この路線は西日本で三大赤字路線の一つ
冬などはまるで映画のシーンのような光景
広島県と島根・鳥取県の県境は豪雪地帯
夏は夏で、絵葉書のような風景が続く。
コース。
鉄道からも最高の景色だ。
高2の時、初めて筑波サーキットに
行ったら、サーキット周辺の農地に
「サーキット反対」の立て看板が
無数に立っていた。
三里塚のような反対闘争があったのか
どうかはよく知らないが、なんだか
成田空港建設予定地みたい、と思っ
た。
コースは、1コーナーにかけて結構
上るので驚いた。もっとフラットか
と思っていたからだ。
それまではFISCO(現富士スピード
ウェイ)しか知らなかったので、筑波
はなんだか狭くて峠みたいだとも感
じた。
1ヘア出口アウト側にゼブラではなく、
細長い駐車場のような出っ張りが
あった。
そこを使って走ることもできた。
コースの脇の周囲は草ぼうぼうだ。
まるで草レース場のようなサーキット
が筑波サーキットだった。
コース脇に大きな用水池があって、
コース上にカエル大発生で走行中止
の赤旗が出る事もあった。
私はショップの走行会というものは
参加したことはない。というか、そう
いう会は四輪は多かったが、二輪は
ショップ主催でもその形式は殆ど
無かった。チャンピオンシップの
かからないレースかレーシングライ
ダーの練習のためのスポーツ走行か
レース本チャンしか無かった。
スポーツ走行は金額がめちゃくちゃ
高かった。ガソリンも高くて、富士
でレースガソリンが1リットル150円
だった。レギュラーが100円台の時代。
競技ライセンスのクラス分けはノー
ビス、ジュニア、セニア、エキスパ
ートだった。
私はノービスのMFJライセンスと
MCFAJのライセンス。
コースライセンスは学科講習を受けて
規定周回を車両で走行してからライ
センスが発行される。
競技ライセンスは規定時間を走行した
走行券を証明書として添付して申請する。
走行規定時間は時代により異なる。
(今は10時間くらい?)
1回の走行券が30分なので規定時間を
満たすまで何度も何度もサーキットに
通わないとならない。
スポーツ走行ではナンバー付車両など
は走らせてはくれない。市販車の場合
には、ガラス部品を粘着テープでとめて、
ウインカー、ミラー、ナンバーを外して、
各ボルトとグリップをワイヤーロック
しなければならなかった。
自走でのサーキット行きでのコース
走行は事実上難しい。転んだら帰りの
足が無くなるし。実際のところ、コース
への二輪自走者などは誰もいなかった。
全員がトランスポーターにマシンを積ん
で通っていた。
サーキットを走るのは「レースをやる人」
のみだった風景があった。
体験走りのショップ走行会が爆発的に
増えたのは80年代中期からの尋常なら
ざるバイクブーム到来以降の事だ。
競技ライセンスと違い、サーキット
ライセンスは学科と実技を経れば、
その日のうちに発行された。コース
のライセンスがないとそもそも競技
ライセンスさえ取得できない。走れ
ないから。
ノーライセンスで走るのは、コース
ライセンスの実技の時だけだ。
先導車について走る。追い抜き禁止。
最高速は140km/h程しか出さない。
競技コースではハエが止まるような
速度だ。
まずサーキットごとにライセンスを
取得して、それでそこを規定時間以上
走って競技選手登録するための競技
ライセンスを取得した。
ノービスの下にB級と呼ばれたライ
センスがあり、ノービスから上は選手
登録をしたものでA級ライセンスと
区別して呼ばれていた。A級とは選手
登録しているライセンス持ちの事を
いった。
私は進学による活動停止期間に一度
レースの全ライセンス(各サーキット
ライセンスとMFJとMCFAJのA級ライ
センス)が失効したので、筑波と富士
のサーキットライセンスとMFJノービス
ライセンスは80年代前半に再度規定
