今日のうた

思いつくままに書いています

転々

2020-07-28 10:07:15 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
国内外を問わず、信じがたいような稚拙な政策が連日報道されている。
あまりにもそれが酷すぎると、反論するどころか、もう何も考えたくない、
殻に閉じこもっていたくなる。
これにコロナ報道が加わって、何をしても何を観てもつまらない。

そんな中で出会ったのが、超おもしろくて癒される映画「転々」だ。
三木聡脚本・監督「転々」。登場人物は皆どこか壊れている。
大学8年のオダギリジョーは小さい頃に両親に捨てられ、
今も84万もの借金の返済に追われている。
その借金取りを演じる三浦友和は、小太りの冴えない中年で、
おまけに妻を殺して自首しようとしている。
どうせ自首するなら近くの交番ではなく、桜田門の警視庁。
その前に思い出の場所を散歩したい。
その相棒に選んだのが、オダギリジョーだ。
100万やるから俺に付き合え、と。

オダギリジョーは、どうしようもないダメ人間を演じたら、この人の
右に出る者はいないだろう。
「湯を沸かすほどの熱い愛」のダメ夫ぶりは圧巻だった。
若い頃の三浦友和を、ある人が「画用紙みたいな人」と形容していた。
清潔感はあるが、個性がないという意味か。
私は彼の演技をほとんど観たことがない。私の印象では弁護士、医師、
警察官などが似合いそうな俳優だ。
ところがこの映画ではまるで別人のように、茶目っ気たっぷりの
ダメ中年男を演じている。演じることを楽しんでいるようだ。
そしてこの二人を中心に、つかの間「にせの家族」を作る。

セリフの一つ一つに、ふるまいの一つ一つに、血が通っている。
時々挟まれるエピソードが絶妙だ。
愛卵子(オーギョーチイ)の店で、息子が老母を罵倒するシーンでは
二人の関係性の歴史が、手に取るように想像できる。
「岸部一徳に道で会うと、その日はいいことがある」、という都市伝説。
岸部一徳が登場する度に笑ってしまう。

ふせえりという役者が端役で出ると、こんなにも映画が現実味を
帯びてくるのか。
彼女は日本映画にとって、なくてはならない存在だ。
ウィキペディアによると、三木聡監督の奥さんということだ。

「東京の思い出の場所の半分は、コインパーキングになっている」とか、
「東京のOLは財布の留金を上にして持つ」とか、
「花やしき」が出てきたり、「思い出横丁」が出てきたり、
懐かしくておかしくて、哀感あふれる映画だ。

最後に次のセリフに胸がキュンとなった。

「幸せは来ていることに気づかないほど、じんわりとやってくる。
 でも不幸せはとてつもなく、はっきりやってくる」

エンドロールを見て驚いた。原作が藤田宜永だった。
彼の600頁に及ぶ『愛さずにはいられない』を読んだばかりだったので、
そのギャップにくらくらした。




(画像はお借りしました)
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小説 安楽死特区 (1)

2020-07-20 17:37:43 | ③好きな歌と句と詩とことばと
長尾和宏著『安楽死特区』を読む。
現在、大西氏の命の選別発言が問題になっているので、興味深く読んだ。
この小説は2020東京オリンピックが終わった後の、荒廃した
日本を描いている。あの人とおぼしき政治家が出てきたりして、
「さもありなん」とやけにリアルで、ぞっとする。
この小説が出版されたのは2019年12月、新型コロナウィルス感染前
なので、現実の日本の悲惨さはこれを上回ることになるかもしれない。
心に残った言葉を引用させて頂きます。

東京オリンピック以降、日本は本当に貧しくなった。
とうとう国会は、75歳以上の透析(とうせき)治療を一律に保険適応
から外すことを決議した。・・・
そんななかで末期がん患者のための光免疫療法が保険適応になったら、
透析患者はもっと怒るだろう。病気によって差別があってはならないと。
しかし、光免疫療法はそんなに効果があるのだろうか。今までもそんな
夢みたいなことを謳(うた)ってにわかに患者を期待させ、気がつけば
世間から忘れられている治療法はいくらでもあった。

平成が終わって早5年、世界的に医療技術は発展している。最近は中国や
インドからも瞠目(どうもく)するような研究発表が続いている。
そのせいか、中国人の日本への医療ツーリズムも最近は影を潜めつつある。
特にオリンピックの後、日本人の健康格差は中国を嗤(わら)えない状況に
ある。国民皆保険はかろうじて続いているが、企業年金制度はほぼ破綻状態、
若い世代において保険料未払いは増える一方である。新しい薬の開発が進ん
でも、なかなか保険適応にならないから市民の手には届かない。
先日の大手新聞社のアンケートでは、この国に希望を感じないと答える
20代が8割、百歳まで生きたくないと答えた70代以上も8割に上った
という。生涯未婚率も上がる一方であり、5年前は年間4万人といわれていた
孤独死は、今や10万人超と言われている。

