今日のうた

思いつくままに書いています

絶頂の一族 1

2015-03-29 14:50:13 | ⑤エッセーと物語
松田賢弥著『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』を読む。
                    ↓
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062194341

本を開くと口絵が逆さまになっている。目次を含む16ページまでが逆である。
単なる乱丁だとは思うが、意図的なものかとドキッとした。
この本は大きく分けて、2つの要素から成り立っている。一つは、安倍晋三が岸信介の
遺志を継ぐことに政治生命を賭けていること。二つ目は、政治家岸信介の血を絶やさぬ
よう、その娘である安倍洋子(晋三の母)が画策し、それによって引き起こされる
周りとの確執である。

現在の安倍政権が目指しているもの、そして沖縄の現実は、すべて岸信介に遡ることが
できると理解できた。祖父のやり残したことや挫折したことを、公人である安倍首相が
権力を使ってやり遂げようとすることに、私は大いに違和感を覚える。
気になった言葉を引用したいと思います。(呼び名は本文通りとします)

 岸が他のA級戦犯容疑者18名とともに幽閉の身から解き放たれたのは、
 1948年12月24日のことだった。前日には東條ら7名のA級戦犯に絞首刑が執
 行されていた。岸は獄に繋がれながら、獄中記「断想録」では「大東亜戦争を以て
 日本の侵略戦争と云ふは許すべからざるところなり。之れ事実を故意に
 歪曲するものなり」と記していた。
 その岸はなぜ、釈放されるのか。

 伏線はあった。岸は当時、巣鴨プリズンに面会に来た弟の佐藤栄作に対し、
 「オレがここを出られるかどうかということは国際情勢が反映しているようだ、
  米国とソ連が仲良くしているころは、いつクビをはねられるかと心配していたが、
  米ソの間の仲が悪くなってからは、そんなことを心配する必要もなくなった」と
 語っていた。
 つまり、米ソ冷戦が激化する中で、日本が反共産主義陣営の一翼を担い、反共の砦
 として復興させていくというアメリカの占領政策の転機を、岸は予見していた。

 一方、占領政策が転換していく中で、GHQ内部で戦犯容疑者の扱いに変化が
 見られた。民主化を進めるGS(民主局)と対立するG2(参謀2部)は、
 48年4月24日、連合軍最高司令官・マッカーサー元帥に対し、岸の巣鴨プリズン
 からの釈放を勧告していたのだった。
 いずれにせよ、岸がなぜ釈放されるに至ったのか、その決定的な理由はわからない。
 釈放前後、岸は何を思っていたのだろうか。その片鱗を窺えるのが次の言葉だ。

 「(新憲法草案は)全体の条文がすべて分かっていたわけではないですよ。
  第九条の『戦争の放棄』とか、第一条の『天皇の地位』について具体的なことは
  分からなかったが、要するに何か押し付けられている、日本側の意向を無視した
  ものをつくっているんだ、ということは感じていました。
  戦争責任ということに関しては、アメリカに対して戦争責任があるとはちっとも
  思っていないよ。しかし日本国民に対しては、また日本国に対しては責任がある。
  ともかく開戦にあたっては詔書に副署しているし、しかも戦争に敗れたという
  責任は自分たちにもある」
 
 日本国憲法は岸が獄中にいる47年5月に施行された。岸にとって新憲法は戦勝国
 アメリカから押しつけられたものという認識で捉えられた。
 53年4月に総選挙が行われることになった。岸は4万票余りを得て当選し、念願の
 政界復帰を果たす。公職追放の解除から1年が過ぎていた。
 政界に復帰した岸は保守合同と憲法改正に奔走していく。

 岸は保守合同当時を振り返り、
 「政策協定で合意したことは、この30年間であらかた実行してしまった。
  しかし、いまに至ってもできなかったものがある。日ソ交渉をやったがまだ
  北方領土が返ってこない。それがひとつ。国内問題では、憲法改正、つまり
  自主憲法の制定を謳いながら、それが見送られている。改憲には国会で3分の2を
  制することが前提になるが、実際問題として3分の2を占めることはきわめて
  困難だ。まあ、実情に照らして解釈の上で現憲法を運用していくしかないが、
  保守合同の精神からいえば、残念なことのひとつといわなければならない」

 昭和30年11月15日の「党の政綱」の中の「独立体制の整備」で、こう謳った。
 「平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の
  自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。
  世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、
  国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える」

 ここから岸の憲法改正へのグランドデザインは描かれた。
 岸の宿願だった憲法改正は現在、孫の安倍晋三総理に引き継がれている。その陰で、
 晋三の母で岸の娘の洋子が「今の自民党は父・岸信介が作った、その偉大な足跡を
 決してわすれてはならない」と、晋三に噛んで含めるように口伝えしていたとしても
 何ら不思議ではない。(引用ここまで)  
  
(岸がやり残した北方領土問題と憲法改正を、60年が経った今、孫の晋三が完成させよう
 としているのだ。それにしても昭和30年に、「駐留外国軍隊の撤退に備える」とある
 のは驚きだ。日本の防衛を自国で考えていたことが窺える。晋三は岸が目指していた
 ことをしようとしているようだが、その方向性は違うと、私は思う。岸は自ら自国の防衛を
 考え、そのためにはアメリカとどう向き合っていくべきなのかを考えていた。
 だが晋三は、始めからアメリカの庇護のもとでの防衛しか考えていないのでは
 ないだろうか。アメリカが求めることを率先して行うことにより、日本がどこに
 向かうことになるのかを考えているのだろうか。私には全く見えない)
2につづく                             (敬称略)

※週プレNEWSより
 『絶頂の一族 プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』の作者・松田賢弥氏への
 インタビューをブックマークに入れました。本の内容がよく解りますので
 是非、ご覧ください。残念ながら削除されました。(2016年2月12日 記)

※『絶頂の一族』が文庫本になりました。(講談社+α文庫・799円)この本の
 紹介文を引用します。「『昭和の妖怪』と言われた祖父岸信介、大叔父佐藤栄作、
 『岸の娘婿』と呼ばれた父晋太郎とその父安倍寛ら、安倍晋三をめぐる血脈は、
 養子縁組と結婚によって固められてきた。
 岸の悲願であった憲法改正の実現を目指す力の源とは何か。
 母洋子の執念と影響力など、関係者への取材と多数の資料から描く。
 今のこの時期に、必読書だと私は思います。
(2015年11月3日 記)


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絶頂の一族 2

2015-03-29 14:49:38 | ⑤エッセーと物語
 1955年8月に、鳩山内閣の幹事長だった岸は、ダレス国務長官に対し、
 「現在の安保条約は不平等で、日本側としては条約を対等なものに直したい」と
 提案した。しかし、ダレス国務長官はその提案が意外だったらしく、「アメリカとの間に
 対等の安保条約を結ぶなんて、日本にそんな力がないではないか」と一蹴した。
 この態度が逆に岸の神経を逆撫でし、その後の安保改正へと走らせることになる。

