今日のうた

思いつくままに書いています

82年生まれ、キム・ジヨン(小説)

2019-07-31 11:27:13 | ⑤エッセーと物語
チョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』を読む。
キム・ジヨンの1982年から2016年までの日常が、
日記を読むように描かれている。
82年生まれといえば私の娘たちよりも若いが、そこに流れる「男尊女卑」と
いうよりは「女性嫌悪(ミソジニー)」は凄まじいものがある。

1990年代になっても韓国は非常な男女出生比のアンバランスを抱えていた。
自然な出生性比は103~107人だが、1990年には116.5人だった。
女性たちは幼い頃から兄や弟の学費のために働き、
必ずや男の子を産むことを強いられてきた。
つまり男の子が産まれれば歓迎されるが、女の子が産まれると
「お義母さん、申し訳ありません」と謝るのだという。
学校でも、就職試験でも、職場でも、結婚して家庭に入ってからも、
常に差別があるのだ。

韓国では2005年2月、戸主制度は憲法で保障された両性平等の原則に違反し、
憲法に合致しないとの決定が下され、まもなく戸主制度廃止を主たる内容とする
改正民法が公布され、2008年1月1日から施行された。
婚姻届けを出す際に夫婦が合意すれば、母親の姓と本貫を継ぐこともできる。
しかし実際に母親の姓を継いだケースは数えるほどだ。

夫婦別姓を認めない日本よりは進んでいるが、やはり韓国も日本も
「男女平等」という点では発展途上国だ。
今も様々な差別を受け、苦しんでいる女性は大勢いる。
様々な国での出版が予定されていることからも、世界ではいまだに
解決できていない問題であることは明白だ。
感性が鈍っている今ではなく、私が若い頃に読んでいたら
もっと共感し、感動したかもしれない。



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戦禍の記憶(1)

2019-07-20 12:01:35 | ⑤エッセーと物語
大石芳野写真集『戦禍の記憶』を読む。
市の図書館で『長崎の痕(きずあと)』を探したのだが、見つからなかった。
(7月20日に予約できました)
新刊案内で『戦禍の記憶』があるのを知り、お借りすることにした。

大石さんは今年になって3月に『長崎の痕』、4月に『戦禍の記憶』を上梓している。
写真集は価格が高いので、図書館で借りられるのはありがたい。
だが『戦禍の記憶』は私が借りるまで、誰も借りてはいなかったようだ。
そして今も、どなたも借りてはいない。
見るのがつらい時もあるが、こうした写真集を直視ことが
歴史を知るきっかけになるのではないだろうか。
見たくない歴史から目を背けていたのでは、都合の悪い歴史をなかったことに
していたのでは、また同じ過ちを繰り返す。

保阪正康さんがこの写真集の前書き、「歴史の記憶を共有する想像力」を書いている。
その中の一部を引用させて頂きます。
大石さんは写真を撮るだけではなく、さまざまな方を訪ねて、
彼らの体験を聞いていたのだ。

 しばらく彼はどなっていた。やがて息を荒げ、目を黙している私に気づき、うつむいた。
 5分ほど後になろうか、興奮を抑えて、「軍隊時代の記憶に触れると怒りが抑えられ
 なくなってしまう」とつぶやいた。「日本の軍隊は人間を獣に変える空間だったのだよ」
 ともつぶやき、そして努めて明るい口調で、「今日は帰ってほしい」というのであった。

 中国戦線で残虐行為を働いた元将校は、公式には日本軍はそういう行為を働いて
 いないと強弁していた。しかし私との対談で、「実は」と言い、「大隊に命令を出して
 捕虜を処刑した」とあかした。「決して書かないで欲しい、もし書くなら
 私の名は出すな、孫子に迷惑がかかるので」と言った。
 このような例を私はいくつも聞いているのだが、戦争は人格を変えなければできない、
 というのが彼らの結論でもあった。
 彼らはそのことを口にできず、密かに悩んでいたのである。
 しかし心の底では自らの苦悩を口にして、死んでいきたいと考えていたとも告白する。
 戦争によって変えられた人格を心の底から消して死にたい、と漏らした
 将校の言に私は驚いた。

 戦争体験や戦時の兵士体験を聞いていて、私は次第に私自身が彼らの悲惨な、あるいは
 非人間的な行為の苦しみを共有することになった。加害、被害にかかわらず、
 戦禍の記憶や記録を次代に伝えようとすることは、つまりその役を引き受けた瞬間に
 彼らと共に懊悩も悔恨も、そして自省も引き受けるとの覚悟が
 必要とされることに気づいた。

