渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

桜坂 ~東京通信~

2024年04月02日 | open
 














今、満開。
桜坂。

福山雅治 - 桜坂 (Full ver.)

似てる人 ~川崎のカワサキの思い出~

2024年04月02日 | open



昔、学生の頃に世話になって
いた川崎にあるカワサキの
バイク屋の店長が野沢那智
さんにそっくりだなぁとい
つも思っていた。
元レーシングライダーで、か

つ富士山にバイクで登山した
人だ。
店に行くと、ゆっくりしてけ、
といつも歓迎してくれて、図
々しくも数時
間いたりした。
ソファーで店長のビール飲み

まくってレースビデオ観てた
り。(当時はビデオデッキ
自体が超貴重)
映画『マッドマックス』は

店長の店で初めて観た。
店は今は神奈川県の西部の
市に移転した。
川崎店舗時代のそこでAR50
をRZ350のセカンドバイクと
して購入した。
私にとっては高校時代のMS、
マッハ以
来3台目のカワサキ
だった。

買って納車の日にそのまま
そこから広島まで下道を走
った。
広島まで走って横浜に帰れば
ナラシが終わるから。
往復のうち片道だけ途中で名
古屋に実家
がある横浜のアパー
トの隣り部屋の日吉のKOボー
イの
カワサキ乗りの奴の家に
泊め
てもらった。
東山公園の一方通行周回コース
走ってみた。とても面白いが
公園内車道ワインディングは
非常にリスキーでもあった。
AR50はそれこそフルパワーを
かけられるのでかなり面白か
った。
プラグは一切被らせない。
広島まで行って帰ったら、綺
麗にアタリは取れていた。
常に頗る快調だった。
あまりに面白いので、フツー
に革ツナギ着て峠にARで行っ
てた。
原付50の2ストスポーツは国内
特化モデルらしかったが、面
白過ぎて笑いが出るオートバ
イだった。
きちんと正確な操作しないと

全く走らないが、的確操作を
するとカットビで走る。
そればかりしていると免許無
なるけど(笑
それどころか、峠の下りツイ
スティコーナーを6速全開で
フルバンク中に前輪チャタリ
ングですっ飛んで大転倒、と
かさ。
VT250はカモ!とか調子こいて
ぶち抜いたら何個目かの下り
でやらかした、みたいな。
もっとひどいのはホンダの
MBXで、ノーマルで100km/h
近く出た。
あれ、公称7.2PSというのは

虚偽だったのではと思える
程に速い原付だった。

実は、ワークスレーサーを
イメージして作られたレー
サーレプリカの一番最初は
カワサキのAR50/80だった
事は意外と知られていない。
スズキのRGガンマ250よりも
2年先だ。

ライムグリーンの純血ゼロハン/1981 AR50 | THE MINORITY | カワサキイチバン

ライムグリーンの純血ゼロハン/1981 AR50 | THE MINORITY | カワサキイチバン

ライムグリーンの純血ゼロハン

カワサキイチバン

 

 


排気量とパワーの差

2024年04月02日 | open



2スト250で充分である。


4スト400で充分である。


だが、排気量とパワーの限界
というものはある。
つい先日、登坂車線で車が前
に詰まっているので
巡行して
車寄り待ち走行している私と
同行者を速そうなバイクが左
車線から抜いて行った。
左から?と思ったが、前の車
が避けたので爆追してビタリ
と後ろにつけた。
高速度でバンク旋回。片側2
車線ですぐ後ろの
横。旋回速
度はややこちらが
速いので抜
かないように気持
ち抑える。
高速S字が続く。

だが、旋回中はともかく、立
ち上がりでジワ~ッ
と離され
る。ジンワリ~という感じで。

並びかけ時に観たら吸排気い
じってる。ノーマル108PS
だがもっと出ているだろう。
排気量はこちらの倍以上ある。
同じメーカーのどちらも旧車。
向こうはアップ気味のカウル
付。
中速コーナー(公道では高速)
をいくつか抜け、前に車が詰
まっていたので車の後ろで
行になりかけたら、その
バイ
クは黄色線割って対抗車
線逆
走で車を抜かして行った。

