これが本物の武士の座し方。
帯刀の仕方。大刀の置き方。
扇子の配し方。
藝藩浅野家目付町野源八郎殿。
二重は白襦袢の上に絽を召して
いると思われる。
三原バイパスあす全線開通。
125cc以下の二輪車通行禁止。
自動二輪車の二人乗り禁止。
時代に逆行するクソみたいな規制の道路
が今時できたもんだ。
正式名称国道2号線。
国道なのに生活と切り離せない原付が走
れず、自動二輪の二人乗り禁止の規制だ。
60年前の吉田茂によるワンマン道路=
横浜新道かっつーの。
三原にアナクロ道路の完成だ。
焚き逃げ問題はマナーの問題か。
マナーって何?
マナー以前の問題なのでは。
実は以前から河原や浜辺などでは、直火
バーベキューなどをやってそのまま放置
で帰る人間たちは大勢いた。
それをやる人たちは、別段アウトドアが
好きな人たちでも何でもない。
行楽レジャーとしてやっている。ドライブ
で窓から空き缶ポイ捨て人間が大勢いる
のと同じ感覚でやっていたのだろう。
渓流に行くと、餌釣りの仕掛けゴミなど
はそこらぢゅうに散乱している。また、
鱒を殺すためだけに渓流で釣りをする人
たちは、ハラワタを抜いてそこらに捨て
る。それが山積して腐臭を放つ大量のゴミ
となる。それが川の溜まりに残存してい
る。渓流などはそのような現状だ。
今、キャンプ場が予約が取れない程に人が
増えているのは、たまたまの情勢による
一過性のブームであり、いろんな人たちが
キャンプ場に流れ込んで来ている。
それ自体は別に悪いことではない。
しかし、キャンプの基本常識、アウトドア
での人間の自然への接し方についてあまり
にも無知、無自覚な未教育の層までが押し
寄せる事になる。
そうなるとどうなるか。
その事が今現れているだけなのではない
か。結果は火を見るよりも明白、という
事が起きているだけの事だろう。
マナー論に落とし込むと、上掲の記事に
もあった取材のような声が必ず出て来る。
それを紐解くと、自分自身は良市民であ
るのだが、一部のマナーを守らない人たち
によって自分もそう思われるのが嫌だ、と
する自己保身にしか観点が行かない偏頗な
人間性を浮き彫りにさせる現象が露呈して
いる事が判る。
キャンプ場の惨状をどうにかしたいのでは
なく、自分がそれらをやらかす人と同一視
されたくない、迷惑だ、とする気持ちが
現実改善よりも先に立つのだ。
これは、自分の事だけしか考えていない点
において、焚き逃げ連中と全く同一地平に
ある意識であると断ずることができる。
そこには、環境問題や現状の惨状を自分が
どう捉えてどうしようかとか、キャンプの
世界の荒廃への憂いなどは微塵もない。
良人ぶっている人たちの人としてのほんと
のところの心根が逆に見えてくる。
それは、とどのつまりは、焚き逃げマン
たちと何ら一つも変わらないのだ。
マナー論に落とし込むと、必ずこうした
感覚でしかものを見られなくなり、その
マナーが悪い人間を排除すれば事たりる、
自分らの個別の楽しみが守れる、私たちは
あの人たちと違う、という満足感が得られ
る、という瑣末な個人主義に陥る。
それは、社会性を持つ視点でも思考法で
もないのである。
自分もその業界の中にいる一人であると
いう自覚が不在の没主体性を示している
だけであり、単なる排除意識体現者でし
かない。
それは、決して良市民ではないのだ。
良い子ぶるのはやめよう。
自分も焚き逃げ連中も、同じ場所で同じ
事をやって楽しんでいる同じ人間なのだ。
マナー論への落とし込みは何も問題を解決
しない。
マナーが悪い人がいるから環境汚染が助長
されるのではない。
マナー論を突き進めるならば、キャンプ場
へわざわざ行くという車両を使用した貴方
の行為は、CO2削減にどれ程悪影響を与え
る側に与する行為なのですか?
焚き火が地球規模で深刻な問題となって
いるのをどれだけ知っているのですか?
