今日のうた

思いつくままに書いています

詳(つまび)らかに読んでいませんので・・・・・・追記5、6、7

2015-05-29 06:53:07 | ②一市民運動
追記5
『宰相A』を読み終えた。
『宰相A』はもちろん独裁者である。この独裁者に捕まった作家Tの運命は?
この小説を読みながら、私は映画『1984』を思い出していた。

『1984』は、ジョージ・オーウェルの小説がもとになっている。
オーウェルはこの小説を1949年に書いた。(当時としては十分、近未来である。)
そして1984年にイギリスで映画が作られた。(何ともユーモアがある。)
映画では『ビッグ・ブラザー』という独裁者が、全体主義を布(し)いている。
恋愛も許されない管理社会である。
全体主義に反対する主人公は捕まり、いろいろな手段で洗脳されていく。
洗脳する一番有効な方法はなにか。それは恐怖を与えることである。
主人公はゴキブリに怖れを抱いている。どうも妹がゴキブリに危害を加えられたらしい。
電流を流しても、何をしても洗脳されない主人公に対し、最後の手段として取られたのは
ゴキブリが五万といる部屋に監禁し続けることだった。
ゴキブリ部屋から出てきた主人公は虚ろな表情だ。
だが集会では嬉々として、「ビッグ・ブラザー」「ビッグ・ブラザー」と
大声で連呼するのだ。

『宰相A』の作家Tは次の言葉で洗脳を迫られる。
「なぜ自分、などと考えなければならない?なぜ自分などという狭苦しい容器に入って
 いなければならない?現にお前と同じ芸術家たちは我が国において、自分という貧弱な
 価値観から抜け出し、国家に認められて、お前も言ったではないか、承認、を得て、創作
 に全熱情を注いでいる。国家に尽し、純然たる日本国民としての承認を得る、アメリカと
 我が国が協力して世界規模で行っている平和主義的戦争に資する、これ以上の喜びなどな
 いのだと、なぜ気づかない?なぜ気づかないフリをする?」

作家Tは電流を何度も浴びるなどの拷問を受ける。その合間に、大スクリーンに映し出される
巨大な首相の顔、たるんだ皮膚、脂だけはたっぷり宿している顔を何度も
見せつけられるのだ。その後、Tはどうなったか。

「何か全く別の土地から日本に流れ着いたTが、日本軍に身柄を不当に拘束され
 拷問を受けた・・・。なんでもTは、国家のための文芸表現という、全ての作家が
 心得なくてはならない平和的、民主的創作態度を初めから放棄し、自らの欲求を満たす
 目的で小説を書こうとした、だが発生した居住区暴動とその鎮圧に巻き込まれ、前述した
 拷問を受け、人間として正常でなくなった、性的な能力も失われた、その過程の一部始終を
 記した作品を残した筈だ、拷問によって記憶を断たれたTは、機械的に当局に
 都合のよいものしか書かない御用作家になった・・・」

Tの弁
「旧日本人時代のTの原稿などどこにもないことは明白である。・・・そのような反国家的
 作品はいまだかつて日本で書かれたことはない。書かれるわけがない。言論とはそのような
 汚辱にまみれたものではない。重ねて申し上げる。そのような原稿はない。
 存在理由もない。だから誰も目にしたことはない。
 また私が拷問にかけられて正常でなくなったというのも
 幻想でしかない。・・・私はいま、完全に自由なのだ。作家として望み得る限りの最上の
 自由を手に入れたのだ。国の認可を受けて国のために作品を書く、これ以上の自由を
 私は想像できない。我が国がアメリカとの対等な協力関係の許で進めている
 戦争主義的世界的平和主義における戦争において一掃を目差している、反人類的非地球的
 独裁国家並びにその影響下にある非人道的勢力は、芸術家に国の認可を与えずに創作活動を
 許している。・・・国家の存立に寄与しない芸術など芸術ではなく、永久に自由とは無縁の
 自己顕示に過ぎない」 (引用ここまで)

特定秘密保護法が閣議決定された時に、こんなちっぽけなブログをやっている私でさえ、
これからは今までのようには書けないのではないかと、本気で悩んだ。
罰則があるということは、関係のない人間でも萎縮し、自主規制してしまうものなのだ。
それが政権の狙いであり、ほぼその通りになってきていると思う。

田中慎弥さんの作家としての感受性からして、私とは比べようもないくらいの
危機感があったことは推察がつく。
近くの本屋の平積みを探したが、『宰相A』は無かった。
棚にひっそり一冊だけ置かれていた。

ジョージ・オーウェルは『1984』を、35年後のこととして書いた。
35年後に『宰相A』は、どう読まれているのだろう。

追記6
2015年5月23日、アメリカの天才数学者「ジョン・ナッシュ」が亡くなりました。
彼は統合失調症の病を持ちつつ研究を進め、ノーベル賞を受賞しています。
彼の半生を描いた映画「ビューティフル・マインド」を今、観終えました。
もう、素晴らしいのひと言です。
この中にも「ビッグ・ブラザー」という言葉が出てきますが、「政府」と
ルビが振ってありました。
(2015年7月3日 記)

