今日のうた

思いつくままに書いています

チェルノブイリ・ハート

2014-08-30 16:50:46 | ②一市民運動
チェルノブイリ・ハート(2003年アメリカのドキュメンタリー映画)を観る。
監督・制作はマリアン・デレオ。
2012年、日本でDVD化するにあたり、マリアン・デレオは冒頭で次のことばを贈っている。

       日本のみなさまへ
    私の映画をご覧いただく前に
  一編の詩をみなさまに捧げたいと思います
       トルコ生まれの詩人
   ナジム・ヒクメット(1902~63)による
      「生きることについて」

           1
      生きることは笑い事ではない
    あなたは大真面目に生きなくてはならない

   たとえば 生きること以外に何も求めないリスのように
   生きることを自分の職業にしなくてはいけない

     生きることは笑い事ではない
   あなたはそれを大真面目にとらえなくてはならない

         大真面目とは
   生きることがいちばんリアルで美しいとわかっているくせに
       他人のために死ねるくらいの
        深い真面目さのことだ

      真面目に生きるとはこういうことだ

   たとえば 人は70歳になってもオリーブの苗を植える
    しかしそれは 子どもたちのためでもない

     つまり 死を怖れようが信じまいが
      生きることが重大だからだ
      

           2
      この地球はやがて冷たくなる
    
    星々の中のひとつでしかも最も小さい星 地球
     青いビロードの上に光り輝く一粒の塵
         それがつまり
        我らの偉大な星 地球だ

     この地球はいつの日か冷たくなる
        氷塊のようにではなく
      まして死んだ雲のようにでもなく
    クルミの殻のようにころころと転がるだろう
         漆黒の宇宙空間へ

      そのことをいま 嘆かなくてはいけない
     その悲しみをいま 感じなくてはいけない
    あなたが 「自分は生きた」というつもりなら
     このくらい世界は愛されなくてはいけない
                         -ナジム・ヒクメットー

1986年4月26日、ソビエト連邦(現在のウクライナ共和国)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で
爆発が起き、190トンの放射性ウラニウムと放射性黒鉛を空気中に拡散させた。
のべ60万人のリクビダートル(清掃人)が駆り出され、大量の放射能を浴び、その後に
1300人以上のリクビダートルが亡くなった。
避難民の総数は40万人を超え、汚染地区内では2000以上の集落が廃村となった。
900万人もの生活を奪った。その半数が5歳以下の子どもたちです。

放射性降下物は、ウクライナ・白ロシア(ベラルーシ)・ロシアに拡がっていった。
(チェルノブイリから8000キロ離れた日本でも、放射性物質が確認された。
 当時は子どもが小さかったので、洗濯物を外に干すのが怖かった)
チェルノブイリの住民は、広島原爆の90倍もの放射能を体に受けている。

ひときわ大きな被害を受けているのは、子どもたちである。
ベラルーシ共和国・ミンスク市には、世界最大の甲状腺治療専門病院があり、
治療のための手術が行われている。だが子どもたちには病名は知らせていない。

現在も汚染された地域には多くの住民が住む。
チェルノブイリから200キロ範囲内の汚染地域では、ベラルーシ放射線学研究所の
科学者2人が、高校生たちの体内にあるセシウム137のレベルを計測していた。
1人の高校生を調べたところ、1キロあたり137ベクレルが検出された。
主な感染源は、キノコ・シカ類・野イチゴ・魚などである。
この高校生は、汚染されたキノコと野イチゴのジャムを食べていた。

放射能は人体の免疫システムと遺伝子に悪影響を与える。
ありとあらゆる心臓病やガンが発生する可能性がある。だが汚染された地域に住み続けるのは
なぜだろう。住民の一人は、次のように語っている。

 「生まれ育った故郷を捨てるのは嫌ですね。
  我々の魂がしみ込んだ土地です。見知らぬ場所に引っ越すのはつらい。
  だいいち、ベラルーシ国内でも、外国でも、仕事を変わるのは大変ですよ」

この住民は、汚染のレベルが低いということで、国からの支援を打ち切られている。
そして娘のターニャ(13歳)は、重度の心臓疾患を抱えていた。
この映画のタイトル「チェルノブイリ・ハート」は、ウクライナ人の心臓疾患を指している。
ターニャの心臓には、生まれつき二つの穴が開いている。
だが病院では、手術は不能と言われていた。

2002年、「チェルノブイリ子どもプロジェクト」は、恵まれない子どもたちに
人道・医療支援を提供すべく、ベラルーシ共和国を訪れていた。
アメリカの医師14名によるボランティア手術チームがミンスクを訪れ、
最重篤な子どもたちの心臓手術を行った。
ターニャも、右心室と左心室の穴を塞ぐ手術を受けることができた。
ゴアテックスでできたパッチを貼る手術だが、医師の平均月給が100ドル以下なのに対して、
パッチは1枚300ドルする。手術を受けたくても受けられないのが現状だ。

今回、ノヴァック医師のチームは、13人の子どもたちの手術を行った。
だが、年間300人の子どもたちが、心臓手術を必要としている。
順番待ちのこどもたちの大多数が、2年から5年の間に亡くなる。

アメリカの医師団の一人が、次のように語っている。
 
 「見ての通りどう受け止めてよいのやら 当惑しています
  私は職業を全うしただけ むしろ私のほうが彼らに感謝している
  何といおうか 彼らにとってはちょっとした「奇跡」だが
  私にすれば普段やっているのと同じ仕事だ こんなに感謝されると
  どうこたえたらよいのか 困ります

  なぜなら 私たちはこの子たちの将来に 責任を感じてますからね
  後年この活動の経験で自分も変わるでしょう
  でも子どもたちはきっと治る」

(日本は発展途上国に原子力発電所を輸出しようとしているが、将来、事故が起きても手術を
 受けられない子どもたちのいることを、安倍首相はじめ政治家は考えたことがあるだろうか。
 3・11が起きるまで、私たちは原発について余り知らされていなかった。
 政府は発展途上国の人々に、危険性も含めて原発についてど
 れだけ知らせるつもりなのだろうか)

国連の推計によると、汚染地区には いまなお600万人近くが居住を続けている。
1986年チェルノブイリ原子炉爆発事故は 放射性物質を含む雲を
ウクライナ北部からベラルーシ ロシアに拡散させた。
基準値をはるかに超える量の放射線量が 遠くスウェーデン・アイルランド・
ギリシャ・アラスカでも検出された。 
現在ベラルーシの国土の99%は 放射能に汚染されている。
(全てのデータの数値は、この映画で使われているものです)

最後にマリアン・デレオは、私たちにメッセージを贈っている。(省略)

