一体となるのでありますね。


吉本が一人ではついに達成できなかった本のある姿が
ここでは娘さんとの二人の力で間違いなく達成できているのでありました。

 

(たまには本の話題もね。鳥ばっかりじゃないから。)

 

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春樹の新作、読んでみましたけど

2013-04-23 16:14:15 | 


村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

 

 

1週間で50万部も売れる本なんて、あまり読みたくはありませんが、
まあ、今までの付き合いもあることだし、つい買って読んでしまいました。


あやふやな印象評だから、当てにならないけど、
何だか、60を越えた村上春樹が、もう一度「ノルウェーの森」を
書き直してみました、という感じね。今度は、羽目をはずさず、たがを緩めず
60代の分別を少し持ち込んでもみました、というところでしょうか。


「ノルウェーの森」の筋立てなんて、ほとんど覚えていないんですが、
それまでの文章、構成の抑制をはずして、叙情に流れを任せてしまって、
ほとんどハーレクイーンの小説一歩手前まで行ってしまったよ、という印象でした。
(ご本人さんは「リアリズム小説」と言ってるようですけど。)
でも、そのために、作品はばか売れしてしまって、一挙に世界的作家にまでなってしまったのでした。


でも、同時に、作家自身はそこから立ち直るのは実に大変だったのではないかと思い、
その後はどんな風に立ち直ってくるのか、その試行錯誤を見守る感じで読んで来たわけですが。


それにしても、次はどんな小説を書くか、今や世界中からの期待を背負ってしまった作家になられました。
そのプレッシャーがどれほどで、どんな心境にあるのか、想像を超えてしまうのですが、
「これはこれで、いや~なかなか大変だよね。」と思ってしまうわけです。

 

でもって、本日のお散歩も曇り空。


別に猫好きではないけれど、猫って、
ニャンともカメラの被写体になりやすいよね。    ↓

 

 

 


 

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「カウントダウン・メルトダウン」を読む

2013-04-17 00:43:01 | 

 

 


「真実は熱いうちにつかめ!」

その通りだと思います。
貴重な記録を残していただいたことに感謝したいですね。
国際派ジャーナリスト、著者の力量でしょう。


いくつかの事故調査報告書が出されたものの、
実際その大部な記録に素人が目をを通すのは大変なことで、
それでもあのパニックの数週間、ことはどう動きどう対処されたのか、
しっかりと俯瞰したいものだと思っておりました。


最近、「2年経ってもう福島のことは忘れられている」とか
また「福島のことは忘れない」とかよく言われますが、
忘れろと言っても、早々簡単に忘れらるわけではないし、
第一、福島の危機はまだ終わってないでしょう、とも思うわけであります。


3.11があった当初、「第2の敗戦」とか
3.11後の世界は、日本は変わるとかも言われましたけど、
「むむ、第2次大戦後の日本はどれだけ変わったの?」
と問い返したくもなっておりましたね。


当時の菅内閣の対応があれこれ批判にさらされました。
震災危機と原発危機が続くなか、「菅おろし」の政局も一騒動でありました。


原子力村、経産省、文科省は全くひどいもので、(特にこの本の中で
SPEEDIを取りざたした章のところの官僚たちの動きは読むに耐えません。)
それでも、菅首相以下、官邸の対応が、もちろん批判される点が多々あって、
最良のものでなかったとしても、
最悪でもなかったようにも思うのであります。


そもそもが自民党が作り上げた原発体制の中での事故、
今、その自民党がもうあの事故はなかったかのように、
そしてかつての高度成長・バブルの夢にすがりついて浮かれ踊っているさまは
何ともしゃれこうべのダンスのようで、こちらもいよいよ
死に時を間違ったのかな、という気分に陥ってしまいます。


ともあれ、浮かれ景気と憲法改悪の動きの傍らで
今は静かに潜行しつつも、きっと、しぶとく
定着していってるはずの希望ある動きに
落ち着いて、気持ちを馳せるべきなのかもしれませんね。

 

 

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「abさんご」、よろしいね

2013-03-31 00:25:05 | 


何だか久しぶりに、こんな雰囲気の小説を
読んだような気がして、感心しました。

 

 

横組みの、ひらがな多様の文章で、読みづらいものでしたが、
「現代詩、散文詩、の感覚で読んだらいいのかな?」
と、読んでいったら、次第に
薄暗い広い部屋に羽虫がゆっくりとひらりひらり
舞っているかのような雰囲気と気分になりました。
薄暗い空間に時間がかすけくたゆたい、
苦くも愛おしい匂いと香りが満ちてきます。

 

昨今のエンタメ系の小説が、大流行で、
それはそれで出来も良くて、感心もして、
「現代の文学とはいよいよ
こんな小説世界になってしまうのかね。」
と思っておりましたが。

 

75歳の芥川賞受賞というのが話題を呼んで、
よく売れているのでしょうが、
中身は決して売れ筋の本ではありませんね。

 

本を、小説を、文字を読むことの悦ばしさを
改めて伝えてくれる小説でありました。(感謝。)

また、本のつくりも美しいものでありました。


横組みの受賞作品と50年前の初期作品3編を
面白い形で、組み合わせています。著者の
「なかがき」というスタイルが奇しくも出現して
中々秀逸であります。


「美しい本」と言えば、最近のものでは
もう一冊ありました。

 

