渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

ビリヤードの面白さ

2022年11月13日 | open


ビリヤードの面白さは、人により
それぞれ感じ方はいろいろあるだ
ろう。
また、種目により楽しみも違って
くる。
穴の無いテーブルで玉と玉をぶつ
ける種目はビリヤード=キャロム
ビリヤードと呼ばれる。
一方、こちらが原始的なのだが、
テーブルのクッションに穴があり
そこに玉を落とし入れる種目を
ポケットと呼ぶ。
ポケットには、アメリカン・ポケ
ットビリヤード=通称プールがあ
り、また他にも英国領で盛んな
スヌーカー、ロシアのロシアン・
ポケット等がある。
クッションは元々直立した川の
土手のような形であり、そこから
クッションの事をバンク(川岸の
土手の川側の切り立ち部分)と
呼ぶようになった。なので、クッ
ションに玉を当てて跳ね返すショ
ットをバンクショットと今でも呼
ぶ。大元は木の低い側枠の壁。

ポケットは手玉を的玉に当てて
的玉を穴に落とす。英国式では
ポットという。
ビリヤード=キャロムは手玉を
撞いて的玉に当てる。
方向性は違うが、共通する事は
「キューで手玉を撞く」という
事だ。的玉を撞いたらファール。

ビリヤードの種目を問わないこの
共通項にこそ最大の面白さがある
と私は思う。
的玉を入れるのも、的玉に当てる
のも、手玉を撞く。
この手玉を撞いて、他の玉に当て
るのがビリヤードの全種目の共通
事項であり、またそこにこそ最大
の醍醐味と技術の行使がある。

私などはキューで手玉を撞く事
自体が楽しくて仕方ない。
的玉入れや先玉当てが目的の種
目なのだが、手玉を撞く事自体
が面白くて仕方ない。
キューでいろいろな撞き方をし
て手玉を動かす事が面白い。
無論、主目的は的玉を入れたり、
当てたりする事だが、その手段
が面白い。
千差万別、変幻自在の事をしな
いと手玉は思うように動かず、
ままならない。
手段を誤ると目的が達成できな
い。
そこが面白いのである。

かなり、頭を使う高度なスポーツ
かと思う。
体力はさほど要らない。
但し、精神的強靭さは必要となる。



エドウィン・レイエス

2022年11月13日 | open



エドウィン・レイエス。
1988年からカリフォルニアで
キューを作り始めたキュービル
ダー。
フィリピン人であるのに本格的
アメリカンスタイルでの製作を
こなして、かなりの腕だった。
だったというのは、2009年4月
に自宅で宅配便を装ったヒット
マン2名に玄関で射殺されたから
だ。
まだ幼い娘さんを抱いたまま自
宅玄関で受け取りサインを書い
いる途中に超至近距離から射
殺されたのだという。
背景にはフィリピン国内のビリ
ード協会内の勢力争いがある
とされている。
そして、エドウィンの懇意の派
の対抗勢力はどんな事をする
か分からないので厳重に注意を
と周囲が促していたが、そんな
大丈夫だよ、と周りに笑いな
がら語っていた彼は、自宅で暗
者に射殺された。
ヒットマンといっても、そこらの
人間に1000円あげたら人を殺す。
中南米もそうだが、フィリピンも
んな国だ。
空港に降りたら、警備の警官が
寄って来てヒソヒソ声で「この
バッヂを高く買わないか?」と
言って来る国だ。
タクシーに乗るとどこ行くか分か
らないだけでなく、身の安全さえ
定かではない。フィリピンも中南
米も。
エドウィンを殺した犯人が捕まっ
たという話は聞かない。
そういう土地である。

