渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

小説『ラスト・ラップ』

2021年05月24日 | open



『ウインディー』、『チャン
ピオン・
ライダー』に続く三
部作のエピローグ
ともいえる
『ラスト・ラップ』を読む

すでにアンナの父であるGPラ
イダーの
杉本敬はいない。
アンナとサムは出てくる。
主人公はケイがまだ生きてい
た時にケイ、
アンナとも会っ
ていた若きライダー北山洋
(ひろし)だ。
全日本チャンピオンで1984年
にグランプリ
にやってきた。
物語の舞台となる1985年は洋
はヤマハ
ワークスの地位を捨
てて、プライベーター
で世界
GPにフル参戦だ。

あとがきで片山敬済さんの
1987年2月時点
での名前が出
てくる。
色々なことにトライしていた
頃で、名前の
文字を変えてい
た時期だろう。


この『ラスト・ラップ』は、
全日本500cc
連続チャンピオ
ンだったヤマハワークスの
平忠彦選手が1986年代に世界
GP250ccに
ヤマハからフル参
戦した翌年に出版され
た。
平選手がサンマリノGPで優勝
したすぐ
あとである。
『ウインディー』の物語はこ
の作品で
終わる。
だが、原点は『ウインディー』
だ。
9歳のアンナが愛しい。


角川ノベルズ初版本には映画
のアンナと
ケイとサムが写っ
ている。
原作でのサムは世界唯一の黒人
アメリカン
GPライダーだ。
84年にはGPを走りながら
杉本
敬のメカニックもやる。
ここいらはやや非現実的だ。
黒人アメリカンのグランプリ
ライダーは
水泳と同じく存在
しない。オバマ氏が
大統領に
なるなどということは到底考
られなかった時代が1980年
代だった。だが、黒人差別は
現在も続いている。

モータースポーツで黒人はい
ない。スポン
サーがつかない
事と、イギリス、フラン
ス、
アメリカのアフリカから奴隷
として
連行された人々を祖先
に持つアフリカ系
の人々には
モータースポーツという白人
企業がバックアップする環境
にはいない
からだ。
これは現在も続いている。
水泳などはアマチュアリズム
の種目であっ
ても、もっとひ
どい。白人たちが黒人と
同じ
水に浸かりたくないという理
由で、
黒人水泳選手が育つ環
境が保障されて
いないのであ
る。

小節『ウインディー』は一つ
の挑戦と
希望の表現として黒人
アメリカンのサム
を主要な人物
として作者泉優二氏は登場
させ
た。まるで、ウィル・スミスの
素の
キャラのような性格のナイ
スガイとして。
ただ、容姿はイケメン英国人の
イドリス・
エルバのような風貌
で描かれている。性格
はまるっ
きりウィル・スミスなんだけど
ね(笑)。

ウィル・スミス


映画『ウインディー』でサム
がサマンサ=サムとして女性
で描かれたのは、海外公開

際にあまりに非現実的だから
だろう。
まして人種問題は国際的には
センシティブ
な問題だ。国際
社会で女性が躍進し始めた頃
1980年前半、サムを女性と
する製作方針
になったのだろう。

イギリスのサッチャー首相を
はじめ、女性
がやっと社会進
出できるようになってきた

が80年代だった。
当時まだ黒人が映画の主人公
になるなどと
いうのは考えら
れなかった。まして黒人の

メリカ合衆国大統領などは夢
のまた夢
だったのだ。
アメリカ合衆国は、1964年に
初めて黒人
女性が大学に進学
した。
しかし、白人たちは、まるで
動物園のチン
パンジーが人間
社会に迷い込んだかのよう

嘲笑しイジメまくった。これ、
事実。
その女子学生は傷つき、大学
を中退した。
アメリカ社会では、1960年代
は、まだ黒人
は労働力として
白人社会を支える使い捨て

最底辺の対象生物と見なされ
ていたので
ある。これまた事実。
それは、つい30年ほど前まで
続いていたの
だ。
アメリカングラフティで黒人
高校生がダン
スするかい?
黒人は高校に進学することさ
えまれだっ
た。皆無ではない
にしろ、ごく一部だっ
た。大
学進学などは1960年代に入っ
てから
だ。
だが、黒人たちは真っ先に徴
兵で前線に
飛ばされた。
このあたりはベトナム戦争を
描いた映画
『プラトーン』(1986)
でも克明に描かれ
ている。

また、女性に対する差別もア
メリカは
「先進国」だった。
基本的にアメリカ合衆国は、
ジャイアン
だ。その典型的な
アメリカンがドナルド・
トラ
ンプである。
トランプとは、切り札のカー
ドではなく、
単なるババで
ガチではなかろうかと私は
思うが、あんなのを選ぶア
メリカ合衆国
の「民度」自体
もたかが知れている。
でも、もしかすると、その
うち、ウィル・
スミスが大
統領になるかもよ(笑)。
いやまじで。

映画『ウインディー』(1984)
でのサムは、原作小説
での杉
本敬の恋人マシーナとアンナ
の母のフランソワーズを合体
させたキャラ
として登場して
いる。
ただ、映画作品のほうは、全
てのキャスト
選出がドンピシャ
であり、作品のイメージ
と完全
合致している。これはとても素
晴ら
しい。
そして、俳優陣がかなり演技が
上手いの
だ。
アンナ役のクリスなどは、もう
アンナは
子役のクリスと同一人
物だとしか思えない
ほどである
ばかりか、クリス・アディソ

という子役の才能が素晴ら
い。
ただ、クリスは日本のアイドル
全盛期80年
代に日本式アイドル
商品化されて潰された
感が強い。
あの子は、それなりの環境だっ
たら、テイ
タム・オニールを超
えていただろうと思
う。
『ウインディー』では11才にし
て名女
優ぶりをあますとこなく
見せていた。
サムを演じた女優のレスリー・
モルトン
は、見方によっては
「ウィリアム・デ
フォーか?」
とも見える時もあるが、なか

か良い(笑)。
それにしてもクリスだ。これは
アンナその
ものだ。
このキャスティングには、原作
者の泉さん
も満足しているだろ
うか。



映画『ウイ
ンディー』は残念
ながらDVD
化されていない。



クリス・アディソンは映画テ
ロップには
氏名がきちんと出
るが、日本でのリリース
では
「クリス」とだけ公表された。
これは
実は名前だけの芸能人
の嚆矢である。名前だけの女
優は過去にも亜子などいるに
はい
たが、このクリスから
一般的に広まった。
今や日本の女優やタレントは
名前だけの人
たちだらけだ。
増えすぎてインパクトは
低い。
だが、はじまりはクリスだっ
た。
埋もれてしまったが、それは、
もっと光を
当ててよいと私は
思う。
クリス本人は日本の芸能界で
食い物にさ
れ、真木蔵人に妊
娠させられ、父マイク
真木に
結婚どころかつきあいさえも
猛反対されただけでなく真木
蔵人
自身にも遺棄されるよう
に捨てられたが、
一人で子を
産んで育てた。
今、クリスの息子は成人し、
ラッパーとし
て表現者になっ
ている。
クリス・アディソン。
永遠の輝く鏡の中のアンナ
だ。
埋もれた名女優。


 


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