渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

身の丈にあったバイクを

2024年04月02日 | open
 
大型バイクを起こすコツを教えていただけますか? - 身長148㎝体重37㎏です。私より身長が同じか低く、体重も軽い方で大型バイク... - Yahoo!知恵袋

大型バイクを起こすコツを教えていただけますか? - 身長148㎝体重37㎏です。私より身長が同じか低く、体重も軽い方で大型バイク... - Yahoo!知恵袋

大型バイクを起こすコツを教えていただけますか? 身長148㎝体重37㎏です。私より身長が同じか低く、体重も軽い方で大型バイク免許を取った方がおられましたらバイクを起こ...

Yahoo!知恵袋

 
最近の女の子はよく転ぶ、どこ
ろか運転そのものがおぼつかな
い。
実は女性だけではない。
男性も、考えられない程の下手
っぴが多すぎるのはなぜだろう。
そうではない人もいるにはいる

が、極めて少数だ。下手な人た
ちが大多数派になってしまった。
それの理由は免許制度にある。
かつて1975~1995年までは超絶
難関試験の自動二輪限定解除試
験が存在した。5回10回受験は
当たり前、という難関。
それが、1996年のアメリカの圧
力による政治判断で免許制度が
改変された。
誰でも教習所で超簡単に二輪免
許が取れるようになった。
大型免許などはかつての限定付
免許(中型免許)よりも簡単に
なった。
かつては、自動二輪の限定付
(400ccまで)であっても、現
の教習所で取る大型二輪免許
よりも難しかった。
かつて限定解除は一本橋などは
15秒だったが今では大型で10秒
だ。普通二輪(旧自動二輪限定
付=通称中型免許)に至っては
8秒となっている。無茶苦茶。
下手くそばかりになる筈だ。
教習や試験そのものが簡単過ぎ
るから。
だが、円周率3で育った人たちが
物作りをまともにできない、他
の職種でも社会不適合性が見ら
れるのは頷ける。円周率3でまと
もな物など作れないし、他学科
でも温く温く甘く簡単にゆとり
たっぷりの温室育ちは臨機応変
性や自発的前進力に欠けるから
だ。
二輪の免許制度も全く同じ。
難関大学など廃止して、全校が
入試偏差値35にしたら日本は
どうなってしまうのか。
だが、実際にそのような方向性
の教育改変が一定期間続けられ
た結果、日本人は相当頭が弱く
なった。世界レベルでの学力と
知能ダダ下がり。
日本国家は数十年後に実態を知

って焦って教育システムを戻し
たが、後の祭りだ。そうした世
代が多数派となって今中堅にな
り、企業や各部門で責任的立場
になっている。
日本の学術界、産業界、教育界

の将来はとても暗い。世界トップ
レベルだった学力や経済力、産
業力を取り戻すのにはあと数十年
かかるだろう。


オートバイの免許制度も全く
ゆとり教育と同じ轍を踏んだ。
免許試験を(これは今でも)超
簡単にしたために、二輪にま
もに乗れない人間たちでも免許
を所有できるようになった。
ボーダーフリー大学を卒業して
いても学士さん、というのと
同じ。
BFや偏差値35あたりの大学卒
人間の学力をご存じですか?

二次方程式どころか分数の計算
さえできない。英語においては
過去形は知らない。国語は新聞
がまともに読めない。文字列は
3行以上苦痛で読めない。これ

は事実としてある。嘘でなく。

だが、大卒の学士さん。
しかし、世の中摩訶不思議。大

卒であるという妙なプライドだ
けは持っている。これは多くの
BF大卒者を見ていて実感した。
分数計算できず、goの過去形も
知らないのにそう
なんだ、と思
った。南北朝時代?なにそれ?
の人たちだ。

ほとんどこんな感じの人たち。


それと同じ現象が1996年以降の
二輪の世界に発生している。
バイクにまともに乗れない人間
たちだらけが世の中にごまんと
蔓延するようになってしまった
のである。
そして、乗れない事を指摘する
と、ゆとりらしくゆとりチック
に反発する。識別能力に欠ける
から、乗れている達人たちの
フォームや乗り方を「こんな
乗れてない奴見た事ない」と
か度外れ頓珍漢な事を言い始
める。
自分で思考考察する訓練を小学
生の頃から受けていないから、
何でもかんでもお膳立てしない
とできない。お膳立てしても
できない。「僕なりに一生懸
命(一所懸命だバカ)にやって
るのに、パワハラだ」とか言う。
仕事で期限までに行程終わらせ
ないとクライアントとの契約
に響くと確認して取り掛かって
期限までにできなくともそう
いう言い訳をする。注意する
と会社やめちゃう。そういう
のばかりが全国的に大集合
なのが「ゆとり世代」だ。
ほんとにホワイト企業なのに
何人も会社やめちゃったりす
るのだから、昭和育ちのこち
とらはそれを耳にして驚いた。

そうした社会現象は、オート
バイの世界でも全くあてはま
るのが現代だ。
そのくせ、誰でも取れる簡単
免許で大型二輪免許を取って、
虚栄心からビッグバイクに乗り
たがる。最初から。
乗りこなせないで転んだりタチ
ゴケなる意味不明な事をやって
も平気の平左。
攻めすぎて限界超えて転倒では
なく、乗る
の自体がおぼつかな
くて乗れな
くて転ぶ。
何考えてるのだろうと思う。
「乗りたい」という希望を
叶えたり応援したりする事が
美徳であるかのように世間も
背中を押したりしている。
自分一人で倒し転がしたバイ
クを
起こせもしないのに。
それ、免許あるの?という以前
に論外だ。

