知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~
マイク・ホアー隊長のピストルも部下の
ピストルも、P38のように見える。
この銃は1937年に開発された。
日本では淡谷のり子さんの「別れのブルー
ス」が発表された時代だ。完全なる日本の
大陸侵略の時代。
ドイツではヒトラーが実権を握った後、
幹部を集めて戦争計画を立てた年だ。
翌1938年からは主要人事更迭を連発して
ナチスが国防軍を掌握する。
ドイツとそれに与するアクシズの悪魔の
時代の始まりだった。
かろうじて、地球の破滅は救えたが、
あまりにも犠牲は多かった。
P38やPPKなどは「完成された銃」であ
り、現用でも通用するし、実際に日本の
警察や防衛庁海外駐在者などはPPKを
使用していた。PPK/SではなくPPKだ。
大幅に手が加えられる事なく、その機構
が長年にわたり採用されている機械物と
いうのは、基本設計が発表段階から「完成
されている」という事だ。
特に銃器においては、そうした名設計の物
が時々現れる。米国のコルトM1911など
もそうだろう。SAAなどは初めから完成
されていた。
そうした設計者のビシャッ!とキメがハマ
った事が現れる産業製品は、どの分野の
物でもモノヅクリとして非常に魅力があ
る。
銃器に関しては、銃弾がその傾向性を概し
て強く持つ。
最近、日本企業の運営形態を俯瞰するに、
大手のみならず、中小零細まで、次から
次に組織の器をいじくり倒して、社内人間
関係や活動力、生産力を低下させる事例を
ビジネスシーンではよく見る。
大抵は、経営コンサルタントなどという
無責任な連中を導入する事で会社が内部
から瓦解して行く現象がある。
経営コンサルタントは、自分では生産的
な企業を運営してはいない。他人に口出し
しかしない。そのくせ業績が悪化しても、
自分たちは責任を取らない。
活動体というものは、コロコロ何でもいじ
くりまくって改変すればよいというもので
はない。
とりわけ、産業に関与する企業体では尚更
だ。
利潤第一を基軸とする企業に良質な企業は
存在しない。
「何だろこれ?とか思って押し入れに
あった箱を開けたら昔のブーツが出て
来て自分で笑った」
と友人は言う。
古い物をネットでめっけて引っ張り出して
来たのではなく、大昔に自分が新品から
使っていた物らしい。
「これ、リードじゃね?」
と画像を見て私が言うと「御明察」と
返事が来た。
そこから、彼のブーツ論が延々と始まっ
た(笑
曰く、直立カカトの重要性。テーパーや
フラットカカト無しとの効果の違い等々。
黙ってふんふんと聞いていたが、おかしく
なった。おまいさん、80年代乗りだなあ、
と。
彼は私のWEB日記などは一切読まない。
だが、共通認識としてある認識を持って
いる事が分かった。
それはバリーやケニーが口酸っぱく提唱
し続けていた時代的セオリーだったから
だ。フレディも誰もかも、ケニーが説いた
その物理現象を至極当然と受け止めて実行
していた。GPライダー全員がだった。
日本はやや遅れたが、製造メーカーは
ケニー理論と世界の現実を見て、その
物理的合理性を形で具現化させる製品
にシフトし始めた。それが84年頃だ。
今は、理論がどうなっているのか、よく
分からないシーンを見る事もある。
それは運転においても。サーキットで
シフトアップでクラッチを毎回切っている
人も動画サイトではいたりして、なんの
理屈なのか理解に苦しむ。新理論なのだろ
うか。
クラッチを切るたびにエンジン回転は上下
にタコ踊りしている。
でも、なんか意味があるのだろう。
意味のない事はコースライダーはやらない
から。
最近のブーツのカカトが浅い物が多いの
も、それも何か意味があるのだろう。
それは最新の車と関係しているかも知れ
ない。
物理的現象は不変の筈なのに、それがある
というのはきっと何かあるのだろう。