焚き火の煙害は喫煙の400倍だと知って
いるのですか?
もし、「環境破壊はキャンプなどして焚き
火をするというマナーを守らない人たち
のせいだ」と言われたら、焚き逃げ問題
でマナー論を言っている人たちはどう受け
止めるのか。
マナー論では何も解決しない。
「ああいう人たちがいるから悪い。自分
もそれと同類と思われるのは迷惑だ」など
という狭小な手前勝手根性は、焚き逃げ
の自己中人間と根源は全く同類であると
知るべきだろう。
マナー問題ではないのだ。
良くない事を良くない事だと徹底周知させ
て理解させない教育の問題だ。親の躾と
学校教育機関と参加者たち自身の。
無知だから無自覚なニワカとなる。
ブームや流行に乗るのは仕方ない。「大
衆」なのだから。皆んながやればやりたく
もなるだろう。それは悪い事ではない。
しかし、それはこうだよ、となぜ教えな
い。
問題はそこだ。
マナー論落とし込みなどの自己保身主義
では問題は一切、今後百年経っても解決
しない。行儀悪いのは世の中いつの時代
でも掃いて捨てるほどいるからだ。
また、マナーマナーと言う人たちは、
自分が食事マナーやお辞儀などの礼法の
マナーが自分は完璧にできているのか、
という事にもなる。
人間は未完成だ。マナーを説いても、
現実的に起きている物理現象は止める事
はできない。物理的に起きている事は
物理的にやめさせるしかない。
「現状を変える」のは、物理的に状態を
変える物理的な実効性がないと無理なの
だ。
人の良心頼み、自己保身の感情大事の
マナー論などは何の役にも立たない愚痴
にしかならない。
「直火をやめろ」「燃え滓は持ち帰れ」
これを徹底させるしかない。
直火OKな場所では、ではどうするか。
焚き火をする人の良心に委ねるしかない
のか。
ではどうしたらよいのか?
マナー論者は、回答を出せるのだろうか。
大昔、ある反戦集会で主催者が最後に呼
びかけた。「我々の階級的秩序でゴミは
各自が自分で全部持ち帰ろう」と。
集会後、万余の人が集まった会場にはチリ
一つ残っていなかった。
彼らは「社会的」であると19才の私は感じ
た。
少年でさえ外部注入の啓蒙により自覚的
に自発性と社会的関与意識が芽生える。
今の「大人たち」がそれをできない筈は
ない。
フルロード重量1055g。
本体重量915g。1974年式。
実銃は、グリップにもよるが、この4.75
インチバレルモデルで本体重量は39オンス
=1105gである。
TRC(東京レプリカコーポレーション=
中田商店)のピースメーカーと全く同じ
金型を用いたマルシン製だ。
TRCはCMCと全く同寸のブレット部可動
式の貫通シリンダーだったが、77年規制
により、シリンダーにインサートがある
MGC方式のシリンダー内発火式に変更
になった。
中田TRC金型のピースメーカーはCMCと
同じく、ハンマーの前進によりカートの
先端が銃身基部に移動して銃身根元のデト
ネーターと接触してカート先端の平玉火薬
を発火させる仕組みだったが、規制により
シリンダー内発火のMGC方式に変更になっ
たのだ。中田からの販売は終了し、マルシ
ンからのリリースのみになった。それが
この個体のモデルだ。SMGマーク無しの
時代の物だ。フレームには1974と刻印が
打たれている。
中田物はCMCとは異なり、銃身のみは
71年規制後には完全に閉塞させていた。
バレル中央に鋼鉄の丸棒が銃口まで突き
抜けていて周囲をダイカストで包む完全
閉塞。銃身の違法改造は物理的に不可能
だ。穴は開けられない。
CMCは71年規制後も通称豚鼻と呼ばれた
銃身中央にのみ太い鋼鉄インサートがあ
り、銃身内壁とインサートの間には隙間
をぐるりと設置した特殊な構造だった。
そのため、CMCのピースメーカーのみが
全メーカーの中では金属モデルであって
も銃口から発射火炎を噴いた。ガスコンロ
のような輪っかの火炎だが、発射炎を噴く