時間を走って取得した。
MCFAJは再登録せず、MFJ一本に絞った。
登録ライセンスは競技ライセンスと
メカニックライセンスとクルーライ
センスの3種類だった。
もう、その頃生まれた人が早婚ならば
孫でもできそうなくらい昔の話だ。
16才の時、初めてサーキットのコース
の路面を触った時、「雷おこし?」と
か思った。そんな舗装は見た事なかっ
たからだ。溶岩のような巣だらけの
粗い表面だ。まっ平らだけど。
昔は走行前の早朝にコースを徒歩で
歩いて路面状態を目視確認する事が
できた。私は鈴鹿は東コースしか知ら
ない。富士が嘘みたいな高低差がある。
パドックから見下ろしたらヘアピンなど
はまるで崖下だ。
富士に初めて行った数年前に30度バンク
が廃止されたが、まだ残っていたので、
三井さんという方が私を見学に連れて
行ってくれた。壁のようなので驚いた。
そういえばスキー場の30度斜面などは
まるで崖のように思えたっけ、と。
FISCOでは私と同じ年の小沼加代子が
まだノービスでよく練習走行していた
が、めちゃくちゃ速かった。
彼女はのちにレコード出した。コース
レコードではなく、歌謡曲のレコード
だ。あれは何だったのだろう。
サーキットには夜明け前に必ず到着
する。そして仮眠を取るなりする。
走行券の予約制度など無かった。
また、ひどかったのは80年代中期以降
で、なにしろ人口増加で走行券がほぼ
買えなくなった。上野公園の花見の席
取りよりも何日も前から並ばないと
ならない。予約制などはナッシング。
練習走行でそれなのに、本チャンレース
などは1クラスに500台以上のエントリー
があった年もある。F3(2スト250、4スト
400混走レース)や4耐などはとんでも
ないエントリー数だった。1秒の中に
数百台。予選通過は上位からの順位で
枠は決まっている。
私などは「その他大勢」の一人にしか
過ぎなかった。
観客も多く、鈴鹿8耐などは15万人以上
が集まったりしていた。
ちなみに、一般公道市販車が一番売れた
年は1982年だ。それが頂点。
はっきり言うと、ヤマハRZと買い物原付
がそのような時代を創ったといえるだろ
う。
このモータースポーツの大隆盛は、なにも
日本だけの事ではなく、西欧先進国諸国
で共通した大バイクブーム、レース人気
となっていた。
だが、先進国のみだ。
中国はまだ国民が人民服着て自転車に乗っ
ている時代、東南アジアは紛争地の後進国
だった時代だ。今でいう開発途上国。
東南アジアは第三世界の国々だった。
中国や東南アジアでF1やWGP開催などは
夢のまた夢、はるか未来の事だと思われた。
中国ではマカオのみが別物だった。
時代はかなり様変わりした。
ソ連なんて、国家がなくなっちまったし。
第二次世界大戦の主軸戦勝国が無くなる
というのは、これは歴史的事件だったよ。
映画『ウインディー』(1984)
渡辺裕之さんはデビュー当時は
ヒロユキではなくユウキと読む
芸名にしていた。
本作で主人公の娘アンナ役を
演じたのがクリスだった。
チャイドルのはしりのような
感じだった。
演技は抜群に巧い。
しかし、早く世に出てき過ぎ
たために当時の日本のジャン
ルが確立しておらず、消えた。
子役カテゴリーだけでは難し
かった。アイドルとして売り
出したが、うまくいかなかっ
た。
それからかなり後年、ジュニ
アアイドルというカテゴリー
が日本で成立した。
和泉優二作『マン島に死す』
は悲しすぎた。
夢も希望もない。
主人公は、ずっと悩み続けな
がら、マン島レースで壁に激
突してあっけなく死んでしまう。
『ウインディー Ⅰ』ではケイ
は死なない。
続編の『ウインディ Ⅱ』でも。
だが、三部作最後の『チャン
ピオン・ライダー』では・・・。
なんで作者は、「タイガーマ
スク」の伊達直人のような幕
切れにするんだ。
メカニックのサムとケイがア