※この映画は、2004年のアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞しました。
 また、2006年4月28日には国連総会で上映されました。
 ブックマークに入れましたので、興味のある方はブログの一番右下にある
 「チェルノブイリ・ハート」をクリックしてください。

追記1
ジョン・F・ケネディーの次の言葉は、言い得て妙である。

    我々は糸でぶら下がった核の下にいる
    事故・誤算・狂気がその糸を切断する 
                      (2014年9月4日 記)
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非常時のことば 震災の後で

2014-08-28 14:53:48 | ②一市民運動
高橋源一郎『非常時のことば 震災の後で』(2012年・朝日新聞出版)を読む。

この本は私の、足下が揺れているような頼りなさ、鬱屈した思い、何をしても楽しめない・前向きに
なれない気持ち、何でも疑ってしまう心、知らない間に自分が自分でなくなってしまったような自信の
なさ、焦燥・・・そういったものを代弁してくれているようで、読みながら涙が出た。

3・11までは、新聞は社会面と文化面、そしてテレビ欄と週刊誌の広告しか読まなかった。
短歌を楽しみ、そこそこ幸せだと思って暮らしてきた。
知らない間に、世の中が180度変わった。
誤魔化し、見ないふりをして来たことが、露わになった。
もう戻れない。知らなかったことには出来ない。
何もなかったようには暮らせない。楽しめない。続けられない。

何かことばがほしかった。信じられるものが欲しかった。
それまであまり読まなかった本を、手当たり次第に読んだ。
高橋さんの『恋する原発』(2011年・講談社)は、これでもかというくらい猥雑な言葉に満ちていた。
なんでここまで・・・読み終わって、わかった。
美しいことばのために、露骨で卑猥な言葉があった。

『非常時のことば 震災の後で』は、3・11以降、それまでのことばを失うことから始まる。
私の心に残ったことばを記します。

 ぼくたちは、ここでもまた、ジュネ(ジャン・ジュネ)の、このことばを思い出さなければならない。
 ことばは、なんのために存在しているのか。なにの役に立つのか。
 ことばは、そこに存在しないものを、再現するために存在しているのである。

 なにも問題がないなら、ぼくたちを抑圧するものがなにもないなら、ぼくたちに不満が
 なにひとつないなら、ぼくたちは、ことばを使おうと思うことさえないかもしれない。
 なにかを(ことばで)表現したいと願うのは、どうしても埋めることができない欠落が、
 ぼくたちの中に生まれるからなのかもしれないのである。

 私が確信をもって言えること、それは世の中の1%の人は危機を望んでいるということ
 です。人びとがパニックや絶望に陥り、どうしたらいいのか誰にもわからない、そのときこ
 そ、彼らにとっては自分たちの望む企業優先の政策を強行するまさに絶好のチャンスとな
 ります。教育や社会保障の民営化、公共サービスの削減、企業権力に対する最後の規制の
 撤廃。これが経済危機の只中にある今、世界中で起きていることなのです。
(「ウォール街を占拠せよー世界で今いちばん重要なこと」
 ナオミ・クライン「世界」2011年12月号)

 年月は、 人間の救いである。
 忘却は、 人間の救いである。
                     (『お伽草子』から「浦島さん」・太宰治)

 「あの日」から、多くの文章が読めないものになったのは、ぼくたちが、「死者」を見た
 からだ。いや、この目では見なかったかもしれないが、「死者」たちの存在を知ったから
 だ。ぼくたちが生きている世界は、ぼくたち生きている者たちだけの世界ではなく、そこ
 に、「死者」たちもいることを、思いだしたからだ。
 「上」を向く文章は、そのことを忘れさせる。「下」に、「大地」に、「根」のある方に向
 かう文章だけが、「死者」を、もっと正確にいうなら、「死者」に象徴されるものを思いだ
 させてくれるのである。

 私はみなさんが決して犠牲者になることなどないように望みますが、他の人々に対して権
 力を振るうこともありませんように。そして、みなさんが失敗したり、敗北したり、悲嘆
 にくれたり、暗がりに包まれたりしたとき、暗闇こそあなたの国、あなたが生活し、攻撃
 したり勝利を収めるべき戦争のないところ、しかし未来が存在するところなのだというこ
 とを思い出してほしいのです。私たちのルーツは暗闇の中にあります。大地が私たちの国
 なのです。どうして私たちは祝福を求めて天を仰いだりしたのでしょうー周囲や足下
 をみるのではなく?私たちの抱いている希望はそこに横たわっています。ぐるぐる旋回
 するスパイの目や兵器でいっぱいの空にではなく、私たちが見下ろしてきた地面の中にあ
 るのです。上からではなく下から。目をくらませる明りの中ではなく栄養物を与えてくれ
 る闇の中で、人間は人間の魂を育むのです。
             (「左ききの卒業式祝辞」アーシュラ・クローバー・ル=グレン)

 ある文章は読めて、別の文章が読めないのは、なぜだろう。
 それは、ぼくが、「病気」になってしまったからだろうか。大きな事件があって、その
 せいで、ぼくが「病気」になってしまったからだろうか。大きな事件があって、その
 せいで、(精神の)健康を害してしまったからで、自然に治癒するのを待っていればいい
 のだろうか。
 そう思った。
 しかし、なにも読めず、それでも、ぼんやり机に向かっていると、もしかしたら、いま
 までなんの問題もなく読めていたことこそ異常であって、こんな風に、ほとんどの文章が
 読めなくなってしまうことこそ正常なのではないか。そんな風にも思った。

 大きな事件があり、たくさんの「死」があった。「死」というものが、そんなにも、身
 近にあることを、ぼくたちは気づいた。それは、いいかえるなら、実は自分もまた死にゆ
 く人間である、という認識だ。
 ぼくたちは必ず死ぬ。そのことは、子ども以外は誰でも知っている。誰でも知っている
 けれど、同時に、そのことは、ふだん口にされることはない。「日常」とは、誰もが知っ
 ているはずの「自分の死」という現象を、勘定に入れないことによって成り立っている世
 界なのである。
 「死」を遠ざけ続けることで、ぼくたちは、「死」を忘れる。「死」というものが存在する
 ことは知っているが、それは、単なる「ことば」にすぎない。そのようなものとして、ぼ
 くたちは生きている。

 「鬱病があらわれ」るとは、この世界に違和感を感じる、ということだ。それまで、なんの
 問題もなく生きてきたのに、同じことができなくなる、一つ一つの行動やことばに、なん
 の意味も感じられなくなる、ということだ。
 「あの日」から、読めない文章ばかりだ、と訴えると知人の精神科医は「そういう人が増
 えているよ。明らかに、『震災鬱』だね」といった。ぼくもまた「鬱病があらわれ」たの 
 である。