 この写真集のタイトルは「戦禍の記憶」だ。大石さんは
 「アフガニスタン 戦禍を生きぬく」という写真集も出版している。
 「戦火」ではなく「戦禍」。「戦火」ならば、銃弾が飛び交う中、
 兵士や住民が撃たれる場面を撮る戦場カメラマンの仕事になる。
 大石さんは「戦禍」にこだわる。
 戦争が終わった後、住民たちがどのような人生を歩まされたのかを
 追うことを主たるテーマにしているからだ。
 「戦争は人間が犯した政治の暴力で最も罪深いもの」と大石さんは言う。
 「その戦争に普通の人たちが翻弄され、命をもてあそばれていくのは
  許し難いと思っている」。

 いつの時代、どこの国であっても、戦乱に巻き込まれて最も苦しみ、悲しむのは
 弱い立場の女性や子どもだ。アフガニスタンやコソボなどで、
 大石さんは多くの子どもらに接し、撮影した。
 それらの写真を見ると、背後にある優しいまなざしを感じることができる。
 (2につづく)





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戦禍の記憶(2)

2019-07-20 12:00:20 | ⑤エッセーと物語
大石さんのあとがき、「戦禍の跡を辿って」の最後の部分を引用させて頂きます。

 終わっていない戦争が国内にもまだまだ随所に残っているだろうけれど、
 その最大が沖縄だろう。沖縄にはまさに現在進行形で激しかった沖縄戦の
 影が濃く遺っている。唯一の陸上戦になったことで住民が日米両軍の砲火の
 雨に晒され、米軍の艦砲射撃は「地形も変えた」と逃げ惑った人びとは言う。
 住民の4人に1人が亡くなった。
 ようやく平和が訪れるかと思ったら、すぐにアメリカ軍支配下に置かれて、
 27年間も「米軍の家族が飼っているペット以下の扱い」を受けたり、
 兵士による事件も後を絶たなかったりした。人びとは日本復帰に向けて運動を重ねて、
 とうとう1972年にそれを果たした。日本国憲法のもとに帰れると期待した。
 けれど沖縄の人たちは無視され裏切られ続けた。

 今も米軍基地は、狭い沖縄に7割以上が集中している。異常な事態だ。
 基地を減らす政策を立てるのが筋だろうに、撤去予定の普天間基地に代わる
 新たな基地を辺野古の海を埋め立てて造ることを、日米両政府は進め続ける。
 沖縄を同じ日本というよりは、単なるコマ合わせやご都合主義の対象としてしか
 見ないのかと疑いたくなる。

 激しかった沖縄戦の後遺症はこうした米軍基地に象徴されている以上、
 実は一人ひとりの心身の奥深くに生き続けている。
 時に激しく浮かび上がってくる戦場の記憶に酷く苦しめられる。その苦悩は、
 おそらく一生涯にわたって続くかもしれない。しかも土のなかや自然壕のなかには
 人骨がまだまだ散らばるように遺っている。そうした人びとに私たちはどれだけ
 心を寄せられるだろうか。
 人間のいのちや人権よりもアメリカに半ば従属するような政治的関係が大事だと、
 いつまで言うのだろうか。
 同じ日本人として、同じ時代に生きている者として、どのように沖縄に
 心を寄せていけるのだろうか。

 国際関係において、たとえ表面的に平和と見えたとしても、いちど戦争を体験すると、
 それぞれの国の個人のなかでは戦争がいつまでも続いている。終わりはない。
 だから、戦争は悪なのだと私は叫びたい。これからどうなるのだろうか。
 不安がよぎる状況を無視しないように心がけて、人びとの内なる闇を
 見逃さないように向き合いながら、私は写真で伝え続けていきたい。
 (引用ここまで)







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ひよこ太陽(1)

2019-07-14 09:40:52 | ⑤エッセーと物語
田中慎弥著『ひよこ太陽』を読む。

私は生きづらさを抱えた人が好きだ。
力を意のままに操り、自分を客観視することもできずに
自分は特別だと思っている人や、評価ばかりを気にする人は
男女を問わず、職業を問わず、大嫌いだ。
歳を取ると好き嫌いが激しくなる。
好きな人はより好きに、嫌いな人はテレビに出ただけで席を立ちたくなる。
田中さんは、もちろん好きな作家だ。
彼の何気ない文章に、ドキッとすることがある。