ンナを空港に送って行き、そ
の足でトランポで移動中のこ
とだった。
前を走る丸太を大量に積んだ
トラックの荷が崩れての交通
事故でケイは死亡する。
娘アンナのことを思うと・・・。
(画像一部挿入)
小説『ウインディー』に出て
くる9歳のアンナが、どうし
ても映画『ウインディー』で
アンナを演じたクリスにしか
思えなくなってきた(笑)。
原作と映画化の逆転。
思うに、それほど、映画での
クリスは迫真の演技をしてい
たということだ。
原作での細かな感情描写をそ
の同じシーンで見事に演じ切
っている。
特に表情。
原作や脚本は文字だけだが、
それを形にして表現するの
は役者の仕事だ。
クリスは小学生の時にすでに
十分な役者の仕事をしていた。
文庫版の『ウインディー』は、
「ウインディーI」と「ウイン
ディー II」でワンセットです。
単行本では両者は一つで一作
でした。
原作では、主人公ケイと絡ん
でクラッシュした親友のバー
ジニオの上にケイのマシンが
降ってきてバージニオは死亡
した。
ケイとは家族ぐるみの間柄だ
った。
バージニオの息子リカルドと
アンナは、世界各地を廻るグ
ランプリコンチネンタルサー
カスの生活の中で、互いに惹
かれ合う小さな恋人たちだった。
バージニオの妻ソフィアのお
腹には出産間近のバージニオ
の子がいた。
死体安置室で、アンナは「お
じちゃん、ごめんなさい。ご
めんなさい」と何度も何度も
叫んで泣きすがる。
映画ではこのシーンはカット
されている。
映画『ウインディー』(1984)
の謎。
本作は邦題も洋題も「ウイン
ディー」である。
なのに、なぜ、最初のオープ
ニングでこの題名テロップが
出てくるのか。
謎。
似たようなことに、大林宣彦
監督のオートバイが重要な物
として扱われた映画『彼のオ
ートバイ.彼女の島』(1986)が
ある。
あれは片岡義男の原作小説で
は『彼のオートバイ、彼女の
島』なのだ。
映画のDVDなどでは、『彼の
オートバイ 彼女の島』とな
っている。
しかし、映画本編では『彼の
オートバイ.彼女の島』なの
だ。
原作、映画本編、メディア
製品で題名がそれぞれ異なる
のである。
こうしたことはさしたること
ではないように思うフシもあ
るだろうが、文学作品などで
は、こうした混迷はあり得な
い。あってはならない。
特に詩などは、一言一句、改
行位置に至るまで改変してし
まっては作品として成立しな
くなるので、校閲は慎重の上
に慎重を期する。
他の小説作品なども同様だ。
高橋源一郎の小説などは、印
刷物となった後の視覚効果ま
で狙って、句読点や改行を配
している。校閲が勝手に字面
を改変したら、作品そのもの
が成立しなくなる。
原作者の表記を作者に許可な
く改変してはなら
ない。それは、句読点に至る
までだ。
文芸作品における文章表現は
広告チラシの文言ではないの
で、一言一句すべてが「作品」
を構成しているからだ。
また、法律文書もそうで、一
字たりとも違う文字が使われ
ていたら、許認可や登記関係
書類は受理されない。法律文
書は「形式主義」(法律用語)
だからである。
目的は異なるが、法律文書と
文芸作品において表記に厳格
性を要するという要件に違い
は無い。
それにしても、この84年の
映画『ウインディー』のオー
プニングの題名テロップは謎だ。
私は公開時に映画館に観に行っ
た。
パンフレットもチラシも持って
いるが、それについての説明は
無い。
37年後の今も謎である。
WGP250クラス、ベルギーGP
出走前のイタリアのノーラン
のヘルメットを被るケイ・ス
ギモトの後ろになぜかアント
ン・マンク(笑)。のヘルメット
のライダー。
でも、これマンクじゃなぁ~
い(笑)。
ケイの娘アンナ役のクリスがか
わいい。
原作以上にアンナ。
クリス以外アンナには見えない。
これ一作で終わってしまった