 「ぼくが ここに いるとき
  ほかの どんなものも
  ぼくに かさなって
  ここに いることは できない

  もしも ゾウが ここに いるならば
  そのゾウだけ
  マメが いるならば
  その一つぶの マメだけ
  しか ここに いることは できない

  ああ このちきゅうの うえでは
  こんなに だいじに
  まもられているのだ
  どんなものが どんなところに
  いるときにも

  その『いること』こそが
  なににも まして
  すばらしいこと として」
                             (まど・みちお)

  そこにいる、その、赤ん坊は、ことばを持たないことによって無力のままに置かれてい
  る、その生きものは、実は、ずっと以前の、生まれたばかりのお前でもあるのだ。そして、
  お前は、かつて、そのような視線の下にいたのだ。お前もまた、「かけがえのない存在」
  として、見つめられていたのだ。お前は、無力な存在として、横たわっていたのではない、
  「その『いること』こそが/なににも まして/ すばらしいこと として」見られてい 
  たのだ。
  「私」は「私」を肯定するために、「私」以外の誰かを必要としていたのである。
  「私」以外の誰か、それは、ことばを持たない、「小さな」誰かのことだ。こちらから手
  を伸ばさなければ、助けなければなにもできない、か弱い、なにものか、のことだ。その
  ような者たちについて書かれた「文章」は、そのような者たちを庇護する人たちの行いに
  似て、囁くように語られている。ぼくは、いま、そんな「文章」なら読むことができる
  のである。


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放射性廃棄物~終わらない悪夢~1

2014-08-23 14:45:52 | ②一市民運動
放射性廃棄物~終わらない悪夢~(2009年フランス映画)を観る。

EUの世論調査によると、75%の人々が原子力産業に不安を抱いているという。
その根源には、放射性廃棄物に対する恐怖がある。
この映画は、世界中の放射性廃棄物の実態を探っていく。

(1)2000年6月、グリーンピース(国際的な保護団体)は、海中に空っぽの
   ドラム缶が散らばっているのを見つける。
   (1950~63年に投棄されたと推定される)
   ドラム缶は腐り、中の放射性廃棄物は海にもれ出していた。
   近くには漁場や浜辺がある。ドラム缶の中にはウナギが棲みつき、
   食物連鎖のなかに取り込まれていた。
   放射性物質は臓器に付着し、消化器・心臓の病気やガンの原因になる。
   また遺伝子を損なうこともある。

   かって海は世界最大のゴミ箱と考えられていて、イギリス、フランス、アメリカ、
   ロシア、日本は放射性廃棄物をドラム缶ごと海に投棄していた。
   IAEAによると、50年間に10万トン以上の放射性廃棄物が海洋投棄されたという。
   1993年になって、放射性廃棄物の海洋投棄は全面禁止になった。

  
(2)アメリカでは、軍によるマンハッタン計画が進められていた。
   1942年にハンフォード核施設を核兵器製造拠点とし、世界で初めて
   プルトニウムの生産が行われ、長崎に投下された原爆のプルトニウムもここで作られた。
   砂漠の中に位置し、立ち入りが禁止され、放射能漏れや火災があっても
   全て機密とされた。
   そして使用後の廃液は川に流され、施設で働く職員やその家族でさえ、その危険性を
   知らされずに、普通に川で遊んでいた。
   流された廃液は周辺を汚染してゆき、コロンビア川を汚染した。
   コロンビア川の川底は放射性物質に覆われ、今も川底が汚染されているが、
   取り除く方法はない。

   次の化学物質が川に入りこんでいる。
   クロム・・・鮭の産卵を脅かす。
   ストロンチウム90・・・コロンビア川の魚から検出。
   トリチウム・・・周辺の川から検出。
   ウラン、ユーロピウム152、ヨウ素129(除去方法がない)等が検出された。

   1943年以降、最も危険性が高い廃液を貯蔵するための巨大コンクリートの
   タンク(ビル1個がすっぽり入る程の大きさ)170個が作られた。
   その後、リスクを減らすために地下に埋められた。
   1980年代には、60個のタンクから廃液が漏れ出し、地下水を汚染している
   ことが分かった。
   この地域は砂漠で、年間175ミリしか雨が降らない。
   それでも廃液を地下に沁み込ませ、地下水を汚染するのに十分な量だ。
   これから先、数十万年にわたり、施設の地下水は有毒のままだ。
   そして今でも地下には、危険性が高い廃液2億リットルが残っている。

   
(3)1976年、ソ連では反体制派のジョレス・メドベージェフが『ウラルの核惨事』と
   いう本を出版し、1957年に放射性廃液を貯蔵するタンクが爆発する
   事故が起きたことを公表した。
   事故から20年が経ってはいたが、西側はKGBの陰謀だとして取り上げなかった。
   CIAは事故を知っていたが、黙っていた。1976年は、西側の国々が盛んに
   原子力発電所を建設していた頃で、国民の恐怖心を煽りたくなかったのだ。
   この事故のことは、CIAやソビエト政府、原子力産業によって隠蔽された。
   放射性廃棄物のもつ熱で、水素爆発などが起きることを、この事故が示したからだ。

   事故の詳細は、1957年9月29日にソ連・ウラル地方のチェリャビンスク州にある
   マヤーク核施設(プルトニウム製造)で起きた。
   放射性レベルの高いタンクが、冷却装置の故障で爆発したのだ。
   爆発は上空1000メートルまで噴き上げられ、200人が死亡し、27万人が被曝、
   15000平方メートルが汚染されたが、公表されることはなかった。

   その時、近くのカラボルカ村では、生徒1500人が集団農場を手伝うため
   畑に出ていた。地面が大きく揺れ、空全体が真っ黒になったが、
   事故を生徒たちに知らせることも、また避難させることもなかった。
   2日後に生徒たちは、何に汚染されているかも知らされずに、
   収穫したジャガイモを穴に埋めた。
   この惨事はすべて機密とされ、データは何も残っていない。
   カルボルカ村の地域は地図になく、暗号で呼ばれた。

   その後も、放置すべきでない放射性レベルの高い廃液を、カラチャイ湖に
   投棄していたことが明らかになった。カラチャイ湖の放射線量が危険なレベルに
   なったため、そこを埋めるための岩を、5トンもの鉛で覆われた車が湖まで運んだ。
   それでも全ての作業を12分以内に終えなければならない程、放射線量が高かった。
   カラチャイ湖が埋め立てられると、投棄のための別の人口湖が作られた。