彼が作るキューは、技巧的部分だけ
でなく撞球性能も高かったと聞く。
殺されたのはとても残念だ。

エドウィンによるザンボッティの
スピアインレイをあしらったコピ
ーモデル。

タップ交換

2022年11月13日 | open



タップ交換。
キューのタップは感触が悪くなって
来たら即手作業で交換する。



バンザイ、しゃがむ事ができない日本人が急増

2022年11月13日 | open
 


















カッターナイフで鉛筆を削れない
子どもたちだらけと驚いたのが
20年前。
マッチを全くすれない親と子ども
だらけと驚いたのが10年前。
そして、最近、ある武術を指導する
指導者から明かされた。
「最近の20代の若者は、手の五指
を小指や親指の側から順になめら
かに閉じたり開いたりができない。
手はグーパーしかできない」
と。
俄に措信し難かったが、それは
事実だと言う。
 
グーパーだけではなかった。
今の子たちはバンザイもしゃがむ
事もできなくなって来ているのだ。
どんどん人類として退化している。
国の調査では1985年以降国民の
身体能力は衰退の一途だという。
何かおかしいなぁというのは、90
年代末あたりから感じていた。
私が中2の時に50m走が5.8秒で、
6秒切りなどは茶飯事だった事実
を言うと、私と同世代あたりは
「まあ、かなり速いクチだね」と
反応だが、若い者程、信じ
難い
事であり私が嘘を言って
いるか
のように捉えるのだ。
この現象。
確かにタイム的には全国区タイム
だが、実走が全国区タイムなのだ
から事実は事実。
小1から高3まで、私より駆け足が
速い生徒は全校で一人しかいなか
った。しかも小3まで。以降は
より速く走る者は学校にはいな
い。
中高でも陸上部の専門選手よりも
いこの現実。
しかし、上には上がいる。
トラック競技の化け物のようなの
が関東大会以上の大きな陸上大会
ではゴロゴロいた。
(ちなみに短距離走だけでなく中長
距離も速く、ある公式駅伝競技
会では私は区間レコードタイ
ムを
出し5校ぶち抜きで8位
だった
順位を3位までげて
タスキを渡し
た。数十校参加の
大会で、ある程
は母校の戦績
残しに貢献できた。
記録は記録
なので歴史に残るから)
 
今の子どもたち、バンザイもしゃが
む事もできないというが、それらは
事実だろう。
だが、本人たちのせいではない。
そうさせている者たちのせいだ。
駆け足が速いか遅いかは視力と
同じで先天的なものが確実にある
が、通常の身体運動機能は、障が
がない限り、誰もが同じだ。
だが、現状のままでは、ラジオ
体操でさえできない日本人だらけ
になってしまう。
 
何かおかしいなぁと思ってたんだ
よね。
二輪の乗り方一つでも、ごくあた
りまえの身体操作ができない人間
たちが今の40代〜20代にごちゃ
まんといる社会現象を見ていて。
それは、「できない」のが実態
だったのか。
包括的に見るとそうなる。
別段、ハングオン走法は公道では
必要ないが、あればあったで使え
る身体操法だ。物理的に理に叶っ
ているので。軸重の置き方は
とて
も二輪走行では重要な幹だ
から。
ところが、どこを見ても、新たに
乗り始めた層は、まるで地蔵のよ
うに身体がガチガチに固まって
二輪に乗っているのである。
これは何だろうとずっと思ってい
た。
答えは、今の子どもたちにある。
段階的にどんどん、身体運動能力
退化して行ってるのだ。日本人
全体が。
若年になればなる程、身体運動
機能が
退化。
「できない」のだ。はなから。
だから、高速旋回での重心移動で
のモーメント使いの乗り方を見て、
自分には再現不能以前に「理解
不能」だから、反発して非難
する
事で自己の位置を保とう
とす
精神作用が発生してい
るのだね。
物の道理とか真実とか丸無視して
なりふり構わず。
 
なんで二輪はおっさんたちばかり
が乗るの上手いのだろうと、その
社会現象を不思議に思っていたが、
なんだか、見えた。
もしかすると、脳の働きも退化し
ているのではなかろうか。
若年に行けば行くほどネトウヨ
だらけの思考停止人間ばかりに
日本がなっているのも、そのあた
り何か関係しているのでは。
身体が正常に機能すべく機能して
いないのは、個別身体四肢の独立
運動機能状態がどうであるのかだけ
でなく、脳の指令が何かネジ外れに
なってしまっているように。
日本人の脳の力そのものが退化し
ているのではなかろうか。

加齢で身体が思うように動かない
じじいとばああ、年は若いのに
文句のぶーたればかりしている
身体が動かない若者のみという
国になったら、このニッポンは
一体どうなっだよ?