けど、日本でタレントなどや
らされずに女優として開花し
てほしかった。
一方、ケイ役の渡辺裕之さん
は、この作品の頃は、芸名の
読み方を「ワタナベユウキ」
としていた。トイガン関係の
雑誌でもそうだ。
そっちのほうがカッコいいの
になぁ。
この映画作品の時は両目とも
一重瞼だったが、いつの間に
か二重になった(笑)。
(映画から)
1982年全日本250ccチャンピ
オンの福田照男選手が1983年
のベルギーGPを走っている
シーンが1984年公開の日独
合作映画『ウインディー』の
中に収まっている。
1983年ベルギーGP(スパ・
フランコルシャン)
(プレスから)
但しこの1984年公開の映画で
は、ベルギーGPをゾルダーサ
ーキットとしている。
それは現実の歴史では1980年
のベルギーGPの開催地だ。
実際の映画での映像はスパが
映されている。
(映画から)
映画『ウインディー』での福田
照男さんに気付いたのは、その
クシタニのレーシングウェアか
ら。
GPライダー引退後の福田さん
はレース解説者やライディン
グテクニック指導伝達者とし
て映像や著作で活躍した。
彼は根本健氏や宮崎敬一郎氏
と並んでオートバイの本質に
ついて知悉している数少ない
人物だ。
だが、20年程前に重大な交通
事故に遭い、オートバイに乗
れなくなってしまい、第一線
を退いて、今は兵庫県の山間
部に転居して自然界を愛する
人として暮らしているという。
「ウインディー」シリーズの
第5作目を読む。
このシリーズは第1作目の『ウ
インディー』から延々と続い
ている。
後期作と初期作とで段々と違
ってくるのが「時間軸」だ。
最初の頃はタイムリーに現実
と同じ年、同じ時間軸で物語
が進行していた。
だが、現実世界の時間のほう
が小説作品を追い抜いて早く
進行し、小説の後期作では現
実に照らすと過去を描くこと
になってきている。
これは、学園ものの漫画など
に多い。
連載が長期にわたると、10年
後も主人公たちは高校生のま
まだったりするのだ。
その点、劇画『バリバリ伝説』
は現実世界とタイムリーに時
間軸を同調させるという巧み
な手法を取っていた。
それは、パラレルワールドで
あるかのように、読者をして
心が鷲掴みにせしむられる情
況を創出した。だからこそ
「バリ伝」は社会現象ともな
ったのだろう。
ところが、今の時代、バイク
に乗る人でバリ伝を知らない
連中がわんさかいる。
ただの「過去の漫画」と捉え
ているから、
歴史になど興味がない。当然、
アゴスティーニもケニーも知
らない。
私は、それはどですかでんと
思う。
野球をやりながら「ベーブル
ース?だれ?それ」とか、サ
ッカーやっていながら「ペレ?
なんすかそれは」というのって、
根本的にダメだろと思う。
ボクシングやりながら「アリ?
誰それ?」とか。
哲学科にいながら「ソクラテス?
なにそれ」とか。剣道やりなが
ら塚原卜伝や上泉伊勢守を知ら
なかったりとかさ。
柳生石舟斎や武蔵よりそちらを
知らなきゃ温故知新の剣の道の
意味がない。
バイク乗りや免許持ちでバリ伝
を知らないのは、そうした過去
への敬意が不在なのだろう。
野球やっていてイチロー知らな
くても平気だよ、というのはさ
すがにどうか。
前作と同じく、非常に誤植脱
字が多く、校正がまったくき
ちんと仕事をしていないカド
カワの初版本だが(本当に驚く
程いい加減な校正仕事をして
いる。バブル時代のいい加減
な無責任さがよく分かる)、
作品自体は特筆モノだ。
「ウインディー」シリーズの
中で一番濃い。
レーシングライダーの心理描
写をどうしてレーシングライ
ダーではない作者がここまで
リアルに描けるのか。
一作目『ウインディー』の主
役は主人公ケイではなく、娘
のアンナだった。
涙無くして読めなかった。
やがてケイは不慮の交通事故
で死んだ。
三作目から主人公は北山洋と