 

 

女性のインタビュアーとライターの方が
最晩年の吉本の実に愛おしげな語りの表情を引き出して
美しい本に仕上げてくれています。 お手柄ね。

 

 


ところで、本日も桜めぐりのお散歩。
自宅へ戻ると、マンションの玄関前通路の
手すりのところに、、、野鳥が仲良く2羽。

 

まったく、春ですな。


 

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山口昌男、81歳ね

2013-03-13 01:26:12 | 

 


山口昌男が亡くなりましたね。

特別好きだというわけでもないのですが、
その割にはずいぶん本も読ませてもらい
影響も受けたのだと思います。
何より視界が右に左にずいぶん開けていったような
印象が残っていますね。

 

 


69年の浪人生のころ、
日本読書新聞を購読していて、
そのころ話題になっていたらしい(?)
吉本の「共同幻想論」を論評する記事が
連載されていました。
その論者が山口昌男でありました。
「共同幻想論」を論じられるのはお前しかいない、
ということで
論評を依頼されたのではなかったでしょうか。
それが私めが、吉本隆明と次いで、山口昌男の
名前を知った最初だったと思います。(たぶん)


70年代半ばあたりから、
俄然八面六臂の活躍をしだし、雑誌「現代思想」で、
レヴィストロースをはじめとする
思想界のそうそうたるメンバーに軽々と
インタビューする記事が出たのではなっかたかしら。
それから次々と著作が出版されていきました。


トロッキーを論じた文章が
林達夫の文章ともどこか通底して、
面白く読んだことを覚えていますな。                                                       ( 「歴史・祝祭・神話」中公文庫)


乱雑な書棚からいくつか探し出して開いてみると、
あちこち線が引いてあるので、
「お~結構熱心に読んでるやないのぉ」
と、かび臭い本のにおいをかぎながら思うのでありますが。
(熱心な読者であったこと、再認識です。)


ところで、最初に目にした「共同幻想論」論評は
その後彼のどの本にも収録されなかったのですが(たぶん)、
最近の吉本追悼特集の雑誌に、それが掲載されているのを見つけ、
ついこの間、40数年ぶりに再読してみたところです。


あの頃も、読んでよくわからなかったけど、
やっぱり今回もよくわかりませんでしたね。
(あまりお二人の相性はよくなったんでしょうね。)

 

ともあれ、ご冥福をお祈りして、

「合掌」、です。

 

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書物の中のお散歩

2013-03-04 00:29:29 | 


最近ご無沙汰の読書ネタでも。


「光圀伝」  冲方丁   ↓

 


「天地明察」を非常に面白く読みましたので、
これも、と思ったのですが、
「天地明察」は意外とはやく文庫本になりましたし、
単行本は分厚いし、
文庫本になるまで待ちましょうね、
と、思いながらも、結局待ちきれずに

買ってしまいました。

「天地明察」のユーモアもあるさわやか展開とちがって、
いきなりおどろどろしい展開でありました。
でも、これもまた力作ね。

 

水戸光圀ってこういう人だったのね、
と恥ずかしながら改めて知らされる感じでありました。
戦国時代から江戸初期にかけての転換期に
「日本」というイデオロギーが
浮かび上がってくる、その
先端部分を背負った人というわけでしょうかね。

 

でもって、江戸の思想史に
手薄であったことに、改めて気が付きまして、
いくつかの本を探してみようとしたのです。
江戸の思想史といえば、
「子安宣邦」の名が浮かんできますので、
ネットで検索するとご本人の
ツゥィッターに行き当たりました。


「山崎正和が日本人が身につけてきた〈積極的無常観〉を
9日の朝日で語っていた。山崎は誰のために、誰に向かって、
何のために、〈日本人とは諦めながら、しかし忍耐強い民だよ〉
といっているのか。日本政府のためか、東電のためか。
なるほどこの男を国家は〈文化功労者〉にするわけだ。」

「山崎といい、山折といい、メディア好みの文化人どもは、
いま何のために日本文化論的なデマゴギーをふりまくのか。」

「震災・原発の災害下で苦闘する日本人を日本文化論的に色づけていく、
こうした〈文化人〉どもの言説を徹底して拒否しよう。」


昨年も3月の記事でありますが、
中々、痛快な文言でありますな。
激しく反原発の論陣をはっているようです。


と、感心して、読んで見る気になったのが
これであります。  ↓

 

子安さん、たくさん本を書いておりますが、
結構本屋さんでは見つけにくいです。

 

そういえば、以前はよく
森銑三などもよく読んでいたなあ
と思って、乱雑な書棚から
探し出して久しぶりに読み出したのがこれね。 ↓

 

散策するかのように文献を
丁寧に探っていくその文体は
何だかとっても落ち着くのであります。
こういう本も貴重なのであります。
(森さんの本なんぞ、ほとんど
本屋さんからは消えておりますが。)

 


と、全く話が変わって脈絡もないですが、                                                  今晩は久しぶりにハンバーグなんぞを                                                     食べたくなって、ご近所のステーキ店へ。
ところがどうしたわけか、いつもとちがって
千客万来でお店は大賑わいの大混雑。

お雛さんだからでしょうかね。

         

 

おかげさまで、随分待たされましたけど、                                               ちゃんと食することが出来ましたよ。

 

 

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