追記7
11月14日に産経新聞に、翌15日には讀賣新聞に掲載された岸井成格さんへの
意見広告が、上に書きました映画、『1984』のビッグ・ブラザーの
レイアウトに似ていると話題になっています。両者を載せましたのでご覧ください。   
(2015年11月30日 記)



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Shing02 「日本国憲法」

2015-05-28 17:46:16 | ②一市民運動
2015年5月28日朝日新聞の論壇時評で高橋源一郎さんが、ラッパーの
Shing02(シンゴツー)さんの「日本国憲法」という曲を薦めていた。
You Tubeで今、聴いたが、すごい!の一言です。

たった22分22秒ラップを聴くだけで、これまでの世界の歴史・日本の歴史・日本国憲法・
集団的自衛権・人としての生き方が学べます。

原稿用紙にすると100枚くらいの内容です。
22分があっという間でした。
こんな真剣な若者に接すると、日本はまだまだ自浄力があるとほっとします。

国会での答弁にうんざりしていましたが、涙が出るほど感動しました。
そして心が洗われました。
ブックマークに入れましたので、是非、是非、是非、是非、是非、
是非、是非、聴いてください。
                    ↓
https://www.youtube.com/watch?v=sPZj6_bsDog






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詳(つまび)らかに読んでいませんので・・・・・・追記2~4

2015-05-28 06:54:50 | ②一市民運動
5月20日のブログ「詳(つまび)らかに読んでいませんので・・・・・・」の
追記が長くなりましたので、独立させます。

追記2
2015年5月20日の党首討論で、岡田克也さんが安倍首相の
「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にあり得ない」と発言したことを問題視し、
「私は一つも納得できない。間違っている」と声を荒らげると、

安倍首相は、
「我々の法律の説明は全く正しいと思いますよ。【私は総理大臣なんですから】」と答弁した。

何をか言わんや! あいた口が塞がらない! 耳を疑う! 絶句! オーマイガッド!
現代版印籠? もっとも黄門様は悪を懲らしめる時に使うが、
安倍首相は自分を正当化する時に使う。(甘やかな表情をたたえて)
以前も「わたくしは総理大臣ですから」と言うのを聞いたことがある。
「総理大臣」=「日本を意のままにすることができる」と勘違いしているのではないか。
まさかとは思うが、これまでの言動を見ると、大いにあり得る。
(2015年5月24日 記)

追記3
安倍政権は、安全保障関連法案を「平和安全法制」と名付けた。
いつから平和と戦争は同義語になったのだろう。

田中慎弥著『宰相A』の中に、「戦争主義的世界的平和主義の精神」という言葉が出てくる。
まだ読み始めたばかりだが、徹底的に管理された無茶苦茶な世界を描いている。
この小説が出た時は、まだ「平和安全法制」という言葉は無かった。
田中さんのセンスのすごさ、想像力、洞察力に驚く。
この部分を引用させて頂きます。

「世界は我が国のように正義と民主主義が確立された国ばかりではありません。
 そこでアメリカ主導のもと、他国の同盟国の協力も得て、戦争主義的世界的平和主義の
 精神を掲げ、横暴な反民主主義国家に対し、平和的民主主義的戦争を
 行っているところです。
 この戦争は我が日本の独立と、国家への国民の忠誠を確立しています。」

「無茶苦茶だ。」

「無茶苦茶でない戦争などありません。・・・」 (引用ここまで)

小説の中の世界と、笑ってばかりもいられなくなった。
(2015年5月25日 記)

追記4
『宰相A』の演説
「我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる
 通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。戦争という口から平和という歌が流れる
 のです。戦争の器でこそ中身の平和が映えるのです。戦争は平和の最大の母であります。
 両者は切っても切れない血のつながりで結ばれています。健全な国家には健全な戦争が必要
 であり、戦争が健全に行われてこそ平和も健全に保たれるのです・・・・・・」

「我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。戦争を通じてのみ平和を構築出来
 るのであります。平和を掻き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかない
 のです。これこそが至高の方法なのであります。最大の同盟国であり友人であるアメリカ
 とともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的
 平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。」(引用ここまで)

筆の力はすごい!『宰相A』の演説が、声を伴って聴こえてきた。
現在の日本で、これらが全て絵空事と言い切ることができるだろうか。
(2015年5月28日 記)
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詳(つまび)らかに読んでいませんので・・・・・・

2015-05-20 21:08:51 | ②一市民運動
2015年5月20日の党首討論で、志位和夫さんが安倍首相に尋ねました。
「あの戦争は間違いだったと思いますか」

安倍首相は、
「ポツダム宣言のその部分を、私はまだ詳らかに読んでいませんので、論評は差し控えたい」
と答弁しました。

「戦後レジームからの脱却」を謳いながら、読んでいないとは!
「日本国憲法」は詳らかにお読みになっているのでしょうか?

