
…辻老人は半地下の窓辺に寄ってカーテンを開け
、
雨空を仰ぎ見た。
「なら、溝口健二なんかも知ったはるん?」
「ああ、知っとるよ、あの監督は永田さんに
誘われて東京から来はったモダンな人やった.
脚本の依田さんは生粋の京都人やさかい、
二人のコンビでええ写真撮ったんや。
他にもええカツドウ屋がぎょうさんおったで.
伊藤大輔、鈴木伝明、川口松太郎、
松竹やら日活やら、
大手の独立プロやらを向こうに回して、
嵯峨野の第一映画というたら…

小説「活動寫真の女」では
作家、監督、脚本家を辻老人に語らせています

ここの辻老人の会話に出てくる
「写真」というのは
カツドウ屋、映画人がお互いに
映画を語るとき「写真」と云っています

「京宝でやっているエリザベス・テーラーの
「陽のあたる場所」を見た?…
あれはいい写真だよ…」
という具合です

どうして「映画」を「写真」というのでしょう