この『ひよこ太陽』には、痛々しいほど誠実な、自信なさげな
生身の田中さんがいて、手のひらにのせて応援したくなる。
そして文筆業で生きていくことが、いかに過酷であるかが解る。

私は短歌を辞めてから文章を書く「いろは」を習いたいと、
カルチャー教室に通った。
周りの人たちが全員小説を書いていたので、魔が差して私も書いた。
だがこれが地獄の始まりだった。
読点一つ取っても、考えれば考えるほど分からなくなる。
70年代の青春を題材にしたのだが、書けば書くほど自分の馬鹿さ加減と
向き合うことになり、夜眠れない。
何とか形になった9か月後に、「先生、苦しいので辞めます」と言って
さっさと辞めてしまった。もう2度と書きたいとは思わない。
文筆業で食べている人は自分の血を絞り、肉を削って
書いているのだろう、と同情してしまう。
田中さんの好きな文章を引用させて頂きます。

①通りを渡った。横断歩道の縞の外側を蝸牛が一つ、季節を無視して這っていった。

②食パンの上にちりめんじゃこを敷き、マヨネーズを格子に垂らし、胡椒を
 少し振り、最後に正方形の溶けるチーズを乗せてトースターで焼く。
 それに、ヨーグルトと紅茶。テレビでは、日本の現職閣僚の、最近の
 アジア情勢を見れば我が国の核兵器配備が当然議論のテーブルに
 乗ってくる、核のかの字も許さないという反対派は国民が焼け死ぬのを
 一一九番もせずに眺めている冷血動物だ、との発言が海外のメディアで
 どう伝えられているかをやっている。アメリカでは、警戒すべし、理解出来る、と
 両論が出ている。一方国内では、とアナウンサーが切り替えて、大臣なりの
 お考えがあってのことと思う、ただ議論は慎重な上にも慎重でなければならず、
 同時に忌憚なく行われるべきであると考える、と発言する首相のあとは、
 与野党の反応、街頭でのインタビュー、軍事の専門家の分析、と続くが、
 そのどれもが、賛成、反対と奇麗に分かれている。様々な意見がバランスよく
 報道されてゆく。ものすごく冷静に、穏やかに、整然と。
 まるで何事も起っていないかのように。

③だったら汚れた死を選んでしまえばいい。売れない小説を書いて生活が傾いて
 ゆくのは自分一人なのだから、自分を、自分の人生から解放してやればいい。
 自分が生きていることが自分自身の負担になっているいまの状態を、いったい
 誰に対しての当てつけとして、効き目なんかないと分り切っている
 投薬みたいに続けなければならないだろうか。    2につづく

※第47回泉鏡花文学賞に、この作品が選ばれました。
 おめでとうございます。 (2019年10月10日 記)
 








(市の図書館にリクエストしたら、サイン入りの本を一番に読むことができました)

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ひよこ太陽(2)

2019-07-14 09:38:41 | ⑤エッセーと物語
④飲みにくいとかクセがあるとかの問題ではない。スコッチのようにスモーキー
 というのでもない。ただ、強くて固くて厚い。とにかくただただ、強力な何かが
 迫ってくるのだ。液体ではない。これは、壁だ。含んだ瞬間、口の中に壁が登場し、
 強固なのにまたはそれ故に、口の内側いっぱい、歯の隙間にまで素早く入り込んで
 きっちりと埋め、喉を押し広げて進軍してくる。胃はびっくりする暇もなく、叫びさえ
 許されず、反撃の余力も降伏の決断も何もかも奪い去られ、ひたすら猛攻に耐えるのみ。
 ボトルのラベルに描かれた七面鳥はどう見ても自らの命を我が世の春とばかりに
 謳歌している。なんだ、絵のくせに!鳥のくせに!
 お前が味わっているのは偽りの平和だ!こっちの体は今や完全な廃墟と
 化そうとしているのに!