   現在のカラチャイ湖の近くのチチャ川で測定すると、
   毎秒1400カウント~16000カウントが計測された。
   これはチェルノブイリに匹敵するほど汚染されていることになる。
   だが立ち入り禁止ではなく、ムスリュモヴォ村(最後まで残った村)の人々は、
   アシを刈ったり魚を取ったりして50年間、汚染された中で暮らしている。
   また、危険を知らせることなく、1991年まで近くの高校で授業が行われていた。
   ガンで多くの人が亡くなった。
   国は毎年、水や牛乳の放射線量を測定し、健康診断を受けさせたが、
   村民には結果を知らせることは一切なかった。
  

   50年間に3万人の追跡調査を行い、被曝した放射線量とガンの発生、
   そして死亡率には明確な繋がりがあることが明らかになった。
   村民は不安に思いながらも、国が補償する280万円の引っ越し費用では、
   他に移りたくても移れなかったのだ。
   そしてわずか月9千円の補償では、汚染されたこの地のものを食べるしかなかった。

   「自分たちはモルモットにされ、わざとここで生活させられた」と
   村民の一人は言っている。
   今回、牛乳のサンプルを調べると、セシウム137、ストロンチウム90
   (骨に蓄積する)、トリチウムが検出された。
 
   川の水や土、魚のサンプルを調べたところ、チチャ川はトリチウムに高度に
   汚染されていた。
   セシウム137は、土壌そのものが放射性廃棄物のようで、1Kあたり18万ベクレル、
   魚からは、セシウム137が1Kあたり600ベクレル以上、
   牛乳は1Kあたり24ベクレルが検出された。
   地面からの放射線と、食物からの汚染の両方で、住民は大量に被曝していた。
   更に川の沈殿物からはプルトニウム239と240が検出され、
   1Kあたり2200ベクレルだった。

   軍事用か民間用かを問わず、原子炉には一つの共通点がある。放射性廃棄物を産み出し、
   その一部は環境の中に出て行くということだ。

   1986年のチェルノブイリ事故は、ゴルバチョフ大統領の時だったから
   公表されたのだ。

                                 2につづく

追記1
2013年2月15日、隕石がロシアに落下して周辺に被害を及ぼした。
「核施設の近くで危ないところだった」と言うコメンテーターがいたが、
その後、この話を聞くことはなかった。
チェリャビンスク隕石は、この地に落ちたということに今、気がついた。
核施設は、飛行機事故やテロのほかに隕石の落下による危険性もあるのだと、
改めて怖くなった。

小分けされていますが、こちらから動画を観ることができます。
            ↓
http://www.at-douga.com/?p=4847




(画像はお借りしました)
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放射性廃棄物~終わらない悪夢~2

2014-08-23 13:54:53 | ②一市民運動
(4)グリーンピースにより、フランスのラ・アーグ使用済み核燃料再処理工場
   (当初は軍事用プルトニウムを生産していた)でも汚染が見つかった。
   1993年には、放射性廃棄物を船からドラム缶で海へ投棄することは禁止されたが、
   パイプを通しての海洋投棄は、今も合法なのだ。
   毎年、膨大な量の廃液が、パイプを通って海に棄てられている。
   ラ・アーグは、毎日400立方メートルの放射性廃液を、英仏海峡に投棄している。
   海底は汚染され、セシウム、コバルト、ヨウ素129などが検出されている。
   そして北極海でも検出されているのだ。

   使用済み核燃料を溶かす時にも、放射性物質を含むガスが排気筒から空気中に出される。
   放射性レベルは、空気1立方メートルあたり9万ベクレルという高い数値だ。
   クリンプトンという放射性ガスに、ヨーロッパ全土が2~3日で影響を受ける。
   ラ・アーグ周辺の村でも、クリプトン85が検出された。
   その年間放出量は、1立方メートルあたり1000ベクレルで、これは数十年間の
   核実験500個分よりも多い。
   クリプトン85の半減期は10年で、大気中に蓄積されてゆく。
   コストがかかるという理由で、アレバ社(仏原子力企業)はこれを放置し、
   仏原子力安全機関もそれを認めている。

   アレバ社は、このバックグランド放射線は広島と長崎の原爆の被曝データと比べても、
   基準を下回っているとし、これは汚染ではなく環境の中に存在しているだけだと
   回答している。
   しかし周辺の住民は、日常的に低レベルで体内から被曝していることに変わりはない。
   ラ・アーグ再処理工場では、外国とフランスの58か所からの使用済み核燃料
   1400トンを再処理している。
   ヨーロッパの放射性物質の80%を排出しているのが、使用済み核燃料の再処理工場だ。
   再処理の必要性に異議をとなえる人もいる。

   使用済み核燃料は、燃料プールに5年間貯蔵される。だがテロや飛行機の衝突、そして
   プールが干上がり、使用済み核燃料の温度が上昇した時の水素爆発などの危険性が
   あるのだ。世界には450か所のプールに、使用済み核燃料が貯蔵されている。
   その後、切断される。その割合は、ウラン95%、プルトニウム1%、
   ガラス固化体4%となる。
   再処理とは、放射能を消滅させるものではなく、廃液をガラスと混ぜて溶かして固め、
   最終廃棄物にすることだ。それは極めて危険で、核分裂で産まれた物質の99%が
   含まれている。
   ガラスと混ぜて容器に入れられ固化された最終廃棄物は、風通しの良い竪穴に
   貯蔵される。この高レベル放射性廃棄物の中には、数十万年後もまだ
   危険性を帯びているものが含まれる。

   高レベル放射性廃棄物であるガラス固化体4%は、再利用できない。
   プルトニウム1%は、ウラン238と混ぜてMOX燃料にする。
   またプルトニウムは核兵器の原料になり得る。
   では、放射性廃棄物の95%を占める残りのウランはどうするのか。

(5)残りのウランは、ヨーロッパやロシアの施設に送られて、核燃料サイクルに戻される。
   フランスから8000キロを旅して、ロシアのトムスク7(核施設)に
   運ばれたウランは、何度も遠心分離器にかけられ、濃縮ウラン(ウラン235)と
   なって再利用される。
   だが再処理されるのは10%にしか過ぎず、90%は劣化ウランとして
   ロシアの所有物となりシベリアの奥深く保管されるのだ。
   そのため、ロシアには巨額な金が支払われているという。
   航空写真を見る限り、コンテナに入れられた劣化ウランは、
   無防備に屋外に置かれている。
   このウランの貯蔵区画に置かれているコンテナは巨大で、
   テロの対象にされることはないのか。
   飛行機の衝突の危険性に対しては、担当者が広大な土地なので問題ないと応えている。