なり、日本チャンピオンでワ
ークスライダーだったが、そ
の地位を捨ててプライベータ
ーとして世界GPに参戦する。
作品の整合性としては変な部
分も沢山ある。
杉本ケイがまだ生きていた頃、
北山洋はスポット参戦で世界
GPに来る。
その時には英語が殆ど話せな
い。
だが、翌年にはベラベラどこ
ろか、日本語と変わらない海
外生活30年人間のように英語
で話すのである。
たったの数ヶ月で。
そうしないと作品の会話とし
て成立しないのは分かるが、
あまりにリアリティに欠ける
ようにも思える。
それと、ウインディー2作目で
洋はケイと会っているのだが、
ケイの身長が高いか低いか知
らないというあり得ない描写
がこのシリーズ4作目の『スリ
ップストリーム』には出てくる。
出版の校正仕事の雑とともに、
原作のプロットにもいくらか
錯誤があるようだ。
校正のひどさとしては「ヘル
メット」を「ヘルメッと」と
したり「ジュース」を「ジュ
ー」としたり、あるいは、セ
リフの「」の改行がデタラメ
だったりと、もうほとんど校
正としての仕事をしていない。
こんなひどい出版小説印刷物
を見たことがない。
文豪作品の小説ではないから
と、校正担当者は作者を舐め
きっていたのか。
あるいは、校正の仕事を舐め
きっていたか。
さて、本作。
これまでの「ウインディー」
シリーズとはかな毛色が異な
る。
徹底的に、まるでレーシング
ライダーでなければ解り得な
いような心理描写を克明にこ
れでもかというくらいに描い
ている。
それまでの作品は「物語」だ。
映画の原作ともなることだろう。
しかし、この作品『スリップ
ストリーム』は映画の原作に
はなり得ないのではなかろうか。
それは実にリアル過ぎるからだ。
リアルを物語にすることはで
きない。すべては現実の写実だ
からだ。
現実の銃声はバキューンとはい
わないのだ。
この作品は文字での小説として
のみ成立する。
ドキュメンタリーを読んでいる
ようで、かなり私個人としては
辛くなる部分が多い。経験上、
いろんな点で。
「ウインディー」シリーズの中
で一番インパクトがある作品だ。
よくこんな小説が書けるなあ。
泉さんて、やっぱ只者じゃない
や。
泉優二作『スリップストリー
ム』を読む。
『ウインディー』シリーズの
第4作目だ。
主人公は元500cc全日本チャン
ピオンながらワークスライダ
ーの地位を捨ててプライベー
トで世界グランプリ250cc
クラスに挑戦する北山洋だ。
マン島でチャンピオンとなっ
た彼はこの作でワークスマシ
ンを駆ることになる。
恋人の英子は妊娠したため日
本に帰った。
洋は英子と離れ離れになり、
孤高のグランプリライダーと
して世界戦に挑む。
ただ、この北山洋が世界戦に
挑戦した1985年。
このあたりが「コンチネンタ
ルサーカス」の終焉の頃だ。
このことは「あとがき」にも
書かれている。
80年代中期以降、グランプリ
レースは競技というよりも、
完全に大企業の宣伝場所に変
質して行く。
そして、かつてはヨーロッパ
各国を転戦するグランプリで
のパドックは、ワークスもプ
ライベーターも関係なく家族
のように交流していたのに、
この作品の舞台の時代以降は、
皆がテントのチャックを閉め
て他者とは付き合わないよう
になって行ったのだという。
それまでは、コースでは火花
を散らすライバルたちも、レ
ースが終われば共に世界中を
旅するコンチネンタルサーカ
ス一座の仲間だった。
国家のしがらみも無かった。
彼ら各国の代表選手は、心に
国境も垣根も作っていなかっ
たのだ。
しかし、それは1980年代中期
から後半にかけて急速に失われ
て行くのだった。
世知辛いと一言で片付けるに
はあまりに一変するかのよう
に、ライダーとその家族同士
の意識的な繋がりも、実生活
での付き合いも、消えて行っ
たのが現実だった。
