今日のうた

思いつくままに書いています

朗読の時間 中原中也

2020-02-22 10:50:22 | ③好きな歌と句と詩とことばと
図書館で『朗読の時間 中原中也』を借りる。
篠田三郎の清潔感のある声で聴いていると、心が静まりゆくようだ。
好きな詩を引用させていただきます。

(1)生ひ立ちの歌
      I
        幼年時
    私の上に降る雪は
    真綿のやうでありました
   
        少年時
     私の上に降る雪は
     霙(みぞれ)のやうでありました

        十七ー十九
     私の上に降る雪は
     霰(あられ)のやうに散りました

        二十ー二十二
     私の上に降る雪は
     雹(ひょう)であるかと思はれた

        二十三
     私の上に降る雪は
     ひどい吹雪(ふぶき)とみえました

        二十四
     私の上に降る雪は
     いとしめやかになりました……
        
       Ⅱ

     私の上に降る雪は
     花びらのやうに降つてきます
     薪(まき)の燃える音もして
     凍るみ空の黝(くろず)む頃

     私の上に降る雪は
     いとなよびかになつかしく
     手を差伸べて降りました

     私の上に降る雪は
     熱い額(ひたひ)に落ちもくる
     涙のやうでありました

     私の上に降る雪に
     いとねんごろに感謝して、神様に
     長生したいと祈りました

     私の上に降る雪は
     いと貞潔でありました

(2)盲目の秋
        Ⅳ
     せめて死の時には、
     あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでせうか。
        その時は白粧(おしろい)をつけてゐてはいや、
        その時は白粧(おしろい)をつけてゐてはいや。

     ただ静かにその胸を披いて、
     私の眼に輻射(ふくしゃ)してゐて下さい。
     何にも考へてくれてはいや、
     たとへ私のために考へてくれるのでもいや。

     ただはららかにはららかに涙を含み、
     あたたかく息づいてゐて下さい。
     ーーーもしも涙がながれてきたら、

     いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、
     それで私を殺してしまってもいい。
     すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみぢ)の径(みち)を昇りゆく、

(3)骨
 
     ホラホラ、これが僕の骨だ、
     生きてゐた時の苦労にみちた
     あのけがらはしい肉を破って、
     しらじらと雨に洗はれ、
     ヌックと出た、骨の尖(さき)。

     それは光沢(つや)もない、
     ただいたづらにしらじらと、
     雨を吸収する、
     風に吹かれる、
     幾分空を反映する。

     生きてゐた時に、
     これが食堂の雑踏の中に、
     坐ってゐたこともある、
     みつばのおしたしを食ったこともある、
     と思へばなんとも可笑(をか)しい。

     ホラホラ、これが僕の骨ーーー
     見てゐるのは僕?  可笑(をか)しなことだ。
     霊魂はあとに残つて、
     また骨の処にやつて来て、
     見てゐるのかしら?

     故郷(ふるさと)の小川のへりに、
     半ばは枯れた草に立つて、
     見てゐるのは、---僕?
     恰度(ちゃうど)立札ほどの高さに、
     骨はしらじらととんがつてゐる。

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赤目四十八瀧心中未遂

2020-02-11 11:08:11 | ⑤エッセーと物語
貧乏人からは絞れるだけ絞り取り、富裕層や大企業には手厚く処遇する。
これでは格差が拡がるばかりだ。
最近、こうした格差社会を扱った映画が目につく。
ケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」、「万引き家族」、
「ジョーカー」、そして「パラサイト(ビデオ化されたら観ます)」・・・・・・。
観ていて胸が張り裂けそうになる。

この小説の主人公も、社会の底辺で生きている。
私は詩人の高橋順子さんの文章から、夫の車谷さんを知った。
車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ)著『赤目四十八瀧(あかめしじゅうやたき)
心中未遂』を読む。

尼崎にたどり着いた主人公は、老朽アパートの狭い一室で
一日中、病死した牛や豚の臓物を切り刻んで串に刺している。
エアコンのない部屋で、腐臭がきつい。
そこで生活するうちに、様々な職業の人間を知ることになる。
彫物師、元パンパンをしていた人、ヤクザなど。
私小説のジャンルに入るようだが、そこで繰りひろげられる生活は
まるで節穴から覗いているように生々しい。
臓物から発する腐臭が、今も頭の中にへばりついている。
寺島しのぶ主演で映画化されているようなので、観ようと思う。

映画を観た。
小説にないエピソードや自然描写があり、またお金の額が違っていたりして
このようにして映画化されるのか、と興味深く観ていた。
ところが段々違和感が生じてきた。
最初にあった乾いた感じは終わりになるにつれて、まるで純愛物のような
小説とはかけ離れたものになっていったのだ。
寺島しのぶも最初にあった凄みが消えて、可愛いキャラになってしまった。
分かりやすさを押し付けるあまり、電車の中で彼女がキャラメルを食べるシーンは
全くもって無用の長物、と思う。
こうした分かりやすさがないと、日本アカデミー賞はもらえないのでしょうか、
岡田裕介名誉会長殿。
(第43回日本アカデミー賞で、「新聞記者」が3賞に選ばれた。
 今年は気持ちのいい風が吹いたようだ。
 2019年12月24日のブログ「新聞記者」です。)
         ↓
https://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/4eebc8757947115ed0f6aea37392782c