安倍首相のこの答弁をブックマークに入れました。なかなか見応えがあります。
削除されると思いますので、お早めにどうぞ。
          ↓
http://togetter.com/li/824099

追記1
これは以前から私が感じていたことだが、
(1)自分に自信の無い人間
(2)学のあることを衒(てら)う人間
(3)自分でもよく理解していないことを悟られたくない人間
(4)自分の考えや行動を誤魔化そうとする人間
これらの人たちは、難しい言葉を使いたがる傾向にある。

国会議員は国民の選挙で選ばれたのだから、誰にでも分る言葉を使うのは
当たり前のことなのではないだろうか。

安倍首相の答弁には、難解な言葉が多いように思う。
今回も「つまびらかに読んでいない」と言わなくても、「詳しくは読んでいない」、
「詳しく読んではいない」で事足りるのではないだろうか。

安倍首相の答弁では、最初は「つまびらかに承知していない」と言っていた。
何度も志位さんに質問されて、「つまびらかに読んでいない」という答弁になっていった。

小学館の「現代国語例解辞典」によると、
「つまびらか(詳らか、審らか)は、形容動詞である。
 物事の状態などがはっきり分かっているさま。委細」とある。

例文としては、
「つまびらかに報告する」「真相がつまびらかになる」

答弁の最初に使われた「つまびらかに承知していない」の使い方は納得できるが、
「つまびらかに読んでいない」の用法は違うのではないだろうか?
「つまびらかには読んでいない」「つまびらかに読んではいない」はありか?

ポツダム宣言の内容が詳らかになるように、詳しく読んで欲しいと思います。
(2015年5月23日 記)
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安全保障関連法案閣議決定

2015-05-16 12:52:20 | ②一市民運動
安倍内閣は14日、自衛隊の海外活動を広げ、武力行使にも道を開く
新たな安全保障関連法案を閣議決定した。15日には11法案を国会に提出した。
14日に行った安倍首相の記者会見を聞いていると、私には姑息(その場のがれ)と
思われる発言が目立った。また重箱の隅をほじくるような、言葉の微妙な違いの
巧みな使い分けが気になった。
気になる事柄を5つピックアップします。

(1)米国の戦争に巻き込まれると不安をお持ちの方に申し上げる。絶対にありえない。
   日本が武力を行使するのは、日本国民を守るためだ。

日本国民を守るための武力行使は、今ある個別的自衛権に保障されています。
集団的自衛権を持ち出したのは、日本が直接攻撃されていなくとも、
日本と密接な関係にある他国が武力攻撃され、
「日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある」と
【政府が判断すれば】海外での武力行使ができるようするためではなかったのか。
【武力攻撃事態法改正案】

(2)自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは
   今後とも決してない。
   PKO協力法制定時も、「戦争にまきこまれる」との批判が噴出した。
   しかし、まったく的外れだったことは歴史が証明している。

「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)に、日本が集団的自衛権を使うことを
盛り込み、米軍への後方支援の地理的制限もなくした。
また、自衛隊の米軍への協力を地球規模に拡大する
内容で、自衛隊のあり方が根本から変わる。このことと、自衛隊が湾岸戦争や
イラク戦争での戦闘に参加することは今後ともないと言うこととは、
整合性がないのではないか。

また、2014年7月6日の私のブログ「集団的自衛権 閣議決定への疑問 
『報道特集』」に、次のように引用しました。
「イラク戦争に自衛隊を派遣する際、人道支援だけと報道されていましたが、
 実際は武装したアメリカ兵を毎日、前線まで飛行機で輸送していた。
 また派遣するのは非武装地域のみと報道されていましたが、アメリカの要請で
 これも解除された。」(引用ここまで)

また、2014年4月17日の私のブログ「PTSD( 心的外傷後ストレス障害 ) 」に、
「クローズアップ現代」(2014年4月16日放送)の番組内容を引用しています。
再度、その内容を載せます。
       ↓
http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3485/1.html

「死傷者は出なかったものの、自衛隊の車両が攻撃を受けたという事実、
 そして自衛隊幹部が語った 「 いざという時のために棺まで用意した 」 という
 言葉に衝撃を受ける。
 また、以前、イラクに派遣された自衛隊上官のインタビューを読んだことがある。
 サマーワで死者が出なかったのは奇跡に近いという話だった。」(引用ここまで)

これでも「戦争にまきこまれる」という批判は、的外れだったと言えるのでしょうか。
アメリカに要請されればどんなことでも、日本は断れないのではないかという懸念を抱きます。

