渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

日本刀探究

2022年11月29日 | open



私は本格的に日本刀を勉強し
始めて、ことしで丁度50年に
なる。
長年経験を積むと、刀身に現れ
たビリーバットが見えて来る。

コーリー・ドゥエル

2022年11月29日 | open
 



昔はニホンザルだった。
 
今は激渋。
映画俳優のようにカッチョいい。


キュー切れ大魔王。
歴史上一番玉筋の多さを持つのは
エフレン・レイエスだが、一番
キューが切れるのはコーリーだ。
これは間違いない。
 
よくキュー切れというと、手玉
をギュイーンと動かす事だけとか
勘違いしている日本人もいるが、
手玉の切れとは、細かい操作に
おいても切れている事を指す。
短距離の切り返しだろうと、ちょ
い押しだろうとちょい引きだろう
と。
それを理解せずに、手玉を長距離
動かしたらキュー切れとか触れ回
って宣伝するのはみっともない。
試合を見るとトン撞き転がし玉
なのに、集客見せ玉のみギュン
ギュン動かすのはハッタリ物だ。
小杉プロのように本当のキュー
切れマンは試合でもキュンキュン
とキュー切れの切れ味の良さを
出して、そして連続マスワリを
出していた。それが本物。
コーリーが世界一のキュー切れ
大魔王というのは、公式試合で
もちゃんと超絶キュー切れを出
て取って行くからだ。
試合ではチョン突き転がしで
エキジビションの時だけギュイ
ーンをやってどうだ!という紛
い物ではないのがコーリーや小
杉氏。本物。
 

ゴムの質 〜ビリヤードキュー〜

2022年11月29日 | open


このキューではないが、昔、面白
キュー尻のゴムが着いている
個体があった。
それは、まさに「これ、スーパー
ボール?」というような反発力で、
キューを自重落下させるとピョー
ンと跳び上がるのだ。
あれはかなり笑ったが、キュー
尻のゴムは実はメーカーにより
まるで弾力性や表面の光沢度が
異なる。
物によってはぼそぼその質のゴム
だったりもする。そしてボソ物
は早期にゴム本体が崩落する。
TADのゴムは質性が良く、TAD
キューではジョイントネジとゴム
のみ外注なのだが、TADはゴム
良い。
また、特筆的にショーンとマクダ
ーモットのゴムの質が良い。
たかがゴムだが、たかされだ。
結構大切なパーツ。
あと、もう一つ面白いゴムがあっ
た。空気抜けの具合がたまたまだ
ろうが面白い音を出した。
キューを軽く落下させると、鉄腕
アトムが歩く時のような音が出る
のだ。あれも笑えた。

バンパーゴム。
すべて別物用。


面出しの手癖から、左と真ん中
は同じ工房で作られたと読める。
メーカー純正品も、そのキュー
メーカーでゴムなどは作ってい
ない。すべて外注だ。
大手メーカーの純正品もこの個体
と同じ製造者かと思われる。
これはディーラーからの個別購入
品。


尻ゴムにも手入れが必要ですよ。
ポリメイトをティッシュに含ま
せてゴムを拭っておくと保護に
ります。おすすめ。

ディーラーカタログ

2022年11月29日 | open



大手ディーラーさんから総合カタ
ログが送られて来た。
上質紙の分厚いカタログ。

かなり良い内容。
これ、編集した人(プロの編集者)
はかなりできる人だ。
ウェブサイトはとても見辛く、
使いにくい物に最近なったが、
カタログはかなり良い。








ショーンについて高評価だ。


ただ、今は1980年代の半額以下
になっている。時代的レートの
差か。15万円あればショーンが
買える。そういう時代になった。
私の1983年ランデ作は80年代で
30万円だった。