私は道譲りしてくれた車以外
それはやらないのでマシンを
路肩に寄せて、置いて来た同
行者を待って合流した。
速い人なのになぁ、逆走しな

くても、とは思った。
見知らぬ人だが、ロードで出
会ってもう少し互いに楽しめ
たのに。TONエリアで。


レッドゾーン下でタコ針ダン
シングさせてto the TONでも
じわりと離されるのは明らか
にパ
ワーと排気量の差だ。
倍以上の排気量、倍PS以上の
差は
結構こういうシーンでは
差が出てくる。
でも、いいのよ。あたしはF3
が好きだから。
問題なし。
忍者もいいが剣士が好きだし(笑




 


身の丈にあったバイクを

2024年04月02日 | open
 
大型バイクを起こすコツを教えていただけますか? - 身長148㎝体重37㎏です。私より身長が同じか低く、体重も軽い方で大型バイク... - Yahoo!知恵袋

大型バイクを起こすコツを教えていただけますか? - 身長148㎝体重37㎏です。私より身長が同じか低く、体重も軽い方で大型バイク... - Yahoo!知恵袋

大型バイクを起こすコツを教えていただけますか? 身長148㎝体重37㎏です。私より身長が同じか低く、体重も軽い方で大型バイク免許を取った方がおられましたらバイクを起こ...

Yahoo!知恵袋

 
最近の女の子はよく転ぶ、どこ
ろか運転そのものがおぼつかな
い。
実は女性だけではない。
男性も、考えられない程の下手
っぴが多すぎるのはなぜだろう。
そうではない人もいるにはいる

が、極めて少数だ。下手な人た
ちが大多数派になってしまった。
それの理由は免許制度にある。
かつて1975~1995年までは超絶
難関試験の自動二輪限定解除試
験が存在した。5回10回受験は
当たり前、という難関。
それが、1996年のアメリカの圧
力による政治判断で免許制度が
改変された。
誰でも教習所で超簡単に二輪免
許が取れるようになった。
大型免許などはかつての限定付
免許(中型免許)よりも簡単に
なった。
かつては、自動二輪の限定付
(400ccまで)であっても、現
の教習所で取る大型二輪免許
よりも難しかった。
かつて限定解除は一本橋などは
15秒だったが今では大型で10秒
だ。普通二輪(旧自動二輪限定
付=通称中型免許)に至っては
8秒となっている。無茶苦茶。
下手くそばかりになる筈だ。
教習や試験そのものが簡単過ぎ
るから。
だが、円周率3で育った人たちが
物作りをまともにできない、他
の職種でも社会不適合性が見ら
れるのは頷ける。円周率3でまと
もな物など作れないし、他学科
でも温く温く甘く簡単にゆとり
たっぷりの温室育ちは臨機応変
性や自発的前進力に欠けるから
だ。
二輪の免許制度も全く同じ。
難関大学など廃止して、全校が
入試偏差値35にしたら日本は
どうなってしまうのか。
だが、実際にそのような方向性
の教育改変が一定期間続けられ
た結果、日本人は相当頭が弱く
なった。世界レベルでの学力と
知能ダダ下がり。
日本国家は数十年後に実態を知

って焦って教育システムを戻し
たが、後の祭りだ。そうした世
代が多数派となって今中堅にな
り、企業や各部門で責任的立場
になっている。
日本の学術界、産業界、教育界

の将来はとても暗い。世界トップ
レベルだった学力や経済力、産
業力を取り戻すのにはあと数十年
かかるだろう。


オートバイの免許制度も全く
ゆとり教育と同じ轍を踏んだ。
免許試験を(これは今でも)超
簡単にしたために、二輪にま
もに乗れない人間たちでも免許
を所有できるようになった。
ボーダーフリー大学を卒業して
いても学士さん、というのと
同じ。
BFや偏差値35あたりの大学卒
人間の学力をご存じですか?