 ダレス国務長官と重光葵外務大臣の会談
 ダレス:「アメリカが万一攻撃を受けた場合、日本ははたして軍隊を国外に派遣し、
 アメリカを助けてくれるのでしょうか。これは疑わしいでしょう。もし、日本が妥当な
 戦力をもち、また、法的な枠組みが整備され、改正された憲法をもっているというの
 ならば、状況は変わってきます。たとえば、グアムが攻撃された場合、
 日本はアメリカのために駆けつけることができますか」

 重光:「日本はそうするでしょう。現行の体制下でも、日本は自衛のための戦力を組織できる
     のですから」

 ダレス:「私が言ったのは、日本の自衛についての問題ではありません。
     アメリカの防衛ということを言っているのです。・・・
     憲法が事実上、日本の戦力の海外派遣を妨げる以上、
     日米の協議の意味はほとんどないのではないですか」

 岸の動きは速かった。6か月後に岸は保守合同をなし遂げ自由民主党を結成、
 憲法改正を掲げた。次の、岸の政治プログラムは安保改正だった。
 それまでの安保条約(51年9月調印)は、アメリカ軍の駐留を最優先にした内容だった。
 そしてアメリカ軍の駐留を半永久的に認めた一方的な内容だった。岸の政治信条は、
 安保を日米間の片務的な内容から双務的なものにする、つまり対等関係にしなければ
 というものだった。そのことは一方で、冷戦構造の下で日本がアメリカ側に立つことを
 意味していたのである。

 岸はアイゼンハワー大統領との首脳会議を前に、国防会議と閣議で第一次防衛
 三ヵ年計画を決定。
 内容は3年間(昭和33~35年度)に、陸上自衛隊18万人、海上自衛隊は
 艦艇12万4千トン、航空自衛隊は航空自衛機1300機の整備を目標にする、
 というものだ。岸にとって第1次3ヵ年防衛計画は、日本の防衛力を内外に示す
 「大きな切り札」だった。
                            
 岸の言葉
 「要するに、抽象的には日米対等の関係において主権の平等、相互的利益、協力を
  つくり上げるといいながら、現行安保条約はいかにもアメリカ側に一方的に有利で
  あって、まるでアメリカに日本が占領されているような状態であった。
  これはやはり相互契約的なものじゃないではないか、というのがダレス(国務長官)に
  対する私の主張でした。

  ただ、他の国と違って日本にはアメリカが押し付けていった憲法がある。対等の関係で
  相互契約にするといっても、アメリカが危険に遭った場合、日本軍をアメリカ領土に
  出動させることはできない。
  そういう憲法をあなた方(アメリカ)がつくったんだから、といいました。しかしながら、
  一方ではこんな議論もしました。アメリカが日本を防衛すると同時に、日本は
  アメリカ軍のために基地を提供して、基地におけるある種の行動を認めること、
  また、日本自体は国力に応じて防衛力を強化して日米協力の下に日本の安全を
  守ること、そしてそのことがアジアの平和の基礎になるんだという意味に
  おいて安保条約を改めなければいかん、という議論をしたわけです。

  私がそもそも戦後の政界に復帰した一番の狙いは、占領政策時代の弊害を一切
  払拭して、新しい日本を建設するということにあったわけです。そのためには、
  第1に安保条約を改正しなければならないということ、第2にはどうしても
  憲法を改正する、そのための小選挙区制の実施ということを頭に描いておったんです」

(当時すでに、小選挙区制の実施まで考えていたとは驚きだ)

 ところが、新条約の交渉開始の一方で1958年10月、岸が警察官職務執行法(警職法)
 の改正案を国会に提出、それが予想外の混乱を引き起こす。岸にとって警察官の
 職務権限の強化を盛り込んだ警職法は、安保改正の地ならしに欠かせなかった。
 警察に政治的な集団犯罪を取り締まる予防警察の性格を帯びさせるものだった。

 岸の言葉
 「安保条約は相当の反対を予想して、その反対をあくまで押切ってやるという強い
  決意をもち、命をかけてやるつもりだったから、その秩序を維持するための前提と
  して警職法の改正はどうしても必要だと考えていたんです」

 しかし、一方で戦前の治安維持法を想起させる警職法は、世間には岸の権力の
 横暴と映った。不起訴で釈放されたとはいえ、A級戦犯容疑者だった岸のイメージは
 依然、払拭されたわけではなかった。「警職法改悪反対国民会議」が結成され、
 ストライキの参加者は400万人にも及んだ。
 結局、警職法改正案は11月下旬に廃案になった。

 安保阻止国民会議が中心の反対勢力は早くから新条約阻止に加え、「アイゼンハワー
 訪日阻止」「岸内閣打倒」の闘争態勢に入った。
 焦った岸は強行手段に踏み出す。まさに5月19日から20日未明にかけて、
 国会の会期50日間延長と新条約の強行採決という挙に出たのだった。
 質疑打ち切りの動議可決の後、新安保条約、新行政協定、関連法案の採決を
 求める動議可決、さらにその採決が可決。この間、わずか3分だった。

 5月20日の岸の非民主的な強行採決は、国民に新条約への反感を呼び、
 「民主主義の破壊者・岸」とこれまで経験したことのない未曾有の新条約反対運動を
 引き起こした。
 朝日新聞は5月21日付の一面トップに「岸退陣と総選挙を要求す」と題した社説を
 載せた。
 「”多数の暴力”という議会主義としては矛盾した言葉が流行しているのも、
  このためである。議会主義に多数は当然のことである。ただその多数は、
  互いに論議が尽くされた後に出てくる賛成か反対の多数でなくてはならぬ。
  ギリギリまで論議はしてみるということが前提になるならば、多数の暴力という
  言葉などがあり得るはずはない」(引用ここまで)

(現在でも通用する社説である。60年安保の時に晋三は5歳だった。当時の事を
 洋子は晋三にどのように伝えたのだろう。いかなる反対があろうと、
 どんな手段を用いても、それを押し通すのが男とでも言ったのだろうか)
 3につづく


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絶頂の一族 3

2015-03-29 14:48:45 | ⑤エッセーと物語
 新条約が自然成立しアイゼンハワー訪日の4日前となった6月15日から16日にかけ、
 新条約阻止の行動には全国で580万人が参加、空前の規模となった。ここで悲劇は
 起こった。当時22歳の樺美智子という東京大学文学部4年生が圧死したのである。
 しかし岸は強気だった。赤城宗徳防衛庁長官は、ついに岸からデモ鎮圧のために
 自衛隊出動の要請を受けたのである。