それを考えると、今の現行のカス
タムキューの暴騰は法外な相場に
なっていると感じる。
80年代に40万円で買えたキュー
は、作者にもよるが今は180万円
程になっている。TADなどはもろ
にそれだ。
50万円だったザンボッティは700
万円〜1500万円。
100万円だったバラブシュカは
1500万円以上からの相場になっ
ている。
ザンボがまるで清麿のように急に
高騰している。
サウスウエストは台湾では神器の
ように崇めたてられ、国の代表
選手には国家からサウスウエスト
作が贈られるという。
性能の良いキューだ。
だが、ジェリー・フランクリン
とそれ以外のサウスではまるで
別物。その差異は撞けば分かる。
ジェリー死亡後のサウスのメー
カーキューを果たしてサウスウ
エストと呼べるのかどうか、私
は疑問だ。ジェリーのキューが
良すぎて。
その後のサウスは良い事は良い
が、ジェリーのような突き抜け
た良さは無い。
これはTADやザンボッティにも
いえているかどうかは、さて。
工作に関しては、TADジュニア
は父をも凌ぐ精巧さを見せてい
る。ザンボッティは、バリーは
父ガスには遥かに及ばない。
はっきし言うとヘタクソ。
だが、新作は700万円だ。
年間数本しか作らない。
上手くなる要素が無い。
だが、700万円。
何だか、勘違いした日本刀の現
代刀作家さんのようだ。
本ハギをピシッと隙間なく合わ
せられるようになってから落ち
着いてほしいと思う。達観した
ような目線は早いだろうに、と。
バリー・ザンボッティよりも
精巧に作れる日本人ビルダーは
何人もいる。
だが、達観して本数を作らなく
なったので、バリーはそこまで
だろう。一生、ハギをパタリと
合わせる事が出来ないまま終わ
る。偉大な父の名跡のみを食い
潰して。

金額で性能や付加価値は計れない
が、目安としては、30万円程の
キューだと間違いない物を手に
する事ができる。
日本刀に比べたら激安だ。
刀はどうしても新作刀でも時代
刀でも、最低80-100万円あたり
から、となるのが相場だ。
鑑賞専門の鋼のオブジェの現代刀
200万円以上、人間国宝の作で
600万円程する。
武用実用刀で100万円前後から。
自動車やオートバイよりは遥か
に刀は安い。

アナグマ

2022年11月29日 | open




今、三原市内の住宅街にアライグマ
とイタチとハクビシンとアナグマが
出没している。住宅街の中に。
このうち、アナグマのみは保護動物
なので駆除してはならない。
捕獲にも狩猟免許が必要になる。
可愛いもったりした生き物だから
と、捕まえて勝手に飼ったりして
もいけない。

アナグマが庭先を歩いていると
いう話はことしに入って耳にし
ていた。
うちの庭先だけでなくいろんな
エリアで聞く。
だが、先週、そのエリアとは異
なる住宅街でアナグマを見た。
何がをガツガツ食べていた。
おーいと言ったら、パッと逃げて
行った。
かなりの時間見ていたので明らか。
この種である。


三原市内、イノシシや日本猿や狸、
イタチ等がいる。アナグマも出る。
駅から500m程の所で巨大猪を
見た事もある。
近年、市内ではクマも目撃されて
いる。

コーナーを抜けるとそこには猿
いる。(於三原、撮影私)

飼い熊に殺される

2022年11月29日 | open




クマって飼うものなのか?
犬や猫は飼う。
だが、体躯と比較して狭い小屋
に入れて閉じ込めたままにして
おいたりはしない。
それは〆て食う為の鶏になる。
あるいは食肉用の養豚や牛になる。
動物を飼うとは何だろう。
狭い小屋に閉じ込めておくだけ
だとしたら、それは飼うといえる
のか。
起こるべくして起きた惨劇のよう
思える。
気の毒な事故だが、クマはきちん
とした動物園等の施設以外では
飼うものではないと思える。

嘘のような本当の話。実話。
1960年代末期、神奈川県藤沢市
の境川沿いの建物でライオンを
っていた家があった。
道路沿いに鉄檻の箱を置いて、
その中で。成獣のライオンの雄
である。
あり得ない!とは思ったが、目
前には現実があった。
小学生たちは帰りに毎日見てい
た。手を檻に入れたらどうなる
のだろう。やる奴ぁいない。
いないがやればできる状況だ。
大きなチャウチャウではない。
本物のライオンだった。
法的にどうかとかは知らない。
本物のライオンがそこにいた。
サーカスの団員さんなのかどう
かも知らない。ライオンがいた
だけだ。
だが、どうなのだろう、とは
思っていた。いつも檻の中に
入れっぱなしだからだ。
そして、ストレスなのか、百獣
の王はよく吠えていた。
それこそ犬のように。