日本からのWGP出場選手で、
最後のコンチネンタルサーカ
スの体現者は、片山敬済氏だ
と云われている。
彼以降、プライベーターで世
界チャンピオンになった人は
いない。
1980年代はロードレースの世
界も頂点を極めるのだが、イ
ンディペンデント、それが失
われたのも1980年代だったの
である。
(1984年頃のコンチネンタルサーカス)
『ウインディー』、『チャン
ピオン・ライダー』に続く三
部作のエピローグともいえる
『ラスト・ラップ』を読む。
すでにアンナの父であるGPラ
イダーの杉本敬はいない。
アンナとサムは出てくる。
主人公はケイがまだ生きてい
た時にケイ、アンナとも会っ
ていた若きライダー北山洋
(ひろし)だ。
全日本チャンピオンで1984年
にグランプリにやってきた。
物語の舞台となる1985年は洋
はヤマハワークスの地位を捨
てて、プライベーターで世界
GPにフル参戦だ。
あとがきで片山敬済さんの
1987年2月時点での名前が出
てくる。
色々なことにトライしていた
頃で、名前の文字を変えてい
た時期だろう。
この『ラスト・ラップ』は、
全日本500cc連続チャンピオ
ンだったヤマハワークスの
平忠彦選手が1986年代に世界
GP250ccにヤマハからフル参
戦した翌年に出版された。
平選手がサンマリノGPで優勝
したすぐあとである。
『ウインディー』の物語はこ
の作品で終わる。
だが、原点は『ウインディー』
だ。
9歳のアンナが愛しい。
角川ノベルズ初版本には映画
のアンナとケイとサムが写っ
ている。
原作でのサムは世界唯一の黒人
アメリカンGPライダーだ。
84年にはGPを走りながら杉本
敬のメカニックもやる。
ここいらはやや非現実的だ。
黒人アメリカンのグランプリ
ライダーは水泳と同じく存在
しない。オバマ氏が大統領に
なるなどということは到底考
えられなかった時代が1980年
代だった。だが、黒人差別は
現在も続いている。
ない。スポンサーがつかない
事と、イギリス、フランス、
アメリカのアフリカから奴隷
として連行された人々を祖先
に持つアフリカ系の人々には
モータースポーツという白人
にはいないからだ。
これは現在も続いている。
水泳などはアマチュアリズム
の種目であっても、もっとひ
どい。白人たちが黒人と同じ
水に浸かりたくないという理
由で、黒人水泳選手が育つ環
境が保障されていないのであ
る。
小節『ウインディー』は一つ
の挑戦と希望の表現として黒人
アメリカンのサムを主要な人物
として作者泉優二氏は登場させ
た。まるで、ウィル・スミスの
素のキャラのような性格のナイ
スガイとして。
イドリス・エルバのような風貌
で描かれている。性格はまるっ
きりウィル・スミスなんだけど
ウィル・スミス
映画『ウインディー』でサム
で描かれたのは、海外公開の
際にあまりに非現実的だから
だろう。
センシティブな問題だ。国際
社会で女性が躍進し始めた頃
の1980年前半、サムを女性と
する製作方針になったのだろう。
イギリスのサッチャー首相を
はじめ、女性がやっと社会進
出できるようになってきたの
が80年代だった。
当時まだ黒人が映画の主人公
になるなどというのは考えら
れなかった。まして黒人のア
メリカ合衆国大統領などは夢
のまた夢だったのだ。
アメリカ合衆国は、1964年に
初めて黒人女性が大学に進学
した。
しかし、白人たちは、まるで
動物園のチンパンジーが人間
社会に迷い込んだかのように
嘲笑しイジメまくった。これ、
事実。
その女子学生は傷つき、大学
を中退した。
アメリカ社会では、1960年代
は、まだ黒人は労働力として
白人社会を支える使い捨ての
最底辺の対象生物と見なされ
ていたのである。これまた事実。
それは、つい30年ほど前まで
続いていたのだ。
アメリカングラフティで黒人
高校生がダンスするかい?
