渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

エンドゴム

2022年11月29日 | open

80'sキューと70'sキュー。

下端の衝撃受けゴムについて。
エンドゴム、バンパーゴム、ダン
パーゴム、尻ゴム等々呼ばれる。
この画像の下のノーラップキュー
のエンドゴムは私がこれに交換
した。平タイプは好きではない
が、このようなウィリー・ホッペ
(原音ハピィ)タイプのエンドには
丸より平のほうがマッチしている
ようにも思える。

元々はこのタイプのゴムが着い
ていた。キャロム系に多い昔の
アダムタイプの半円ゴム。
スーパーボールぶった切り、の
ようなタイプ。
これはアメリカでしか入手でき
なかった1970年代のアダム。
アダムカスタムとかアダムスと
呼ばれていた。高品質の日本製
だが、アダムは完全にアメリカ
資本のアメリカ人が社主の会社
で、アダムが国内販売を始めた
のは1986年からだ。
それまでの国産キューの雄は
石垣であり、アダーチだった。
両社とも実に良いキューを作っ
ていたが、現在廃業。
アダムは合衆国では人気キュー
だったが、1986年以降は世界の
アダムとなった。
下請け工房の三木も独立して、
1990年代中期にMezzという
ブランド名を立ち上げて業界の
表に乗り出して来た。
アダムは元々下請け的な小規模
工房だったが、あまりにアメリ
カンキューのコピーを作るので、
まだ20代だったリチャード・
ヘルムステッターが日本に抗議
に乗り込んで来たのが始まりだ。
ところが、チャーリーは驚いた。
粗末な工作機械で超絶職人技で
キューを仕上げる日本の職人に。
すぐにその工房と人材に投資し
ようとアダムという外資法人を
設立して全員を社員とした。
そして、アメリカ国内でのみアダ
ムのキューを販売した。
洗練されたデザインは職人任せ
ではなく、ヘルムステッターが
手がけた。
ヘルムステッターは、その後、
巨大ゴルフメーカーのキャロウェ
イに副社長として引き抜かれる。
その際にアダム社を日本人スタッ
フにあげた。売却ではなく無償で。
新生アダムはアダムジャパンとし
て日本人企業となって再登場した。
そして、社名もアダムと変更して
現在に至る。リチャードとの出会
いから今年で52年になる。

実はアダム製は多くのブランド名
でかつて販売されていたため、
在全米や日本市場で見かける詳細
不明のオールドキューはアダムの
職人さんが作った物が結構多い。

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