渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

技能的な勘どころ

2021年09月28日 | open


これはあくまで戯言なのだが。

1970年代の暴走ちゃんは、やたら
バイクの運転が巧かった。
巧くないと集団暴走などできないの
で、上手に乗れるような事をしたの
だろうが、それは何だったのだろう
と思う。
彼らの運転は、まるでバスケットの
選手のプレーのようにキュッキュと
クイックリーにマシンを操作して動
かしていた。オフェンスやディフェ
ンスのバスケ選手のように。

はたと思った。
昔の暴走ちゃんたちがマシンコント
ロールが巧かったのは、日常的に道
でステップが擦る程のスラロームを
繰り返すから、自然と体幹の軸線と
マシンのバランスを取る事を身につ
けていたのではなかろうか、と。
高速度域での車線変換や旋回中のラ
イン変更なども彼らはサッ、パッ、
スーッとこなす。
ママチャリ自転車での左右のステップ
こすりは、クイックリーなオートバイ
での動きとは違って、ゆったりと大き
な円弧を描かないとこすれない。
それは私も散々と中学の時にやってみ
た。両者は異なるファクターがある。
自動二輪の場合は、同じ二輪車でも
原理は一緒でも自転車とは異なる挙
が存在する。これはマスの集中や
サスの存在等々いろいろな要因があ
るので、それはそうだろう。原理は
同じでも、派生してくる現象は、それ
ぞれ別枠特化現象として現出する。

レーシングライダーがやるタイヤの
側面までも馴染ませて温める急激な
スラロームのような事を70年代暴走
ちゃんたちはやっていたが、それを
常にやるというのは、ジオメトリー
を勘案すると、往復するブランコの
上でバランスを取るようなものなの
で、もしかすると暴走ちゃんたちは
それによって日常的に訓練がなされ、
誰もがあれ程マシンコントロールが
巧みだったのではなかろうかと思う。
実際に、僕は真面目君です系の人た
ちのバイク運転の動きは健康太極拳
みたいであり、バスケの選手のよう
なキュッキュとした機敏さは無い。
そして、事実、小事故から大事故ま
で起こすのは「僕は真面目君です」
系の同級生ばかりだった。
暴走ちゃんたちは、危なそうな走行
をしながら一向に事故らないし、転
ばない。私でさえ、高校時代には一
度たりとも転ばなかった。(私がオン
ロードで転び始めたのはガンマ1型と
いう前輪にかなりの問題を抱える車
に乗ってから。オフロードは別。
中学の時は転びまくった)

バスケットボールのプレーでの身体
使いの動きのエッセンスとメソッド
は、かなり二輪車完全操縦のための
身体の使い方に通じる部分があると
私は思う。

(暴走行為を推奨している訳では
ないので誤解なきよう願います)

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