副編集長の話
「まだここだけの話ということで〈安楽死特区〉構想についてざっくり
説明しますね。国家は、安楽死法案を通そうと目論んでいますよ。なぜなら、
社会保障費で国が潰れそうだからです。しかし国民皆保険はどうしても
維持したい。それならば、長生きしたくない人に早く死んでもらった
ほうがいい、そう考えています。
だから本格的に法制化を議論する前に、今現在、病気に苦しむ、もう
これ以上生きていたくないという人を若干名募集し、実験的に都内に
〈安楽死特区〉を作ろうと。

来年早々、特区構想は実現化します。そうでもしなきゃ、東京オリンピック
の財政的な失敗を未だ国も都も尻拭い出来ずにいる今、日本は社会保障費で
崩壊しかねない。これ以上は消費税も上げられないですし、だからといって
法人税を上げる気は、与党には毛頭ないですからね。国民皆保険制度撤廃
では選挙に勝てない。だから、あ・ん・ら・く・し。これが社会保障費
削減の本丸になったんですよ」            2につづく

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小説 安楽死特区 (2)

2020-07-20 17:32:17 | ③好きな歌と句と詩とことばと
そう、その時は反対でも、なんとなく決めてしまえば、反対したこと
自体を早々に忘れるのが人間というもの。この国でずっと膠着(こうちゃく)
状態のままだった安楽死法案だって、間もなくそうなるだろう。
平成の世であれだけ反対していた国会議員や医者たちは一体なんだったのだ?
もうすぐ日本人全員が首を傾げるはずだ。喉元過ぎれば熱さを忘れすぎる
のが、この国の最悪なところであり、いいところでもある。

(ニュースキャスターから政治の世界に移り、国会議員や都知事をやってきた
 池端貴子が安楽死第一号として名乗り出る)

一番最初に池端貴子が安楽死宣言をするとは・・・・・・。
ニュースキャスター時代から、いつも新しいことを言い出し、その都度
国民の関心を集め、拍手と称賛を浴びて生きてきた女。そして、ややこしい
事態とわかると不意にそこから梯子(はしご)を外すようにしてはずれ、
さらに新しいものに飛びつき、再び称賛を求める。    

政府は、多死社会、超高齢化社会からの脱却案を見い出せずにいるが、
我が国の社会保障問題、さらには終末期医療を巡るさまざまな問題に
対しての解決策の一案として、東京オリンピック以降活気を失くした
中央区銀座のホテル及び、築地再開発地区にありゴーストタウンと
化した一部のタワーマンションを国と東京都が買い取って〈安楽死特区〉
を立ち上げることを正式に発表した。

その後、〈安楽死特区〉は問題だらけであることが発覚する。
そして池端貴子は事件により亡くなるが、亡くなる前日に
次のことをこっそり話していた。

「国と東京都が、この〈安楽死特区〉を作った、もうひとつの目的です。
〈安楽死特区〉には、今、認知症の人も少なからず入居されています。
終末期ではない認知症の人を、「回復の望みがない」「耐えられない精神的
な痛みを伴う」ことを前提に、〈安楽死特区〉への受け入れを国が認可
したのは、なぜだと思いますか。それは、おひとりさま(家族のいない)
認知症の人の財産を狙ってのことだと、池端さんは私に打ち明けました。
認知症患者が保有する金融財産は、今や200兆円もあり、我が国の
家計金融資産全体の1割にあたります。内、おひとりさまの認知症の人が
保有する金融資産はその半分近いのです。おひとりさま認知症の人の
お金が、社会に回らないままでいるのは、この国の大きな損失である、
だから国は、孤独担当大臣を作ったのだ。
孤独死対策の本当の狙いはそっちにある」

安楽死を選ばなくとも、あなたらしい最期をもう一度、考えてください。
この国は、命と経済を天秤にかけて〈安楽死特区〉を作ったのです。
そんな場所で死ぬことが、本当に自分らしい最期だといえますか。
                         (引用ここまで)



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初恋・地獄篇

2020-07-15 04:54:00 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
以前にも書いたが、年を取ると好きなものはより好きに、
嫌いなものはより嫌いになってゆく。
特にあの政治家がテレビに出ようものなら、一人だとチャンネルを替えるが、
連れ合いが一緒だと席を立たずにはいられなくなる。
神経が剥き出しになってしまう感覚なのだ。

嫌いなものを挙げたらきりがないので、好きなものを挙げます。
私の一番信頼しているキャスターは金平茂紀さんです。
その彼が、「私を作った3本の映画たち」を書いている。
2本は観たのだが、「初恋・地獄篇」はまだだったので借りることにした。
寺山修司・羽仁進脚本、羽仁進監督で1968年の作品だ。
私は羽仁進の映画をあまり観たことがないので分からないが、
いかにも寺山というシーンがいくつかあった。

主人公の男は7つの時に父が亡くなる。そして母も男と出ていく。
その後、養父母のもとで暮らし始める。
だがこの養父が男の子に性的いたずらをする。
養母は見て見ぬふりをする。
青年になった男の楽しみは、小さな女の子と公園で遊ぶことだ。
それも邪険な考えの大人に通報されてしまう。
そしてついに養父の性的虐待に逆らったことで、彫金の仕事も家も失う。