日本人詐欺師とフィリピンキュー職人

2022年11月13日 | open


ポール・モッティによるザンボッ
ティ・
コピーリング。
世界的キューコンダクターである
ラッキー菱沼さんがモッティ本人
に直に製作
依頼して、北海道の私の
友人がそれを
買い、のちに私に譲渡
してくれた
出所確かな作品のキュー。

アダム社のザンボッティ・コピー
モデル。細部まで忠実に再現され
ている手の込んだカスタムキュー。
香川県の友人の所有キュー。



かつてフィリピンでは贋物キュー
作りが盛んだった。
今はどうだかは知らない。
1980年代からニセモノ作りはフィ
リピンでは多く行なわれていた。
現地民は生活費が欲しくてやるの
であって、大々的に主体的に詐欺
行為を
働こうとしているのではない。
彼らを使って一儲けしようとして
いる連中が詐欺行為を働くのである。

そうした噂はかねがね耳にしていた。
そして、フィリピンキューがやたら
曲がるのも見聞していた。
しかし、ある日本人を通して、フィ
リピンで良キューを作る者がいて、
望み通りのデザインのキューを作り
ますよ、という話をもちかけられた。

ほ~、そうなの?ではこれは?
とザンボッティリングのキューを
示したら、楽勝でできる、という。
試しに、寸法を教えてくれという
ので
自分の所有しているモッティ
から採寸したこの
データを渡した。


出来上がった物の提示画像は、ザンボ
とは似ても似つ
かないどころか、リン
グインレイの
大きさも形もまるで異な
る物だった。

たとえるならば、ゼリービーンズ
のようなもの。


これはあまりに違いすぎるでしょう
よ、と製作販売業者に申し述べた。
本当にゼリービーンズのような太さ。
あるいはイモムシかケムンパスが
お尻を持ちあげているような。
ギャグマンガじゃねえんだから頼

むよ、という程の物だった。
そうしたら、ひたすら低姿勢で謝っ
て来る。こちらは高圧的に出ても
いないのに。
そして、採寸図を再度送り、本当に
このリングが製作可能なのか、不
可能ならばただの線のリングでも
よいから、と申し伝えたところ、
絶対にできると本人が今目の前で
言っている、とメールでフィリピン
から返事が
あった。
そして、送られて来た物はバット
キャップが外れたキュー(これに
意味があった)で、やはりイモムシ
インレイだった。
どういう事なの?と問い質すと、
ひたすら低姿勢で謝る。
発送ミスで試作品の別物を送って
しまった、と。お詫びに完成品と
スペシャルAAAクラスの材のスペア
シャフトを付けてお渡しするから
返送してくれ、と。
スペアシャフトなど頼んでもいない

からいらない、頼んだ物を作って
くれればいい、それが依頼内容だ、
と私は言って返送した。
日本人の国内在住者とフィリピン
現地在住日本人が代理業者でそう
言うので、その現物キューを返送
した。バットキャッ
プが未接着で
ある未完成品だし、頼んだ物では
ないので。


そうしたら、以降、なしのつぶて
で雲隠れ。メールだけでなく電話
にも出ない。

最初から釣り物件で未完成キュー
送りつけて、それを返送させて
雲隠れという段取りだったようだ。
後日知ったが、何人もがその手で
騙されていたらしい。全く同じ手口。
あのバット外れのキューは巧妙な

手口の釣り物件として使い回しさ
れていたようだ。
私は振り込んだ10万円がまるまる
消えた。
日本人業者は、自分は関与してい
ない、知らぬ存ぜぬで押し通した。
まあ、いうならば計画的な取り込み
詐欺ですね(笑)。