 岸:「赤城君、自衛隊に武器を持たせて出動させることはできないかね」

赤城:「出せません。自衛隊に武器を持たせて出動させれば力にはなるが、同胞同士で
   殺し合いになる可能性があります。そうなればこれが革命の導火線に
   利用されかねません」

岸:「それでは武器を持たさずに、出動させるわけにはいかないか」

赤城:「武器なしの自衛隊では、治安維持の点で警察より数段も劣ります。それに
   武器なしの治安出動という訓練も積んでいません。そんなことをして国民の間に
   『役立たない自衛隊ならつぶしてしまえ』という声が出てきたらどうします。
   私の在任中に自衛隊をなくさなければならなくなるような原因をつくるわけ
   にはまいりません。どうしてもといわれるなら、私を罷免してからにしてください」

 アイゼンハワー訪日は延期され、岸自身が総理としての責任を決意することでも
 あった。岸が「暴徒と化したデモ隊から死者」と言うように、「暴徒」という言葉で片付け
 られる事態だったと言えるだろうか。すべての出発点は、5月20日に新条約を強行採決
 したことに帰着せざるを得ない。新条約は国民の議論を無視した、数による「一党独裁」
 の議会政治の産物言い過ぎだろうか。岸は、「(5月19日、20日の)
 『やり方に賛成できない』というのであれば、ほかにどんな手段を示すことができた
 のであろうか。あのとき会期延長も採決もしなかったならば、安保改定は廃案になった
 であろう。その結果は単に岸内閣の進退にとどまらず、日米関係に重大な亀裂を生じ、
 我が国の国際的な立場は著しく低下したであろう」と言うが、それは後から持ち出した
 理由にしか思えない。
 新条約が重要問題であればなおさらだ。議会制民主主義を形骸化し、通していいものなど
 あろうはずがない。そのことをいちばんわかっていたのは、ほかならぬ
 岸自身ではないだろうか。

(まるで現在が、当時にタイムスリップしたような錯覚に陥ってしまう。筆者がお書きの
 ように、私には岸がこのようなことが解っていてしたのだと思う。だが晋三は、
 単に岸がしたのだから自分がしても許されるくらいにしか、事の重大さを理解して
 いないのではないだろうか)

(晋三の父、晋太郎の母の静子は安倍寛と離婚した後に、西村謙三と再婚し正雄をもうけて
 いる。つまり晋太郎には異父兄弟がいたのだ。西村正雄は早世した晋太郎に代わって、
 晋三の歴史観に対して仮借なき批判の言葉を遺している。2006年8月に73歳で死去)

 西村は2006年7月当時、小泉政権の官房長官に就いていた晋三に手厳しくこう憤った。
 「晋三は、小泉総理の靖国神社参拝を巡り、(小泉総理と同様に)『心の問題だ』という
  理屈を持ち出しているが、靖国神社参拝は『心の問題』ではない。歴史的事実の問題だ。
  1銭5厘の赤紙(召集令状)1枚で強制的に徴兵されて戦死した兵士と、戦争を主導した
  A級戦犯の職業軍人らが合祀(ごうし)されている靖国神社への参拝が、アジアだけ
  でなく、国際的にも『心の問題だ』という方便は通用しないということが晋三には
  全くわかっていない。

  戦死だけではない。南方では餓死が待っていた。軍部は負けるとわかっていながら、
  兵士を投入し大量の犠牲者を出した。1931年以降は侵略戦争だ。あの戦争で他国を
  侵略し、無差別に民間人を殺した。その事実を消すことはできない。

  戦後60年の2005年8月15日に、小泉総理は談話として、『我が国は、かつて
  植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の
  損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、
  改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する』と述べた。
  侵略戦争を認めているではないか。

  晋三はあの侵略戦争がわかっていない。晋三は靖国神社参拝へのアジア諸国の
  反発に対し『心の問題だ』というが、犠牲者が300万人だろうが。1人だろうが、
  侵略は侵略だ。歴史的事実を踏まえてけじめをつけなければいけない」

 西村の中であの戦争は決して終わってはいなかった。ましてや異父兄の晋太郎の
 息子である晋三が靖国神社参拝に同調していることは、西村にとって到底
 許しがたいことだった。
 
 西村が晋三に出した手紙
 「偏狭なナショナリストと離れろ。世間では『戦争好きの安倍が総理になったら、中国や
  韓国との関係が悪くなる』との見方がある。靖国神社の付属施設
  『遊就館(ゆうしゅうかん)』では、太平洋戦争はルーズベルト米大統領に騙された
  陰謀だというビデオが上映され、戦争を美化して正当化しているのだ。
  『リメンバー・パールハーバー』の精神が生きている米国でも、靖国神社は
  軍国主義の社(やしろ)と捉えられている。国家を誤らせる偏狭なナショナリストとは、
  一線を画すべきじゃないか」

 西村はコピーを私に渡しながら、こう語気を強めた。「晋三は昭和史を知らなすぎる。
 歴史から学んでいない。政治家の言葉は重いものだということをもっと知るべきだ」

 祖父にA級戦犯容疑者で、訴追を免れた岸信介元総理を持つ晋三は2006年
 8月15日の会見で、「日本において彼らが犯罪人であるかといえば、それはそうでは
 ないということなんだろう」と答え、「犯罪人」扱いすることを認めなかった。
 戦争責任についても、晋三は会見で「戦争指導者の方々に一番重い責任があるのは
 事実だ」としつつ、
 「(戦争責任は)歴史家が判断すべきことではないか」と述べたという。

 西村は亡くなる直前、東京新聞(2006年8月19日付)の取材にも応じこう
 語っていた。
 「(西村は)兵器や遺品を展示する(靖国神社)境内の博物館『遊就館』の展示に、
  時代を引き戻さ  れたように感じたという。『八紘一宇(はっこういちう)や
  大東亜共栄圏など、僕たちが小学校で習っていた戦時中の歴史じゃないか』
  『先の戦争を肯定し、A級戦犯は「昭和殉難者」だと言うのは絶対に許せない』。
  口調は厳しかった。

  A級戦犯については『「犯罪人」という言葉に抵抗があるなら、310万人の同胞を死に
  追いやった戦争責任者と言い換えてもいい』と言った。そして『殉難者という表現は
  1銭5厘の赤紙1枚で召集された戦没者にとっては耐え難いのでは・・・』
  『日本人自ら侵略の歴史を検証し、靖国に祭られている大勢の被害者と軍部など
   加害者を明確に分け、加害者の戦争責任の軽重をはっきりさせるべきだ』と訴えた。

 晋三は2013年12月、総理(第二次)に就いて初めて靖国神社を参拝した。
 父・晋太郎の弟だった西村正雄の遺言を、晋三は一顧だにすることは
 ないのだろうか。(引用ここまで)