二次方程式どころか分数の計算
さえできない。英語においては
過去形は知らない。国語は新聞
がまともに読めない。文字列は
3行以上苦痛で読めない。これ

は事実としてある。嘘でなく。

だが、大卒の学士さん。
しかし、世の中摩訶不思議。大

卒であるという妙なプライドだ
けは持っている。これは多くの
BF大卒者を見ていて実感した。
分数計算できず、goの過去形も
知らないのにそう
なんだ、と思
った。南北朝時代?なにそれ?
の人たちだ。

ほとんどこんな感じの人たち。


それと同じ現象が1996年以降の
二輪の世界に発生している。
バイクにまともに乗れない人間
たちだらけが世の中にごまんと
蔓延するようになってしまった
のである。
そして、乗れない事を指摘する
と、ゆとりらしくゆとりチック
に反発する。識別能力に欠ける
から、乗れている達人たちの
フォームや乗り方を「こんな
乗れてない奴見た事ない」と
か度外れ頓珍漢な事を言い始
める。
自分で思考考察する訓練を小学
生の頃から受けていないから、
何でもかんでもお膳立てしない
とできない。お膳立てしても
できない。「僕なりに一生懸
命(一所懸命だバカ)にやって
るのに、パワハラだ」とか言う。
仕事で期限までに行程終わらせ
ないとクライアントとの契約
に響くと確認して取り掛かって
期限までにできなくともそう
いう言い訳をする。注意する
と会社やめちゃう。そういう
のばかりが全国的に大集合
なのが「ゆとり世代」だ。
ほんとにホワイト企業なのに
何人も会社やめちゃったりす
るのだから、昭和育ちのこち
とらはそれを耳にして驚いた。

そうした社会現象は、オート
バイの世界でも全くあてはま
るのが現代だ。
そのくせ、誰でも取れる簡単
免許で大型二輪免許を取って、
虚栄心からビッグバイクに乗り
たがる。最初から。
乗りこなせないで転んだりタチ
ゴケなる意味不明な事をやって
も平気の平左。
攻めすぎて限界超えて転倒では
なく、乗る
の自体がおぼつかな
くて乗れな
くて転ぶ。
何考えてるのだろうと思う。
「乗りたい」という希望を
叶えたり応援したりする事が
美徳であるかのように世間も
背中を押したりしている。
自分一人で倒し転がしたバイ
クを
起こせもしないのに。
それ、免許あるの?という以前
に論外だ。

上掲の質問回答に、日本で
二人目の女性国際A級の元全
日本レーシングライダーで、
今は後進の指導にあたってい
る井形マリさんの言葉が紹介
されていた。
全くその通りだと思う。
身の丈に合ったバイクを選ばず
に、見栄や虚栄心や睥睨感や
私的欲望(現実とは乖離)の
みで大型バイクを選ぶ人が今
の時代は多すぎる。
だから「排気量マウント」や

「免許マウント」を取りたがる
ド勘違いの痛い連中が増えて
いる。
そして、やらかす顛末は無様
この上なく、人様にも迷惑を
かける。
よくよく考えた方がいい。

井形マリさんの言葉を私も紹介
したい。

----昔と今で女性ライダーが変化
した部分ってありますか?
(女性だけのスクール「チーム・
マリ・モーターサイクルレッスン」。
栃木県のツインリンクもてぎにて)

(井形マリ)
1996年に教習所で大型二輪免許が
取れるようになり、大きく変化し
ましたね。
以前の大型二輪免許は、最初に普
通二輪免許を取って、250や400を
何年か乗ってから警察の免許試験
場で何度も厳しい試験を受けて手
にするものでした。
だから大型二輪免許を持っている
人は女性でもそれなりに走れる人
だった。今はまったくバイクに乗
ったことのない人でも、教習所に
いけばいきなり大型二輪を取れる。
ステップを踏まなくてもいいんで
す。
この制度変更を機に大型二輪免許
保持者は増えました。でも本当に
走れる人は多くないでしょう。
大型二輪が簡単に取れるようにな
ったことにより、教える側として
はとても大変になりました。免許
を持っているから1台目のバイク
に大型を買い、初めて参加する
レッスンも「750をレンタルして
練習します」っていう人がいる。
だから「250か400の扱いやすい
バイクで練習を重ねてから750に
移行したほうが、早く上手くなる
んですよ」とステップアップして
練習することを勧めるんですけ
ど、なかなか聞いてもらえません。
それとみなさんお金持ちなんで
すね。一台目に買うバイクは外車
がすごく多い。しかも女性の場合
はデザイン重視なんですよ。いき
なり1000ccの外車を買ってしまう
人も少なくありません。初心者に
は扱いにくい癖のあるバイクを
選んでも、乗りこなせるわけない
のですが。