そして「補給などの後方支援」は戦闘行為ではない、とこれまでも言っていますが、
補給任務は戦闘行為です。2014年12月29日の私のブログ「後方支援は安全か」に
引用しました泥憲和さんの言葉を、再度、引用させて頂きます。

「泥憲和氏は『護憲派・泥の軍事政治戦略 安倍首相から「日本」を取り戻せ!!』の中で、
 集団的自衛権の危険性を、ご自分の体験から論理的に分りやすく、何度も述べている。
 泥氏は自衛隊の「ホーク地対空ミサイル部隊」に所属していた方だ。
 この本を読むと安倍首相が、いかに現実の戦争や、集団的自衛権の本質を知らないかが解る。

 集団的自衛権で危険にさらされる
 安倍さんの空論
「安倍さんはいう。集団的自衛権を行使するにしても、自衛隊を直接的な
 戦闘行為に参加させることはないと。自衛隊を海外に派遣しても補給行為など
 後方支援に留めるし、『攻撃を受けたら撤退させる』と答弁している。
 その方針で「日本の安全が確保できるなら」「平和主義が崩れないのなら」
「自衛隊が危険な任務から免れてしかも外国の人を傷つけずにすむのなら、それでいい」と
 思っている人がいるかもしれないが、それは実に甘いと思う。
 安倍さんのいい分がどこまで信用できるものか、具体的に考えてみよう。

 まず、補給を止めれば前線部隊は戦えなくなるから、補給部隊を攻撃するのは
 作戦の常道であることを知ってほしい。
 さて、ここに二つの補給部隊がいる。攻撃すれば撤退するとわかっている自衛隊と、
 攻撃しても頑強に戦い続ける部隊である。あなたが武装勢力ならどうするだろう。
 攻撃すれば撤退する部隊を狙うのではないだろうか。私なら、そうする。
 つまり、いの一番に狙われるのは自衛隊である。自衛隊の視点に立てば、
 攻撃されて死ぬのを待つわけにはいかないので、当然反撃する。
 反撃したら戦闘行為である。
 補給任務だから戦闘行為ではないとか、攻撃されれば撤退するから戦闘にならないなど、
 机上の空論なのである。」(引用ここまで)

(3)PKO活動を自衛隊がしていて、近くの日本人NGO(非政府組織)から救出を要請
   された場合、救出できる。

この言葉も、ブックマークに入れた「マガジン9 この人に聞きたい 中村哲氏」を
ご覧になれば、現実とかけ離れていることが解ると思います。
医師の中村さんは「ペシャワール会」の代表として、パキスタン、アフガニスタンで、
さまざまな活動に携わっておられます。  
中村氏の言葉を引用させて頂きます。

「僕は憲法9条なんて、特に意識したことはなかった。でもね、向こうに行って、
 9条がバックボーンとして僕らの活動を支えていてくれる、これが我々を
 守ってきてくれたんだな、という実感がありますよ。体で感じた想いですよ。
  武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。
 それが具体的な形として存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、
 現地の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって
 我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。
 9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、
 ほんとうの日本の強味なんですよ。

 具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、
 なんで手放す必要が
 あるんでしょうか。危険だと言われる地域で活動していると、
 その9条のありがたさをつくづく感じるんです。
 日本は、その9条にのっとった行動をしてきた。だから、アフガンでも中東でも、
 いまでも親近感を持たれている。これを外交の基礎にするべきだと、僕は強く思います。」
 (引用ここまで)
救出などいいから、今のこの状況を変えないでくれというのが切実な思い
なのではないでしょうか。

※限度数の関係で、ブックマークに入れました「マガジン9 この人に聞きたい 中村哲氏」を
 削除させて頂きました。下のURLをコピペし、Googleで検索して頂ければ一番上に出ます。

http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php">http://www.magazine9.jp/interv/tetsu/tetsu.php

(2015年8月25日 記)

(4)今までも自衛隊は危険な任務を担っており、発足以来1800人が殉職した。
   殉職者が全く出ない状況を実現したいし、一人でも少ない方がいいが、災害においても
   危険が伴う。隊員の安全確保は当然で、リスク軽減は今後も変わらない。

少し前まで安倍首相は、「1人の自衛隊員も犠牲になることはありません」と言っていました。
ところがここに来て、1800人が殉職されたことを持ち出すようになりました。
自衛隊員はその覚悟で入隊したのだからと。
現在の自衛隊員が入隊する時には、集団的自衛権の行使についての説明はもちろん無かった。
これは契約違反になりませんか。
それと1800人は殺害されたのではなく、事故で犠牲になったのではないでしょうか。
事故と戦闘に巻き込まれて亡くなるのとでは、任務の中身が全く違います。
これまでは、戦闘で亡くなった自衛隊員はいないのです。