(西村正雄氏の言葉は重い。安倍晋太郎氏が西村氏が生きていたら、息子に、甥に、
 どのような言葉をかけるのだろうか)


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023:柱(梅田啓子)

2015-03-23 09:24:21 | ⑥題詠blog2015
戦いに死して柱と数えられ神になりたり 若人(わこうど)のまま


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022:砕(梅田啓子)

2015-03-23 09:19:04 | ⑥題詠blog2015
砕けたるグラスが元に戻るごと巻き戻したしあの日の夜に

砕けたるグラスが元に戻るごと巻き戻したいあの日の夜に (推敲)

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021:小(梅田啓子)

2015-03-23 09:12:58 | ⑥題詠blog2015
ごちそうをお仏壇へと供えたり小さきわれのひとひの仕事


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020:亜(梅田啓子)

2015-03-22 09:07:26 | ⑥題詠blog2015
鏡餅のようにどつかり坐ってた ちゃぶ台返しの小林亜星


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019:靴(梅田啓子)

2015-03-21 10:03:27 | ⑥題詠blog2015
おびただしき靴の積まれし収容所 なまあたたかき記憶もつ靴


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018:救(梅田啓子)

2015-03-21 09:54:03 | ⑥題詠blog2015
藻のからむ沼に落ちゆくわが足が救われたしとつよくつよくと

藻のからむ沼に落ちゆくわが足が救われたいとつよくつよくと(推敲)



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街場の戦争論 1

2015-03-17 12:00:31 | ⑤エッセーと物語
内田樹(たつる)著『街場の戦争論』を読む。
          ↓
https://honto.jp/netstore/pd-book_26390417.html          

付箋をつけていったら、付箋だらけになってしまった。
特に心に残った内田さんの言葉を書き記して置こうと思います。

 「日本は戦争でいったんは灰燼(かいじん)に帰したけれども、その後奇跡の成長によって
 みごとに復活を遂げました」という話を僕は信じません。
 日本人はあの戦争によって取り返しのつかないくらい多くのものを失った。
 それはもう少し知恵と気づかいがあれば守れたものでした。
 それを日本人は惜しげもなく投げ捨ててしまった。僕はそれが口惜しい。

 【日本人は戦争に負けることによって何を失ったのか】
 今こそ、それをきちんと数え上げてゆく必要があると思います。もちろん、
 「価値あるもの」で戦争を生き延びたものはたくさんあります。
 敗戦以後に新たに獲得したすばらしいものもたくさんあります。
 でも、決定的に失われたものがある。
 それをきちんとリストアップするという作業はどうしても回避できない。
 不毛な作業ではありません。
 それは喪(も)の儀式に近い。それをしないとほんとうの意味での戦争は終わらない。

 「韓国に対する謝罪をいつまで続ければいいのですか?」という質問を受けましたので、
 「相手が『もういい』と言うまで」と答えました。実際にドイツの大統領はそうしています。
 かつて占領国に行くたびに、ドイツ大統領は第二次世界大戦の戦死者の墓地に詣(もう)でて
 献花をして、ドイツ国民を代表してナチスの所業についての謝罪をしています。
 ユーゴスラビアに行って謝罪し、ギリシャに行って謝罪し、ヨーロッパ中どこの都市でも
 謝罪し続けています。ほとんどそれが大統領の主務であるかのように。
 戦争が終わって70年経っても、この謝罪の儀式は終わらない。
 戦争に負けるというのは、「そういうこと」です。

(謝罪し続けることは他国のためだけではなく、自国のためでもあると考えます。
 戦争を記憶し続けることによって、同じ過ちを繰り返さないということを将来にわたって
 意識し続ける、未来志向の考えであると、私は思います)

 僕たちが敗戦で失った最大のものは「私たちは何を失ったのか?」を正面から問うだけの
 知力です。あまりにひどい負け方をしてしまったので、そのような問いを立てる気力さえ
 敗戦国民にはなかった。その気力の欠如が戦後70年続いた結果、この国の知性は土台から
 腐蝕してきている。ですから、僕たちはあらためて、あの戦争で日本人が何を失ったのか
 という痛々しい問いを自分に向けなければならないと思います。

(戦後生まれだからとか、学校で現代史を習わなかったから、という言い訳は通じない)

 あの敗戦で日本人は何を失ったのか、それを問わずにきたせいで、僕たちの国は今
 「こんなふう」になっている。戦争から何も学んでいない人たちがもう一度
 日本が戦争できるような仕組みにこの国を作り替えるために必死になっている。
 それに喝采を送っている人たちが少なからずいる。
 戦争から僕たちは何も学ばなかった。「戦争はもういやだ」というような生理的な嫌悪感は
 あったでしょうけれど、皮膚感覚だけでは、日本が「国として失ったもの」が何であるのかを
 理性的な言葉で語ることはできない。失ったことを自覚できなければ、それから後も今も
 失い続けているものが何かを語ることもできない。

 優越していたはずの日本海軍が米軍に惨敗したのは、凡庸な指揮官による戦術的拙劣という
 人為的なファクターが主因ですが、それ以前に自国にとって楽観的な情報だけを選択的に
 聞き入れて、リスクを過小評価するという日本軍の思考上悪癖がすでに取り返しのつかない
 ほどに戦争指導部を蝕んでいたことが敗因でした。

(この構造は、福島第一原発事故においても、全く同じことが繰り返されている)

 「戦後レジーム」という言葉に彼らがどのような定義を与えているのか、首尾よくそこから
 脱却した先に「どこ」に着地するつもりなのか。そのイメージが
 まったく僕には伝わってこない。
 ただ「戦後レジーム」とか「美しい国」とかいう記号だけしかそこでは行き交っていない。
 僕が「戦後レジーム」と呼びたいのは、今の首相を2度政権の座につけた
 【レジームそのもの】のことです。
 首相自身が端的にわれわれが脱却すべきレジームの徴候なのです。
 彼が今おこなっている政治活動そのものがまさしく「戦後レジームの最終形態、
 そのグロテスクな完成形」以外の何ものでもない。(引用ここまで)

(「戦後レジームからの脱却」という修辞ではなく、「戦前回帰」という言葉が
 ふさわしいと、私は思う)

元自衛官だった泥憲和さんは、次のように書いています。

「もの凄い勢いで、自衛隊員が退職しています。
 空室なしで10号棟まであった自衛隊官舎が、みんな立ち退いて、空き部屋だらけ。
 今の政権が続いたら、もう『徴兵制』は間違いないでしょうね。
 どうやら、安倍晋三自民党政権になって、『集団的自衛権』を強引に推し進めた辺りから、
 夏のボーナスを最後に退職する自衛官が激増したらしいです」。(引用ここまで)