その中で勢子ねえさん役の大楠道代は、小説の世界そのままに生きていた。
この映画には2つのポスターがある。
①のポスターにクレームが付いて、②のポスターになったのだろうか。
①は小説の世界にふさわしく、②はこの映画の最後のシーンのような
清らかな純愛物のようだ。
あんなに小説では臭いが充満していたが、映画では全く感じなかった。
映画の自然描写は、観光案内のようにきれいでした。






















(画像はお借りしました)

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ソローキンの桜、海を駆ける、あぜ道のダンディ

2020-02-03 16:18:13 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
阿部純子さんの3作品を観る。
 
(1)ソローキンの見た桜

日露戦争の時代に、日本初のロシア兵捕虜収容所が松山にできた。
日本は世界から認められたいがために、ハーグ陸戦条約に則って捕虜を扱おうとする。
「俘虜は博愛の心を以て取り扱ふへきものとす」、といった当時の日本人からは、
映画を観る限り、日本人としての「矜持」が感じられる。

ところが、現在の状況はどうであろう。
「荻上チキ・セッション22」で、入国管理センターに収容されている人たちの
酷い扱いを聴いたばかりだったので、その違いに衝撃を受けた。
以前、収容されていた人の話によると、急病でも医師に診てもらえない場合が多く、
症状にかかわらず、せいぜい市販のバファリンかオロナインを出されるだけという。
収容者に対しては一切の説明はなく、人権は認められず、精神的に追い詰めて
自発的に諦めて帰るような雰囲気を作ろうとしているようだ。
母国で生命の危険があるからこそ、危険を冒してまで日本に来たのに
憲法も国際人権も一切適用されていない。
【長期収容は、精神の殺人】だという。
これは1904年の松山の捕虜収容所のことではなく、茨城県牛久にある
入国管理センターなどの今の実態だ。
21世紀に、こんなことが通用するのか!
こんなことが世界に通用するのか!
オリンピックを開催する国として、恥ずかしくないのか!

話は逸れましたが、松山の捕虜収容所では、ロシア兵たちはある程度の
自由が認められていた。許可を得れば外出することも出来る。
この映画はロシア兵と看護を担っている日本女性の恋の物語だ。
その後、2人は歴史に翻弄されていく。
歴史を知らなくても解りやすく、また阿部純子の可憐さ、健気さが際立っている。

だが私には物足りなかった。
人間や歴史の闇にも光を当て、もっと物語を膨らませることが
出来たのではないだろうか。
あまりにも登場人物が善男善女で、性善説の見本のような内容に、
「もしかしたら日露合作なので忖度した?」と思ったほどだ。

(2)海を駆ける

この映画も日本とフランス、インドネシアの合作だ。
だが深田晃司脚本・監督により、のびのび作られたように感じた。
2004年のスマトラ沖地震による津波被害や、太平洋戦争の頃の
「バンダ・アチェ独立運動」が下地にある。私は歴史に疎いので調べると

ウィキペディアによると、アチェの独立運動とは

「1942年オランダ領東インド全域を占領した日本軍をアチェ側は当初解放軍として
 歓迎し日本軍も独立運動に着手した、のちの独立運動時に元日本軍がこの地で
 オランダ軍と戦闘になり死亡している。
 1949年インドネシアがオランダから独立すると、スカルノ大統領の政府は
 アチェを北スマトラ州に併合、アチェ人はこれを外国の占領とみなし抵抗した。
 このため、インドネシア共和国政府は1959年アチェを特別州とし、
 高度な自治を認めたが、抵抗運動はなお続いた」。  (引用ここまで)

インドネシアは多民族国家で、宗教もさまざま、また太平洋戦争で戦った記憶を持つ。
その海岸に記憶喪失の男が打ち上げられ、いろいろな奇跡を起こす。
歴史が分からなくても、宗教が分からなくても、風習が分からなくても、
その男の正体が分からなくても、そこに居合わせた人たちは、
彼を受け入れ、のびやかに生きている。
分からないなりに、風に吹かれているような、気持ちよく楽しめる映画だ。
この映画の中の阿部さんも、のびやかに生きている。

先日、「孤狼の血」を録画して観た。
ところが最初の場面の、豚小屋でのリンチに怖れをなして5分で削除してしまった。
あとで阿部純子が出演していることを知った。
彼女がどういった演技をしているか気になるが、観る勇気は私にはない。

(3)あぜ道のダンディ

石井裕也監督、光石研・田口トモロヲ主演。
この映画で阿部純子は吉永淳の名前で、光石の娘役で出ている。
武骨で一刻者の光石と、気が弱く心優しい田口との、中学からの友情を描いている。
このコンビが絶妙だ。
父子家庭で息子や娘とうまくコミュニケーションが取れない光石。
時に空威張りし、やせ我慢する光石を、田口がいつも受け容れている。
息子と娘の成長に戸惑いながらも成長する光石の姿に、なんだかホッとした。
映画の中で阿部純子は、いつも考えている。
それが彼女の演技をありきたりなものではなく、深みのあるものにしていると思った。












(画像はお借りしました)


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