渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

火を囲んでの語らい 〜キャンプスタイル〜

2021年03月22日 | open


最近日本ではソロキャンプなるものが
殊の外はやっているらしい。
でも、私は昔ながらの気の置けない友人
たちと火を囲んで語り合うマスキャンの
ほうが好きだなあ。
ソロキャンは否定しないけど、一人に
なりたいのなら、陸の孤島のような山に
入らないと無理だもの。
キャンプ場ではソロのつもりでも、囲い
を作って、ここ入るな、みたいな意識で
やってる人が今は多くてさ。
私有地じゃないのに、通路にサイト作って
通ろうとしたらヤンチャ的クレームつけ
るようなキャンプ素人さんばっかでさ。
何てのか、グランピングなんて物が出て
来て、キャンプが持つ社会性、社会共同体
についての学習性が捨象され始めた頃から
ソロなり家族キャンなりと称して変な連中
がドワっと増え始めた。
水場でも譲り合いもせず、挨拶さえしな
い。
まあ、社会全体の社会傾向なんでしょう
けどね。
キャンプ場には、社会的に不適合という
か、人間社会から逃げ出したい人たちが
溢れたから、キャンプ場での非常識な事
が全国的に今発生しているのでは。

人社会から逃げる事は、そこから得る
ものって無いんだよね。
人間は、北極で一人で生きてるのでは
ないのだから。
最近のキャンプブームに尋常ならざる違和
感を私が感じているのは、そこなのよ。
自己閉塞世界、殻に閉じこもる為にキャン
プを利用している人たちが異様に増えて
いる。
キャンプとは社会性を学ぶ教育の一環と
して存在していた、という人の歴史を踏み
にじってるんだよな。
違和感の理由はそれなのよ。


まだね、バイク乗りのほうが社会性ある
よ。
見知らぬ人でも、駐車したとこで出会った
ら「こんちは」て挨拶交わすもの。
若い人ではそれ出来る人少なくなったけ
ど。
それでも、多くのバイク乗りたちは、社会
性を持っている。
これね、理由分かってる。
バイク乗りは日本では歴史的に差別もされ
たし、乗り人たちはマイノリティだった
からだよ。
だから、乗り人同士は同族と見て親しく
しようとした、てのが歴史的な背景なの
ではないかなあ。
年寄りの二輪乗りほど挨拶するというの
は、多分そうした歴史の中を生きて来た
からだと思うよ。

この前ね、いつも行く峠で休んでいたら、
ウエストバッグを忘れて行った人がいた
のね。
それに気づいたから、かなりの時間、
高校生の子と30代の人と3人で「多分
戻って来るだろう」と番してたの。
そしたら、持ち主の人が戻って来て、
みてましたと言ったらえらく感激されて、
何度も辞退したけど、「ぜひコーヒーでも
飲んでください」と。
「いやあ、ほんと助かった。良い人たち
でよかったあ。ありがとう」と言うの。
別に良い人たちではなく、当たり前の
事しただけだから、返ってこちらが恐縮
してしまったのだけどさ。
ぜひにぜひにと仰るので、三人は缶コー
ヒーをご馳走になった。
実は、その人を私はその前の週に別な
峠で見かけていた。
キャンプに行く途中の峠で。
凄く乗れてる人で、うちらの車の前を
綺麗なハングオフで決めてコーナーを
抜けて行った。
その前に、峠にさしかかる時に、車詰まっ
てた渋滞気味の街中で後ろからバイクが
来たから、センターに寄って道を譲った
のよね。
車の同乗者もバイク乗りだったから、
「あの人乗れてるね」
「そだね。かなり年季入ってる。決まって
るね」
なんて、後ろにつけて感心して乗り方を
見ていた。
たまたま、翌週、おいらがいつも行く峠
でその人が忘れ物したという訳。
「いつもどちらを走ってらっしゃるんで
すか?」と尋ねたら、先週見た峠の名前
言ったので間違いない。
フォーム見た時、あれ?とは思ってたけ
ど。
そして、別にバイク乗りの仁義とか人情
とかで忘れ物バッグをみてた訳ではない。
戻って来なかったら、交番まで届けよう
と思っていた。
そういうのは、社会人として当たり前の
事だ。バイク乗りだからでもないし、
ましてやマナーなんて意味不明なもので
もない。
忘れ物ということでミスっちゃったけど、
それは持ち主の所に無事戻ったし、その人
が「ああ、あの峠に行って良かったな」と
思ってくれれば、地元民としてはそちらの
ほうが嬉しい。

で、キャンプの現状は「ニワカ」さんた
ちが身勝手な価値観持ち込んで出鱈目を
やってるから、今の現状はキャンプ場は
とんでもない事になっている。
荒らされまくり。
「俺たちの自由じゃないか。文句言うな」
てな感じで。
そして、それが進むと、神奈川であった
ように川で一家まるごと10数名も子ども
まで含めて濁流に流されて死んじゃう。
社会性持たない反社会的な「ソロ」(家族
単位であれ)行動取るからなんだよね。
今のキャンプの現状を見ると、人と関わり
たくないからキャンプ、ソロキャンプ、と
いう人たちは、どうなのかなあ、とか思
う。視座が。野外で営む視点が。
やってる事は、共同水場での譲り合いも
なく、通路にサイトを設けていてそこを
通るとヤンチャクレームつけたり、生木
を折ったり、直火禁止場所で炭を残した
り、自分たちだけのグループで夜中大騒
ぎしたり、ゴミは捨て放題とか、もうね
無茶苦茶。
今、現実はそれ。