   アレバ社は、原子力は再生可能エネルギーで、96%が再処理できると言っているが、
   実際には10%に過ぎないのだ。
   また再処理を行っているのは、世界中でフランス・イギリス・日本の三か国だけなのだ。
   危険な輸送、環境汚染、そして再利用率の低さは、再処理の必要性に
   疑問を投げかけている。

   
(6)では、再処理しない場合はどうするのか。
   使用済み核燃料を再処理しないでそのままガラス固化し、地中のコンクリート構造物で
   保管するドイツやスイスは山の斜面に埋めている。
   それが困難な時は分厚いコンクリートの建物に入れ、テロや事故の危険に備えている。

   
(7)フランスの元環境相だったコリーヌ・ルパージュは次のように語っている。
  「1970年代には、いずれ処理方法が見つかると考え、原子力発電を推進したが、
   実際には使用済み核燃料の処理方法は見つからないし、再処理方法も見つかっていない。
   原子力は持続可能エネルギーではなく、フランスでは宗教のようなものなのだ。
   地球温暖化の問題が追い風になったが、フランス社会における諸悪の根源になっていると
   確信している。原子力は不透明で真実を覆い隠すものだ。
   また財政難の一因にもなっている。
   原発エネルギーに力を注いでしまったので、再生可能エネルギーや効率エネルギーを
   開発する機会を失ってしまった。そのためにフランスの産業は遅れてしまった。
   こうしたことを国民が選択したのではなく、国民は押し付けられて来たのだ」

   エネルギー原子力問題アナリストのマイケル・シュナイダーは次のように語っている。
  「原子力はエリート技術官僚の独断場である。政治家は何にも分かっていない。
   大統領選でのサルコジ候補とロワイヤル候補の公開討論は、体(たい)を
   成していなかった。
   秘密主義といつわりの情報ばかりで、これでは民主主義とは言えない」

(8)何十年にもわたって抗議活動が繰り広げられた。そして世界中で原子力反対の
   運動が起こった。
   ドイツ、ベルギーでは、原子力発電所の全廃が決定された。
   シュレーダー独首相(当時)は、ドイツは段階的に原子力発電を停止すると演説した。
   そして話し合いの末、原発の稼働期間を最長32年とした。

   粘土層の地下500メートルに高レベル廃棄物を封じ込め、約10万年漏れないように
   しなければならない。そして20万年の間、危険が伴う。
   そこに埋めたと言う記憶の継承はどのようにすればいいのか。
   20万年後、6000世代後の命をどうやって守れるのか。

   天体物理学者のユベール・リーウスは次のように語っている。
   「原子力エネルギーが問題なのは、未来を抵当に入れていることだ。
   千年という単位で政治的安定を語ることはできない。
   そんな途方もない先の未来を管理できるなどと考えることは、おこがましい」と。

   ※私には科学的な知識の裏付けがなく、間違っている箇所がありましたら
    お許しください。ここに書かれていることは、2009年の映画公開当時のものです。

追記1
2012年2月20日「NHK BS 世界のドキュメンタリー」で、この映画を放送したそうです。
ブックマークに入れましたので、興味のある方はブログの一番右下の「放射性廃棄物・・・」を
クリックして下さい。
小分けされていますが、こちらから観ることができます。
      ↓
http://www.at-douga.com/?p=4847



(画像はお借りしました)
 
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東アジアの危機 1

2014-08-18 17:15:21 | ②一市民運動
東アジアの危機 「本と新聞の大学」講義録 (集英社新書)
講師は姜 尚中、藤原帰一、保阪正康、金子勝、吉岡桂子、一色清。

政治・経済・歴史についてあまりにも知らないので、少し勉強することにした。
読みこなせるか心配だったが、この本は講義という形をとっているのでとても
解りやすかった。心に残る言葉を、アトランダムに記します。

(1)今、従軍慰安婦の問題は、日韓の二国間関係を超えて、より広域的に広がりつつあり、
   解決は一層難しくなりつつあります。ただ、その背景にあるのは、日韓で、
   植民地時代の問題とポスト植民地時代以後の問題とが依然として明確にわけら
   れていない、ということで、そのために問題が非常に複雑になってしまっています。

   問題が複雑なのは、この地域において、植民地にしたりされたりという関係があった
   ということです。たとえば、ヨーロッパの中には植民地はありません。
   基本的に、ヨーロッパはアジアやアフリカ、中南米という自分たちの権益の
   外側に植民地を持っていたのです。しかし日本は、2000年以上の交流がある、
   自分たちに一番近い国を植民地化しました。
   日本の中で、「もう、うんざりだ。なんで韓国は歴史問題ばかり、そんなに
   蒸し返すんだ」という声も出ています。しかし、韓国にとっては、
   歴史問題は現代と未だつながっています。
   (姜 尚中)

名前や言葉を替えさせられることが、どんなに屈辱だったかは察するに余りある。
「記憶は弱者にあり」というが、歴史は流れで考えなければいけないと思った。

(2)集団的自衛権の見直しの何が問題かと言えば、軍事行動についての法的制約を取り
   除くということに尽きます。それによって、これまであった軍事力に対する歯止めが
   なくなり、軍事力の発動について大きな領域を認めることにつながるでしょう。
   軍事行動がその状況でほんとうに必要か、その判断力がない人物が軍事力の
   合理性を過信した場合に起こることは、不要な戦争です。これは絶対に
   避けなければなりません。

   アメリカにとって集団的自衛権は優先されるべき目標ではなく、むしろ日本が
   アメリカの抑制から離れて中国に攻撃的な政策をとることを心配して
   いると思います。
   (藤原帰一)

歴史を振り返れば、ちょっとしたきっかけや誤解から小競り合いが起き、それが戦争へと
拡大していったケースはある。そうならないためにも法的制約を課し、戦いが起きない
ような歯止めを作ることが必要だ。どんな戦いも起きてしまえば、「限定的」とか
「最小限の」とかは歯止めにはならないのだから。

「アメリカは日本を守ってくれるのに、日本はアメリカが攻撃された時に
 守らなくてよいのか」、
それではフェアではないという声をよく耳にする。「日米安保」により、日本はアメリカ
に対して多くの基地や軍事費を負担している。それゆえ日本が攻撃を受けた時には、
アメリカは日本を守る義務を負う。
そして日本は日本で、個別的自衛権で充分対処できるのだ。

集団的自衛権は、日本が直接関与しない所での戦闘に、日本が巻き込まれることなのだ。
だが、もし日本がアメリカの忠告を無視して中国と戦闘を始めたとしたら、たとえ
集団的自衛権で多くの犠牲を払ったとしても、アメリカは日本守ってはくれないの
ではないだろうか。

