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初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

小説「活動寫真の女」⑧

2012年06月10日 21時19分24秒 | Weblog


…辻老人は半地下の窓辺に寄ってカーテンを開け

雨空を仰ぎ見た。

「なら、溝口健二なんかも知ったはるん?」

「ああ、知っとるよ、あの監督は永田さんに

誘われて東京から来はったモダンな人やった.

脚本の依田さんは生粋の京都人やさかい、

二人のコンビでええ写真撮ったんや。

他にもええカツドウ屋がぎょうさんおったで.

伊藤大輔、鈴木伝明、川口松太郎、

松竹やら日活やら、

大手の独立プロやらを向こうに回して、

嵯峨野の第一映画というたら…



小説「活動寫真の女」では

作家、監督、脚本家を辻老人に語らせています



ここの辻老人の会話に出てくる

「写真」というのは

カツドウ屋、映画人がお互いに

映画を語るとき「写真」と云っています



「京宝でやっているエリザベス・テーラーの

「陽のあたる場所」を見た?…

あれはいい写真だよ…」

という具合です



どうして「映画」を「写真」というのでしょう








映画撮影キャメラ

2012年06月09日 23時34分15秒 | Weblog


映画は娯楽の王様として

花盛りでした

… … …

不思議なことに映画機材(キャメラ)は

日本製が積極的に使われていないのです



映画制作のかなめ、キャメラは

アメリカのNCミッチェルを

はじめフランスのパルヴォ

エクレル(エクレール)

カメフレックス、

新しいところでドイツのアリフレックス

など舶来ばかりです



従って、映画キャメラのレンズも

エクターとか、バルター

ズームレンズはアンジェニューなど

これも舶来でした



日本製、冨士フィルムのシネクリスタ-など

注目されるレンズもあったのですが



映画で撮影されたフィルムは、現像、焼き付けして

映写機で映写してみないと撮影されたカットがOKか

どうかわかりません



輸入されたキャメラとレンズでうまくいっていると

スタッフは保守的になってそれ以外の

新しい機材での仕事はいやがるのかも知れません



日本で活動寫真の始まりは輸入された機材で

スタートしました。そして新しい機材が生まれて

輸入されます。国産の機材が入る機会がなかった

のでしょうか











小説「活動寫真の女」⑦

2012年06月08日 22時13分22秒 | Weblog


…それはまるで甲羅をへた怪物のような

鋼鉄のキャメラだった

「ミッチェルNCサウンドというてな、

トーキーの時代を開いたキャメラや。

毎秒二十四コマの定速同時録音がでける、

今なら当たり前のことやけど、

それが輸入された昭和の初めには、

絵と音がいっぺんにとれるいうのんは、

魔法のようやった」

まるで国宝級の仏像の手入れでもするように、

辻老人は柔らかな絵筆と布とで

キャメラの埃を拭いながら説明を続けた…



…毎秒二十四コマの定速撮影のほかに

モーターの交換によって毎秒四コマから

三十二コマ変速回転ができるという、

しかもフィルム面のあるアパーチュアと

ルーペが後部のハンドルによって正確にシフトし、

撮影画面とピントが

ひとめで確認できるという、

当時としては画期的な機能を備えていたそうだ…



と小説「活動寫真の女」では

撮影所のキャメラの説明を

詳しく述べられています



当時の撮影所にはNCミッチェルのほかに

サイレント・ミッチェル、

ミッチェル・スタンダード

などありました



日本製のキャメラとしては

土井ミッチェルとか精機ミッチェルと呼ばれた

撮影機が作られていましたが。






小説「活動寫真の女」⑥

2012年06月07日 20時40分39秒 | Weblog


京都市電今出川線、東の終点が

銀閣寺道(ぎんかくじみち)で近くに

私の学生時代の実家がありました



通学にはこの駅から市電で西の

白梅町(はくばいちょう)へ向かいます

そこに学舎はありました



銀閣寺道駅から二つめの駅が

百万遍(ひゃくまんべん)です

車窓から雰囲気のある

喫茶店「進々堂」が見えました



小説「活動寫真の女」では

この「進々堂」も舞台にしています



…進々堂は本部キャンパスの北の

今出川通りに面した古い喫茶店である

煉瓦(れんが)造りの壁に青銅の軒灯りを

飾った正面の意匠は、観光客を立ち止まらせるほと

美しい.フランスパンを焼く香ばしい匂いが漂う

店内は塵(ちり)ひとつ見当たらぬほど清潔で

パティオから雨上がりの日射しが溢れていた.