メリケン事情

2022年11月29日 | open


ある撞球師の情報筋から今のアメ
リカの生情報。戦争問題ではなく
アメリカのビリヤード情報だ。
アメリカでは今玉代1時間18ドル
前後らしい。
くっそたけえ。
破格の公的施設でも7ドル程らし
い。
かつて1980年代は店で2ドル〜3
ドルだった。
ただ、18ドルというのは雀卓の
ように台あたりという設定の店
もあるようだ。

1961年の映画『ハスラー』では、
最初のシーンのバー&グリルには、
店の壁に「ゲーム終了後すぐに
支払ってください」との張り紙
があった。
これは、玉撞きをやめた時か、
1ゲームごとかは不明だ。
コインテーブルなどは1ゲームごと
の支払いとなる。
横浜ではコイン台は1980年代は
1ゲーム¥100だった。16個玉が
出てくる。
1ゲーム10分として1時間6ゲーム。
まあ、通常台1時間一人600円と
いう相場と同じだが、台貸し1ゲー
ム100円だから、アメリカンコイン
7フィートテーブルは通常台よりも
安い、という計算になっていた。

にしても、ビリヤード場で1時間
18ドルというのは、お安くはない
です。
日本のリゾートホテル並みだ。
かつてアメリカ国内ではとても
玉代は安かった。30数年前は。
当時の相場からしても。
今、何が起きているのだろう。

もしかすると、だが。
日本だけ「失われた30年」で
給料全く上がってないどころか、
平均所得は額面で下がっている
が、アメリカは物価上昇と共に
所得も上がっているのでは。
そのあたりは、単純に円ドルの
レート換算だけでは分からない。
たとえば、ボリビアの平均国民
年間所得は350米ドル程だ。
日本円換算では年所得平均が5万
円台。
だが、日本では5万円では2週間
暮らせるかどうかだが、現地では
単純国際レート換算だけではない
要素も絡む。年収5万円でも、そ
れは国民の平均所得なので、向こ
うでは充分暮らせるのだ。日本
の平均所得の1/100だからと現地
が100倍日本より貧しいかという
と、そんな事は無い。
数値だけではない、現地の物価
相場と生活水準そのものを知ら
ないと実態は見えて来ない。
例えば、日本で1950年代には
乗用車など乗っている国民はごく
僅かであり、車は1台あたり今の
貨幣価値で数千万円した、と言う
と、信じない若者たちが多い。
物価指数や額面数値のみで比較
したら高額車両でも現在貨幣で
数百万程度に換算されるからだ。
だが、国民全体の生活水準が低
かった戦後直後では、自動車など
所有するのは富豪しかいなかった
のは確固たる事実だ。家に風呂さ
え無いのが一般的であったのだ。
単純に数字のみで物を押し測ろ
うとすると社会の現象を見誤る。

エンドゴム

2022年11月29日 | open

80'sキューと70'sキュー。

下端の衝撃受けゴムについて。
エンドゴム、バンパーゴム、ダン
パーゴム、尻ゴム等々呼ばれる。
この画像の下のノーラップキュー
のエンドゴムは私がこれに交換
した。平タイプは好きではない
が、このようなウィリー・ホッペ
(原音ハピィ)タイプのエンドには
丸より平のほうがマッチしている
ようにも思える。