さしあたり、道具は自分で使うのだから、
自分で好きな物を選べばいい。
ただ、絶対的な人間が関与できない物理
法則というものはあるので、それは考慮
したほうがよいかと思ったりする。
でも、教習所に関しては、カカト無しの
靴は教習受けさせてもらえない所が多い
みたいですね、今でも。
そして、白バイ隊員のブーツはすべて直立
カカトだ。
これらもそこには意味があるのでしょう。
「ブーツ出て来たけど、バイクがない!」
友人は言う。
買えよ(笑
てか、そういう時はあるよね。
何かと色んな事情でいっときバイクを離れ
る時とか。
ま、また乗ればいいさ。ぼちぼちと生活
を崩さないように計画立てて。
家庭ある人間は独身フリーマンのようには
なかなかいかない。
また、そうした個人的事情で一時期、車を
離れた人間や戻ってきた人間を揶揄する事
はできない。
そんな権利は誰にもない。
生きたり死んだりするのは、その揶揄した
がる奴らじゃないからだ。
どんなキューがいいか、と訊かれる事が
時々ある。
答えようがない。
工業製品であるマスプロメイドのキュー
でさえ、1本1本まるで性格が異なるから
だ。
これは木材という自然素材を使っている
限り避けられないのではなかろうか。
だからこそ、同じキューなのに「これアタ
リ」とか「これはハズレ」とかいう表現が
よく使われたりしているのではなかろう
か。
まして、カスタムメイドとなると、1本毎
の個体差はかなりある。
それはまるでフライロッドのバンブーロッ
ドのように。
化学素材で同一テーパーで同一モデルなら
ば個体差は限りなく少ないが、自然素材を
使った物には個体差がある。
物体が長い物などそれが顕著に出てくる。
あと、キューの場合は先っぽの革ね。
個体差が出ないように、パーツを開発する
人たちは日々研究をしている模様。
木材って、面白いね。同じ種類でも、材
として切り出して乾燥されても、全部性質
が違うから。そもそも、表情が違う。
横浜のBUND HOTEL。
子どもの頃は気にも止めなかったが、高校
の時に政治組織のBUNDの存在を少しだけ
知って、以降、前を通るたびになんだか
噴き出した。大学の時には特にだ。前を
通るとククッとなる。
ドイツ語の共産主義者同盟のBUND=ブン
トと同じスペルだからだ。
だが、このホテルのBUNDとはバンドであ
り、「海岸通り」の事を指す。
淡谷のり子さんの「別れのブルース」
で歌われたハマの港の景色は、このホテル
からの景色を歌うものだとされている。
1937年-昭和12年の曲だ。作詞藤浦洸、
作曲服部良一。
日本でのブルース第一号とされているが、
楽曲はロバート・ジョンソンのブルーズ
のようなコードと進行は使わない。
淡谷さんは現在の東京音大ピアノ科を主席
で卒業した音楽家だったが、生活の為に
流行歌を歌うようになり、やがて、歌謡曲
で重要な位置を占める人となった。
軍歌と演歌が大嫌いだったが、軍人の慰問
公演はよくこなした。決してモンペなど
はかず、パーマをかけて、要するに当時と
しては「非国民」と憲兵が検挙するような
洋装で断固として歌った。「これは私の
軍服だ」と言い切って。
横浜のBUND HOTELは私が東京から西
日本に赴任した頃にはまだ存在したが、
1999年に70年の歴史に幕を下ろした。
私はBUNDホテルで宿泊をした事がない。
レストランは薄らと小さい時の記憶があ
る。家族と一緒に、広島から出てきた親戚
のお姉さんを連れて行った。窓際の席では
なく、内側のテーブルだった。私は正装し
ていた。
成人してから、港が見えるレストランに
もっとばんばんと行くのだったと少し悔い
ている。
フォークグループのかぐや姫のあとに
伊勢正三さんが作ったデュオ「風」には
「海岸通」という曲がある。
それはこの横浜の海岸通りをイメージして
作られた。「よく海岸ツウといじられた」
と本人はいつだかステージで言っていた。
1976年の関内でのコンサートでは、アン