主人公の女は集団就職で東京に出てきたが、お金のために
ヌードモデルをしている。
ヌードスタジオでは裸になるだけではなく、マド・サドや変態ショーなどで
邪悪な大人に傷つけられる。
こうした社会の底辺を生きる二人が出会う。
初めて入った旅館での男の行いが痛々しい。

男役の高橋章夫といい、女役の石井くに子といい、この二人にしか
出来ない役だ。
大人になりきらない、寡黙でいつも怒っているような男。
童顔なのに豊満な体の女。
そして男と遊ぶ小さな女の子は、まるで岸田劉生の「麗子像」のようで
不思議な雰囲気を醸し出している。

女の子のなぞなぞの答えが分からずに、男は女に聞く。
「キャベツをむくと芯がでる。ではタマネギをむくと何が出る?」
答えを知って男は初めて笑う。
文通のための切手を交換するなど、やっと二人に幸せが訪れると思いきや、
初めて結ばれるその直前に、男は邪悪な大人によって殺される。

天狗のお面、かくれんぼ、男の子の性器、母親が出ていく際に
少年とキスをするシーンなど、寺山を思わせるシーンがいくつかあった。
それにしても初恋とは、なんとヒリヒリしているのだろう。

緑魔子のファンなので、一緒に「非行少女 ヨーコ」を借りる。
降旗康男監督のデビュー作で、1966年の作品だ。
こちらも輪姦されたり、父親に迫られたりして田舎にいられなくなった女が、
東京に出てくる。
そしてハイミナール(睡眠薬)中毒になってゆく。
「ラリる」という言葉があるが、当時は大麻でも覚せい剤でもなく、
睡眠薬の過剰摂取だったのには驚いた。
石橋蓮司がおかま役で、寺山修司がちょい役で出ている。

広辞苑によると、不良は品行が悪いこと、非行は法律や社会規範に
反した行為をいうとのことです。

※ラジオで面白い曲をやっていました。
 「【OBK-RECORDS】 あがた森魚・緑魔子ー昭和柔侠伝の唄」
              ↓
https://www.youtube.com/watch?v=irABYHEKvEA







(画像はお借りしました)

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ふたご

2020-07-06 17:14:13 | ③好きな歌と句と詩とことばと
図書館が使えるようになり、藤崎彩織著『ふたご』を読む。
以前、この小説を予約したのはベストセラーになっていたのと、
私の歌集『ふたりご』に似ていたので親近感を覚えたからだ。
作者のことは全く知らなかった。
読み始めて次の言葉にくぎ付けになった。

 自分が誰かの特別になりたくて仕方がないことを、
 私は「悲しい」と呼んでいた。
 誰かに必要とされたくて、誰かに大切に想われたくて、
 私は泣いた・・・・・・。
 
 十四歳の夏のことだった。        (引用ここまで)

同じ中学に通う月島と夏子は、月島が「ふたごのようだ」というくらい
分かりあえる言葉を持っている。
だが、月島のハチャメチャな行動に夏子は振り回されていく。
この先もずっと。
それでも夏子は「いやだ」と言えない。
彼が望むことに最大限努力してしまうし、そのことで傷つき苦しむ。
読んでいて歯がゆいし、痛々しくなるほどだ。
彼との関係を切ることだってできるのに、と読みながら
何度思ったかしれない。
月島が彼女に求めているのは愛情なのだろうか、
それとも母性のようなものか。


私は母親にたっぷり愛された記憶がない。
それでなのかは分からないが、若い頃は誰かのために何かをしたい、
誰かのために尽くしたいという意識が人一倍強かった。
相手に「違う」と言えない、相手に「NO」と言えない。
いつも相手からどう思われているのか気になる。
他者を通してしか自分の存在意義が見出せない。
つまり自己肯定感が低いのだ。

こういう人間は厄介な人間と関わりがちだ。
「この人のことを分かってあげられるのは、私しかいない」と思い込む。
すると相手は、初めて自分の自由にできるおもちゃを手に入れたように、
「こいつには何を言っても、何をしても許される」と勘違いし、増長する。

自分が何がしたいのか、どうしたいのか、もっと主体的に考えて生き、
自分を大切にしないと、人からも大切にされない、このことに気づいたのは、
高齢者になってからだ。
藤崎さんの感情を抑えた論理的な文章に、そんな自分を重ね合わせていた。


藤崎さんが「SEKAI NO OWARI」というバンドで、
ピアノを担当していると後で知った。
YouTubeのライブ映像を観ると、まるでディズニーランドに行ったような
華やかさで、楽しい。
彼女は一本芯が通っていて、自信に満ちているように見えた。
Fukaseさんは、彼女とほぼ同世代とは思えないくらい
あどけない顔をしていた。
それより前の「幻の命」というミュージックビデオを観ると、
彼は壊れてしまいそうなくらい、壊してしまうそうなくらい、
ピュアは青年に見えた。

「SOS」 美しい曲です。
      ↓
https://www.youtube.com/watch?v=NYbZ4nR0g38

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