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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

キャンプ場の惨状はマナーの問題か

2021年03月13日 | open




焚き逃げ問題はマナーの問題か。
マナーって何?
マナー以前の問題なのでは。

実は以前から河原や浜辺などでは、直火
バーベキューなどをやってそのまま放置
で帰る人間たちは大勢いた。
それをやる人たちは、別段アウトドアが
好きな人たちでも何でもない。
行楽レジャーとしてやっている。ドライブ
で窓から空き缶ポイ捨て人間が大勢いる
のと同じ感覚でやっていたのだろう。
渓流に行くと、餌釣りの仕掛けゴミなど
はそこらぢゅうに散乱している。また、
鱒を殺すためだけに渓流で釣りをする人
たちは、ハラワタを抜いてそこらに捨て
る。それが山積して腐臭を放つ大量のゴミ
となる。それが川の溜まりに残存してい
る。渓流などはそのような現状だ。

今、キャンプ場が予約が取れない程に人が
増えているのは、たまたまの情勢による
一過性のブームであり、いろんな人たちが
キャンプ場に流れ込んで来ている。
それ自体は別に悪いことではない。
しかし、キャンプの基本常識、アウトドア
での人間の自然への接し方についてあまり
にも無知、無自覚な未教育の層までが押し
寄せる事になる。
そうなるとどうなるか。
その事が今現れているだけなのではない
か。結果は火を見るよりも明白、という
事が起きているだけの事だろう。

マナー論に落とし込むと、上掲の記事に
もあった取材のような声が必ず出て来る。
それを紐解くと、自分自身は良市民であ
るのだが、一部のマナーを守らない人たち
によって自分もそう思われるのが嫌だ、と
する自己保身にしか観点が行かない偏頗な
人間性を浮き彫りにさせる現象が露呈して
いる事が判る。
キャンプ場の惨状をどうにかしたいのでは
なく、自分がそれらをやらかす人と同一視
されたくない、迷惑だ、とする気持ちが
現実改善よりも先に立つのだ。
これは、自分の事だけしか考えていない点
において、焚き逃げ連中と全く同一地平に
ある意識であると断ずることができる。
そこには、環境問題や現状の惨状を自分が
どう捉えてどうしようかとか、キャンプの
世界の荒廃への憂いなどは微塵もない。
良人ぶっている人たちの人としてのほんと
のところの心根が逆に見えてくる。
それは、とどのつまりは、焚き逃げマン
たちと何ら一つも変わらないのだ。

マナー論に落とし込むと、必ずこうした
感覚でしかものを見られなくなり、その
マナーが悪い人間を排除すれば事たりる、
自分らの個別の楽しみが守れる、私たちは
あの人たちと違う、という満足感が得られ
る、という瑣末な個人主義に陥る。
それは、社会性を持つ視点でも思考法で
もないのである。
自分もその業界の中にいる一人であると
いう自覚が不在の没主体性を示している
だけであり、単なる排除意識体現者でし
かない。
それは、決して良市民ではないのだ。
良い子ぶるのはやめよう。
自分も焚き逃げ連中も、同じ場所で同じ
事をやって楽しんでいる同じ人間なのだ。

マナー論への落とし込みは何も問題を解決
しない。
マナーが悪い人がいるから環境汚染が助長
されるのではない。
マナー論を突き進めるならば、キャンプ場
へわざわざ行くという車両を使用した貴方
の行為は、CO2削減にどれ程悪影響を与え
る側に与する行為なのですか?
焚き火が地球規模で深刻な問題となって
いるのをどれだけ知っているのですか?
焚き火の煙害は喫煙の400倍だと知って
いるのですか?
もし、「環境破壊はキャンプなどして焚き
火をするというマナーを守らない人たち
のせいだ」と言われたら、焚き逃げ問題
でマナー論を言っている人たちはどう受け
止めるのか。

マナー論では何も解決しない。
「ああいう人たちがいるから悪い。自分
もそれと同類と思われるのは迷惑だ」など
という狭小な手前勝手根性は、焚き逃げ
の自己中人間と根源は全く同類であると
知るべきだろう。

マナー問題ではないのだ。
良くない事を良くない事だと徹底周知させ
て理解させない教育の問題だ。親の躾と
学校教育機関と参加者たち自身の。
無知だから無自覚なニワカとなる。
ブームや流行に乗るのは仕方ない。「大
衆」なのだから。皆んながやればやりたく
もなるだろう。それは悪い事ではない。
しかし、それはこうだよ、となぜ教えな
い。
問題はそこだ。
マナー論落とし込みなどの自己保身主義
では問題は一切、今後百年経っても解決
しない。行儀悪いのは世の中いつの時代
でも掃いて捨てるほどいるからだ。
また、マナーマナーと言う人たちは、
自分が食事マナーやお辞儀などの礼法の
マナーが自分は完璧にできているのか、
という事にもなる。
人間は未完成だ。マナーを説いても、
現実的に起きている物理現象は止める事
はできない。物理的に起きている事は
物理的にやめさせるしかない。
「現状を変える」のは、物理的に状態を
変える物理的な実効性がないと無理なの
だ。
人の良心頼み、自己保身の感情大事の
マナー論などは何の役にも立たない愚痴
にしかならない。
「直火をやめろ」「燃え滓は持ち帰れ」
これを徹底させるしかない。
直火OKな場所では、ではどうするか。
焚き火をする人の良心に委ねるしかない
のか。
ではどうしたらよいのか?
マナー論者は、回答を出せるのだろうか。

大昔、ある反戦集会で主催者が最後に呼
びかけた。「我々の階級的秩序でゴミは
各自が自分で全部持ち帰ろう」と。
集会後、万余の人が集まった会場にはチリ
一つ残っていなかった。
彼らは「社会的」であると19才の私は感じ
た。
少年でさえ外部注入の啓蒙により自覚
に自発性と社会的関与意識が芽生える。
今の「大人たち」がそれをできない筈は
ない。

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