(戦争は起こるべきして起きるというよりも、条件が整えば、知らず知らずに
 巻き込まれてしまうことがあるということを、歴史が教えている。
 そうならないためには、しっかり政権を監視して、国民一人ひとりが
 意思表示をしていかないと、ご自分が、ご自分の子どもたちが、そしてその配偶者が、
 孫たちが、戦争に駆り出されるということが実際に起こり得ると、私は考えます)
2につづく

追記1
2015年3月22日、防衛大学校の卒業式が行われた。
卒業生は472人だが、任官辞退者は去年より15人増えて25人に上っている。
任官辞退者が10人から25人に増えた現実を、安倍首相はどう考えるのか。
彼らが入学した時には、「集団的自衛権の行使」という条件は無かったのだから、
これからますます辞退者は増えていくのではないだろうか。
(2015年3月24日 記)

コメント (2)
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街場の戦争論 2

2015-03-17 11:59:48 | ⑤エッセーと物語
 映画監督のオリバー・ストーンが広島に来て講演したときに、こう言っていました。
 日本には豊かな文化がある。映画もすばらしい、文学もすばらしい、食文化もすばらしい。
 でも、あなたがたの国には、かつて高邁(こうまい)な道徳や平和のために立ち上がった
 総理大臣がひとりでもいたか、と。

 「あなたがたはアメリカの衛星国(satellite state)であり、
  従属国(client state)である。
  経済的には大きな実力を持っているにもかかわらず、あなたがたは
  いかなる立場も代表していない(you don't stand for anything)。」

 アメリカの国益を配慮して、日本人が戦後これだけ長い間アメリカに尽くしてきたのに、
 当のアメリカ人はこの「従属国の忠義」に一片の感謝も敬意も抱いていない。
 オリバー・ストーンはそうにべもなく告げました。われわれはそのことに
 もっと衝撃を受けるべきだと僕は思います。

(安倍首相は、日本国憲法がアメリカから押し付けられたみっともない憲法だと言っている。
 だがその彼が実際にしていることは、アメリカに都合のよい政策ばかりを
 取っているように、私には思えてならない。そして自国よりもアメリカの国益に
 配慮する安倍首相が、右翼と呼ばれる人々に支持されていることが、
 私には不思議でならない)

●安倍首相が日本国憲法を「押しつけ」だと言う理由が理解できた。
 2015年5月3日(憲法記念日)の朝日新聞の社説によると

「憲法が一から十まで米国製というわけではないし、首相も誇る戦後の平和国家として
 の歩みを支えてきたのは、9条とともに国民に根をはった平和主義で
 あることは間違いない。
 一方で天皇主権の下、権力をふるってきた旧指導層にとっては、国民主権の新憲法は
 「押しつけ」だったのだろう。
 この感情をいまに引きずるかどうかは、新憲法をはじめ敗戦後の民主化政策を
 「輝かしい顔」で歓迎した国民の側に立つか、「仏頂面」で受け入れた
 旧指導層側に立つかによって分かれるのではないか。」(引用ここまで)

(安倍首相が言う「押しつけ」とは、占領軍が作ったからというだけではなく、
 それまで権力をふるってきた旧指導層にとっての「押しつけ」だったのだろう。
 そしてその考えを、安倍首相は今も持ち続けているのは驚きだ。)
(2015年5月3日 記)
  
 小泉純一郎はイラク戦争がアメリカの国益を増大するのか減殺するのかを考量する
 ことなく、「アメリカが決めたことなら支持する」という「従者の忠節」ぶりを
 国際社会に誇示して見せました。

 2013年6月に安倍首相が参院予算委員会で「安倍内閣は村山談話をそのまま
 継承しているわけではない」という発言をした直後にその発言そのものを
 撤回するという「事件」がありました。
 (日本のメディアはこの事件の重要性をみごとに黙殺しましたが)。
 官房長官は「中国韓国に配慮したため」という説明をしましたが、・・・・
 でも、日本ではその弁明が通りました、誰も首相の食言を咎めなかった。

 それは「発言を撤回しろ」と「命令」したのがアメリカだということをみんな
 暗黙のうちに知っていたからです。中韓の反発は無視できるが、アメリカからの
 命令は無視できない。
 そして、その場合に「アメリカからこういう命令がありましたので、撤回します」とは
 決して口に出すことができない。それだと日本は主権国家ではなく、アメリカの
 従属国であることを国際社会にも国民にも公言することになるからです。
 重要政策が一夜にして転換したときに、「誰の干渉でもない、気が変わったのだ」
 という言い訳を総理大臣が平然と口にして、それを誰も咎めない。
 【こういうことが起きる国を従属国と呼ぶのです。】

(当時、私はアメリカからの圧力ということは知っていたが、却って波風が立たずに
 良かったと思った。だが、こういうことだったのか)

 「戦後レジームからの脱却」というのは、本来の意味は
 「従属国からの脱却」ということです。
 「美しい国へ」というのは「主権国家へ」ということです。その目的は正しいと
 僕も思います。でも、その目的を実現するために採用されたのが
 「アメリカへの徹底的な従属を通じてのアメリカからの自立」という
 伝統的戦略の繰り返しであるなら、何の意味もない。
 「従属を通じての自立」という発想そのものが従属国マインドのもっとも徴候的な
 かたちだということになぜ彼らは気づかないのか。

 キューバにはアメリカのグアンタナモ海軍基地があります。キューバは、
 これはキューバの固有の国土だから返還してほしいとずっと要求をしています。
 でも、アメリカは返さない。
 沖縄とグアンタナモは外国軍隊が「合法的」に占拠しているというありようを
 見るとよく似ています。
 でも、日本は何千億円という「おもいやり」予算をつけて占領者を厚遇している。
 日本がアメリカの軍事的従属国であるという「現実」をまっすぐみつめているのは
 沖縄県民だけかもしれないと僕は思います。

(普天間基地の移設問題にしても、政権は沖縄県知事と会おうともしない。
 選挙での沖縄県民の民意は、ことごとく無視される。政権はアメリカと対等に交渉する
 権利を自ら放棄してしまっているので、翁長知事と会えないのだ)

 改憲草案の主目的は「九条を廃止して軍事的フリーハンドを獲得する」ことです。
 とりあえずそれが最優先課題です。
 政府がめざしている「軍事的フリーハンド」とはどういうものなのでしょうか。
 厳密に言えば、これは「フリーハンド」ではありません。というのは、
 日本はアメリカの世界戦略を後方支援する同盟軍として世界各地の紛争に
 アメリカの従属的ポジションでコミットするしかできないからです。
 3につづく