しかし余り報道はされませんでしたが、次の事実があります。
上に引用したブログ「PTSD( 心的外傷後ストレス障害 ) 」の内容を、再度、載せます。

「イラク戦争に派遣された1万人の自衛隊員のうち、帰国後にPTSDにより
 自死した隊員が、28名にのぼる。
 イラクでの任務中も、1~3割の隊員が心身の不調を訴えていた。」(引用ここまで)

(5)日米同盟にすきがあると思われると、攻撃を受ける危険性は増す。法整備で、
   紛争に巻き込まれたり、日本が攻撃を受けたり、日本人の命が危うくなったりする
   リスクは減少する。

本当にそうでしょうか。力が落ちてきたアメリカにとって日本からの申し出は、渡りに船
だったのではないでしょうか。安倍首相のアメリカでの異例の歓待ぶりを見れば、
それが分ります。日本がこれだけするのだから、いざという時はアメリカも・・・と
期待するのはどうなのでしょう。
2015年5月15日朝日新聞の「耕論」に、植木千可子さんが次のように語っています。

「北東アジアではいまだに古典的な形の戦争、つまり国家対国家の戦争を
 イメージしていますが、世界全体では対テロや感染症、温暖化といった
 国際安全保障の責任をどうとるかが課題です。
 日本政府は『積極的平和主義』という今風の言葉を使っていますが、一昔前の問題が
 関心の中心のようです。
 新たな安保法制によって日米同盟は強化されるのでしょうか。米国の求めに
 応じやすくすることで、より守ってくれるようになる、という考えだと思います。
 でも同盟相手に【「ツケ」はききません。】
 これをやったから次はよろしくというのは期待できない。米国はそのつど判断します。
 むしろ米国に対して日本が「出来ない」と答えると、これまで以上に米国は失望し、
 同盟が一致していないと見せるリスクがあります。

 日本が安全保障面で新しい一歩を踏み出すのなら、さきの戦争を自分たちで総括することが
 必要です。当時の日本社会のどの仕組みが機能しなかった結果、あの戦争が拡大し、多くの
 命が奪われたのか。誰がではなく、どういう制度があったら、あそこまでひどくならなかった
 のかを知り、今後に生かすためです。」(引用ここまで)

日本がこれだけしたのだから、いざという時にアメリカは全面的に守ってくれるはずだ、
とは限りません。あくまでもアメリカは、その時のアメリカの現状と世論を
最優先するでしょう。

広辞苑によると、「戦争とは武力による国家間の闘争」とあります。
「紛争とはもつれてあらそうこと。たとえば国際間の紛争」とあります。
これからは国家対国家の戦争より、国際間の紛争の方が多くなるのではないでしょうか。
たとえば、「イスラム国」は正式な国家ではありません。この場合に「テロとの戦い」とは
言っていますが、「戦争」と言うのでしょうか。

安倍首相は、「米国の戦争に巻き込まれるのではないか、はっきり申し上げます。
絶対にありえません」と断言しています。
私の杞憂だとは思いますが、何か起きた場合には、次のような発言は考えられないでしょうか。
「私は米国の戦争と言ったまでで、米国が主導する国際間の紛争解決のための後方支援で、
 巻き込まれることがないと言った覚えはありません。」
安倍首相には優秀なブレーンがいるようで、めくらましのように言葉を駆使します。
そのために私が神経質になっているのかもしれません。
取り越し苦労であることを祈っています。

それにしても安倍首相は、いとも簡単に物事を断定し、都合が悪くなると
覆(くつがえ)してしまう。
今の私の気持ちを代弁してくれる川柳が、2015年5月16日の
「朝日川柳」に載っていました。
「お見事!」と手をたたいてしまいました。引用させて頂きます。

 信じないアンダーコントロールから    武井和絵さん

追記1
今朝の「サンデーモーニング」に出演されたフォト・ジャーナリストの安田菜津紀さんが、
次のように言っていました。

「無関心が人の命を奪うこともある」、と。

心に深く刻みました。
(2015年5月17日 記)

追記2
2015年5月27日の衆院の特別委員会で、新たに自衛隊員の自死が明らかになった。
これは志位和夫氏の質問に、防衛省の真部人事教育局長が答えたもの。

2003年~2009年にイラクに派遣された自衛隊員は約9310人。
そのうち自死した隊員は29人。

2001年~2007年にテロ特別措置法にもとづく、インド洋での給油活動に派遣された
海空の自衛隊員はのべ約1万3800人。
そのうち自死した隊員は25人。(※2015年6月5日、安倍政権は自死した隊員は
従来の公表数より2人増えて、27人とする答弁書を閣議決定した)
これまでのところ、54人の自衛隊員が自死している。(※56人になる)
志位氏は次のように指摘している。
「自衛隊員の戦死者が出ていないものの、犠牲者が出ていないわけではない」
(2015年5月28日 記)
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司馬遼太郎の「血管が破裂する」