井形マリさんは、ここで1ミリ
たり
とも間違った事は言って
ない。
「わけがない」のである。

つまり、道理がない、のだ。
ここでは井形さんは往年の実力
ライダーらしく、「観念的希望」
と「物理的な道理」とを弁別し
て述べている。ライダーはその
識別力が無いと話にならない。
自分の勝手な希望が、果たして
現実としての物理的な満足を
満たせる現象になるのかどうか、
今の人たちはその識別区別を
つける能力にまず欠けている。
「100mを駆け足で10秒で走り
たい」と
思ったら何の努力も
無しで走れ
るかと錯覚している
のだ。

だが、往年の名選手の実力者の
アドバイスさえもきこうとしな
のが今の人たちのようだ。
これは女性だけでなく、男にも
あてはまる。
ただ、私には定理は見えている。
乗れない奴、実力の伸び代が無
奴ほど先達のアドバイスを真
摯に
聞こうとはしない。
そのくせ根拠のない自信過剰だ。
そういうのは備後弁では「タコの
くそが頭にあがってる」と言う。

ま、どうでもいいが、事故無く
二輪には乗って欲しい。

ちなみに私が大型バイクを所有
しないのは、排気量無制限の
通行許可証を持っていても、
大型バイクでは公道でフルパワー
で走る事ができないからだ。
250や400だとある程度フルパワー
全開走行ができる。
だから、性能を使いきれないの
は勿体ないので、大型二輪は
所有しない。コースとかなら別
なのだろうが、日常的に乗るに
は大型二輪は私にとっては私
の走りには不適合なので所有
選択しないだけ。今のところ
それ。カワサキのER-5の500cc
やマッハ3などは例外的に乗り
たいとは思うが、あくまで例
外だ。
公道では旧車2ストパワーの250

や旧車400あたりのマシンが私
にとっては一番楽しめる機種枠
になる。
つまり、かつてのF3ロードレー

スのカテゴリー枠の二輪車。
打てば響くで応えてくれる事を
公道で実現できるので一番面白
い。
キビキビとしたスパルタンな

走りにも旧車400や2スト250は
如何なく応えてくれる。
大型二輪は私には必要ない、と
いうよりも私の楽しみを満たす
事には全く寄与しない。反する
物として存在する。

虚栄心や他人と比較しての所有
欲や睥睨感を持ちたいという
感覚も私には皆無なので、私
個人には大型
二輪の車両を保有
する意味が無
い。それが実際の
ところ。

なので排気量マウントや免許
マウントを取る人たちの性根が
私にはよく理解できない。
私にとってはそれらの感覚は
「外(と)のもの」だ。
無関係。
無関係なものには興味は無い。








ピストン

2024年04月02日 | open


この灰皿にしているピストンは
何のトラックのピストンなのか
なぁ。88φある。
昔、人から貰った。
エンジンバラした時にピストン
をカットしていくつも灰皿を作
っていた。
カットもどうやったのだろう。
アルミだからプラズマは使えな
いし。真っ平らにカットされて
るよ。

このピストン灰皿は気に入って
ます。




ル・マン ~フランス~

2024年04月02日 | open

ル・マン ~Le circuit des 24 heures du Mans~


タイムリーに現地からの映像。
うちのクラブの綿貫マイクは
選手として耐久世界選手権の
ル・マン24時間にフランスの
ヤマハ3ARTチームから参戦
する。





ヤマハ発動機 挑戦の軌跡

2024年04月02日 | open

ヤマハ発動機 挑戦の軌跡
"Yamaha Motor challenge of trajectory".