元々はこのタイプのゴムが着い
ていた。キャロム系に多い昔の
アダムタイプの半円ゴム。
スーパーボールぶった切り、の
ようなタイプ。
これはアメリカでしか入手でき
なかった1970年代のアダム。
アダムカスタムとかアダムスと
呼ばれていた。高品質の日本製
だが、アダムは完全にアメリカ
資本のアメリカ人が社主の会社
で、アダムが国内販売を始めた
のは1986年からだ。
それまでの国産キューの雄は
石垣であり、アダーチだった。
両社とも実に良いキューを作っ
ていたが、現在廃業。
アダムは合衆国では人気キュー
だったが、1986年以降は世界の
アダムとなった。
下請け工房の三木も独立して、
1990年代中期にMezzという
ブランド名を立ち上げて業界の
表に乗り出して来た。
アダムは元々下請け的な小規模
工房だったが、あまりにアメリ
カンキューのコピーを作るので、
まだ20代だったリチャード・
ヘルムステッターが日本に抗議
に乗り込んで来たのが始まりだ。
ところが、チャーリーは驚いた。
粗末な工作機械で超絶職人技で
キューを仕上げる日本の職人に。
すぐにその工房と人材に投資し
ようとアダムという外資法人を
設立して全員を社員とした。
そして、アメリカ国内でのみアダ
ムのキューを販売した。
洗練されたデザインは職人任せ
ではなく、ヘルムステッターが
手がけた。
ヘルムステッターは、その後、
巨大ゴルフメーカーのキャロウェ
イに副社長として引き抜かれる。
その際にアダム社を日本人スタッ
フにあげた。売却ではなく無償で。
新生アダムはアダムジャパンとし
て日本人企業となって再登場した。
そして、社名もアダムと変更して
現在に至る。リチャードとの出会
いから今年で52年になる。

実はアダム製は多くのブランド名
でかつて販売されていたため、
在全米や日本市場で見かける詳細
不明のオールドキューはアダムの
職人さんが作った物が結構多い。

食事

2022年11月28日 | open


玉撞き場でピザ食べながらの玉撞
きはよくないと思える。
完全に食事タイムは別にして、手
を充分に洗ってからのプレー再開
なら構わないだろうが。
私の撞球会クラブハウスでも時々
宅配ピザを取ってみんなで食べた
が、ピザ等の食事時間には撞きは
停止が鉄則だった。

飲食店経営

2022年11月28日 | open


今のご時世、飲食店はどこも軒並
厳しいと思いますよ。
アパレル店舗でも相当際どくなって
るところだらけだし。
要するに、人が動かなくなると回
らない業種なので、もろにコロナ
禍のような世相期間は体力勝負に
なる。
大手ファミレスでさえ、某グループ
などは国内200店舗閉鎖決定とかだ
し、外食産業はもろに煽り受けて
る。

警備会社が経営コンサルタント?
グローバル化でしょうか。
飲食店を多店舗展開するメリットとリスク対策|ALSOK

飲食店を多店舗展開するメリットとリスク対策|ALSOK

飲食店を開業後、将来的に経営が軌道に乗ったタイミングで、複数の店舗を展開するビジョンを設けて事業計画を行っている方も多いでしょう。しかし多店舗展開にはリスクも数...

綜合警備保障(ALSOK)

 


ビリヤーズ バー&グリル

2022年11月28日 | open



知り合いがビリヤード場を経営
したいと言う。
そこでは食事は出すがビリヤー
ドだけに特化して、酒は一切
置かない方針だという。持ち
込みも禁止というプランらしい。

結構難しいのでは、と思う。
ニューヨークの老舗エイムスは
ノーバー、ノーピンボールマシン、
ノーボウリングレーンのジャスト
インプールだった。
だが、時代の波に洗われて、戦前
からの老舗で映画『ハスラー』
(1961)で店内ロケにも使われた
が、1970年代目前に閉店した。

飲食とは食事と飲み物=酒も提供
する事だ。喫茶店でさえビールを
置いている。
まして、日本では古びた昭和レト
ロの玉屋でさえビールがある。

飲み食いして金を使わせないと
売り場面積比で玉代だけでは
ビリヤード場の経営は困難を
極める。
1台あたり6×7メートルの場所
を占有するからだ。

食べて飲んで寛いでの三拍子が
無い玉屋は経営が困難だろう。


日本の昭和時代の玉屋は、料理は
出せないので、近所からの出前が
定番だった。大抵は丼物。
そして、勤め人は終電前には退店
する。
だが、その出前の食事代も店内で
使わせるシステムでないと、経営
は今の時代には困難だ。
最近増えている店では持ち込み自
由で飲食は提供しないというビリ
ヤード場が新規にいくつも開店
している。

