小説「活動寫真の女」の描写に
…それでも僕はこの三つの条件を満たした
下宿に満足した。吉田山の東の裾の
小高い傾斜に建つ家は古かったが
静かで日当たりも良く
窓を開けると東山の大文字が見えた
周辺には様子の良い邸宅が建ち並び、
真如堂や黒谷の森も間近だった…
とあります。私の学生時代の実家の
住所が京都市左京区浄土寺西田町××でした
この小説の描写にある吉田山の裾にありました
家の物干しにあがると、間近に大文字が望めました
この吉田山は125メートルの低い山(丘)で
吉田神社は二月の節分では大賑わいの神社です
近所に大勢の学生が下宿していました
それぞれの下宿先に内湯がありますが
下宿の学生には使わせませんでした
北白川(きたしらかわ)と神楽坂(かぐらざか)に
二軒の銭湯がありました。
実家の近くにK藤さんという
中年夫婦が下宿屋を営んでいました
夕食後、2人揃って毎晩のように
わが家に世間話をしに
やって来ていました
昔からの父親の仕事仲間でした
わが家が戦後,満州から引き揚げてきて
あちらこちら転々として吉田山の麓
転居してK藤さんに、出会ったのでした。
小説「活動寫真の女」はわが家がモデルではと
思い違いしてしまいました
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