渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

輝ける女性ライダーたち ~井形マリ 世界を駆ける 栄光の鈴鹿8耐(1983)~

2024年04月02日 | open

井形マリ 世界を駆ける 栄光の鈴鹿8耐


井形マリさんはすぐ目の前で
見るととても小柄だ。
だが、当時の女性レーシング
ライダーとしては第一人者で
男性に交じり全日本125で走っ
ていた。
元はホンダ技研の従業員。
そこで社内チームからレース
を始めた。
だが、29才の時に大事故により
もうレースができない怪我を
負い、引退し後進の指導にあ
たり現在に至る。
マリさんの年の離れた妹の井
形とも子選手は、1985年20才
でレースデビューし、1992年~
1995年に世界グランプリライ
ダーとなって世界選手権WGP
を走っていた。
とも子さんがまた凄くて、こ
れまでの歴史で、日本人選手
で唯一世界選手権フル参戦し
た女性となっている。
ジェンダーである事を公表し、
「とも子」の公称名(本名智子)
を「とも」
に変更したが、グ
ランプリでの
功績を讃え、女
性として世界
組織からも表彰
されている。
なお、現在は全日本は何故だか

本名でのエントリーしか受け付
けておらず、綿貫舞空は綿貫
マイクでエントリーしようと
したら主催者から拒否された。
英語フリガナもMIKEは認め
られず、MAIKUとローマ字表
記にされてしま
った。井形
マリさん、井形智子さんの頃
はエント
リー名は国会議員名
と同じく
本人の自由意思が認
められて
いたが、現在の運営
はある種
40年前よりも後退し
た保守化
傾向にあるといえる。

井形さんきょうだいは、日本の
至宝ともいえる。
1980年代のバイクブームの中で
女性ライダーが爆発的に増えた
のは、井形マリさんの存在が
あった事は確かだ。
とても小柄なのにレーシング

マシンを駆って全日本や世界
耐久選手権を走るマリさんの
姿は、日本の女性に希望を与
えた。
1980年代は昭和元禄末期だが、
まだまだ「女のくせに」とか
いう気風が国内に強く残って
いた時代だった。
その中でのマリさんの活躍は
それはもう輝かしかった。

マリさん、実際に見るととても
可愛い人。
1985年の鈴鹿8耐の時に私が月

刊プレーボーイのバイト取材で
鈴鹿サーキットに行った時、
マリさんは客寄せパンダのよう
にされて炎天下の中サイン会で
延々とサインしていて、少し
ふてくされ気味で、普段全日本
のパドックで見る表情と違って
いた。
1987年に凄腕メカニックの元
ホンダの小嶋さんと結婚して
現在に至る。
今は、筑波サーキットのそばで
レーシングサポート会社をお二
人で経営なさっている。

マリさんは私の2歳上、3学年上。

東京都文京区出身。
井形マリさんは私と同い年の小
沼加代子に続く
国内で二人目の
国際A級ライダー
だった。
小沼もノービス時代
から激速
かった。小沼はノービ
ス時代は
富士でよく練習してい
た。
小沼がコースレコード
でなく歌手
としてレコード出し
たのは何か
の気の迷い、間違いだろう(笑
ただ、ある時、富士で「男に負
けた!」とわんわん泣いていた。
そして歌に行ったか。それは無
い(笑
小沼は平尾昌晃のラジオ番組に

も出たりしていたから、それが
音楽活動のきっかけだったのか
も。ただし本職はレーシング
ライダー。

掘ひろ子、小沼加代子、井形

マリは1970年代~1980年代の
日本を代表する女性レーシング
ライダーだった。
ひろ子さんは1970年代、サンデー
ライダーズというチームにいた。
1976年夏前、埼玉県大宮市
タカヤマボウルというボウ

ング場の駐車場にトランポ

停めてあって、中にひろ子
さん
のホンダMT125レーサーが積ん
であったのを見た。
友人と「あ、ロコさんのマシン
が載ってる」と言い合いながら
眺めていた事があった。
2台MTが積んであり、右側が

ひろ子さんのマシンだった。
当時の堀ひろ子さんは、モデル
さんのような美人で、少年たち
の憧れでもあった。
で、少年たちはボウリング場に
入って行ったけど、ひろ子さん
何故かいなかっただよな(笑
堀ひろ子さんは、日本人初の

女性ロードレースライダーだ
った。
1949年東京生まれ、1985年永眠。

当時日本のレースは女性に門戸
を閉ざしていて、特例として
日本で初めて1976年に堀洋子
んのみに参加が認められた。
大変な努力と折衝があった事
だろう。
堀さんの功績により、その後
女性のレース参加が認められる
ようになった。
そして、小沼加代子さん、井形
マリさん
が輝かしい軌跡のライ
ンをトレ
ースして、女性たちに
も二輪の
素晴らしさを広めた
歴史がある。
その足跡は、1980年代に開花

した。
1980年代は女性も参加する二輪
文化揺籃期でも
あり、一般社会
でも女性が社会進出できる
環境
が生まれつつあった時代
でもあ
った。まだまだ女性差別はあっ
たが、だんだん蕾が花開く時期
でもあった。真の自由と平和を
人々が求め始めた時代が80年代

だった。
1980年代が輝いていたのは、
それは人々が輝いていたから
だ。
井形マリさんも、そうした時代
の中でトップで輝いていた女性
だった。










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