確実にこの先行き詰まると思う。
飲食店舗としての経営となると
行政認可の店舗種別も通常の撞
球場とは異なって来るが、そこ
は飲食店登録で集客したほうが
得策と思われる。


ただし、食事を提供するビリヤード
の店は、許認可の関係で法令上は
壁で厨房が仕切られていないとな
らない。
そのあたりの設備投資が難しい
のでなかなか店内での調理ができ
る撞球場が無いのだろう。
喫茶店のようにはいかない法令的
な問題もクリアしないと、飲食を
提供できるビリヤード場とはなら
ない。
カップ麺一つでもお湯を注いだら
「調理」となるので、各種法令的
な認可が必要となる。

このような店が住む町にあったら、
毎日ちょい顔出しするけどね、
私は(笑)。
ここでオヤジの作る飯食って。
ホームズトラッドバー&グリル。
なかなかいいぜ。












こんな感じの店は広島市内に
あるらしい。
なぜかアメリカ的と思ったら
最初のオーナーはアメリカ人
みたい。
道理でアメリカ、横浜、横須賀
ぽい雰囲気だと思った。




こちらヨコスカ。ハマもそうだが
客はジンガイさんが多い。




ビリヤード場

2022年11月28日 | open



日本のビリヤード場にはある特殊な
しきたりというか風習がある。
これはもう大昔から。
私が玉撞きを始めた1980年代
中期
から現在に至るまでその
風習は
残っている。
それは、初めての店では店主や
常連と相撞きした場合、あるい
は初対面の客同士が相撞きした
場合に必ず言って来る言葉が
あるのだ。
「普段はどちらで撞かれている
のですか」
この言葉をかならずかけて来る。
かけて来ないのはアミューズ
メント系や玉屋ではないナンチャ
ッテ系だ。
日本の玉屋では挨拶の言葉として
必ず「普段はどちらで」と尋ねて
来る。ホームはどこですか?と
いう意味で。

アメリカの友人によると、こうし
た文化は合衆国にはないという。
これ、1980年代前半の峠族の
二輪乗り
たちにもあった文化
だった。

「普段どこ走ってるんですか」
と峠小僧たちは見慣れぬ走り屋
声をかけた。
ローリング族が発生して、妙な
チーム?という物が登場してから
はそうした文化は廃れた。
群れて走り、地元のナワバリを
荒らす
者として外部からの走行
者を
排除する風潮が全国的に広
がった
からだ。まるで集団危険
行為型
の暴走族のような感覚が
競争型
暴走集団に移転したよう
なもの
だった。バリ伝の頃は
峠の空気は違っていた。


撞球界では、見知らぬ人でも
都内などの場合は声をかけた。
都内でなく大阪も四国もそう
だった。
ただ、広島県地区は違った。
特定の店以外ではほかの客に
声を滅多にかけない。知らん
ぷりだ。常連同士以外は口を
きかない。
撞球が盛んな岡山県などは
東京と変わらない。フレンドリー
だ。鳥取も島根もそう。
だが、広島県だけは異質だった。

日本は玉屋だろうがホールだろう
が、ビール等が置いてある。
むしろ無い店のほうが珍しいが、
大型店などはなかった。高田馬場
のビッグボックス等々。
アメリカの場合はビリヤーズ,
バー&グリルというのが一般的
だ。つまり、パブのような場所
に玉台が何台もある。
メインの収益は玉台の撞き代で
はなく、飲食でまかなう。
日本では本格的なそうしたアメ
リカンスタイルの店が数多く
開店した
のは1986年の映画
『ハスラー2』
の登場以降だ。
それ以前に建設会社が黒字減らし
の為に別部門で開店した「プール
バー」(登録商標)が登場して
いて、完全アメリカンスタイル
だった。店員は男女ともフォー
マルウェアを着て、礼儀正しい。
店名を「ロスアンゼルスクラブ」
といい、都内に続々と開店した。
それを真似て、映画公開以降、
都内の至る所に「プールバー」
なるものが出来た。
元々はアメリカのどこの町にも
ある飲食店+玉台置き店のような
ものだった。