⑤自宅に帰りつき、そうかそうかともう一度呟いてほっとした。今日も死ななかった。
 死ななかった。あの白っぽい帽子を見たために、今日も死なずにすんだ。
 そうか、そうか。白っぽい帽子と死ななかった自分と、白い風船か。なんのことはない、
 たったそれだけのことで、自分は生きて、小説を書いている。
 道理で責任が取れないわけだ。女が出てゆくわけだ。

⑥高校の頃から小説を書いていたという記憶はないが、数式と小説が一つの頁に
 書かれているのは、何かをひどく急いていた若く窮屈な日々の暗い証拠だ。
 何を急いだのか。

⑦「駄目駄目。さっきやってみたけど言うことを聞かない。待つしかなさそうよ。」
 その通りで、空の端の方を手で押し上げればほんの一時的にはもとに戻るが、
 すぐまた剥がれて、雨が降ってくる。傾いた空の隙間から覗くと、太陽が
 ひよこみたいにただおどおどしているばかりだった。帰省なんかするんじゃなかった。
 なんのことはない、数年前に家の天井裏で決行出来なかったのは今日、
 このひよこを見るためだった。ひよこの太陽が空の天井裏で、世界中の
 自殺願望者の震えを引き受けておどおどしているのだ。
 (引用ここまで)







 

 
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みらいめがね  それでは息がつまるので

2019-07-03 17:34:02 | ⑤エッセーと物語
荻上チキ・ヨシタケシンスケ共著『みらいめがね』を読む。
チキさんは、ラジオ番組「Session-22」のメイン・キャラクターである。
私は寝る前に、この番組を聴いている。
どんな話題でも取り上げ、それに応えるチキさんはすごい。
番組の中でもプライベートなお話をされることがあるが、
この本を読んで更なるチキさんを知ることができた。
病気のことも家族とのことも、子供の頃にいじめに遭ったことも書いている。
「人生病」を患う一人として、「そのままでいいんだよ」という
エールをもらい、梅雨空が吹き飛んだような爽快な気分になった。
この本を小学校、中学校、高校、大学の図書館、公立図書館などに
備えて欲しい。
そうすることで、どれだけ多くの人たちが救われるか分からない。

私の子どもが小学校の時に言った言葉を、今も覚えている。
「お母さんはどうして、『大草原の小さな家』のお母さんや、
 やっちゃんのお母さんのような、フツーのお母さんになれないの?」
そう、私はフツーのお母さんになれないのです。
そもそもフツーがよく解らないのです。

私の母は強かった。長女である私を、自分の思い通りにしようとした。
長患いの母に向かって、私は言いたいことが言えなかった。
身近な人に言いたいことが言えるようになり、自立できたのは4、5年前。
高齢者になってからだ。65歳にして立つ!

日本映画界のレジェンドと言われている女優Yが、
朝日新聞のインタビューに答えていた。
「私は理想の女性しか演じられない。だからいつまで経っても
 アマチュアなのかしらね。
 それに理想のお母さんになる自信がなかったから、
 子どもを持たなかった。」(引用ここまで)

今日もどれだけ多くのお母さんが子どものことを考え、悩み、
苦しんでいることだろう。
「理想のお母さんになる自信」、そんなことを考えてお母さんになった人が
はたしてどれだけいるだろう。
「理想の女性」、「理想のお母さん」、これらは女優Yにとって、
自分を美化するための道具に過ぎないのではないだろうか。
これらの言葉をとても傲慢に感じるのは、私だけだろうか。

(他の新聞社は知らないが、朝日新聞はやたらと彼女を取り上げる。
 朝日新聞のお偉いさんに、彼女のファンがいるのでは、と
 勘ぐりたくなるほどだ。)

 この本には人生を生き抜く知恵がいっぱい書いてある。
その中から2つ引用させて頂きます。
「それにしても。そもそも人生病を抱えていない人間なんて
 いないんだろうと思う。  
 よく行くコンビニの店員だって、街でよくすれ違う老人だって、
 テレビに出ている タレントだって、それぞれの人生病と向き合っている。  
 『自分同様に、人も弱いんじゃないか』と思えるようになったのは、   
 うつ病になって得た収穫である。」
「何もかもに、その考えを押し付けるな。
 何も知らないくせに、勝手に噂するな。  
 何もしないくせに、土足で踏み荒らすな。
 何も疑わないままに、そこから査定するな。  
 こうやって生きているんだ。何が悪い。」 (引用ここまで)

追記1
「荻上チキ・セッション22」の22が取れて、
放送時間が15:30からになりました。
これまでベッドの中で聴いていたので、まだちょっと慣れません。
でも真剣に聴いていると頭が冴えて眠れなくなることがあったので、
その点、この時間帯は安心です。
(2020年10月22日 記)

追記2「荻上チキ・Session」の放送時間が更に変わりました。
TBSラジオ 月ー金 18:00~21:00
(2024年6月9日 記) 

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