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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

天に宝を積むという生き方

2015-08-02 18:52:12 | 礼拝説教
2015/8/2礼拝説教
【テーマ】  有意義な人生
【説教題】 「天に宝を積むという生き方」
【聖書箇所】 マタイ6:19-21
  6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
6:20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
6:21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

○ 私たちはみんな有意義な人生を送りたいと思っているものです。ところが、私たちはその有意義な人生のために、お金が必要と思い、人生よりお金が大事になってしまっている人がいるように思います。私たちの宝は何で、どこに蓄えるべきなのでしょうか?

Ⅰ.安全な蓄え場所はあるのか?
A.なぜ貯金するのか
1.かつて、日本人は他の先進国に比べて貯蓄率が高かったそうです。最近は落ちています。しかし、人はなぜ貯金をするのでしょうか? 高い買い物をする時のために蓄えていたり、病気になったりした時のため、あるいは子どもの学費のためということが考えられます。が、不安が大きいということでもあります。
2.タンス預金というのもありますが、多くは銀行や郵貯に預けます。今は利率が低いので利息目当てで預けるというよりも手元に置いておくと危ないからということです。しかし、銀行が破綻してしまうこともあります。

B.虫とサビ、泥棒にやられる
1.では、イエス様が 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい と言われるのはなぜでしょうか? 理由は そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます と書いてあります。現代と違ってイエス様の時代はお金よりも宝としての衣類、宝石がありました。
2.当時の人々は下着としての服は2~3枚もっていたとしても、上着は1枚ということが多く、それが寒い夜の毛布代わりにも使われたわけですから、大事な大事なものでした。しかし、その大事な上着が虫に食われたりするわけです。金属系の飾り物はサビがつくのです。また、セキュリティーのしっかりしていない時代ですから、泥棒がもっていくのです。
3.そこで、畑の中に隠された宝の話 マタイ13:44 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。 があるわけです。畑が安全と思えますか? でも、日本でも埋蔵金が発見されたりします。

Ⅱ.天に積むべきものとは?
A.天に積む宝とは
1.自分の宝は、天にたくわえなさい と言われると、確かに天に蓄えることができたら大丈夫なことはわかります。でもそれができないから工夫しているのではないでしょうか? 日本の銀行は利息が少ないから外国の銀行を利用する人もいます。
2.天に蓄えるというのはどうやら根本的に何かが違うようです。私たちがこの地上で宝と思っているものは果たして宝なのでしょうか? 「子どもは宝だ」と言います。お金や宝石に代えられない。また、親は自分の命を捨てても子どもの命を守ろうとします。それほどの宝です。
3.イエス様は マタイ16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。とも言われました。天に蓄えるべきものは「まことのいのち」かもしれないですね。
B.施し
1.ルカの福音書で見ると ルカ12:33-34 持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。 あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。 と書いてあります。前に、ユダヤの社会生活に三つの重要なことがあると言ったのですが、それは『施し』『祈り』『断食』です。その『施し』は愛の実践としてすることなのです。天に宝を積むというのは、地上の富を捨てて施しをするということなのです。
2.持ち物を減らすこと、そして、売ったお金で施しをする事が目的ではありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです と言われましたが、まさに心の問題です。皆さんの宝は何ですか? そこに皆さんの心もあるのだと言われるのです。
3.持ち物、宝に私たちの心がある時、私たちはそれと共に虫に食われ、錆びていき、泥棒に盗まれるのです。サタンに心を奪われるのです。こころは天にあるべきなのです。

Ⅲ.天に心を持っていく
A.私たちは神様の宝
1.宝を天に蓄えるのが良いわけですが、宝とは私たちが時にはいのちよりも大事にしてしまうものかも知れません。それがお金やこの地上のものであればどうなのでしょうか? 命をかける価値があるのでしょうか?
2.イエス様が命をかけたのは何ですか? あなたですよ! あなたのためにこの地上に来られました。この地上に埋もれてしまいそうなあなたを天に連れて行くために命をかけられたのです。
3.イエス様の宝は私たちです。私たちをサタンに盗まれることのないように天に集めたいのです。

B.天を見つめて生きる
1.そのイエス様のお心と同じ心を持つことができたら、私たちの宝は天に積むことになるのではないでしょうか? 人々がみんな天に集められることを願うなら、神様の栄光を求めるなら、 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです なのですから、私たちの心は天につながっているのです。
2.私たちの目は天を見るのです。私たちは見つめるものによって生き方が変わります。天を見つめて生きるとき、私たちは愛の生き方ができるのです。つまり、心からの「施し」であり、イエス様のみこころを行うことに喜びを感じるのです。

● 私の叔父は社長をしていました。ところが48年前、4億近い負債を抱えて倒産し、自殺を図り、そこでイエス様を知ったのです。それから仕事は上手くいったのですが、今度は40年程前に10億の負債を抱えてまたしても倒産したのです。自己破産までして、小さなアパート暮らしになりました。この時の叔父の言葉が印象的でした。「おれは神様が祝福してくれてどんどん儲かると思っていい気になってた。イエス様が湖の上を歩いて来られたとき、ペテロも歩かせてもらったが、風を見て恐くなって沈んだように、オレもイエス様から目を離したから沈んでしもた」と。見つめるべきは宝では無く、天です。イエス様です。

★ あなたの心はどこにありますか? あなたの目はどこを見つめていますか?

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