金属モデルガンはCMCだけが製造してい
た。
CMCのピースメーカーは作動音は透き通る
音がした。亜鉛ダイカストの材料も硬質
だったと思われる。中田マルシンやMGC
はハンマーコックの音は「チャコン」と
いう音だが、CMCだけはチーンという高音
を発した。
他メーカーは1971年規制によりすべて
銃身を完全閉塞していたが、CMCのみ
どういうわけか、規制を潜り抜ける技法
での製品化に成功していた。
77年規制により、全て金属製は貫通シリ
ンダーが禁止となる。
作動性に関しては全メーカーの中でTRC
=MKK(マルシン工業株式会社)の金型の
物が一番良かった。細かい設計が抜群な
のだ。
壊れないのはMGC製だったが、実銃とは
内部構造をMGCは大幅に変更し、板バネ
さえ廃してコイルスプリングにしていた。
実銃と全く同じ機構で頑丈だったのは、
間違いなく中田マルシンのモデルだった。
この個体もそうだが、ハンマーをコック
するとシリンダーストッパーボルトが上昇
するのだが、シリンダーを一切引きずら
ない。ゆえにSAAにありがちな一直線の
引きずり痕がシリンダーにつかない。
これは、後にプラスティックモデルとなっ
ても、CMCなどは引きずりまくりであり、
プラでは唯一ウエスタンアームズ製のみが
完全設計で引きずり無しのボルトタイミン
グの製品だった。六研の六登部氏による
コクサイ製の販売WA製モデルだ。CMでも
宣伝していた。「比類なき作動性」と謳っ
て。
そのSAAはすぐにWAオリジナルブランド
として販売が委譲された。当初はMGCの
サービス部でもそれが発売されていた。
その後もWAはSAAの改良を続け、プラ製
ではWA製が一番の作動性を持つSAAと
なった。天ぷら構造も年に何度も変更され
ている。
ただ、当時、ABS樹脂は開発され切れて
おらず、非常によく割れた。自然にパキン
と大きなクラックが入るのだ。
のちにWAは樹脂メーカーとABSの共同
開発に入り、国内最高峰のABS樹脂を使っ
たトイガンメーカーとなる。
MGCにしろコクサイにしろWAにしろ、
初期のプラガンがやたらと割れたのは、
それはABS樹脂にブリネル値で高い粘り
を出すことが技術的に困難だったからだ。
さらに、金型での湯じわにメーカーは悩
まされていた。歩留まりが悪すぎるのだ。
5丁金型に溶かして1丁程度しか製品になら
ない。これでは商売上がったりだった。
国内のプラガンの品質が飛躍的に向上した
のは、WAの功績と蜜月時代のMGCの販売
力の合体に支えられていた。
プラガンの登場により、金属製モデルガン
は作動させる為のものから観賞用に変化
して行った。
そして、1980年代にリアルな外見のエアソ
フトガンが登場するに至り、トイガンの
人気は火薬を発火させるモデルガンから
丸玉を飛ばすエアソフトガンに完全に移行
したのである。
この1974年金型のマルシンモデルは、今
でも優れた作動性を保っている。
ハンマーコックによるシリンダー引きずり
は一切無い。
外見上は、ローディングゲートのみが1st
ジェネレーション形状となっている。
この個体のピースメーカーは、かなり気
に入っている。
もう47年前の製造物となるが、愛着あり。
画像ではシルバーに見えるが、実物はゴー
ルドメッキだ。金が薄れて光の加減でやや
銀がかって見える。クロームやニッケル
メッキの金属モデルガンのハンドガンは
1971年銃刀法改正より黒色金属と同じく
所持禁止。長物は金属製であろうと何色
でも現在でも良い。
金色は銃刀法規定の「白または黄に塗る」
という規定に対し警察の「お目こぼし」
によりOK。だが、銀色は実銃にあるから
駄目、という取締当局の法解釈だ。
繰り返すが、長物は金属製であろうと、
何色でもよい。これは現在でも。
要はピストルについては極めて厳しい規定
が玩具銃には課されているということ。