(3)もし日本政府が河野談話を撤回した場合、韓国政府だけでなく、アメリカや
   ヨーロッパとも大きな紛争を抱えることになります。それは東京裁判の否定と
   いうことにとどまらず、ポツダム宣言の否定も含めた、つまり日本は戦争で
   侵略した側だということを否定する歴史の始まりだ、ということになるからです。
   私よりもはるかに保守的なアメリカ人の評論家でさえも、「河野談話を撤回
   したらおしまいだ」と念押しするほど、この問題は重要です。
   しかし、かなりの数の国会議員が、慰安婦は基地の周りにいる通常の売春婦と
   同じ存在だと確信しています。残念ながら、この問題が争いの火種となる
   可能性は否定できません。                          
   (藤原帰一)
(4)どういう揺らぎ方をしているかというと、まず「日本は侵略などしていない」
   あるいは「従軍慰安婦はいなかった」というような旗を立て、その旗の下で
   それに見合う史実を集めてくる、いわば、史実のつまみ食いです。
   たとえば、1928年の張作霖爆破事件は、関東軍参謀の河本大作がやったという
   ことを彼自身が認めており、それを裏付ける資料も複数出ています。
   それを、イギリス在住の中国人が書いた一冊の本を根拠にして、
   「張作霖を殺したのは日本軍ではなく、コミンテルンの陰謀だ」
   と言い出したりします。
   これは、先ほど申し上げたような、実証主義的に、ある論理性、ある資料、
   ある整合性を尊びながら歴史というものを理解していこうという考え方とは
   まったく逆の姿勢です。

   従軍慰安婦問題についても、「日本軍が関与した資料はない、だから従軍慰安婦は
   いなかった」と彼らは言うわけですが、私たちは「資料がない」とは言えないのです。
   なぜなら、1945年8月14日に「資料を全部燃やせ」という命令を出したの
   ですから、その燃やした中に従軍慰安婦に関する資料があった可能性は否定
   できません。彼ら歴史修正主義者たちが、そうした自分たちの見方に合う資料
   だけを振りかざすのは、ある意味、傲岸不遜であり、無知といってもいいと
   思います。けれども、そうした考え方が日本社会の中にある種の広がりを
   持っていることに、大きな懸念を抱かずにはいられません。
   困ることに、安倍晋三首相の歴史観はこの歴史修正主義の影響を受けている
   ようなのです。
   (保阪正康)
   2につづく (敬称略)

追記1
日本はアメリカに対して、どれだけの軍事費を負担しているのかを調べた。
防衛省・自衛隊のHPに、在日米軍関係経費(平成26年度予算)が載っています。
おもいやり予算(在日米軍駐留経費負担=1848億円)以外にもいろいろな名目の
経費があり過ぎて、ダブって書いてあるようにも見えても、総額いくらかかるのかが
何とも分かりづらい。

http://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/us_keihi/keihi.html

(2014年8月21日 記)

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東アジアの危機 2

2014-08-17 16:44:40 | ②一市民運動
(5)1978年、「戦争責任を問われた人を祀るのは靖国神社存立の趣旨に
   反する」とそれまでは合祀されることのなかったA級戦犯が、
   松平永芳という宮司によって合祀されました。しかも、彼は合祀したこと自体を
   伏せていて、それを明らかにしたのは、共同通信のスクープでした。
   その後、昭和天皇は靖国神社にまったく行かなくなりました。
   靖国はもともと明治天皇の思し召しで建立された神社(現在は一宗教法人)である
   にもかかわらず、そうした行動をとったというところに、
   私は昭和天皇の意志の強さを感じます。

   戦争というものは、政治の失敗によって起こるのですから、私たちはそうならないよう
   政治を見守っていく必要があります。これは、肝に銘じなければいけません。
   太平洋戦争のときの戦時下日本の機構は、軍事の下に政治があるという、
   とんでもないものでした。政治家は情報も知らされていないし、作戦について
   意見を言おうものならば「統帥権干犯だ」と抑えつけられる。
   軍人たちがすべてを決めていて、国会など、あってなきがごとしの状態でした。
   だから、軍人のメンツのために、戦争は三年八か月も続いてしまったのです。
                                          (保阪正康)

A級戦犯で処刑された人は7名。B級・C級戦犯で処刑された人は約1000名。
殺すように命じた上官は死刑にならず、命令に逆らえなかった人たちが処刑されたという。
      (8月17日放送、テレビ東京「池上彰の戦争を考えるSP 第5弾」より) 

(6)だから金融を緩和してくれという要求が、経済界を中心に政権に対して
   常に加えられるようになります。そうすると、財政赤字を出して、国債を買って、
   お金をどんどん供給して、お金をだぶつかせる。株や不動産の価格が上がれば、
   内閣支持率を保つことができます。

   財界も、お年寄りの無責任なサラリーマン経営者のお集まりみたいになって、どんどん
   金融緩和で株価を上げてくれ、円安を誘導してくれと要求するようになります。
   それで本業での技術開発投資などの地道な努力を忘れてしまう。

   バブルの崩壊後も、ほとんどの銀行が無理な融資をし、会計粉飾をしていたのに、
   誰も責任をとらない。原発が事故を起こしても、誰も責任をとらない。
   かって丸山眞男が「無責任の体系」と言いましたが、そのとおりになっているのです。

   外国人投資家の比重は高くなっているから、今、外国人投資家が売り抜けば、
   日本の株はまた暴落する。政権の人達はよく「外国人投資家を呼び込む」という
   言い方をするでしょう。アメリカを中心とした投機家を含めた投資家のマネーを
   呼び込むためには、アメリカに受けるような政策をとらざるをえない。

   そういう意味では安倍さんと小泉さんというのは相似形です。
   その背後にあるのは、内閣支持率を上げるには株高にしなければならない、
   株高にするには、アメリカの言うことを聞いてないと、アメリカの投資家が
   来てくれませんよという、暗黙の「合意」です。アメリカの言うとおりにやらないと、
   この国は変わらないという、新自由主義のイデオロギーから離れられなくなる。
   しかし、結果として見ると、小泉時代には多くの日本製品が
   国際競争力を失っていきました。その事実について総括をしていません。

   電力の発送電分離がなぜ必要かというと、送配電網は基本的に共有だという
   考え方からです。そうしないと、地域で自由な再生可能エネルギーを
   つくり出すことができません。誰もがその送配電網を使っていいとなれば、
   自分で投資をして発電し、それを送配電網に乗せることができます。
   送配電網を開放しないで、どこかが独占していたら、新しい再生可能エネルギーの
   動きは起きにくくなってしまいま                         (金子勝)