2015-05-10 09:07:32 | ⑤エッセーと物語
2015年5月8日、朝日新聞夕刊「ノモンハン事件をたどって4」に
司馬遼太郎の「血管が破裂する」ほどの怒りが載っていましたので、引用させて頂きます。
2014年7月30日の私のブログ「二十二歳の自分への手紙 ~司馬遼太郎~2」
(NHK Eテレ「日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち」)には、
「血が腐るほどの怒りが先になると、小説はできない。」とあります。
いぜれにせよ、司馬遼太郎の怒りの激しさが察しられます。

 例えば、ノモンハンで関東軍の作戦主任参謀だった服部卓志郎は41年7月に
 大本営作戦課長に、関東軍参謀だった辻政信は42年3月に同課作戦班長に就任。
 ガダルカナル島の作戦を指揮した。
 物資の輸送能力を考慮せず損害を広げたノモンハンの失敗が拡大再生産され、
 島は「飢(が)島」と呼ばれた。島での死者約2万人のうち、
 約1万5千人が餓死か病死とされる。

 司馬が苦しんだのは、取材先との関係より、この国が抱える構造的な何か
 だったのではないか。
 執筆の見通しを尋ねた半藤(半藤一利)に、司馬は「その話は一切しないでくれ」と告げた。
 『ぼくがノモンハンを書くとしたら、血管が破裂すると思う』『当時の日本陸軍のトップの
  頭の悪さと、国家保全への感覚のなさに、精神衛生が悪くなってしまう』-。
 司馬は対談や随筆でそう繰り返し、長編小説で「昭和」を描くことはなかった。

 96年2月、司馬死去。半藤は霊前で合掌し「私が書きます」と誓った。
 作品『ノモンハンの夏』が約1年後に完成した。半藤は「ノモンハン敗戦の責任者である
 服部・辻のコンビが、対米開戦を推進し、戦争を指導した全過程をみるとき、(中略)
 人は過去から何も学ばないことを思い知らされる」と結んだ。(敬称略) 
 (引用ここまで)

(「戦後レジームからの脱却」が「戦前への回帰」になりつつある現在、最後の一行
 【人は過去から何も学ばない】という半藤一利さんの言葉と、司馬遼太郎さんの
 【(怒りに)血管が破裂すると思う】という言葉が、一段と胸に突き刺さる。)

●武田康弘さんのブログ「思索の日記」より、「戦争に向かった戦前と似ている」ー
 石田雄(東大名誉教授・社会学91歳) 安部首相の恐ろしさ。」の記事をお借りしました。
 ブックマークに入れました。是非、お読みください。
                    ↓
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/16e85b829011d31c770fd99b509678e6


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清(ちゅ)らに生きる 伊都子のことば 1

2015-05-08 12:58:08 | ③好きな歌と句と詩とことばと
『清(ちゅ)らに生きる 伊都子のことば』は、随筆家の岡部伊都子(いつこ)さんが
お書きになった 133冊の本の中から、高林寛子さんがいくつかをひろいあげ、
すくいあげて編集した本です。 28歳から83歳まで、年代順になっています。
特に私の心に響いた言葉とエッセイの一部を引用させて頂きます。
カッコ内の数字は書かれた年齢です。  
(1)私は死に直面して、その時の自分の心境、態度を客観し、     
   自分の真の姿を知って死にたい。 (28歳)  

(2)死ぬこともまた光であり美であり     
   周囲をよろこばせうるものであることを知って、     
   私は自分の死を心たのしく待つ。 (36歳)  

(3)文字をつらねるということは、     
   口に言うのとはまたちがった、一種の誓いである。 (47歳)  

(4)右だとか左だとかいう言葉の魔術にかきまわされて、     
   大切にしなければならない人間としての魂、人間愛が、    
   どこかへ沈められてしまったようなもの悲しさを覚えるのです。
   (47歳ー1970年)  

(5)人間の存在がつづく限り、     
   寂寥はつづく。 (47歳)  

(6)幸福な家庭生活を送っている人でも、個は弧である。     
   弧なる個の確立がなされていない民主主義はあり得ない。 
   (52歳ー1975年)  

(7)おさな子の色っぽさに、     
   女ながらも見惚れることがある。 (56歳)  

(8)「こんなに汚く老化してきた自分を      
    見ることができるなんて」     
   ありがたい。 (56歳)  

(9)自分を優しく気持ちのいい存在にきたえてゆくうれしさ。 (59歳)

(10)志の仲間は     
    心のもっと近いところに置く心の血縁だ。 (59歳)

(11)朝早く、やわらかな筆の穂先で     
    雄花の花粉を、雌花に移した。     
    そのたびに、すこうし胸がときめいた。  (59歳)

(12)露が消えるように、     
    気がつけば消えていたい。  (61歳)

(13)年を重ねるにつれて、余分な要素が洗われてゆく。     
    持ち重りしていた若さから、     
    一つ、また一つと自己解放されてゆくうれしさ。  (62歳)
     2につづく      