「何やのおっちゃん、話て」…

長さ二メートルは優にありそうなテーブルに

向き合って座ると…



学生時代の私もこの喫茶店「進々堂」に二、

三度、入ってこの立派な大テーブルに座った

ことがありました。









小説「活動寫真の女」⑤

2012年06月06日 20時55分50秒 | Weblog


小説「活動寫真の女」には



…さて、もう少しだけ映画伝来のエピソードに

付き合ってもらいたい。

映画という大発明を完成させた人間は

いったい誰かというと、今日その解答は二つある。

アメリカ人はトーマス・エジソンであると言い

フランス人は件(くだん)のリュミエール兄弟に

ほかならぬと答えるだろう…



…「まあな。だが、嘆かわしいことだと思わないか。

たしかにやっていることは同じだろうけど

テレビと映画は別物だろう.根本的に」

「…映画本来のダイナミズムを

たった十五インチかそこいらのブラウン管に

とじこめてしまうことに無理があると思うんだ。

ずっとこんなことをしていたら、

スタッフもキャストも

十五インチのサイズになっていまう。

そうは思わないか」…

と映画とテレビ映画を比べて

この小説では論じています



今から35年ほど前、アメリカ連続テレビ映画の

「チャーリーズ・エンジェル」で

ファラ・フォーセット・メジャーズという

金髪の美女が主演で活躍していました



しばらくして

ファラ・フォーセットはこの番組から

降板します

題名は忘れましたが、

ファラ・フォーセットを主演にした

アクション物の映画が来ました

何台もの自動車がぶつかる

カーチェイスの話でした



エンドタイトルに

ニッサン自動車の名前がありました



ファラ・フォーセットが金髪を靡かせて

狭いテレビで暴れ回っていたのに

映画シネマスコープの広い画面では

今一つ迫力を感じませんでした

… … …

俳優さんにとってテレビと映画は

違うのだろうかと当時の私は疑問に感じました










小説「活動寫真の女」④

2012年06月05日 21時34分03秒 | Weblog


小説「活動寫真の女」を引用します



…下加茂の河岸には、多くの名作を

松竹京都撮影所があり、かって日本の

ハリウッドと歌にさえ唄われた太泰の

界隈には、現在も残る東映と京都映画

の他に大映京都撮影所や独立プロダクション

のセットもいくつか点在していた…



先日の東映京都撮影所の第1セットの

火事をテレビのニュースで見ました

初めて太泰の東映撮影所の

ヘリコプターからの空撮(くうさつ)を見ました

東映のずらり並んだステージの一角から

白煙が上がっているカットでした



火事場のヘリの空撮をあらためて見ると

東映撮影所のステージはたくさん

あるのですね。



映画全盛のころ

東映の映画館は

毎週、封切り(新作)の

二本立て興業を行っていました



この大きな東映撮影所では足りずに

第二東映撮影所を隣に建てました

東映のオープンセットもどんどん拡張して

いきました。



…東映撮影所は、山陰本線に沿ってとうてい

造り物とは思えぬ精緻で壮大なオープンセットの

甍(いらか)を並べていた…と記されています







小説「活動寫真の女」③

2012年06月04日 22時13分59秒 | Weblog



小説「活動寫真の女」の描写に

…それでも僕はこの三つの条件を満たした

下宿に満足した。吉田山の東の裾の

小高い傾斜に建つ家は古かったが

静かで日当たりも良く

窓を開けると東山の大文字が見えた

周辺には様子の良い邸宅が建ち並び、

真如堂や黒谷の森も間近だった…



とあります。私の学生時代の実家の

住所が京都市左京区浄土寺西田町××でした

この小説の描写にある吉田山の裾にありました

家の物干しにあがると、間近に大文字が望めました



この吉田山は125メートルの低い山(丘)で

吉田神社は二月の節分では大賑わいの神社です



近所に大勢の学生が下宿していました

それぞれの下宿先に内湯がありますが