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街場の戦争論 3

2015-03-17 11:58:57 | ⑤エッセーと物語
 憲法が行政府を掣肘(せいちゅう)することをこれほど嫌う憲法草案というのは、
 憲法学史上でも希有(けう)のものではないかと僕は思います。
 つまりこの憲法草案は、逆説的なことですが、【憲法ができるだけ機能しないことを
 めざす憲法草案】なのです。

 自民党の改憲案は「官邸が国会より憲法より上位に立つ」統治体制を理想とする
 人々の作品です。
 その意味では、この改憲案は近代市民革命以来の民主化努力の果実を
 ことごとく否定しています。
 フランス人の人権宣言より、アメリカの独立宣言よりはるかに前近代的なものです。

(街場の戦争論1で、「戦後レジームからの脱却」というより「戦前回帰」の方が
 ふさわしいのではと書いたが、どうやら「18世紀に回帰」したいようです)

 問題は、どうしてこのような時代錯誤的な憲法を彼らが切望しているのか、
 そのことの【現実的な】理由です。それほど複雑な話ではありません。
 彼らが独裁的な政体を民主制よりも好ましいと感じるのは、
 【そのほうが経済活動にとって効率的】だと信じているからです。
 国家は株式会社のように組織されるべきであるというのが自民党安倍政権の考えです。

 彼らは立憲政治と民主主義が嫌いなのですが、別に確たる政治イデオロギーがあって
 嫌いなのではなく、その効率の悪さに耐えられないのです。非効率が嫌いだという気分が
 僕にはわからないではありません。というのは、もう現代人は組織というと株式会社しか
 知らないからです。

 日本の改憲派の人たちの理想はシンガポールです。彼らだって別に特に独裁制という
 政体が好きなわけじゃないと思います。でも、独裁制のほうが民主制より効率的
 経済活動に有利である。
 だったら民主制じゃなくていい。民主制じゃないほうがいい。そういうふうに
 推論している。
 選択肢は「民主制か独裁制か」ではないのです。「民主制か金か」なんです。
 そして、日本人の相当数はこの問いに対して「金」と答えようとしている。

 民主制も立憲主義も【意思決定を遅らせるためのシステム】です。
 政策決定を個人が下す場合と合議で決めるのでは所要時間が違います。
 それに憲法はもともと行政府の独走を阻害するための装置です。
 民主制も立憲主義も「ものごとを決めるのに時間をかけるための政治システム」です。
 だから、効率をめざす人々にとっては、どうしてこんな「無駄なもの」が
 存在するのか理解できない。

 メディアも理解できなかった。そして「決められる政治」とか「ねじれ解消」とか
 「民間ではありえない」とか「待ったなしだ」とかいう言葉を景気よく流した。
 そうこうしているうちに、日本人たちは「民主制や立憲主義は、
 『よくないもの』なのだという刷り込みを果たされたわけです。

(安倍政権はまるでジェットコースターのような速さで、次から次から政策を
 打ち出してくる。きちんと時間をかけた議論をせずに、閣議決定だけで日本を
 好きなように変えようとする。
 どなたかが書いていましたが、まるで「改革の食い散らかし」のようだ)
 
 安倍政権は「経済成長に特化した国づくり」をめざす現代日本人の欲望を巧みに
 掬い上げ高い支持率を誇っています。でも、そこに逆に大きな
 ピットフォール(隠れた危険)もあると思います。
 それは「成長に特化した会社経営」はありうるけれど、「成長に特化した国家統治」と
 いうものはありえないということです。この自明の真理にこの人々は
 どうやら気づいていない。

 株式会社がどれほど劇的な失敗をしても、それがもたらす被害は「株主の出資額」を
 超えることはありません。でも、国民国家ははそういうわけにはゆきません。
 失敗のツケは「出資した分」では済まない。【国民国家は無限責任組織だから】です。
 政府がその失敗によって国民国家に大損害を与えた場合、その被害について国民は
 理論的には未来永劫に償い続けなければならない。
 それは日本の現状を見ればあきらかでしょう。

 念押しするまでもないことですが、国民国家の目的は「成長すること」ではありません。
 あらゆる手立てを尽くして生き延びることです。あらゆる手立てを尽くして国土を守り、
 国民を食わせることです。国民国家は文字通り「石にしがみついてでも」
 生き延びなければならない。国土が焦土と化しても、官僚機構が瓦解しても、
 国富を失っても、人口が激減しても、それでも生き延びなければならない。
 国家はそのための制度です。

(政権を担っている時だけ景気が良ければいい、国の借金は次世代に回せばいい、
 その間だけ原発事故が起きないことを願い、核のゴミをなんとかやり過ごせればいい、
 といったものではない。
 目先の内閣支持率ばかり気にせずに、長期的な展望を示してほしい。
 最近の異常な株価上昇は心配だ。株価の上昇=景気の良さでないことは、
 火を見るより明らかだ。
 これまで以上に公的マネー(国民年金、厚生年金、、共済年金、かんぽ、ゆうちょ、日銀)
 を株につぎ込み、株価を上げる。だが、いつまでも続けられるわけではない。
 こんなリスキーなことに、私たちの年金が使われていいのだろうか。
 損失がでて私たちの年金が目減りした時の責任は、誰が取るのだろう)
 4につづく

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街場の戦争論 4

2015-03-15 17:08:11 | ⑤エッセーと物語
 日本の特定秘密保護法は防諜関係の法律としてきわめて質の低いものだと僕は思います。
 わざわざ立憲政治や民主主義を傷つけるような法律を防諜のために作っておいて、
 それが防諜的にまったく機能しないものであるということがこの法案立案者の愚鈍さを
 表しています。僕の結論は「日本は諜報活動ができない国だ」というものです。
 機密がひたすらアメリカに漏れ続けるだけで、見返りにアメリカから「ジャンク」な
 情報しか入ってこない。
 そういう非対称的な情報交換がおこなわれている。その現状を固定化するために、
 さらに法律まで作ってみせた。日本というのはそういう国なんです。

 そういう国でもなんとか平和にやっていけているのは、これはもう誰が何と言っても
 九条のおかげです。改憲だ、秘密保護だ、海外派兵だというような平和ボケした
 政策に熱中できるのは、とりあえずどこからも国境が侵犯されるおそれがないし、
 テロも起こりそうもないと毎日枕を高くして眠っていられるからです。
 「交戦権を放棄した」国に宣戦布告する国はありません。あっても、国連加盟国
 の中でそれを支持する国はありません。九条があるかぎり、日本に対して
 「こちらが先制攻撃をしなければ日本がわが国に侵略してくる蓋然性があった」と
 いう言いがかりをつけることのできる国はどこにもありません。
 日本はその恩恵に二世代、七十年間浴してきました。そして、それがどれほど
 「ありがたい」ことかを忘れてしまった。