散々、以前職務で霊感商法被害者
弁護団のパラリーガルの仕事して
いながら、自分
が詐欺師にまんまと
引っかかってしまった
という体た
らくな締まらないお話(笑)。

やっちまったなぁと自分を笑うし
かなかった。
その国内在住のビリヤード業者とは
一切縁を
切った。
総括するに、かな~り細かい部分
まで巧妙に手の込んだ詐欺だった。

詐欺被害については、被害者側が
立証しないとならない。
極めてめんどっちーシステムに法律
上はなっている。
本来は、そうした社会犯罪は絶対に
許さずに、被害者連絡会を立ち上
げて組織して、徹底的に追及して
社会的法的制裁を加えるべきである
のだが、嫌気がさして「もういいや」
となった。
ラッキー菱沼さんが東日本大震災
の時に、店がめちゃくちゃになり、
高価なキューケース等が盗まれて
転売されて、その犯人も特定でき
ているが、もういいやとなったと
いうのと似ている感覚。
菱沼さんの場合、同業者がたぶん
その犯罪に関与していたのだろう
が、やりきれない気持ちだっただ
ろう。
私にしても自分のフィリピンキュー
詐欺の時には「相変わらずこの
ビリヤード業界というのはカス
揃いだな」という感が強かった。
私がフィリピン詐欺に遭ったその

直後あたりに、東京の老舗の信頼
できるアルファ・インターナショ
ナルさんが「フィリピン贋物キュー
にご注意ください」という注意
喚起を促すページを自社のウェブ
サイトに載せた。
どうやらフィリピン経由の詐欺
グループがいて、いろいろ悪事
をあちこちでやっていたようだ。

フィリピンキューとフィリピン人
を別段嫌っているのではない。
だが、彼らを使って悪事を働く
日本人や他の外国人、それとそれ
をそれと知りつつ行なうフィリピン
人職人たちの実態に嫌気が沸くの
だ。
まあ、なんてのか、麻薬取引の
麻薬密造や密輸業者と同じような
感覚の種族の人間たちね。
どの世界にもそういうのが跋扈
しているが、ビリヤード業界に
も結構多くいたりする。

本音を言うと、詐欺師などは全員
死刑で処刑されればいいと思って
いる。いや、本気で。
人の善意や良心に付けこむのが
彼らであり、ある意味、殺人より
も質性が悪い。
そして、連中は仮に逮捕収監され
ても絶対に更生などはしない。
社会的には、連中は死刑しかない。
それほどの悪が詐欺師たちだと
いえる。


設計思想の巧拙

2022年11月13日 | open


米国人ボブ・ウズリスキー氏の作。

このリング設計の素晴らしい点は、
加工したリングをただの円盤に
して積層接着させるのではなく、
凸形のペーパーマイカルタ材に
よる部位を造形して、それに輪っ
かとなるリングを接着して別パー
ツ構成にしている事だ。
これにより、各リングの接着度合
いの影響を受けずに凸部が強固に
キュー本体と接着加工されていれ
ば、一切リングの接着剥がれの影
響をキューが受けない理屈になる。
よく古いキューで、ほんのわずか
横叩きをするとビ~ンと音鳴りす
るキューがあるが、あれはどこか
場所が特定できない部分に接着
剝がれがある事が原因だ。
その個所はジョイントピンであっ
たりする事もあるが、大抵はリング
の接着剥がれが起きている場合が
多く、直しようがない。

