そして、こうなる。
君はね、
重たすぎるよ、マイマギー。
【ルパン三世】全オープニング&
エンディング&アイキャッチ大公開!
【TVアニメ化50周年】
"LUPIN THE 3RD" FULL OPENING &
ENDING & EYECATCH
今度はトラップ文章ではなく、本当に
私自身が解明できていないルパン三世
の謎について。
ルパン三世1st作品のオープニングは
途中からルパンの声優さんの山田康雄
さんが登場人物解説をするバージョン
に変わった。それについての疑問。
山田康雄さんは東京育ちなので快調な
テンポの江戸弁を話す。それがルパン
の声では生きている。
そして、あるテクニックを駆使する。
それは、俳優の三船敏郎さんも使って
いた技法で、正調江戸弁でそれまで
小気味よいリズムで話していたのに、
ある場面ではまるで栃木弁のような
抑揚の無い言い回しをすることで
変化をもたらし、台詞に調子外れの
滑稽さを発生させるのである。
三船敏郎的言い回しの場合は『椿三十郎』
での「お前ら、なにやってんだ?」と
言う時の「なにやってんだ」を寸胴
な抑揚のない言い方にすることで、
的外しな事をやっている事を指摘する
表現描写を演技で駆使しているので
ある。
それは正音階にセブンスを入れて
音に変化をもたらす技法に近い。
この変調発声技法を声優の山田康雄
さんもよく駆使する。
特にクリント・イーストウッドの
日本語吹き替えなどでそれを多用
する。
『続・夕陽のガンマン』において、
トゥーコに対しブロンディが「命の
恩人に対して、なんて言いざまだ」
と言う時の「なんて言いざま」の
発音抑揚でそれを使っている。
NHKのアナウンサーが原稿を読む
ような発音や抑揚は一切使わない。
こうした声優さんや俳優さんの台詞
読みの技法があるからこそ演劇は
冴えが生まれて来る。
山田康雄さんは「声優は声の俳優で
ある」と常々語っていたが、まさに
声だけでも俳優として演技を行なう
のがプロの仕事なのだといえるだろう。
さて、ルパン三世の第一シリーズは
その後続くシリーズとは異なり、
かなりイタリア映画『黄金の七人』
に影響を受けた原作の持つ空気を
反映させた「大人向け」の作調で
あるのが特徴だ。
オープニングにおいては、途中から
ルパン三世自身が登場人物を紹介
するパターンが採用された。
それにもいくつものバージョンが
ある。
そして、当初は前述した、変調発声
を使っている部分がある。
「この一癖も二癖もある連中に
囲まれて」という「囲まれて」の
部分をまるで標準語ではない抑揚
イントネーションで発音発声して
いた。台詞読みの変調技法だ。
ところが、途中からそれが別バージョン
になった編からは、その部分を標準語
の抑揚に変化させているのだ。
「囲まれて」の部分。
だが、別な単語の部分ではまだ変調
を用いたりもしている。
「囲まれて」の発声抑揚が標準語に
される変化が発生したバージョンは
この放送回から。
私の疑問、謎に思うのは、なぜそれが
為されたのか、ということだ。
これが読めない。
また、このオープニングBタイプ③
第6話からのバージョンは、全体的
にルパンが話す登場人物紹介がいつも
のようにおちゃらけのくだけた様子
ではなく、声と台詞回しの調子が
いやに神妙なのである。トーン全体が。
これらも、声の俳優である山田康雄
さんが、明らかに何らかの効果を狙っ
て実行している技法の表現なのだが、
それはそれ自体は判るとして、その
変化の意味についてが分からないし
解らないのである。
物事は、判っても分かっても深淵の
真実には近づけず、解らないと正鵠
を射ることはできない。
う~ん。
このルパン三世のオープニングの各
変化。映像作品の声優さんによる
演劇表現技法として、実に奧が深い。
【ルパン三世】全オープニング&
エンディング&アイキャッチ大公開!
【TVアニメ化50周年】
"LUPIN THE 3RD" FULL OPENING &
ENDING & EYECATCH
ルパン三世の放送は1971年。丁度
ことしで50年になる。
作画監督の大塚先生に文句を言う訳
でも、名作第一作にチャチつける訳
でもないが、謎。
なぜ、リボルバーのシリンダーロック
が解除されないハンマーポジションの
状態で、シリンダーがリーッと回転
してしまうような大嘘んこの演出を
日本アニメや映画やドラマや漫画で
はやらかしてしまうのか。
まあ、空想冒険活劇だから厳密な
リアルさを求めるほうが野暮なんで
すけどね。
あまりにあんまりのような気もする。
伝説のとてつもない凄い「ドーベル
マン刑事」のシングルアクション
リボルバーのシリンダースイング
アウトというのもあるけど。
あれは、当時その漫画を読んでいた
タイムリーな少年たちはぶっ飛んで
大騒動になった。「あまりにひどい」
ということで。
最近では女性漫画家の「ちょろいもん
だぜ」が超有名だ。
伝説の凄腕スナイパーがやってのける
狙撃中の構えがとんでも1憶倍はっぷん
だったのだ。
それでも、このルパン第一作のように
シリンダーがフリーで回るというのは
ひど過ぎる。
リボルバーのシリンダーを右にスイング
アウトさせる『ワイルド7 トリビュート』
というひどい劇画もあったが。
あのトリビュートシリーズの数作の短編
で一番原作に敬意を払って忠実に再現
していたのは東本昌平だった。
シリンダー右スイングアウトを描いた
漫画家は、なんと飛葉とユキの肉体
関係まで描いていた。原作に対する
敬意は一切無し。というか原作を読
んでいるのだろうかとも思うが、
