今日のうた

思いつくままに書いています

河野裕子先生

2010-08-14 06:57:19 | ⑤エッセーと物語

河野裕子先生が8月12日にお亡くなりになったことを昨日知りました。
いつかはとは思っておりましたが、あまりにも突然で言葉もありません。
こころよりご冥福をお祈り致します。

河野先生にお会いしたことはありませんが、一度公開講座を拝聴したことがあります。
講座が終わり、椅子に腰を掛けてサインをされていました。
お着物からのぞくうなじが細く、白く、とても美しかったのを覚えております。

その講座の中で、「25点や120点の歌を出せるのが才能」とおっしゃっていました。
「いつも70点、80点の合格点の歌ばかりではつまらない。平気で駄作を出せる神経が才能」
私はこの言葉にどんなに救われたかわかりません。
これからもたくさんの駄作を作っていこうと思います。

「塔」には「百葉集」といって、永田先生、河野先生が直接選んで下さる欄があります。
河野先生は、次の私の歌を選んで下さいました。

朝の陽に睡蓮の葉の揺らぎゐて鯉のうろこのひかり浮かび来

煮こぼれし醤油のにほひ立ちこめて誰かの子供でゐたき夜なり

一日を咳して終はるゆふぐれはこゑを持たざる蟻を見てをり

私にとって忘れられない歌になりました。
河野先生は64歳という若さでお亡くなりになりました。
これからされたかったであろうことを思うと胸がつまります。

これからは先生のお言葉のひとつひとつを噛み締めながら、作歌していこうと思います。
ありがとうございました。

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新仮名と旧仮名

2010-08-06 09:41:09 | ⑤エッセーと物語

短歌を始めて6年になるが、最近は文章を書く時も旧仮名を遣いそうになる。
旧仮名が体に染み付いてきているのかもしれない。

あじさい・・・あぢさゐ       ほほえむ・・・ほほゑむ

きょう・・・けふ          におい・・・にほひ

ゆうぐれ・・・ゆふぐれ       しおあじ・・・しほあぢ

旧仮名のゆったりとした形が好きだ。
「ハ行」「ゐ」「ゑ」は歌をまろやかにしてくれる。
旧仮名を選んだのは私の意志ではなく、受講した「市民講座」では
旧仮名の使用が必須だったからである。
始めた当初は、「ゐ」と「ゑ」の区別もわからずに苦労した。

2年が経ち、他の講座に移った時に新仮名使用という選択肢もあったが、
中途半端に入ってしまった旧仮名を、今度は抜かなくてはならない。
その煩雑さを思い、そのまま旧仮名で通すことにした。

今は旧仮名を遣うことに何の問題もないのだが、これから先のことを考えると
旧仮名を遣い続けることに違和感を覚える。

私は亡くなる5年前に歌集を出したいという夢を持っている。
もちろんいつ亡くなるかは全くわからないので、予定は未定であるが。
読んでくれるかどうかは別として、私は娘ふたりと夫、そして友達、叔母、
高校の恩師・・・に遺したいと思っている。

私が短歌を始めた時に旧仮名が理解できなかったように、
旧仮名を苦手とする人の方が多いのではないだろうか。
漢字が読めなかった私は、出来るだけルビをふりたいとも思っている。
このことでも旧仮名でルビをふると、ますますわからなくなる漢字があることに気づいた。

茗荷(みょうが)・・・(めうが)

山茶花(さざんか)・・・(さざんくわ)

歌集うんぬんはまだまだ先のことではあるが、これからは新仮名で作歌してみようと思う。
そして不都合が生じたら、その時にまた考えようと思う。
新仮名を遣うことで、見えてくるものがあるかもしれないから。

                           2010年 8月6日 記

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