また、キューは軽くとも横叩きを
するなと言うキュー製作者もいるが、
それはナンセンスだ。
手で軽くポンポン程度の横方向振動
はキューは常に縦方向からの振動
収束の際に可動している。
キューを床に倒したり程の衝撃は
非常にキューにダメージを与える
ので宜しくないが、キューのフォア
アームあたりを軽くポンとやる程度
はキューは何ともないし、また逆に
何ともなくてはならない。それで
接着が剥がれたり不具合が起きる
ようなキューは実用品として一切
プレーには使えない。
あまりに視覚的な美術品志向に走る
と、実用品としての道具の検査方法
さえも見誤るので注意が必要だ。
まず実用ありきである。
また、ハンドル部を持ってシャフト
との連結を緩めるのはハンドルネジ
が緩む事があるのでよくない、と
する言も最近発信されている。
ゆえにフォアアームを握ってジョイ
ント連結を解け、と。
一見一理あるように思えるが、よく
深く考えてみると物理的にナンセン
スだ。
その理由はよく考えればおわかりに
なるだろう。
ただ、それ程に、従来のキューは
細心配慮に欠ける物も多かった、と
いう暗黙の示唆であることは充分
同意できる。
ただ、自分の作るキューでそれは
やらないで、となると話は違って
来る。実用品としての要求性能を
満たしていないからだ。

キューのリング一つとっても、実用
を勘案しての構造設計と、そうでは
ないただの見かけ上のファンシーさ
を求めた物では、現実の経年使用の
実践の中で、大きく現出現象が異な
って来るだろう。
そして、良心的製作方法で作られた
キューは、半世紀以上経とうとも、
なんら根本的な部分での不具合は
発生せず、現実として第一戦で
撞球道具として使用が可能である。
一番の肝は乾燥と丁寧な削りだが、
構造の設計施工も大きくその良性
付与に関与しているのである。
考えが足りないキューは、形が
キューの形であっても、根本的に
駄目なのだ。
典型的な駄目キューがフィリピン製
で、最初から最後まで何もかもが
論外。フィリピン人のキュー作り
第一人者とされる者でさえ、キュー

の糸巻き仕上げで、キューを水
びたしにして糸を研磨して、完成
どうだ、としている程だから。
また、フィリピンは製作途中の
キューを平気で地面の土の上に
置いたり転がしたりしている。
根本的に近代産業革命以降の現代
モノヅクリとは別な次元でキュー
作りを考えている。
木工品でもあるビリヤードキュー
石器時代の石斧作りじゃないの
だから。

日本国内の観光地の土産品の木刀
以下の木の棒がフィリピンキュー
であるといっても過言ではない。
作りも作り方も考え方も発想も
生産者としての責任性も、すべて
が駄目。
その点、日米英はもとよりヨー
ロッパ、韓国、台湾、そして今の
大陸中国は、緻密で細心部分に配慮
した丹精込めたキュー作りをしてい
る。
私はこれまで別人作のフィリピン
キューを何本か仕入れた事がある
が、どれもが一様にほんの2-3ヶ月
程でバット部分までもがのたうつ
蛇のように曲がってしまった。
また、80年代に多く見られたフィ
リピン製の偽物キューもすぐに
ぐにゃぐにゃに曲がるのを多く
見てきた。
木材原料の乾燥もろくにせず、作り
方もいい加減で、完成して形だけ
それっぽくできれば金になる、とい
うあたりでキューを作っているから
だ。
フィリピンが高温多湿で日本の気候
がどうだからとか関係ない。
抜本的にキューや家具作りにおいて
根幹部分を守っていないので製品に
それが正直に現れるのだ。
造られた造形物は嘘をつかない。

この凸構造のリング設計は慧眼で
ある。


ビリヤードキュー作り ~リング製作~

2022年11月13日 | open

Cue Making - trim rings



トリム(刈り整えられた)リングと
作者は呼んでいる。
一般的にステッチ(刺繍)リングと
いわれているキューのリングの製作
法を動画で紹介している。


このトリム・ステッチ・リングは
細かい部分にまで
非常に手の込ん
だリングだ。

だが、1960年代の大手メーカー
以外のカスタムキュービルドの
職人たちが始めた手法で、とても
ファンシーな出来となっている。
細かい部分にまで手を入れる技
なのだが、道具に着ける工芸細工
であるので、キューの道具として
の撞球性能を損なわないような
構造設計が必要になる。
単に技巧的な輪っかを装着接着
しただけではない。
スポーツの道具を作る職人は、
そのあたりの押さえどころ勘所
が非常に大切で、そこを間違う
と見てくれだけの見掛け倒しの
表層を追ったオブジェとなりかね
ない。
現代日本刀などは殆どがそうした
道の踏み違いをしていて、鋼の
置物を作る作者ばかりだ。
物をまともに切れもしない「刀
もどき」を作って作家気分になっ
ている方々が大集合となっている。
ビリヤードの場合、使えないキュー
はまったく意味を持たない。
卓球選手、テニス選手が使えない
ラケットが無意味であるように、
ビリヤードキューは撞球性能こそ
が第一で、そこに工芸品としての
細工技術を高次に融合させるのが
カスタムキュー作りの根幹となる。