黒人は高校に進学することさ
えまれだった。皆無ではない
にしろ、ごく一部だった。大
学進学などは1960年代に入っ
てからだ。
だが、黒人たちは真っ先に徴
兵で前線に飛ばされた。
このあたりはベトナム戦争を
描いた映画『プラトーン』(1986)
でも克明に描かれている。
また、女性に対する差別もア
メリカは「先進国」だった。
基本的にアメリカ合衆国は、
ジャイアンだ。その典型的な
アメリカンがドナルド・トラ
ンプである。
トランプとは、切り札のカー
ドではなく、単なるババで
ガチではなかろうかと私は
メリカ合衆国の「民度」自体
もたかが知れている。
でも、もしかすると、その
うち、ウィル・スミスが大
統領になるかもよ(笑)。
映画『ウインディー』(1984)
でのサムは、原作小説での杉
本敬の恋人マシーナとアンナ
の母のフランソワーズを合体
させたキャラとして登場して
いる。
ただ、映画作品のほうは、全
てのキャスト選出がドンピシャ
であり、作品のイメージと完全
合致している。これはとても素
晴らしい。
そして、俳優陣がかなり演技が
上手いのだ。
アンナ役のクリスなどは、もう
アンナは子役のクリスと同一人
物だとしか思えないほどである
ばかりか、クリス・アディソン
という子役の才能が素晴ら
しい。
全盛期80年代に日本式アイドル
商品化されて潰された感が強い。
あの子は、それなりの環境だっ
たら、テイタム・オニールを超
えていただろうと思う。
『ウインディー』では11才にし
て名女優ぶりをあますとこなく
見せていた。
サムを演じた女優のレスリー・
モルトンは、見方によっては
「ウィリアム・デフォーか?」
とも見える時もあるが、なかな
か良い(笑)。
それにしてもクリスだ。これは
アンナそのものだ。
このキャスティングには、原作
者の泉さんも満足しているだろ
うか。
映画『ウインディー』は残念
ながらDVD化されていない。
クリス・アディソンは映画テ
ロップには氏名がきちんと出
るが、日本でのリリースでは
「クリス」とだけ公表された。
これは実は名前だけの芸能人
の嚆矢である。名前だけの女
優は過去にも亜子などいるに
はいたが、このクリスから
一般的に広まった。
名前だけの人たちだらけだ。
増えすぎてインパクトは低い。
だが、はじまりはクリスだっ
た。
埋もれてしまったが、それは、
もっと光を当ててよいと私は
思う。
クリス本人は日本の芸能界で
食い物にされ、真木蔵人に妊
娠させられ、父マイク真木に
結婚どころかつきあいさえも
猛反対されただけでなく真木
蔵人自身にも遺棄されるよう
に捨てられたが、一人で子を
産んで育てた。
今、クリスの息子は成人し、
ラッパーとして表現者になっ
ている。
クリス・アディソン。
永遠の輝く鏡の中のアンナだ。
埋もれた名女優。
こちら『ウインディー』3部作
の第1作目。
アンナは金髪に茶色の瞳だ。
ところが、第3作では10歳を
過ぎたアンナはこうなる。
黒い髪をショートカット?
金髪染めたの?(笑)
どないなっとんねん?(笑)
本物の金髪は、日本人が金髪
に染めたようなのとは違い、
ほんの僅かな湿度に敏感に反
応する。
少しでも湿度が高いと金の髪
は栗毛色のように変化する。
これはクリント・イーストウ
ッドなどを見てもすぐに分か
る。
ただ、先にもこの日記で書い
たように、この3部作小説の
ラスト作では明らかな記載ミ
スがあった。
このアンナの黒髪というのは・・・。
作者もしくは校正担当者のミ
スでないとするならば、10歳
になったアンナは髪を短く切
ったと同時に髪をブルネット
に染めたことになる。第1作と
の整合性として。
背は伸びても髪の色は変わら
ない。
壮年期にブルネットがグレー
シルバーになることはあって
も。それは芦毛馬がやがて白
馬になるように。
それにしても謎。
女性の髪は、たとえまだ10歳
の女の子にせよ、もっときめ
細かく配慮して書いて欲しか
ったなぁ(笑)。
アンナが亡き父への思いを募
らせて黒く染めたとかの含み
ある設定ならまだ分かるけど。
それはまるで『バリバリ伝説』
で亡き母への思慕のためにブ
ロンドの髪を長く伸ばしてい
たラルフ・アンダーソンのよ
うに。
主人公グンの永遠のライバル、
アンダーソン。アンダーソン
とアディソンてのは似てるけ
どさ(笑)。
アディソンてのは、映画『ウイ
ンディー』でアンナを演じた
クリスの本名ね。
まさか、髪の毛を巡ってそこ
までの伏線はないだろうけどさ。
劇画バリ伝のしげの先生の設定
には。
てことで、アンナの金髪がい
つのまにか黒髪になってるこ
とに反応するアタシであった。