上掲の質問回答に、日本で
二人目の女性国際A級の元全
日本レーシングライダーで、
今は後進の指導にあたってい
る井形マリさんの言葉が紹介
されていた。
全くその通りだと思う。
身の丈に合ったバイクを選ばず
に、見栄や虚栄心や睥睨感や
私的欲望(現実とは乖離)の
みで大型バイクを選ぶ人が今
の時代は多すぎる。
だから「排気量マウント」や

「免許マウント」を取りたがる
ド勘違いの痛い連中が増えて
いる。
そして、やらかす顛末は無様
この上なく、人様にも迷惑を
かける。
よくよく考えた方がいい。

井形マリさんの言葉を私も紹介
したい。

----昔と今で女性ライダーが変化
した部分ってありますか?
(女性だけのスクール「チーム・
マリ・モーターサイクルレッスン」。
栃木県のツインリンクもてぎにて)

(井形マリ)
1996年に教習所で大型二輪免許が
取れるようになり、大きく変化し
ましたね。
以前の大型二輪免許は、最初に普
通二輪免許を取って、250や400を
何年か乗ってから警察の免許試験
場で何度も厳しい試験を受けて手
にするものでした。
だから大型二輪免許を持っている
人は女性でもそれなりに走れる人
だった。今はまったくバイクに乗
ったことのない人でも、教習所に
いけばいきなり大型二輪を取れる。
ステップを踏まなくてもいいんで
す。
この制度変更を機に大型二輪免許
保持者は増えました。でも本当に
走れる人は多くないでしょう。
大型二輪が簡単に取れるようにな
ったことにより、教える側として
はとても大変になりました。免許
を持っているから1台目のバイク
に大型を買い、初めて参加する
レッスンも「750をレンタルして
練習します」っていう人がいる。
だから「250か400の扱いやすい
バイクで練習を重ねてから750に
移行したほうが、早く上手くなる
んですよ」とステップアップして
練習することを勧めるんですけ
ど、なかなか聞いてもらえません。
それとみなさんお金持ちなんで
すね。一台目に買うバイクは外車
がすごく多い。しかも女性の場合
はデザイン重視なんですよ。いき
なり1000ccの外車を買ってしまう
人も少なくありません。初心者に
は扱いにくい癖のあるバイクを
選んでも、乗りこなせるわけない
のですが。

井形マリさんは、ここで1ミリ
たり
とも間違った事は言って
ない。
「わけがない」のである。

つまり、道理がない、のだ。
ここでは井形さんは往年の実力
ライダーらしく、「観念的希望」
と「物理的な道理」とを弁別し
て述べている。ライダーはその
識別力が無いと話にならない。
自分の勝手な希望が、果たして
現実としての物理的な満足を
満たせる現象になるのかどうか、
今の人たちはその識別区別を
つける能力にまず欠けている。
「100mを駆け足で10秒で走り
たい」と
思ったら何の努力も
無しで走れ
るかと錯覚している
のだ。

だが、往年の名選手の実力者の
アドバイスさえもきこうとしな
のが今の人たちのようだ。
これは女性だけでなく、男にも
あてはまる。
ただ、私には定理は見えている。
乗れない奴、実力の伸び代が無
奴ほど先達のアドバイスを真
摯に
聞こうとはしない。
そのくせ根拠のない自信過剰だ。
そういうのは備後弁では「タコの
くそが頭にあがってる」と言う。

ま、どうでもいいが、事故無く
二輪には乗って欲しい。

ちなみに私が大型バイクを所有
しないのは、排気量無制限の
通行許可証を持っていても、
大型バイクでは公道でフルパワー
で走る事ができないからだ。
250や400だとある程度フルパワー
全開走行ができる。
だから、性能を使いきれないの
は勿体ないので、大型二輪は
所有しない。コースとかなら別
なのだろうが、日常的に乗るに
は大型二輪は私にとっては私
の走りには不適合なので所有
選択しないだけ。今のところ
それ。カワサキのER-5の500cc
やマッハ3などは例外的に乗り
たいとは思うが、あくまで例
外だ。
公道では旧車2ストパワーの250

や旧車400あたりのマシンが私
にとっては一番楽しめる機種枠
になる。
つまり、かつてのF3ロードレー

スのカテゴリー枠の二輪車。
打てば響くで応えてくれる事を
公道で実現できるので一番面白
い。
キビキビとしたスパルタンな

走りにも旧車400や2スト250は
如何なく応えてくれる。
大型二輪は私には必要ない、と
いうよりも私の楽しみを満たす
事には全く寄与しない。反する
物として存在する。

虚栄心や他人と比較しての所有
欲や睥睨感を持ちたいという
感覚も私には皆無なので、私
個人には大型
二輪の車両を保有
する意味が無
い。それが実際の
ところ。

なので排気量マウントや免許
マウントを取る人たちの性根が
私にはよく理解できない。
私にとってはそれらの感覚は
「外(と)のもの」だ。
無関係。
無関係なものには興味は無い。








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