キューに着いているリング一つ
とっても、作者の思想性はただ
ものではない。
ビリヤードキューに実用と美学
の乖離無し。強固に結合している。
極めて実直な創作物がビリヤード
のキューである。
そして、スポーツの道具で、ここ
まで芸術性を高められた道具は
他には類例を見ない。ビリヤード
のキューのみが究極の芸術的工芸
技法が投入されている。
このような実用品は他にはない。
あるとしたら唯一日本刀のみだが、
日本刀は本来の実用に供しては
ならない時代となっている。
ゆえに、残るはビリヤードのキュー
のみ。
ビリヤードキューは、実用品であり
ながら木工の高度な技法が投入され
ている稀有な物。寄木細工の実用品
のようなものだ。
ただの棒キューなら私でも作れる
が、本格的な技巧性の高いキュー
は職人でなくば作れない。
素人の出る幕は全く無い。

50年以上前のリング。


シェルを埋め込んだリング。


赤色部分を埋め込んだだけではない。
赤板の両横に黒い板が埋まっている。


メープル円盤外周に黒板を埋めた
いわゆるラダーリング。


幅広のリング。メープルに黒檀を
挟みこんでいる。



リングとバットスリーブの細工は
寄木組み木工法に似ている。


角ばったS字象牙をリングに埋め
込んでいる超絶技法。ガス・ザン
ボッティが始めた。これはそれを
フルコピーしたポール・モッティ
の作。フィリピンキュー職人で
これを再現できる人間は一人も
いない。大雑把で適当なひっぱた
き工法では無理。緻密な工作技術
が無いと
再現不能だ。日本では、
唯一アダム社が
このザンボッティ
リングの再現に
成功している。


リング部分はアダム製。
単純リングに見えるが、非常に
手が込んでいる。


日本の個人ビルダーによるコピー
リング。極めて精巧。



古いキューに合わせて、色合わせ
をして材料選択をしてくれた。
とても腕の良い職人さんだが、現在
廃業。大阪の職人さん。
中材は貴重なチューリップウッドを
使用している。
ただ加工技術が高くても駄目で、

モノヅクリの職人さんには絵心と
いう高い美的感覚も求められる。
機械を持っているからと誰でもでき

る仕事ではない。



峰不二子

2022年11月13日 | open

【ルパン三世Remix】
CHASING THE HUSTLER 2015
- LUPIN THE THIRD JAM Remixed by Moe Shop

なんだかんだいって、モンキー
パンチ先生の画の不二子が一番
峰不二子。
アニメ版ではなく、原作の不二子
が一番不二子らしい。
このエロティシズムは芸術的で
さえある。
そもそもエロとは芸術世界の領域
にある精神概念なのだが。


原作の峰不二子からするとアニメ
の峰不二子のキャラはまるでごく
普通のありふれたバブル期の女で
あるかのようだ。公共放送で流す
アニメ
用に大分本当のキャラを
引っ込めて抑えられている。アニメ
第一作目から。

原作は、本物のワル(笑)
「悪い女」の見本みたいなもの。



峰不二子。
実在したなら、現在80代半ばです(笑)。


土方歳三資料館 閉館

2022年11月13日 | open
 





スタジオセットであると判るシーン ~映画『道頓堀川』~

2022年11月13日 | open


映画『道頓堀川』(1982)