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清(ちゅ)らに生きる 伊都子のことば 2

2015-05-08 12:57:19 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(14)平和条項と、国民の平等、思想、良心、信教の自由などは、
    はかり知れぬ血の河によって生まれ得たもの。  (62歳ー1985年)

(15)性が静かになってからこそ、
    芯から人がなつかしい。  (64歳)

(16)この国はどうなってんの。
    毎日のように、うめく。  
           (67歳ー1990年。※首相は海部俊樹さん。8月2日、
            イラクがクウェートに侵攻し湾岸戦争が始まる)

    【この国はどうなってんの。毎日のように、うめく。
     あちこちからも、うめき声がきこえる。
     今更のことではないが、それにしても、ひどい。
     誠実そうにかしこまって、もくもく霧にぼかしてゆく。
     自覚と反省のない首相発言に、国内外の信頼が傷つく。
     誠実は、自浄作用の基本だが、全く自浄の気配はない。】

(17)静かな怒り、
    真実を歪(ゆが)めるものへの怒り。  (68歳ー1991年)

(18)沖縄を踏みにじって苦しめて、しかも見棄ててきた、
    ヤマトンチュウの一人としては、
    ここに立つのもおこがましい。  (74歳ー1997年)

    【沖縄の魂、それこそ沖縄を踏みにじって苦しめて、しかも、見棄ててきた。
     ヤマトンチュウの一人としては、ここに立つのもおこがましい、
     そんなこというのもおこがましい。】

(19)つらいけれども、辛さも喜びにする文化を創りたい。 (74歳ー1997年)

    【わたしはこのごろ、つらいけれども、辛さも喜びにする文化を創りたい。
     朝鮮民族にとっても沖縄琉球王国にとっても、日本という国は残酷な
     ことしか、してこなかった事実がある。けれども、大好きな在日の
     みなさんにしても、大好きなウチナーのみなさんにしても、
     ほんとうに苦しめられて身につけられた、ある意味ではうとましい
     日本語ではあるけれども、その日本語が、いまや日本のまちがいを糾弾する、
     たたきのめす、まちがいを正してやるその文字になりつつある
     ということを実感します。】

(私は読みながら涙が出ました。1997年に書かれたことですが、
 今も全く変わっていません。
 いやむしろ悪くなっています。弱い立場にいる人を思い遣る、思いを遣るとは、
 思いをそこに行かせることです。実際には見ていなくても、
 人間は想像することができます。
 政治家はもっと謙虚に深く、歴史を見つめ直してください。
 岡部さんの言葉をかみ締めてください。)

(20)ほんとのことを、もっとわたしたちは知らんといけませんな。
    つらくて聞きたくなくても、真実を知らなかったら、
    次はどういう世界をつくりたいかにかかってきますやろ。  
                       (83歳ー2006年)

    【朝鮮でも沖縄でも、女性は苦労してはる。朝鮮全域から連れて来られた
     からな、北も南もなかった。ほんとのことを、もっとわたしたちは
     知らんといけませんな。
     つらくて聞きたくなくても、真実を知らなかったら、次にどういう世界を
     つくりたいかにかかってきますやろ。】

(21)それぞれの人の心のなかから、渦が、
    ぴょっぴょっとあがってくるやん。  (83歳)

    【それぞれの人の中から詩が出てくるやん、それぞれの人の心のなかから、
     その人の人生のなかから渦が、ぴょっぴょっとあがってくるやん。
     文章というのは、その人その人の独自のものです。
     そうやって、書きつづけてきました。】

(この2年後に、岡部さんはお亡くなりになりました。享年85歳。)


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キボウのカケラ&ウェブベルマーク

2015-05-08 06:51:08 | ⑤エッセーと物語
私のブログの一番右下にブックマークがあります。
そのブックマークの下の方に、キボウのカケラとウェブベルマークが入っています。

☆キボウのカケラをクリックすると、「募金のページへ」が出てきます。
 募金先は3つあります。

(1)東日本大震災 被災地の子どもたちに明るい未来を

(2)難病と闘う子どもたちの夢の実現を

(3)日本の森に元気を

 1日1回クリックして、この3つの募金先に寄付することが出来ます。
 1回寄付をしたら、また「募金のページへ」をクリックて次の募金先へという方法で、
 私はしています。1日3円寄付することが出来ます。
 右下の「Skip」をクリックすると、時間が短縮できます。

☆ウェブベルマークをクリックすると一番右側に、「1クリック募金」のバナーが出ます。
 ここを1日1回クリックすると、3円の募金になります。
 こちらは東北の被災地支援に使われます。