(7)ネットは関心のない情報は素通りされるメディアですから、
   そこでは公共性のある情報にまったく触れない場合も出てきます。そうすると、
   ネットをメディアの中心と考えている人たちが持っている偏りが現れます。   
(一色清)

最近のネットには、政府に批判的な人やメディアに対する誹謗中傷は凄まじいものがある。
なぜ反対なのか、その内容に切りこむのではなく、人やメディアそのものを貶めるやり方は
フェアではないと思う。また、それを読んだ人がそのまま信じてしまう怖さが、
ネットにはある。

(敬称略)

追記1
2014年11月9日の金子勝さんのブログ「再び格差が進行する」に、
現在の日本の現状がどのようにしてもたらされて来たのか、
安倍政権ではそれがどのように変化していったか、
これからの日本はどう進んでいったらよいのか、
系統だてて解りやすく書かれています。
私のブログの一番右下にあるブックマークに入れましたので、是非、お読みください。
                         (2014年11月12日 記)
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水爆実験 60年目の真実 1

2014-08-10 17:10:10 | ②一市民運動
NHKスペシャル「水爆実験60年目の真実~ ヒロシマが迫る `埋もれた被ばく´ ~」
(2014年8月6日放送)

東西冷戦が激しさを増していた1950年代に、米ソは競って水爆実験を行っていた。
1954年3月1日、アメリカは太平洋ビキニ環礁で水爆実験を行う。
これは広島に投下された原爆の1000倍もの威力があるものだ。
水爆実験は2か月半の間に6回行われた。

アメリカはソ連との核開発競争で優位に立とうと、不利になるものはことごとく排除した。
周辺には数多くの日本漁船が操業していたが、日本政府は被ばくを認めようとしなかった。
大量の死の灰(放射性降下物)を浴びたのは、「第五福竜丸」だけではなかったのだ。

なぜ60年もの間、その事実が封印されてきたのか。そしてそれがどのようにして
判明したのか。

1989年に高校教師だった山下正寿が、ビキニ周辺で操業していた船が
高知県土佐清水の港近くに捨てられているという話を耳にする。
生徒たちと放射線量を測ると、30年以上が経っているにも関わらず、
毎時1・5マイクロシーベルト(自然界の37倍)の値を示した。

ここから山下は、当時の漁船員と被ばくとの関係を調査し始める。
204人の実態調査を行うと、ガンや心臓病などを患い全体の3割にあたる
61人が亡くなっていた。中には40歳で突然亡くなった人もいた。
そして一般には1万3千人に1人の割合で発症する白血病で、
3人もの人が亡くなっていたのだ。

漁船員たちはビキニから帰ってすぐに放射線測定を受け、測定器が激しく
鳴ったのを覚えていた。
しかし国からは何も知らされず、何の対応もなかった。
山下は厚生省に情報公開を求めたが、肝心の人体への放射線量は記されていなかった。
再度説明を求めても、人体の記録は無いの一点張りだった。

水爆実験の翌年、国はアメリカから200万ドルの見舞金を受け取り、この問題を終わらせた。
そして「第五福竜丸」以外の被ばくは無いものとされた。

室戸の漁船員やその家族は放射能の恐怖は感じていたものの、漁業で生計を立てている
漁船員たちにとって、被ばくは長い間禁句とされ、被ばくの事実は60年にわたって
闇に葬られた。

これに風穴を明けたのは、山下と広島の科学者たちである。
2013年4月、広島でビキニ水爆実験の被ばくを明らかにするプロジェクトを立ち上げた。
集まったのは、被ばく者たちの体に残る影響を長年調べてきた専門家たちである。
科学者たちは、当時の被ばく量が国際基準の100ミリシーベルトを超えるかに注目した。
(100ミリシーンベルトを超えると、健康に影響を及ぼすとされている)

その中の一人である星正治は、歯に注目した。歯には被ばくの痕跡が残っているからだ。
これを測れば、当時の放射線をどれくらい浴びたかがわかる。
ところが60年という歳月が経ち、亡くなった人や歯を全部ぬいてしまった人もいた。
たまたま9日前に抜歯したという人の放射線量を測ったところ、驚くべき結果が出た。

この方は水爆実験現場から1300キロメートル離れた海域にいたのだが、歯を分析すると
414ミリシーベルトの放射線量が検出された。
そこから、これまでの自然放射線45ミリシーベルトと医療被ばく線量
50ミリシーベルトを引き319ミリシーベルトだったことがわかった。
これは国際基準の100ミリシーベルトを遥かに超えている。
(1ミリシーベルトは1000マイクロシーベルトなので、319000マイクロシーベルト)
国が60年間認めてこなかった漁船員の被ばくが、初めて明らかになった。

319ミリシーベルトは、広島の爆心地から1・6キロ離れた場所での放射線量と
ほぼ同じである。
広島では被曝手帳が交付され、医療費は無料だが、当時の漁船員たちは被ばくした事実を
知らされることなく、医療費や見舞金を支払われることなく、お詫びの言葉もお見舞いの言葉も
聞く事こともなく、病気や体調不良を抱えながら多くの方々が亡くなっていたのだ。

田中公夫は、血液学の立場から被曝の実態に迫ろうとした。
亡くなった方々の無念さを晴らそうと、高知・愛媛・宮城などから18人の血液が集まり
染色体の異常率から被ばく線量を導き出そうとした。 

2014年2月、アメリカでも新たな事実が見つかった。
実験から数十年が経ち公開された極秘文書の中に、これまで存在しないとされてきた
漁船員たちの検査結果があったのだ。これは厚生省から外務省を通じて
アメリカ国防省に渡ったものだ。
被ばくした船のリスト、魚と船体が浴びた放射線量の他に、漁船員の血便や歯茎からの
出血の記載、そして人体の被ばく量が記されていた。
これは毎時2・5マイクロシーベルトになるという。

14隻の被ばくの事実を知りながらもアメリカは水爆実験を続けたことになる。
アメリカは、被ばくによる人体への影響に目を向けることはなかったのか。 

1953年、ソ連が水爆実験に成功したことで、アメリカはあせりを感じていた。
核兵器の開発に不可欠な核実験が中断されることを恐れ、実験の邪魔になるものは
全て極秘とし、日本の漁船員の被ばくも極秘とされた。 2につづく

                               (敬称略)

※長崎被爆者代表 城臺美彌子さんのスピーチを、ブックマークに入れました。
 私のブログの一番右下にありますので、是非、クリックして下さい。
 残念ながら削除されました。(2016年2月12日 記)
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水爆実験 60年目の真実 2

