今日のうた

思いつくままに書いています

性加害

2023-07-28 04:43:33 | ⑤エッセーと物語
今は深夜2時、67年前の出来事が蘇る。
それは小学校に入学して間もない頃のことだ。
小学校は国道51号線沿いにあり、当時は舗装されていなかった。
そのためダンプカーが通るたびに砂埃をあげるので、
後ろを向いて手で顔を覆わなければならなかった。
急な坂道を30分は歩かなければならないので、
3月生まれの私を父は心配していた。

あの日、友だち二人と下校途中のことだ。
急にトラックが止まり、男が親しげに話しかけてきた。「乗ってけよ」
友だち二人が笑っているので、私はてっきり二人の知り合いだと思った。
いくら小学一年生とはいえ、運転席に三人立つには狭い。
男は私に助手席に坐れと言う。二人は立ったままだ。
ここからは細部が不確かなのだが、男は運転しながら私の太腿に手を置いた。
ガムを噛んでいたのか「甘いだろう」と言って、私の口に唾液を入れた。
当時の私は一瞬のことで、何が起きているのか分からなかった。
その後、通学路より少し外れたところで降ろされた。
今にして思えば乗った場所と降りた場所は覚えており、男はずっと
運転していたので、車の中にいた時間は3、4分だったと思う。

その日の夕方に、家に警察官がやってきた。Tちゃんの親が通報したようだ。
私は何を聞かれても「ええとね、ええとね」としか言えなかった。
「この子はしっかりしてないし、Tちゃんの方がしっかりしているから
 Tちゃんに聞いた方が早いですよ」という母の言葉ははっきり覚えている。
そのTちゃんによると、国道沿いにおまわりさんが立っているのが見えて、
それで男は少し行った所で私たちを降ろしたのだという。
おまわりさんが立っていなかったら連れていかれるところだったそうだ。

このことを亡くなった両親以外は知らない。
子ども心にも「言ってはいけないこと」だと思っていたのだろう。
大人になっても自分が汚れるようで、私は誰にも言わなかった。
もしかしてあのことは、本当にあったことではないかもしれない、
と思ってもきた。
だがジャニー喜多川の性加害報道を観るにつれ、当時の記憶が蘇ってきた。
背中を蚯蚓が這いまわるような気持ち悪さだ。

被害者にも落ち度があると言う人がいるが、それは間違いだ。
「知らない人の車に乗ったアンタが悪い」という自己責任論は
加害者を利するだけだ。
何もわからない子どもへの性加害は、全面的に加害者が悪い。
子どもは悪くないし、それを周りに言えなかったとしても
何ら責められることはない。
67年前の出来事も、Tちゃんというしっかりした子がいたから
警察沙汰になったが、私一人では親にも言えなかったかもしれない。
その後も性加害者は見つかっていないが、今は死んでいるであろう男を
私は今も憎いし、絶対に赦さない!
子どもの頃には気づかなかった傷口が、67年経って「パカッ」っと
口を開くことがあるのだ。

これはこの国全般に言えることだが、隠蔽、言い訳、誤魔化し、先送り
からは何も生まれない。
ジャニー喜多川の永年にわたる性加害は決して赦されることではない。
全容が解明されることを強く望みます。
そして被害に遭われた人たちの傷が少しでも癒えることを祈っています。

コメント (2)
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