ヤマハのオートバイ。
それは戦後昭和23年(1948)に
開発が始まり、昭和24年(1949)
に完成をみた。
そして、昭和30年(1955)、
株式会社ヤマハ発動機が誕生し
た。
日本最後発の二輪メーカーは
やがて世界の頂点へと登り詰
めることになる。


輝ける女性ライダーたち ~井形マリ 世界を駆ける 栄光の鈴鹿8耐(1983)~

2024年04月02日 | open

井形マリ 世界を駆ける 栄光の鈴鹿8耐


井形マリさんはすぐ目の前で
見るととても小柄だ。
だが、当時の女性レーシング
ライダーとしては第一人者で
男性に交じり全日本125で走っ
ていた。
元はホンダ技研の従業員。
そこで社内チームからレース
を始めた。
だが、29才の時に大事故により
もうレースができない怪我を
負い、引退し後進の指導にあ
たり現在に至る。
マリさんの年の離れた妹の井
形とも子選手は、1985年20才
でレースデビューし、1992年~
1995年に世界グランプリライ
ダーとなって世界選手権WGP
を走っていた。
とも子さんがまた凄くて、こ
れまでの歴史で、日本人選手
で唯一世界選手権フル参戦し
た女性となっている。
ジェンダーである事を公表し、
「とも子」の公称名(本名智子)
を「とも」
に変更したが、グ
ランプリでの
功績を讃え、女
性として世界
組織からも表彰
されている。
なお、現在は全日本は何故だか

本名でのエントリーしか受け付
けておらず、綿貫舞空は綿貫
マイクでエントリーしようと
したら主催者から拒否された。
英語フリガナもMIKEは認め
られず、MAIKUとローマ字表
記にされてしま
った。井形
マリさん、井形智子さんの頃
はエント
リー名は国会議員名
と同じく
本人の自由意思が認
められて
いたが、現在の運営
はある種
40年前よりも後退し
た保守化
傾向にあるといえる。

井形さんきょうだいは、日本の
至宝ともいえる。
1980年代のバイクブームの中で
女性ライダーが爆発的に増えた
のは、井形マリさんの存在が
あった事は確かだ。
とても小柄なのにレーシング

マシンを駆って全日本や世界
耐久選手権を走るマリさんの
姿は、日本の女性に希望を与
えた。
1980年代は昭和元禄末期だが、
まだまだ「女のくせに」とか
いう気風が国内に強く残って
いた時代だった。
その中でのマリさんの活躍は
それはもう輝かしかった。

マリさん、実際に見るととても
可愛い人。
1985年の鈴鹿8耐の時に私が月

刊プレーボーイのバイト取材で
鈴鹿サーキットに行った時、
マリさんは客寄せパンダのよう
にされて炎天下の中サイン会で
延々とサインしていて、少し
ふてくされ気味で、普段全日本
のパドックで見る表情と違って
いた。
1987年に凄腕メカニックの元
ホンダの小嶋さんと結婚して
現在に至る。
今は、筑波サーキットのそばで
レーシングサポート会社をお二
人で経営なさっている。

マリさんは私の2歳上、3学年上。

東京都文京区出身。
井形マリさんは私と同い年の小
沼加代子に続く
国内で二人目の
国際A級ライダー
だった。
小沼もノービス時代
から激速
かった。小沼はノービ
ス時代は
富士でよく練習してい
た。
小沼がコースレコード
でなく歌手
としてレコード出し
たのは何か
の気の迷い、間違いだろう(笑
ただ、ある時、富士で「男に負
けた!」とわんわん泣いていた。
そして歌に行ったか。それは無
い(笑
小沼は平尾昌晃のラジオ番組に

も出たりしていたから、それが
音楽活動のきっかけだったのか
も。ただし本職はレーシング
ライダー。

掘ひろ子、小沼加代子、井形

マリは1970年代~1980年代の
日本を代表する女性レーシング
ライダーだった。
ひろ子さんは1970年代、サンデー
ライダーズというチームにいた。
1976年夏前、埼玉県大宮市
タカヤマボウルというボウ

ング場の駐車場にトランポ

停めてあって、中にひろ子
さん
のホンダMT125レーサーが積ん
であったのを見た。
友人と「あ、ロコさんのマシン
が載ってる」と言い合いながら
眺めていた事があった。
2台MTが積んであり、右側が

