が言うセリフと概念にやたらと不死鳥
しかし、「不死鳥」という日本語訳は
どうにもピンと来ない面もある。
それは、一度死んでも復活する霊鳥を
いうからだ。
一度でも死ねばそれは不死ではない。
死んでからの復活をするのだから、
「復活鳥」としなければならないところ、
「不死鳥」とする。
フェニックスと鳳凰は厳密には概念は
異なるが、元来は同じ質性の概念から
分岐したものではなかろうか。
説においても様々な説がある。
鳳凰は日本の紙幣にも描かれている
精霊の霊長たる生き物だ。飛べるが
鳥だけの身体ではない。
不死鳥=フェニックスを「火の鳥」と
して描いた手塚治虫の漫画『火の鳥』
は、不老不死の永遠の命を持っている
のだが、やがては火の中に身を投じ、
新たな小さな火の鳥が飛び立ち、また
永遠の命を伝える、という設定だ。
死者蘇生と捉える場合、古代大君=
天皇と同族の岩船に乗るアマツカミの
一族ながら、やがてヤマトにより排除
されていったいにしえの古代日本の
実務の実効支配者だった物部氏の呪文
である有名な言質を思い起こす。
「一二三四五六七八九十
布瑠部由良由良止布瑠部
(ひふみよ いむなやこと
ふるべ ゆらゆらとふるべ)」
というものがそれだ。ヒフミとは日文の
事である。大和の言霊ともいえる。
モノノフの語源は物部だとされている。
古代日本では聖的部分を司ったのが
今の皇室の祖先であり、国の実務を
実効支配したのが物部氏だった。
物部氏は平城京への遷都に伴い、
藤原氏によって徹底的に吉備族と共に
中央から排除されて行った。
一徹の言う「不死鳥」は、失意と絶望
のどん底からでも這い上がって、やが
て天を目指す人間の魂の崇高さに喩え
て言うケースがほとんどだ。
人にとって大切な不撓不屈と最後まで
諦めない心、力及ばずして倒れる事は
辞さないが、力尽くさずして挫ける事
を拒否する事の大切さを説くものだ。
それが星一徹の言う「不死鳥」の魂。