収益のメインは飲食だ。


日本の場合、飲食メインでは
なく玉代の場代で稼ごうとする。
無理がある。
場代が高すぎるので集客に限界
があり、当然それは連鎖的に
中途半端に設定しているサイド
メニューとしている飲食さえも
覚束なくなる。
数年間私がそうだったように、
その店で食事をとり、飲んで
そして長居するようなシステム、
あるいは飲食をドカンとするが
回転が早いシステムというもの
を構造的に作らないと、玉屋は
やって行けない。
そして、日本の場合、家賃が
高すぎるので、駅前にある玉屋
は入居テナントのビルの賃料が
バカ高すぎるため、やがては
経営困難になる。全国どこでも。
自分の持ち物件以外で潤っている
玉屋はまず存在しない。
まして、店にて飲食を提供しない
となると、ほぼ経営は数年で破綻
し、大借金を抱えて夜逃げか倒産
閉店となる。
私がよく知る都内の店では2例
あった。
一店は、美味しい料理を出す
カウンターバー付の2台店だ。
カフェと名のつく飲食店&玉台。

ママさんがいた頃はバイトを
ローテで何人も雇う程に流行っ
ていた。
だが、ママとマスターが別れて、
飯を何も作れず玉撞きしか能
がないマスターだけになったら
客足がまるで途絶えた。
私は閉店まで通ったが、客は

激減した。
気は強いが気立てのよい女優の
ような美人ママと、出て来る料理
が美味しいから流行っていた。
実際に、玉を撞かない客や女性
客も非常に多かった。客同士が
そこで出会って結婚した例も
いくつかあった。
若い人たちが集まる憩いの店、
という空気だったのが、ママが
いなくなってから、店の空気が
激変して客は
行かなくなった。
料理のできる常連客だった子を

バイトの女の子として雇って
しのいでいたが、その子は客
と結婚して退店となり、他の
子を入れたが、長くは続かな
かった。18才の東北出のおぼ
こい女の子では飲食店のカウ
ンターはこなせないってば。
東京育ちのスレッカラシのませ
た連中ならば
若い男女でもやれ
るかも知れ
ないが。私などは
16才で神田
の店のカウンター
で接客して
いたのだから。

もう一例は、都内一等地の地下鉄
の駅そばにあった有名な店で、
まるでアメリカの店そのものだ
った。
こんな感じ。よく似ている。


ただし、そこはワンフロア分は
持ち店ではあっても、ビル保有
会社に支払うテナント料と従業
員(常時6人)に支払う人件費が
半端なく、客でごった返している
のに毎月300万円の赤字を計上し
ているのを私は知っていた。
友人でもあるマスターに「どう
なるの?」と訊くと「どうなる
の?」と返された。
結局、店も母体の会社も別人に
売却した。1980年代は日本の
ビリヤード界をリードした企業
であったが、人手に経営権は
譲渡された。
食事は本格的料理人が広い厨房で
作る極めて良い店だったが、閉店
のやむなきに至った。
その店はダーツ&バーとなり、玉
台はどんどん減らし、今は台は
あるのかどうか分からない。
とても残念至極。
ただ、玉代は非常に高かった。
1987年時点で1時間1000円である。
当時玉屋の玉代が1時間400円。
プールバーが600~700円だった。
その洒落た店は今の会員制高級
リゾートホテル・
エクシブの
ホテル内ビリヤード
ルーム並の
金額だった。


ビリヤードの楽しみの一つに、
日本各地の撞球場を訪ねる、と
いうものがある。
これは結構面白い。
いくら安全が崩れているとはいえ、
海外のように治安が悪い国ではな
いので安心して国内ではビリヤード
場に行くことができる。
ただ、私個人は今の住環境では
ホームベースが無いというのは
かなり寂しいものがある。
東京横浜大阪京都にいるのでは
ないので、玉屋まで片道40kmと
か都心では考えられない環境下に
いる。