ひろ子さんのマシンだった。
当時の堀ひろ子さんは、モデル
さんのような美人で、少年たち
の憧れでもあった。
で、少年たちはボウリング場に
入って行ったけど、ひろ子さん
何故かいなかっただよな(笑
堀ひろ子さんは、日本人初の

女性ロードレースライダーだ
った。
1949年東京生まれ、1985年永眠。

当時日本のレースは女性に門戸
を閉ざしていて、特例として
日本で初めて1976年に堀洋子
んのみに参加が認められた。
大変な努力と折衝があった事
だろう。
堀さんの功績により、その後
女性のレース参加が認められる
ようになった。
そして、小沼加代子さん、井形
マリさん
が輝かしい軌跡のライ
ンをトレ
ースして、女性たちに
も二輪の
素晴らしさを広めた
歴史がある。
その足跡は、1980年代に開花

した。
1980年代は女性も参加する二輪
文化揺籃期でも
あり、一般社会
でも女性が社会進出できる
環境
が生まれつつあった時代
でもあ
った。まだまだ女性差別はあっ
たが、だんだん蕾が花開く時期
でもあった。真の自由と平和を
人々が求め始めた時代が80年代

だった。
1980年代が輝いていたのは、
それは人々が輝いていたから
だ。
井形マリさんも、そうした時代
の中でトップで輝いていた女性
だった。










走る楽しみ

2024年04月02日 | open




便宜上私は「ツーリング」という
単語は使うが、自分の中では二輪
走行外出において観光気分の道行
きは殆ど無い。
それは確かに道々での景色を見た
り、名所を訪れたり、訪問先で特
産品を食べたりするのは楽しいの
は楽しいが、私の楽しみのメイン
は別にある。
それは「ロードを走る事」その
ものが一番楽しいのだ。
景色は素晴らしくとも一過性だ。
それは走行の流れとともに遠ざ
かる。
だが、マシンと対話をしながら
の走行はずっと継続するのだ。
すべてにおいて状況が違うロード
が次から次に現れてそこをずっと
マシンと共に走って行く。
自分とマシンは常に一緒にいる。
橋の無い海峡以外、ロードは全国
どこまでも繋がっている。
そこを走り続ける。マシンと同調
してマシンを操縦しながら。
それが私は一番楽しい。
目的が場所の移動ではなく、また
観光地巡りなどでもなく、二輪に
乗って操縦する事、ロードを走る
事そのものが楽しいし、それを求
めている。

オートバイは人それぞれいろいろ
な楽しみ方があるが、私の場合は
それ。
逆にいうと、景色風景第一では
ないので、ロードはどこでも楽
しい。
ツーリングスポットと呼ばれる
場所であっても、目指すのは景
色風景観光名所ではなく、道の
レイアウトにこそ私が求めるも
のがある。
そして、人の顔を忘れないよう
に、これまで走ったロードの
殆どを覚えている。
似たレイアウトや路面状況の
道に出くわすと、「あ、これは
いついつ走ったあそこに似て
いる」と思い出す。
人の顔を見て「あ、あの人の
面影に似ている」という感覚
が浮かぶように。

走り続ける時、ずっとオートバイ
と対話しながら走っている。
それが1日何時間もずっと継続す
るのが楽しい。
今まで休息を挟みながらどれく
らい二輪に乗り続けたのだろう
と振り返ると、20数時間連続し
て乗った。
それは勿論若い時ではあるが、
還暦を過ぎた今でも1日750km
程は走るので、時間にすると
かなりの時間ライドしている
事になる。

楽しいのだ。
二輪と共に走る事が。
たとえどんな道であろうとも。
これは同じコースを周回する
競技とは全く別な次元の楽し
み。
競技は勝負だが、公道での走り
に勝負は無い。ややあったりも
したが、そこには名誉もプライ
ドも称賛も無い。本質的な点で
は。
コースでの本チャンやストリー
トバトル等で競い合う事がなく
とも、一般ロードで質の向上を
目指しながら楽しむ事ができる
のが私の場合のロードライディ
ングのメルクマールとなって
いる。

とにかく、走る事そのものが
楽しい。