大阪一の賭け玉師である渡辺(渡瀬
恒彦)と勝負する為、武内政夫(佐
藤浩市)は高校時代の同級生安岡
邦彦(真田広之)を連れて天王寺
ビリヤードにやって来る。

そして、渡辺に政夫は言う。
「ナインボール9回戦。
30万円あります。
受けてもらえまっか?」


その時、鉄製手すりがあるコン
クリート造階段であるのに、階段
を下りる
足音はまるで西部劇の
サロン
のように木製階段を下り
る音なの
だ。
政夫も邦彦も1982年当時大学生
たちがよく履いていたショート
ウエスタンブーツを履いている。
私も履いていた。どころか、私も
1982年の着ている物は邦彦そのも
のであり、また、時として政夫の
服そのものだった。
ブーツには硬いヒールがあるの
で、板の間を歩くとコツコツと靴
音がする。
『荒野の用心棒』でクリント・
イーストウッドの賞金稼ぎ初登場
の時に、
酒場を歩く時のあの音だ。

だが、音が出るだけに、音はアフ
レコで被せない限りごまかせない。
この『道頓堀川』では臨場感を出す
為かアフレコよりも同時録音が
多用されており、この天王寺ビリ
ヤード店内のシーンも同録だ。
そして、階段を下りる音が、木製
階段を下りる音になっているので
ある。
コンクリート葺きの鉄製手すりの
ある階段を下りる音ではない。

つまり、このセットは、どう見ても
古いコンクリ製の階段を持つ古い
建物のように見せるが、それは視覚
的に本物に見紛うような美術さんの
名人仕事ぶりが映っているシーン
なのだ。
だが、階段を下りながら同時録音
で役者がセリフを言うシーンなので、
階段の音まではアフレコで被せら
れなかったのだと思われる。
鉄製に見える手すりの格子も、実は
木製だろう。壁もベニヤだろう。
巧妙な時代着け処理で本物の建物
のように見える。だが、プレハブの
全木製セットである。本格建築では
ない。西部劇のようにこの階段で
殴り合いをしたら手すりが西部劇
のように簡単に折れて人が落下、
というシーンになってしまうだろう。


映画のセットで「時代着け」を
初めて実用的に採用したのは
黒澤明だとされている。
そして、その「汚し」の手法を
クロサワから学んだのがスピル
バーグでありルーカスであった。
その時代着けの汚し効果による
映像は『スターウォーズ』(1977)
によって遺憾なく発揮される。
宇宙船ファルコン号の実在感の
映像はクロサワから学んだ時代
着けによって表現されていた。
そもそも「ジェダイの騎士」の
ジェダイとは「時代劇」という
日本語の「時代」から発案された
単語だった。

この映画における時代着けの
表現法はハリウッドにおいては
西部劇で多用されていた。
それは、使う銃をピカピカの
新品コルトではなく、ブルー
イングが剥げて使い倒したよう
な拳銃を使う事で実在感を出した。
ただ、これは往時のハリウッド
ウエスタンはすべて実銃を使用
していた為、自然にできた本物
の経年変化=パティーナである
ので、ただそれを採用して使用
したというだけだ。
だが、クロサワはセット等に
すべて時代着けをした。
白黒フィルムの場合、流れ出た
血はどす黒いはずだとして墨汁
を使うほどに。
ただ、有名な『椿三十郎』での
三十郎(三船敏郎)と半兵衛
(仲代達矢)の決闘のシーンでは
仕込んだポンプが失敗して想像
以上の予定外の大量の血が噴き
出してしまったらしい。一番驚
いたのは役者さんたちだっただ
ろうと製作スタッフがインタビ
ューで語っていた。


二人の武士の決闘の背景の人物
配置に注目してほしい。
黒澤明は絶対に人を重ねない。
全てが映るようにし、全ての役者
に演技をさせる。
これはクロサワの一つの常套手法
で、クロサワ映画の特徴となって
いる。ロッセン監督などもこの
手法で『ハスラー』(1961)を
撮影した。名シーンである『ハス
ラー』のラストシーンは、まるで
ダ・ヴィンチの名画「最後の晩餐」
の配置のような描写で表現してい
た。