ヤカン=ケトル 〜キャンプ用品〜

2021年03月22日 | open


こういう縦長のヤカンというのは、今は
どうなのだろう。
てか、昔はこんな形のを使っていて、今の
キャンプ用品で主流の平べったい形の物は
使った事がなかった。
使った感想は、案外使いやすいし、量を
稼げた。
西部開拓時代のタイプって、みんなこうい
うポット形だったけど、何か意味あるんだ
ろうなあ。コーヒーそのまま淹れるとか。
砕いた豆をそのまま中に入れて煮立てる
とか。


日本の伝統的なヤカンはまんまるですよ
ね。
あれにも何か意味があるのでしょうね。

日本のラグビーで鉄板だった「魔法の水」
をかけるヤカン気付けは、医師の助言に
より非常に危険な為に現在では廃止になっ
たそうです。
脳震盪による失神は、外的刺激で目を覚
ますとかなり危険なんだって。
柔道とかの「落とし」はどうするのだろ
う。
喝入れとか危なくないのかなあ。

ところで、この丸型ヤカンが江戸期に無
かったとしたら、古典落語のヤカンは明治
以降の創作という事になる。
てなこと思って調べたら、安藤広重が薬缶
の絵を描いていた。
今の日本式と全く変わらなかった(笑

やっぱ、おらたちは、キャンプにもこれ
がよくね?(笑
味があっていいと思うけどなあ。
でもって、鍋類はいかにもそれです風の
キャンプ用品ではなく、和式ね、和式。
こんなの。


いやあ、「ザ・芋煮」みたいで渋いぜ。
そんでもって、ダッヂオーブン?
和式には鎌倉時代からのがあるぜ。
これよ。

鉄蓋の代わりには鍋蓋でもかけときゃい
いい。寸法合うやつを。
基本吊るし用だけど、置いても使えるぜ。
すき焼きてのは専用鍋があるけど、あれ
はこの日本古来の鉄鍋を利用して幕末から
やり始めたんだろね。
それ以前にも肉食は日本人は滋養をつける
薬食としてやってたんだけどさ。

和式器具でキャンプ。
こりゃいいかも。
キャンプやる人たち殆どが、何とかかんと
かという洋式メーカーの用品ばかりだし。
ビーンズ形の兵式飯盒さえ廃れて、今や
誰もが箱型メスティンだ。
なんてのか、金太郎飴みたいで個性が無
い。
和式もしくは和洋折衷とかの路線は面白い
かも知れない。
友人の薪割り専用道具としてのエビ鉈には
参ったけどな(笑
しかも、すんげ薪割り性能なの。驚いた。
ナイフバトニングとか足元にも及ばない。

この動画は切り手の人が達人なのですが。
薪ストーブ販売までやっていた人で、いわ
ばプロ(笑
借りてやってみたけど、あたしゃここまで
見事にさばけなかっただす。

薪割り 〜海老鉈による焚き付け作り〜

野外メシ

2021年03月22日 | open


野外メシってやつは、ほんとに楽しい。














直火OKの場所でも、灰と薪の燃え滓は
全て綺麗に持ち帰ります。


2021年03月22日 | open


うちの敷地にやって来た鳩。
鳩ってツガイなんでしょうね。
野外で見る鳩はほとんどが2羽連れ立って
いる。


2羽で何か啄んでいます。


この子たちは時々やって来る。
普段は三原市内の土鳩たちは港のそばの
川の橋の袂に集団でいる。


元々は、家鳩を放したのでしょうね。
三原は市内でも野生のキジバトがいて、
住宅街にもやって来ます。
うちの庭木で巣を作って雛が孵った事も
ありました。
この子たちは、この町のどこかに棲家が
あるのでしょうね。

普通の鳩って、空自新型迷彩服のような
都市迷彩色だよね(笑
キジバトは猛禽類や雀と同系の色の羽毛
です。直に見ると凄く綺麗。


謎の発光体

2021年03月22日 | open




広島県三原市に時々現れる
この発光体は一体なんなの
でしょうね。


ま、こういう事もあるから。
何だかわからない。
でも、そこに「存在する」
のは確か。


瑞典軍ナイフ

2021年03月22日 | open


1本目は既に友人に進呈したので、2本目
入手。
テストトライアルではなく、野外実践で
使用してみて絶対的優秀性を認識したの
で、2本目を発注。輸入のため到着まで
2ヶ月(笑
これは1本は所持しておきたいナイフだ。
何というか、安定した安心感が湧き上が
る。本物のサバイバルナイフ。ど真ん中。