2014-08-10 10:03:59 | ②一市民運動
NHKが外務省に情報公開を求めると、山下があれほど求めても得られなかった
検査報告書が出てきた。亡くなった通信士の毛髪から、毎時1・1マイクロシーベルトの
放射線が検出されていた。アメリカの文書にあった14隻の他にも、
新たに14隻の漁船員に被ばくがあったことも分かった。

山下の言葉
「無い無いと言っていた資料があったんだから、なぜ早く明らかにして救済とか治療とかの方に
 出さなかったのか」

元厚生省審議官、蔵田直躬(91歳)の言葉
「第五福竜丸以外にも被ばくした漁船員がいたと感じていた。しかし検査は
 途中で打ち切られた。もっとしっかりせにゃいかんと自己反省しますね。
 あの当時、厚生省にいたんだから、しっかりせえと自分を責めたい。
 日本の国にとってこれは、おぞましいこと、消すべきこと。
 国民全部が被害者みたいな感情を持たれ、行動でも起こされると困る。問題は深い。
 そのために死んだり、病気になった人がどれだけいたかということ。
 調査も補償もろくにしていない」

1954年、ベトナムではホーチミン率いる共産党が勢力を拡大していた。
日本でも「第五福竜丸」事件をきっかけに、激しい反米・反核デモが繰り返されていた。
日本の放射能パニックが共産主義勢力に絶好のチャンスを与えてしまうと、アメリカは神経を
尖らせた。水爆実験で被害を受けた日本に対し、アイゼンハワー大統領は秘密工作を行うための
直属の組織、OCB(工作調整委員会)を設置した。
OCBは他国の世論を動かす心理作戦を担っていた。

事態をかわすために押し進めたのが、「原子力の平和利用」である。
「核分裂物質は、人類の平和のためにも使われるべきだ。原子力は兵器だけでなく、
夢のエネルギーにも使える」とすることで、水爆実験への批判をかわそうとした。

水爆実験の翌年、1955年~57年に、OCBの提案で「原子力平和利用博覧会」が
開催された。広島をはじめ11カ所に、300万人が押し寄せた。
水爆実験の2年後に、OCBがアイゼンハワー大統領に提出した報告書には
次のように記されている。
「一連の原子力のPRによって、日本人の反核感情はほとんど取り除かれた」

水爆実験への反発をかわそうとしたアメリカ。その思惑(おもわく)にのった日本。
こうして多くの漁船員の被ばくは顧みられなくなっていったのだ。

2014年6月、1年前に立ち上げたプロジェクトの調査結果が発表された。
染色体の異常率と推定被ばく量を割り出す作業で、18人中13人に高い値が現れた。
18人は、水爆実験を行った地点から1300km離れた場所で操業していた。

染色体の異常の割合と被ばく線量の関係
               1・14%では、128ミリシーベルト被ばく 
               2・72%では、306ミリシーベルト被ばく 

18人中8人が、健康への影響があるとされる100ミリシーベルトを超えていた。

当時アメリカは、太平洋の20か所にモニタリングポストを設置し、
毎日データを収集していた。(1950年代に設置されていたというから驚く)
空気中の高い放射線量を示すものが赤く塗られ、形を変えながら拡がっていくのがよく分かる。

3月2日・・・狭い範囲だった。 3月14日・・操業海域を覆う。
その後も、3月27日(2回目の水爆実験)、4月26日(3回目の水爆実験)、5月5日
(4回目の水爆実験)・・・と、2か月半にわたって6回の水爆実験が行われた。

アメリカの放射性降下物の拡がりと、当時の103隻の漁船の航路を重ねあわせると、
少なくとも98隻の漁船員たちは、死の灰がただよう海で操業を続けていたことが分かる。
国は危険範囲を知りながら、漁船の操業を止めることは無かった。
国家の思惑の陰で、漁船員たちの被ばくは無かったものにされた。

2014年7月、山下と「第二幸成丸」の乗組員だった桑野浩が厚生労働省を訪れ、
存在しないとしてきた記録が見つかったこと、そして漁船員の被ばくが
科学的に裏付けられたことを伝え、早急な調査を求めた。

その時の桑野の言葉
「私事体が100ミリシーベルトという放射能の痕跡が、体に残っている。
 今までどんどん亡くなった方たちが、私以上の何百ミリシーベルトという核の放射能を
 かぶっている。だからこそ厚労省の力で公表してもらいたい」

山下の言葉
「厚労省として人権に関わる未解明の問題として位置づけ、因果関係の解明のために
 取り組まれたい」

「公文書がかくされて、被災の事実がかくされて、被災者は自分が被災したことを知らずに
 苦しんで亡くなった。早くから事実が明らかになっていたら、被災者に自覚することが
 できたら、医療補償の問題が確立されていて、こんなことにはならなかった」

 
高知室戸で、血液検査の結果を知らされた「第二幸成丸」の乗組員だった久保尚さんは、
40歳で亡くなった寺尾良一さんのお墓にお線香を手向け、ビキニでの被ばくの事実が
明らかになったことを報告した。

私が感じたこと
原子力の歴史は隠蔽の歴史である。
原子力は隠さねばならぬ程、人間にとって危険なものなのだ。

「平和」という言葉ほど、国民を騙しやすい言葉は無い。
日本の原子力政策に、OCBの戦略が使われている。

歯は生え替わらないので、何十年経っても被ばくの痕跡が残る。
少しでも被ばくの疑いがある方は、乳歯でも永久歯でも保存して欲しい。

アメリカは広島と長崎に原爆を投下したわずか9年後に、水爆実験を行っている。
現在のアメリカには、原爆を投下したことで戦争が早く終わったと考える人が多くいる。
そして原爆に関しては、きのこ雲の写真しか知らない人も多くいる。
まずは事実を知ることから、始まるのだと思う。

山下さんたちの早急な調査を求める訴えに、厚労省は、国は、これからどう応えていくのか、
しっかり見届けていこうと思う。                         
(敬称略)

追記1
山下正寿氏が、「特定秘密保護法」について高知新聞のインタビューに応えています。
               ↓
http://www.kochinews.co.jp/13himitsu/13himitsuinta06.html

(2015年8月21日 記)

追記2
動画で「水爆実験 60年目の真実」を観ることができます。
               ↓
https://www.youtube.com/watch?v=VO5oWU7qCmg

                           (2014年8月19日 記)

追記3
山下正寿氏は、ビキニ事件の公文書の情報公開を永年にわたり求めてきたが、
2014年9月19日にやっと記録が開示されることになった。
因果関係を解明し、その結果を世界に配信して欲しいです。
                           (2014年9月20日 記)
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