の島を全て船で行ってみよう、
と思った。
自覚だ。指摘したら指摘した
人間を悪者にして集団で責め立
てる。
かつてこの赤線の所に、喫茶店
兼ビリヤード場があった。
港に船が入って来ると、デカ
デカとした外看板が目立つ店
だった。
帝人通りというかつての市内一
の商店街に面し、店内の広さも
あった店で、食べ物も味は悪く
なかった。
玉台は3台あり、ハウスキュー
の手入れもよく、アダーチの
曲がり無しのキューを置いて
いた。
私は80年代末期に東京から
三原に行った時に自キュー
を持って行った事がある。
あとは90年代末期に三原に
転住してから。
まだ1才代のうちの子が大
はしゃぎで色玉を手で転が
して喜んでいた。
その後も何度も行った。
玉撞き客は常にゼロ。
見たことない。
80年代のビリヤードブーム
の頃もゼロ。なぜ?
駅前の今の市役所施設の
あるビルの中には、広い
面積のフロアにポケット
専門のビリヤード場があっ
た。台の数はかなりあった。
いわゆるプールホールだ。
だが、東京で数時間待ちの
時代に客数はほんの3組・・・。
台は20台位空いていた。
なぜ?
広島県の三原という場所
ではビリヤードをやる人
はほぼいなかった模様。
結局、2000年代に警察署
の前のスーパー跡地にアミュ
ーズメントができて玉台が
16台の店がオープンした。
そこに集まっていた本当に
玉を撞く人間は20数名しか
いなくて(市外からも多し)、
全員が私が作ったサークル
に入った。
そのうち、アミューズメント
が廃業になったので、市内
には玉台置き場がゼロとな
った。
そこで、私が発起人となり、
メンバーシップのクラブを
設立した。
自力で物件を借り、競技台
を2台設置(1台は今のトー
ナメントエディションより
も厳しいセッティングに)し、
月額定額で24時間撞き放題に
した。駐車場完備。
それは丸5年運営したが、
主軸メンバーの結婚や転勤
が重なったため、クラブの
形は残してクラブハウスの
物件は引き払う事にした。
有志の相互出資の自力での
ビリヤード場のような環境
保有は全国でも珍しく、専
門誌にも採り上げられて
東京から記者が来て取材を
受けたりもした。
お店の夜逃げ、なぜか三原
市内では結構多い。
超ウマのラーメン屋とか
他にも飲食店とか・・・。
やはりあれかなぁ。
あっち系とか絡んでくるの
かなぁ。反社系とかが。
広島県メッカだし。
今世紀初頭だったかに夜逃げ
したビリヤード喫茶の向かい
は三原港。
まあ、おいらの育ち馴染みの
ハマ=横浜の港と大差ない(違
ほら、マリンタワーも見える
じゃん。