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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

イエスの誕生の不思議

2017-07-02 17:23:25 | 礼拝説教
2017/7/2礼拝説教
【テーマ】  使徒信条 4
【説教題】 「イエスの誕生の不思議」
【聖書箇所】 ピリピ2:6-7
 2:6 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。

われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
われはそのひとり子、われらの主イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来たりて生ける者と死にたる者とをさばきたまわん。
われは聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。  アーメン

○ クリスマスまでまだ半年近くあるのですが、今日は使徒信条の 主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ というイエス様誕生の部分を見てみます。

Ⅰ.神が人となった
A.人は神になりたがっている
1.人が神のような存在になったという宗教はたくさんあるようです。また人は神になりたがるところがあるようです。アダムとエバの失敗もサタンが言った 創世記3:5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」 を受け入れたからです。
2.バベルの塔も人が神よりも偉くなるか、同等のものになろうとして建てたものです。 創世記11:4 そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」 と神の支配を逃れようとしています。

B.神が人となった
1.イエス様の場合は、イエスという人間が神になったのではありません。今日のテキストにあるように神である方が、神のあり方を捨ててこの地上にお生まれになったのです。
2.イエス様は神の子です。 マタイ1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。 とあるように、聖霊によって生まれました。
3.この同じマタイの福音書の1-16節では、アブラハム、ダビデの系図にあるヨセフのいいなづけマリヤというユダヤ人の女性から誕生しています。確かに普通の人間のように誕生するのですが、父はヨセフではないのです。聖霊によって生まれるのです。

Ⅱ.処女降誕という不思議
A.旧約聖書に預言されていた
1.処女降誕は普通信じられない話です。しかし、そのことは750年も前に預言されていました。 イザヤ7:14 それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。 と。
2.ある研究では、卵子は何らかの刺激を受けた時に精子無しにでも、まるで受精卵でもあるかのように細胞分裂を始めるということがわかったそうです。そうだとすると「聖霊によって」マリヤの卵子が細胞分裂を開始したとも言えます。ただ、その人格は「神」という大前提があるのです。

B.信じない人、信じる人
1.処女降誕を信じない神学者がいるそうです。その人たちから見れば、私たちの信じていることはバカげているのかも知れません。彼らは4福音書すべてに書かれている十字架と復活はキリスト教の中心的な事と言い、一番最初に書かれたマルコの福音書にはイエスの誕生のことは書かれていないので、イエスの誕生は大事なことではないというのです。誰かが後に考え出した話だと。
2.処女降誕を信じないノンクリスチャンの人は多いです。というようりも信じないのが普通です。常識的には処女懐妊はあり得ないからです。ですから、イエスはヨセフとマリヤの子だとか色々な事を言って、聖書通り信じない人がいます。
3.しかし、クリスチャンは「信仰」をいただくことでこの一般的には信じられない話が信じられるのです。

Ⅲ.神の救いの計画
A.神様の不思議なご計画
1.罪の問題を解決するためには、罪の無い人でその人と同等以上の人が身代わりにならねばなりません。被造物の中で人間以上のものはありません。罪の無い人間もいませんから、身代わりになれるのは神だけということになります。
2.イエス様は神の子ですから、罪はありません。 ルカ1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。 と書いてあるとおりです。つまり、人間の罪の問題を解決できるのはイエス様だけだということです。

B.聖書はイエス様とアダムと比較している
1.アダムが造られた時、彼には罪はありませんでした。もちろん、イエス様が誕生した時も罪はありません。そして、共に自由意志が与えられました。アダムはその自由意志で神を裏切りました。イエス様はその自由意志で神の御心に従い身代わりの死を受け入れました。
2.それで、 Ⅰコリント15:22 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。 と、イエス様の身代わりが成立します。全ての人間はアダムの系列に属します。つまり、罪を持ち死ぬ者となったのです。
3.一方イエス様は罪を犯しませんでしたし、復活される命の神です。この方の系列に属する者となると永遠の命に生きる者となるのです。

★  主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ は、私たちを救うためになくてはならない神の計画でした。イエス様が神ですから全ての人の罪を赦す力をもち、イエス様が人として生まれたので、身代わりの死を遂げることができたのです。


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