 (2020年オリンピック招致で)東京の際立ったアドバンテージが「安全」に
 あったことは誰にもあきらかでしょう。なぜ、そんな当たり前のことをメディアは
 放送しないのか。理由は簡単です。
 それを口にしたら、「なぜ、東京だけは例外的に安全なのか?」という問いが
 続くに決まっているからです。それに対して「日本政府がこれまで海外の紛争に
 軍事介入したことがないので日本を標的にするテロ組織が存在しない」と答えるしかない。

 日本でテロのリスクがきわめて低いのは、日本が海外の紛争に軍事介入して
 こなかったからです。
 そして、軍事介入しなかったのは、日本国憲法第九条がそれを禁止していたからです。
 招致成功の最大の理由は「憲法九条」の効果です。でも、招致派の人たちは誰も憲法に
 対する感謝を口にしませんでした。
 安倍首相をはじめ招致派のほとんどが改憲派です。自分たちが否定している当の平和憲法
 から恩恵を受けながら、それをまるで自分ひとりの手柄であるかのような顔をして、
 招致「成功」の勢いを借りて平和憲法を廃絶しようとしている。
 大恩ある日本国憲法に対するこの「忘恩」の態度に僕は我慢がならない。

 集団的自衛権の行使容認によって、日本がアメリカに随行して海外での軍事活動に
 コミットする可能性が高まってきました。このまま事態が推移すれば
 (安倍首相が近い将来失権しなければ)、
 日本政府はアメリカの要請があれば、海外派兵に踏み切るでしょう。
 そして、おそらくはイラクかアフガニスタンかシリアかイスラエルか、
 中東のどこかでイスラム組織を相手に戦闘行為をおこなう。戦闘員だけでなく、
 非戦闘員も殺し、都市を焼く。

 彼らが日本に攻めてきたわけではありません。日本が勝手に彼らの土地に入り込んできて、
 彼らの同胞を殺している。
 戦争というのはどちらかが正しく、どちらかが間違っているから始まるのではなく、
 「どちらも正しい」から始まる。だから、戦時国際法は戦争行為そのものについては
 正否を論じないのです。

 今後、集団的自衛権を発動して、日本がイスラーム圏でアメリカの軍事行動に帯同
 した場合、日本はイスラーム過激派のテロの標的になるリスクを抱え込むことになります。
 そのことが高い確率で見通せるにもかかわらず、安倍首相とその周辺が前のめりに戦争に
 コミットしようとしているのはなぜか。
 半分は安倍首相という個人のパーソナリティに起因していると思います。
 「戦争がしたい」という個人的な理由があるでしょう。でも、それは個人の
 無意識の領域で起きている出来事ですから、われわれには関与のしようがない。
 けれども、そのような無意識的欲望が政策的に展開するのは、
 それとは違うもっと実利的な理由があります。経済成長です。

 日本にはもう経済成長の余地がありません。これはすでに何度も書いてきたことです。
 それでも無理やり成長させる手立てがまったくないわけではない、
 それは「無償で手に入るもの」をすべて「有償化」することです。
 今ならただかただ同然で手に入るものを市場で商品として購入しなければ
 ならない事態にすれば、消費活動は活性化し、貨幣の運動は加速し、
 経済成長率は跳ね上がります。

 それは経済成長率の高い世界の国々のリストを見ればわかります。2013年の
 経済成長率世界一は南スーダンです。・・・理由は簡単です。
 長く続いた戦乱がいったん収まると人々は破壊された市民生活を取り戻すためには、
 生きていくために必要なものをすべて市場で調達しなければならなくなるからです。
 住む家も着る服も家財道具も、むろん食糧も水も医薬品も文房具も書物も、
 すべて買い揃えなければならない。経済が活性化するのは当然のことです。

(内田さんも私も、1950年生まれです。この年の6月に朝鮮戦争が勃発しました。
 戦後たった5年での朝鮮戦争特需で、日本は飛躍的な経済成長を遂げました。
 このことをかんがみても、戦争が経済効果をもたらすという考えは
 否定できないと思います)

 今の政権は経済成長のことばかりを問題にして、ストックについては言及しない。
 でも、日本は世界でも例外的に豊かな国民資源に恵まれている。たとえば、
 森林資源、水源、大気、治安、医療、教育、ライフライン、交通網、通信網。
 そういうものが整備されている
 おかげで僕たちは無用な出費をせずに済んでいるわけです。
 でも、経済成長のためには「安定したストックがある」ことはむしろ邪魔になる。
 たとえば、日本は治安がよいわけですが、これは治安が悪い状態(たとえばテロのリスク
 がある状態)にすれば、人々は金を出して安全を買わなければならなくなる。

 今、安倍政権は原発事故の処理がまったく進んでいない段階でありながら、
 原発をなんとか再稼働しようと懸命です。国民の健康や国土の保全よりも経済成長率や
 株価を優先している。
 でも、「命より金が大事」というのは典型的な「平時モード」の発想です。
 国民の相当数が原発事故処理の現状を「非常時」「異常事態」とみなしているときに、
 政府はこれを「平時」「よくある事態」とみなして、実際にそうアナウンスをしている。
 つまり、政府のほうが民間よりも平時/非常時の切り替え基準が「甘い」ということです。

 ということは、これから先、何か危機的事態が起きた場合に、国民が
 「たいへんなことが起きた。
 緊急避難的行動を取るべきだ」と感じたときにも、政府は「平気です。安全です。
 何でもありません。ふだん通りに行動してください」と言って、事態を鎮静させ
 ようとする。必ずそうなります。
 「ここが国運の切所(せっしょ)というときにはきっぱりと「金よりも命が大事」
 「株価や成長率よりも国民の命と国土の保全が優先」という「非常時モード」に
 切り替えてもらわなければならない。果たして今の政府にそれができるか。
 僕はできないと思います。

(この本は、2014年10月20日初版発行です。これ以後、
 いろいろなことがありました。
 エジプトにおける安倍首相の演説、そして「イスラム国」による湯川遥菜さんと
 後藤健二さんの殺害。たった5か月で日本を取り巻く環境は、これまでとは
 比較にならないほど厳しさを増しています)

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核のゴミをどうするのか

2015-03-12 10:25:55 | ②一市民運動
2015年3月11日「報道ステーション」で、核のゴミの最終処分について特集していた。
世界で唯一の高レベル放射性廃棄物の最終処分場であるフィンランドのオンカロ。
地震や火山の心配がなく、地層の良さから最適地といわれてきた。
そのオンカロでさえ、地層に亀裂が入り、地下水に悩まされている。
岩塩の地層に処分したドイツでも、岩塩層に地下水が入り、想定外の汚染が始まっている。