コール応えが無かったのが残念だった。
初めて横須賀線を見た時、ツートンで変
な色と思った、とステージで言ってた。
でも、根岸線や湘南電車やトロリーバス
がほんとは浜っ子は馴染みなのになあ。
多分、スカ線のほうがメインかなと正やん
は感じたのかも、とその時には思った。
大分から東京に彼が出てきてから数年後の
頃だったからだ。
チケットなかなか取れなくて、すんげ後ろ
の席だった(笑
横浜には音楽あり。
現在のここに、そのうち行ってみようと
思っている。
私が知っているここは51年前のこれで
しかないからだ。
かなりの高台のような地形の上に太陽の塔
はあったが、現在の様々な写真を見ると、
横浜の根岸競馬場跡の森林公園のように
平らでなだらかな傾斜地に見えるので、
低い部分に相当な土盛り造成をしたのだろ
うか。
51年前のここは、21世紀の未来都市を
想像させた。
トラス式屋根、動く歩道、ここで試験的 に未来のモデルケースとして展示された
物は、現在すべて実用化されている。
今の東京湾岸のお台場やメッセあたりの
街区がちょうど51年前の万博会場によく
雰囲気が似ている。
携帯電話も1970年にここで初めて見た。 その10数年後に実用化された。
最初は箱型バッテリーだったが、やがて
家庭電話の子機のような物が登場した。
その子機型から主として企業や団体が業務
で使用しはじめた。すぐにバブル時代終焉
期にガラケー型の完全パーソナル携帯電話
が登場した。
当時、契約料金が20万円程、通話料金は
6秒で10円だった。
その後都市部ではピッチが登場して、電波
の繋がりエリアにより携帯電話との併用
を多くの人が始めた。
完全な一般普及は1995年頃、Windows
が登場してインターネットが始まった頃
からではなかろうか。
そして、2010年頃、スマートフォンが登場
し、「電話」から完全なモバイル機器とし
てのパーソナルフォンの普及となる。
2000年代初期に開始されたインターネット
のブロードバンド化が大きく関与してい
た。
だが、電話の普及の歴史とは異なり、イン
ターネットの大衆的普及は、使用者の質の
低さをそのまま反映させる現象が起きた。
「ネチケット」などという単語さえもう
20年前のものだ。
当時、匿名性が持つ危険性に気付いていた
人たちは、目に見えない向こうの相手の事
を気遣わないネット使用はとんでもない事
をもたらす、と警戒、啓蒙しあった。
礼儀正しいご挨拶とやりとりが一般的だっ
た。
しかし、ネットの普及により、日常的に
そのような人間社会の人としての品性に
著しく欠ける連中もネットを使い始めた。
結果、陰に隠れてコソコソと他人を誹謗
中傷したり、揶揄嘲笑することにネットを
使って喜ぶ人間のクズたちが寄り集まって
わめく、これまでには存在しない状況が
生まれた。
それらを楽しむ人間のクズたちは、そこ
で人を徹底的に差別排外し、虐待し、貶
し、あざわらうことを日常的な行動とし
ている。
無論、就職試験の面談や見合いや会食の
席で「ご趣味は?」と尋ねられたら、
「不特定多数が見られる匿名のネット
掲示板で特定個人を誹謗中傷して徹底的
にこけ下ろして攻撃することです。面白
いですよ」などとは言えない。人には言え
ず、私がやっていますとは公言できない
犯罪をコソコソやりながら陰湿な行動を
取る事を日常の趣味としている。
そういう極限低質の人間が増えた。
増えたというよりも、そうした人的質性を
持つ社会意識の未発達な自己閉塞の反社会
者が、自分のやっている事は犯罪であり、
なおかつ人としては最低の事であるとは
自覚できないまま動いているのだろう。
情操教育も道徳教育も、きちんとした
人権教育も受けてこなった餓鬼のような
成長過程を持っているのかも知れない。
社会的に人としての規範意識はゼロだ。
例えば、性別を問わず、身体的特徴を中傷
したり、老人だからといってその年齢ゆえ
の身体機能を嘲笑したり、自分が人間とし