こうした灯りに誘われて、そこで
時を刻む。
撞球者の日常とは今はかけ離れた
生活をしている。
今は週一の日曜大工のような玉
撞きしかしていない。


30mの壁? 全国にあるややこしい道路【しらべてみたら】

2022年11月28日 | open

30mの壁? 全国にあるややこしい道路【しらべてみたら】



この横浜鶴見の人騒がせな交差点。
角にあるレンガ色のマンションの
一階は今はセブンイレブンだけど、
バブルの頃(1988年)は玉屋が
あったんだよね。プールホール。
そこはSA級(公式戦上位入賞の
アマチュア)の人がやっていて、
真面目な新装開店のビリヤード
場だった。一人撞きしてたら声
かけてくれて相撞きしてくれた

事がある。

店内に入るとこんな感じの店
だった。これはアメリカの似た
雰囲気の店だが。


横浜鶴見には駅周辺に結構ビリヤ
ドの店があった。あちこちに。
今は2国(国道1号線)の眼鏡橋
の上り側国道沿いにある店だけ
になった。

都内も状況は同じで、一体どれ
程のビリヤード場が消滅したか
分からない。

鶴見のこの動画NEWSで紹介して
いるおさわがせ交差点は、昔から
こうだったのかは記憶にない。
このレンガ色のマンションは
駅からすぐで新築好物件だった
のだが、当時はバイクを駐車で
きない設備だった。


平均値

2022年11月28日 | open


私の持ちキューのうち、主として
プレーに使える41通りのバットと
シャフトの組み合わせの総重量の
平均値を計算してみた。
19.403オンスだった。


この合算の平均値がピタリ19.40
なるのは天文学的な確立なので
はなかろうか。
やはり、私のプレーでの感覚的な
部分で19.40オンスが私の一つの
基準軸であるとする体感認識とい
うのは、感覚を基準としていたと
しても一つの指標を外れては
い。この19.40という数値は何か
の暗示だ。
使っているキューのうちシャフト
組み合わせを41通り替えても、
19.40オンスが総体の平均値と
いう数字のマジックはミラクル
だ。

19.40オンスはジャスト550グラム
である。
550。良い数字だ。


次はスペイン戦

2022年11月28日 | open



何だかとても違和感ある事がある。
それは、サッカーワールドカップ
で、コスタリカ戦の前にサッカー
関係者たちの殆どが「日本は勝て
るだろう」的な発言や、ドイツに
勝ったからか楽勝ムードみたいな
言を多く耳にしたからだ。
日本には「勝って兜の緒を締めよ」
という格言がある。箴言だ。
だが、コスタリカ戦では、前半は
コスタリカのまったりペースに乗
せられてしまい、やたらとボール
の手持ち(足持ち?)が長い。
後半は果敢にスピードアタックで
クイックリーに攻める戦法を採っ
たがゴールが決まらない。コスタ
リカは必死に守っていた。
そして、「なぁんか日本の守りが
甘くなって来たなぁ、なんかやば
くね?」とか思っていたら、高く
上げる凡ミスガードでボール取ら
れて必殺の1点を食らった。
途中、コスタリカのシュートは3つ。
日本は10数度のシュートが一つも
決まらない。
そこにきて、守りがアマアマになっ
たところに決定打を決められた。

そして、次があるから前向きに
考えようとか、スペイン戦はこう
やれば勝てるとか、ドイツに負け
てコスタリカに勝ったと思えばいい
とか、日本に有利な条件はいくつ
もあるとか、能天気にいい子いい
子的に身内の頭を撫でるような
発言ばかりが関係者や報道陣から
続けられている。

非常に違和感がある。
なぜコスタリカに負けたかの図式
そのもののように思えるからだ。
それで世界の強者スペインに勝て
ると思ってか。
選手たちはそんな事はなかろうが、
勝利の為に、周囲は何か大切な事
を忘れているような気がする。