フィンランドでは、核のゴミの最終処分場のめどが立たない内は、原発を作ることが出来ない。
原発事業者は、建設・運営・処分まで責任があるのだ。
インフラ工事が進むハンヒキヴィ原発建設予定地。
この新しい原発は核のゴミの行き先が決まらず、建設を断念する可能性がある

オンカロではトンネルを総延長70キロまで掘り進めるという。
使用済み核燃料を再処理せずに、そのまま容器に入れて420メートルほどの深さに埋める。
予定では2022年に埋設を始めて2120年代に完了するという。
その後、施設自体を埋め戻して閉鎖する。放射線量が安全なレベルに下がるには10万年かかる。
このオンカロでさえ、実際に核のゴミを埋める穴ではなく、地層が本当に大丈夫かを
調べるための試験的な穴を掘削している段階だという。
オンカロでも、今の処分技術では安全でないと自覚している。
オンカロでの処分が決まっているのは6基。
日本では50基以上の処分が未定だ。(引用ここまで)

こんな途方もない事業を、地震国、火山国、そして津波の心配がある日本で出来るのか。
日本は水源が豊富で、地下を掘れば水が出る。とても核のゴミを保管する条件を
満たしているとは言えないのではないだろうか。

番組の中で宮沢洋一経産大臣は、
【原発の再稼働と最終処分場の問題はリンクしない】と言った。
リンクしないとはどういう意味なのだろう???
電事連会長で、関電社長の八木誠氏は
【(それはそれとして)再稼働する】と言う。
リンクしないとか、再稼働するとか、無責任過ぎませんか?

さまざまな条件を考えれば、原発ほど割に合わないエネルギーは無いと思う。
それでも再稼働に拘るのは、プルトニウムの軍事転用をお考えだからではないですよね?

※録画を忘れたので、細部に間違いがあったらお許し下さい。
 「TVでた蔵」を参考にさせて頂きました。

追記1
久しぶりに忌野清四郎さん(RCサクセション)の「カバーズ」を聴きながら書いています。
この方は先見の明があり、いち早く日本の・世界の危機を察知するカナリアのようだったと、
今更ながらに思います。
こちらから聴くことができます。
「RCサクセション サマータイムブルース〜LOVE ME TENDER (You Tube)」
         ↓
https://www.youtube.com/watch?v=aJdMa1VI0do

このCDは1988年8月6日に、当時の東芝EMIから発売予定でしたが、反核・原発撤廃を
歌っているということで、親会社の東芝から圧力がかかり発売禁止になりました。
その後、キティレコードから発売されています。
原発の事だけでなく、まるで「今の日本の現状」を歌っているように、
胸に迫るものがあります。
著作権の問題があるので、「サマータイム・ブルース」の最後の一節だけ。

 電力は余ってる 要らねえ
 もう要らねえ
 電力は余ってる 要らねえ
 欲しくない
 原子力は要らねえ 危ねえ
 欲しくない
 要らねえ 要らねえ
 電力は余ってるってよ
 要らねえ 危ねえ

この歌が作られた当時の原子力発電所は、「37個も建っている」でした
(2015年3月13日 記)

追記2
日本人の学生が、福島の子どもを描いたアニメ「Abita(あびた)」が
国際賞を受賞しました。(下のYou Tube から観ることができます)
               ↓
https://www.youtube.com/watch?v=KOlE6JxQ4us

外国で認められても、日本では報道されません。
ブックマークに入れましたので、是非、ご覧ください。
(2015年3月14日 記)

追記3
NHKBSプレミアムで、忌野清四郎さんの番組が二夜連続で放送されます。
●5月2日(土)夜10:00~10:59
 「名盤ドキュメント」RCサクセションが、1976年に発表したアルバム
 「シングル・マン」を取り上げる。
●5月3日(日)夜10:00~10:59
 卒業した都立日野高校を舞台にしたドラマで、リリー・フランキーさんが出演する。

忌野清四郎とリリー・フランキーは確かに似ている。
(2015年4月19日 記)
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秘密にしなければならない理由

2015-03-11 10:32:59 | ②一市民運動
2015年3月7日の「報道特集」は、東日本大震災直後に ”トモダチ作戦 ” に参加した
原子力空母「ロナルド・レーガン」の乗組員の訴訟を取り上げていた。

震災直後に、およそ2万4000人の米兵が被災地に派遣され、被災者の支援などにあたった。
2011年3月13日、福島第一原発から100海里(185キロ)離れた所を、
原子力空母は北上していた。
この日、福島第一原発3号機ではベントが3回行われ、海の方に大量の放射性物質が流れた。
乗組員5500人は、放射性プルームの中に入り始めたと考えられる。
このことに関する情報は、日本からは全くなかったという。

高い放射線量が確認されると、乗組員たちは甲板を洗浄したり、服を燃やしたり、
シャワーを浴びたりするよう命じられた。
また艦長からは、船の水は飲まないようにとの指示があったという。
船の水は、海の水から塩分を取りだして使っている。
だが、すでに水は使われていて、汚染された空気を吸ってしまっていた。

帰国後、歩行が困難になり車椅子を使って生活している人や、原因不明の頭痛や疲れ、
イライラに悩まされるようになった人がいる。
原発事故に関しての情報が得られないまま被曝したとして、乗組員250人が原告となり、
2012年12月、アメリカ連邦地裁に東京電力と原子炉メーカーである日立、
東芝に対して損害賠償請求する訴訟を起こした。
そして10億ドル(約1200億円)の被害者救済基金の設置を求めている。

2014年4月、アメリカ国防総省の報告書は、ロナルド・レーガンが福島沖にいた時の
1時間毎の放射線量、風向き、位置などを公表している。
だが、3月13日だけ空白のままで公表していない。

アメリカ国防総省の調査によると、4843人の乗組員の一部が、
健康状態の悪化を訴えたという。
悪性新生物(ガン)・・46人
甲状腺の疾患・・・・・・35人
呼吸器の疾患・・・・・931人
消化器の疾患・・・・・722人 

しかし米海軍広報は、ロナルド・レーガンは100海里以上の距離を保っていて、
被曝とは関係ないとしている。
また、訴訟に加わっている米兵の一人は、当時、殆どの人が艦内にいたので被曝していないと
書かれた書類に署名させられていた。
2015年3月12日に、カリフォルニア連邦地裁で実質的な審議に入る。(引用ここまで)

アメリカ国防総省は自国民を守る立場にあるのに、なぜ3月13日の記録を隠すのだろう。
また裁判では、東京電力や日立、東芝に対して損害賠償を求めているが、
なぜアメリカ政府や日本政府には求めないのだろう。
”トモダチ作戦”は、アメリカと日本との間で行われたことなのだ。

放射性物質はこれほどまでに秘密にしなくてはならない程、
人類にとって危険極まりないものだと、私は考えます。
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