渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

悪質な詐欺

2021年09月24日 | open





これ、個人情報を抜こうとする巧妙
かつ悪質な詐欺ですね。
更新せずともごく普通にアマゾン
プライムの会員ページに入れます。
極めて悪質。

騙されちゃう人いるんだろうなあ。
会社氏名あてに来ない連絡は、すべ
て詐欺とまず疑うべきです。
お気をつけください。

詐欺というこういう本物の悪人は、
懲役350年位の刑にすればいいのに。

決戦!

2021年09月24日 | open


阪神先発西勇輝、巨人メルセデス。
本日、頂上決戦。

爆睡猫

2021年09月24日 | open


車の上で爆睡してる(笑
声かけたら薄目を開けてこちらを
見るがとても眠そう。
耳の先はV字形にカットしてある
お母さん。

ヘアピン

2021年09月24日 | open

広島県三原市内にもヘアピンは沢山
ある。
この峠などは10R以下だろう。
竜王山への表ルート(旧峠)。
新道の竜王みはらしラインが裏峠だ。


筑波の1ヘアの25Rに感覚が近いの
ではというヘアピンも市内にある。
本郷大ヘアピン。




ただ、その先にはとんでもないヘア
ピンが待っている。5R程しかない
のではなかろうかというヘアピン。
もしかしたら、内径は5Rを切って
いるかも知れない。


他にもきついヘアピンはあちこち
わんさかあるのだが、サーキット
のような25Rや30R程度のヘアピン
もある。筑波なら80km/h程の超
速で回るような。

これは福山市から島根県に抜ける
国道182号線。福山市内からかな
りの山間部の神石(じんせき)高原
まで信号がない。登りは2車線部
も多く、全体的に道幅も広く、国
道なのにタナップウエーになるの
で注意が必要な高速度コース。
ただし、公道なので法定速度や制
限速度がある。


1ヘア。


2ヘア。


3ヘア。


3ヘアのあたりは事故多発地点。
追突事故が多いという。
登りから見てこのコーナー手前
赤い欄干の三曲橋からは遥か
遠方に瀬戸内海が一瞬見える。
坂を下る車線側で見えるがよそ見
注意。




このロードは本当に速度が出過ぎる
ので、全域要注意だ。法規抜きで、
速度だけでいったら、120km/h〜
140km/hで旋回できる緩やかなコー
ナーが続く。直線では200程出てし
まうようなレイアウトだ。
だが公道なので、最高は法定速度の
60km/h、制限速度が50km/h区間
らば、それが遵守すべき決まりだ
ルートは森の中を走るようなロード
あり、総合的遠方景観は良くはな
い。
途中、道の駅がある。二輪車多し。
ただ、このR182は峠族の走り屋は
あまり来ない。ゆっくりと楽しめる
程良いツーリングルートかと思う。


三曲橋三連ヘアピンは、大抵は渋滞
している。路面も荒れているので、
特に注意。
公道では絶対に転んではならない。
これは絶対だ。


蒸し栗 〜大峰〜

2021年09月24日 | open

埼玉産大峰。
1時間ほど蒸して「蒸し栗」にした。
めっさうま。
友人がわざわざ産地に買いに行って
送ってくれた。
ありがとん!

二つに切り、スプーンで掬って食べる。
割るのではなく切る。
スッパリと切れる。スライス切りでは
ない。ヘシギリ。
織田信長が長谷部国重の刀で茶坊主
切っように圧(へ)し切る。
さきたま弁でいうと押し圧す(おっぺ
す)という奴。

栗や芋や胡桃が美味しい季節となり
ました。
秋は食べ物がウマいよね。

公道のヘアピン

2021年09月24日 | open






広島県福山市内にある一般道の半径
10R程の連続ヘアピンカーブ。
こうした半径の小さなRのヘアピン
カーブの道は日本全国至る所にある。
日本の常識、日本人の常識だ。

近藤勇の刀

2021年09月24日 | open








































事実、近藤勇はそういう男だったよ
だ。
切れれば虎徹、切れなければ贋物と
断定するような。
それでいて、人望は厚かったらしく、
板橋での処刑前にも、倒幕藩の中に
も除名を進言する者たちも少なくな
かったという。
だが、土佐藩の谷干城が絶対に赦さ
なかった。
切腹ではないのかと問う近藤に、
「おまん、武士やなかろうが」と
見下すように一蹴した。
それでも、幕府瓦解間際にとはい
え、近藤勇は幕臣旗本の陸軍奉行
並に取り立ててられており、れっき
した正真正銘の武士になってい
た。
しかし、幕府の存在を認めない倒
幕派は近藤を武士とは見做さず、
武士の名誉たる切腹もさせず、火
付け押し込み強盗と同じ斬首と
た。
そして、近藤の首は塩漬けにされ、
京まで運ばれて三条川原に晒され
た。

近藤だけに限らず、新政府軍に対抗
した幕府の武士や東国諸藩の武士の
戦死者は、近隣の者たちが弔う事さ
えも明治新政府は厳禁した。
それに背く者には厳罰が言い渡され
た。百姓たちは恐れて、戦死者たち
をそのままうっちゃっていた。
幕臣と東国諸藩の真の勤皇の武士た
ちは戦場で死体残地のままにされ、
その腐敗臭と野犬や野鳥に食い荒ら
されるままの姿は凄惨を極めたと記
録にある。

近藤勇の死後の扱いについても同様
のお達しがなされた。
誰も弔わない。
生臭坊主たちは当然見て見ぬふりを
した。仏教坊主などはいつもそうだ。
仏門に生きる事よりも、権勢におも
ねいての保身しか頭にない。比叡山
暦寺のように武士によって焼き討
にあうがよろしかろうと思うが、
には生死をかけて身を乗り出した
殊勝な坊がいた。
「死ねば皆仏、何事ぞ」と新政府軍
と見て見ぬふりをしている近隣の百
姓どもを一喝した。
近藤勇は刑場近くの寺でその坊主に
よって懇ろに弔われ、後日、離れた
多磨の別なにて胴体のみ埋葬さ
た。

その勇気ある坊主が住職だった板橋
の寺には、近藤勇の遺品の一つの短
刀が残し伝えられている。
私は縁あって、請われてその寺に
平成時代に毎年近藤さんの形見の短
刀を手入れしに行っていた。
現職住職は東大卒のインテリ住職だ
った。
形見の短刀を手入れして、じっと眺
めていたら、知らぬうちに涙がこぼ
れ溢れて来た。
「近藤さん、さぞや無念だった事で
しょう」と。
短刀に語りかけた。
それは理不尽な斬首だった。
そして、その後の東国武士たちへの
非道な新政府軍の仕打ちは、およそ
武士の仕儀とも思えぬ、外道のそれ
だった。
何が「官軍」なものか。
肩を落とす私に握られた近藤さんの
短刀は、静かに黙したま落ち着い
た仄かな輝きを放つのみだった。