リボルバーを右にスイングアウトさせ
たり、飛葉とユキの関係を台無しに
する下世話な描写しか描けないのだから、
たぶん原作も読んではいないのだろう。
読んでてあれだとしたら、作家として
は、大間抜けの大たわけ以外の何もの
でもない。
バイクがジャンプしたりするのはいい
のよ。まだ「あー漫画」というお笑い
で済むから。
でも、この手の「物理的にあり得ない
事の中でも、その物体の存在や機構や
機能そのものを否定する内容」という
のは、あかんやつでしょ、それ。
暴れん坊将軍が町に繰り出してどうの
とかはまだいいの。活劇だから。
しかし、そうした創作ではなくて、
物理的にあり得ない事=例えば、リボ
ルバーのシリンダーにはノッチがあって
シリンダーロックボルトがそれを押さえて
いるから回らないとか、右ハンドルの
車を運転しているのに別シーンでは左
だったり、内にしか開かない車のドアや
銃の動きであり得ない動きとか、そういう
のは根本からいけないと思うわけ。
例えば日本刀は鞘から抜く時、鯉口
部分=鞘の刀身入り口出口の鞘という
筒の先端の部分=から刀身が出入りする
のではなく、鞘の真横から抜いたり
するような描写とか。
そういうのは絶対にダメなんです。
表現者による表現描写としては。
なぜならば、その物体存在の組成を
根本的に無視してないがしろにして、
その物体そのものに対する洞察や敬愛
や写実が一切存在しないから。
そういうのは、映像表現や文芸表現や
デフォルメではなくて、絶対にやっては
ならない事なんですよ。
別例では、東京駅に入って来た新幹線
の車の先頭が赤ランプつけていたりとか、
その手の類。
そういうのは、映像や文芸表現では絶対
にやらかしてはいけないやつなの。
『ルパン三世』では物凄いのがあった。
拳銃から発射された弾丸を斬鉄剣で
切断するのだが、その切断したのは全て
カートリッヂ付きの弾薬が真っ二つと
いうような。
そういうのはてんでというか、絶対に
あかんのす。
フィアットがジャンプしたり、ゴムの
ようによじれ曲がったりとかはディズニー
のような空中で止まってから落ちるとか
落ちた地面には体の形で穴開いてるとか
と同じようなファンタジーだから別次元
の表現方法だ。これらは漫画アニメ的
なパロディとして笑いを誘う。
「ありえね~」と。
しかし、その扱う物体の素性を否定する
ようなことは表現者としては下手(げて)
に過ぎる。
昔の映画でも現代映画でもそのような
類の愚となる表現描写は多い。
わかるかなあ。
例えば日本刀で大岩を斬ったり飛行機
を真っ二つに両断したりとかは、ファン
タジーとしても笑いの手法として成立
するんです。
しかし、例えば、日本刀で敵を切った
時の効果音が銃撃の時の音だったら
どうなの?という問題。
これ、この区別は極めて繊細に細心の
注意をしなければならないのに、案外
そのあたりが大雑把で大ズボラな作が
多い。昔も今も、映像や文芸作品には
それが多い。
まことに残念至極にて御座候。
多分、「やってはいけない事」とか
「超えてはならない線引き」とかに
対してきちんとした認識を有していない
人が作品の製作に関与したからだと思う。
ということで、ここまで読んで「そうだ」
などと鵜呑みにしてはいけない。
トラップを仕掛けている文章だからだ。
大塚康生先生の描いた次元大介のルパン
オープニングのシーン描写は間違って
はいないのだ。
なぜならば、それは拳銃がS&Wだから。
コルトは右回り、S&Wは左回り。
なので、撃発ポジションでシリンダー
がロックされていない限り、輪胴は
射撃回転方向とは逆にフリーで回る
のだ。トリガーを引き切った時には
シリンダーがロックされてハンマー
のファイアリングピンがフレームから
突出してシリンダー部まで進む。
そのハンマーのピンの尖がり部分が
プライマーを叩き潰して発火させ
発射薬に点火させる仕組みだ。
トラップ表現に引っかからずに、
読み解けていただけただろうか。
つまり、こういう事には注意して、
仕掛けなのか、齟齬なのか、あるい
は別な意味を含んでいるのか、等を
読み解きましょう、というオハナシ
なのでした。
映画『プレデター』でブーツで踏み
潰したサソリが足を上げたら逆向き
だった、とかも何かの表現なのかも
しれないし。
マガジンを入れてないオートマティ
ックライフルで狙撃しようとして
いるのも、実は薬室に一発のみ残弾
があって、それを使おうとしている
のかも知れない。マガジンを抜いた
らセーフティロックがかかる機構で
はない銃なら可能だ。
仮に、ロックがかかる銃であったと
しても、そのロックを解除してある
改造を施しているかもしれない。
そうしたあらゆる可能性からの「読み」
が大切なのでは、という提起をしたい
というのが今回のこの記事の目的
なのです。
つまり、何がAで、何がA'で、どれが
Bであるのか、ということを的確に
識別できるかどうかという事。
そして、実はA"という表現はCである
ことを含む遠隔表現法なのでは、と
的確に捉える「見切り」の力を読み手
が出せるか、ということ。
モノの書き手の産物などは、のっぺら
ぼうの直截な文章群などではなく、常
に読み手に含み業を以て挑戦しています。
それと対峙できますか、していますか、
という事を言いたかったんです。
できる人は、読み進めて、「はは~ん。
またやってるな」と判っただろうけ
ど(笑
ところで、みんな。ハニートラップと
かにだけは引っかかるなよ~。
そこにいるそのかわい子ちゃん。そいつは
くノ一かも知れないよ~。
人喰いも 食わせものには してやられ