て最低の事をやっている等々の自覚は全く
無い。幼い子どもや女性を守ったり、年寄
りを労ったり、そうした意識性はゼロだ。
自分の親や子どもに対しても同じ事をする
のだろうか。それは不知。なぜならば、
事実と全く異なる脳内創作のデマに基づい
て人様を中傷攻撃するような狂った頭の
連中だ。彼らには全てにおいて失当しか
認識には無い。脳が社会規範を認識でき
ないのだ。
実際に、ネット上だけの事には留まらず、
多くの扇動された人間が実社会で犯行を
行なって来ている事例が山ほどある。
彼らによる動物虐待も目を覆うものがあ
る。
要するに、人としての人格の破綻、人の
社会の公序を破壊する連中がネットの匿名
性に隠れて日々悪行を重ねているのであ
る。
本来、インターネットというものは、そう
した社会犯罪者たちのためにあるのでは
ない。
取締法の立法化は立ち遅れていたが、よう
やく厳罰で取り締る立法化がなされる。
悪行の犯罪を為した個人を特定する個人
情報開示も迅速性を伴うようになる。周辺
法も順次整備される。
現在のところは、まだまだネットは未発達
だ。登場して間もない黎明期だからだろ
う。
使い方を知らず、知性と品性未発達な人間
の悪意を最大限に反映させられる道具とし
てネットが機能してしまうからだ。
そして、社会人としての自覚なき社会の
クズたちは醜悪な低俗さをネット利用に
より充足させている。犯罪であり、社会的
に許されない人としてのクズ行為であるの
に自覚なきまま。
「これ、人として良くない事なのでは」と
自問したり自制したりはしない。また、
そうしたネット犯罪を見て、注意したり
諌めたりもしない。自分もそこにいる同類
だからだ。そして濁り水の澱みはさらに
腐敗臭を増す。汚水の排水も無く、新たな
清潔で清涼な水が流れ込まないからだ。
あちこちでネット匿名犯罪者が一網打尽
で取り締まられる時が刻一刻と近づいて
いる。
インターネットと実社会の健全化に向け
て。
この店がモデルになったのかもしれない
なあ。
敷石とともに今はもう無い。私が学生の
頃はあった。
現在の別店舗のみなとさんはランブルと
同じ幕看板だ。
誰が美人な日本人かって、私は一番は戦前
戦中の李香蘭ではなかろうかと思う。
戦前戦中の軍部の国策により、中国人と
偽って「親日的な歌手」という作られた
キャラクタを山口淑子は苦悩しながら演
じて生きた。
ハリウッド女優にひけを取らない美人かと 思う。
何が可愛いって、1989年のドラマ「さよ なら李香蘭」で李香蘭を演じた沢口靖子
さんがとんでもなく可愛かった。
のだが、写真などでは妖艶な空気を漂わ
せていた。
沢口さんの李香蘭は、可愛さの面を全面
に出した李香蘭を好演していた。
目と心を奪われた。見入った。
また、ドラマの作りも日中問題から目を
逸らさずに取り組んでいた。
その後、別な方も李香蘭を演じたが、私
は沢口さんの李香蘭が好きだし、作品の
作り込みが戦中の苦悩せる人々をよく描い
ていたと思う。
ただ、戦中の本物の李香蘭は私はタイム
リーには知らない。山口淑子さんは知って
いる。
夜来香(イエライシャン)という李香蘭の
曲は、沢口さんのドラマでは沢口さんが
ご自身で歌っていた。
しかし、ものまね芸人であるこの人も
只者ではない。芸に徹している。
ミラクルひかる 李香蘭のまね「夜来香」
李香蘭本人の「夜来香」。
夜来香_山口淑子(李香蘭)
今の極右右傾化した日本では、ネトウヨ
レイシストたちが集団ヒステリー起こし
て大騒ぎ炎上かましをしそうな内容。
だが、事実は事実だ。それを描いている。
さよなら李香蘭 4
御城の桜が満開。昨日は写生をなさっている方が何人も公園 にいらっしゃったのですが、本日はどなた
もみえません。昨日が見所だったのだろう
か。
城先の小学校の桜も満開から散り始め。広島大学附属校の桜も満開。
写真好きな人が写した月曜日の満月写真
を貰った。
天体望遠鏡みたい(笑