下宿の学生には使わせませんでした



北白川(きたしらかわ)と神楽坂(かぐらざか)に

二軒の銭湯がありました。



実家の近くにK藤さんという

中年夫婦が下宿屋を営んでいました

夕食後、2人揃って毎晩のように

わが家に世間話をしに

やって来ていました



昔からの父親の仕事仲間でした

わが家が戦後,満州から引き揚げてきて

あちらこちら転々として吉田山の麓

転居してK藤さんに、出会ったのでした。



小説「活動寫真の女」はわが家がモデルではと

思い違いしてしまいました









小説「活動寫真の女」②

2012年06月03日 22時02分11秒 | Weblog


小説「活動寫真」を読み進むうちに

清家と二人で喫茶店に入る描写があります



ウェイトレスがそれを運んできたとき

僕はてっきりオーダーを聞き違えたのだろうと

思って文句を言った

東京では初めからミルクと砂糖の入れられてくる

コーヒーをコーヒーとは言わずカフェ・オ・レ

もしくはミルク・コーヒーと呼ぶ



これは京都市内、珈琲店の老舗

「イノダ」がモデルになっている

のでしょう。



映画「夜の河」吉村公三郎監督

(公開1956年=56年前)で

京都堀川の京染め屋の山本富士子と

大学教授、上原謙が

喫茶店で珈琲を飲むシーンがありました

白を基調にした洒落た店内は「イノダ」でした

この映画でさらに「イノダ」が有名に

なりました



この「イノダ」は現在,本店のほか

近くに三条店があって

百貨店にも支店がふたつあります

… … …

「イノダ」で客がホット・コーヒーを

注文すると

「当店ではミルクと砂糖が入っていますが

よろしいですか」

とウェイトレスは客に聞きます



古くから「イノダ」のなじみ客は

何とも思わないのでしょうが

京都にやって来る

観光客は、ビックリするのでしょう








小説「活動寫真の女」①

2012年06月02日 21時10分03秒 | Weblog


以前読んだ浅田次郎の小説

「活動寫真の女」を

思い出しました



映画がこの世に

生まれたとき

写真が動くという意味で

活動写真と呼ばれました



浅田次郎の小説は

「きんぴか」

「天切り松闇がたり」

「プリズン・ホテル」

などシリーズ物の

ピカレスク小説を

愛読していました



浅田次郎はまたファンタジックな

「地下鉄に乗って」で

吉川英治新人賞を受けました

また「鉄道員」では直木賞を受賞して

映画化,テレビ化で大変でした



その浅田次郎が「活動寫真の女」を

発表しました

そのタイトルをよく見ると

「活動寫真」の「写真」を

旧字体で表しています



これには何かワケがあるぞと

期待して読み始めました



僕が清家忠昭(せいけただあき)に出会ったのは、

四条河原町にほど近い、古い映画館だった…

で本文は始まります

… … …

昔,四条河原町には四、五軒の映画館がありました










映画「用心棒」③

2012年06月01日 22時23分48秒 | Weblog


映画製作には最低ひとつきから数カ月かかります

映画監督さんはそれぞれ××一家と呼ばれて

気の合ったスタッフ,キャスト(俳優さん)で

映画制作が始まります



黒沢組(黒沢一家)の俳優さんは

まず三船敏郎、志村喬は必ず



仲代達矢、加藤大介、など

藤原釜足、東野英治郎などの芸達者が続きます

千秋実も黒沢組には必ず出ていましたが

今回の用心棒には出ていません



用心棒の女優陣は,司葉子それに大御所

山田五十鈴が出ていました



山田五十鈴は大正生まれですから

現在,90歳を越えておられます

お元気なのでしょうか



山田五十鈴さんに並んで大正生まれの

原節子さんもお元気なのでしょうか



このお二人にテレビでお目に

かかってみたいのですが



同じ大正生まれの森光子さんは

この間までテレビに出演しておられましたね

… … …

テレビのタケヤ味噌のCMでは

昔の若いころの森光子さんが見られますが.