1人1日6円が寄付できます。よかったら試してみてください。
          ↓
https://www.webbellmark.jp/

※ブックマークがちょうど限度数の50になりました。
 古いブックマークから徐々に削除します。

追記1
「難病と闘う子どもたちの夢の実現を」が800万円を超えました。
 8,003,118円です。(私の寄付は」299円、つまり299日分です。)
(2015年5月9日 記)

追記2
ウェブベルマークは1クリックで、1日3円寄付できます。
キボウのカケラは、私のやり方だと10クリックで、1日3円寄付できます。
(2015年6月29日 記)

追記3
「東日本大震災 被災地の子どもたちに明るい未来を」の募金額が、270万円を超えました。
2,701,725円 うち私の募金額は437円。437日分です。
(2015年8月20日 記)

追記4
「東日本大震災 被災地の子どもたちに明るい未来を」の募金額が、280万円を超えました。
2,800,856円 うち私の募金額は483円。483日分です。
「難病と闘う子どもたちの夢の実現をの募金額が、820万を超えました。
8,280,022円 うち私の募金額は440円。440日分です。
(2015年10月19日 記)

追記5
「日本の森に元気を」の募金額が、650万円を超えました。
6,500,179円 うち私の募金額は441円。441日分です。
(2015年10月24日 記)

追記6
「日本の森に元気を」の募金額が、660万円を超えました。
6,660,689円 うち私の募金額は510円。510日分です。
(2016年2月5日 記)

追記7
ウェブベルマークの「1クリック募金」は、1日1クリックで3円募金できます。
こちらは手間がかからずに貯まっていきます。
私はずっとログインしないでクリックしていたので、途中まではカウントされていません。
それでも1回の買い物と79回のクリックで、460円募金できました。
(2016年2月7日 記)

追記8
「東日本大震災 被災地の子どもたちに明るい未来を」の募金額が、299万円を超えました。
2,990,571円 うち私の募金額は564円。564日分です。
東日本大震災が起きてもうじき5年になりますが、
もっと関心を持って、多くの人にクリックして欲しいです。
政治家の人たちもクリックして下さい。1円の重みが分ると思います。
(2016年2月15日 記)

追記9
「東日本大震災 被災地の子どもたちに明るい未来を」の募金額が、300万円を超えました。
3,000,338円 うち私の募金額は568円。568日分です。
まだ1週間も経っていないのに、早いスピードです。
大切に使ってください。
(2016年2月21日 記)

追記10
「難病と闘う子どもたちの夢の実現を」の募金額が、850万円を超えました。
8,500,046円 うち私の募金額は535円。535日分です。
(2016年3月5日 記)

●いつものようにクリックしようとしたら、ブログの画面が変わっていました。
 「キボウのカケラ」は3月31日で終わってしまいました。何の予告もなしに……。
 とても残念です。
(2016年4月2日 記)

追記11
昨日(2016年9月8日)、私のこれまでのウェブベルマークの募金が千円になりました。
259日、千円の重みを感じています。
(2016年9月8日 記)

追記12
気がついたら、ウェブベルマークの寄付金が減額されていました。
これまでは1日1クリックで3円の寄付でしたが、1円に減額されます。
とたんに溜まる速度が遅くなりました。現在、1169円也。
(2017年3月3日 記)


 
追記12
2018年6月26日までに、719回・1500円を寄付することができました。
今日をもって一旦終わりにします。1日1円は重かったです。
(2018年6月26日 記)
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闇より黒い光のうたを 十五人の詩獣たち 1

2015-05-06 09:38:27 | ③好きな歌と句と詩とことばと
私は詩をあまり読んだことがありません。
それでも心にすぅ~っと入ってくる詩には惹かれます。
言葉が入ってきても紆余曲折しているうちに、ますます分らなくなってしまう詩があります。
短歌を始めた頃に、「歌は詩に昇華しなければならない」と言われました。
それ以来、どうも「詩的」というのがトラウマになっています。
手垢のついた、洒落た言葉や表現を使う気にはなれません。
自分で詩的表現をみつけようにも、そもそも「詩」そのものがよく解りません。

こんな思いでいたところ新刊案内で、河津聖恵著『闇より黒い光のうたを 十五人の詩獣たち』
を見つけました。「詩獣」という言葉は、胸に迫るものがあります。
エピローグには次の言葉があります。

「それぞれが残した鋭い爪痕、その癒やされない永遠の痛み、そしてかれらが一瞬掴みえた
 絶対的な自由の冷たさと熱さにも、感覚を伸ばしながら。」
 
15人の詩獣たちとその詩を紹介していますが、その中から9人を取り上げます。

(1)尹東柱(ユンドンジュ) (1917~1945 1943年同志社大学に在学中、
   治安維持法違反で逮捕され、福岡刑務所で獄死。
   『空と風と星と詩』は没後刊行された。享年27歳)

 死ぬ日まで天を仰ぎ
 一点の恥じ入ることもないことを
 葉あいにおきる風にすら
 私は思いわずらった。
 星を歌う心で
 すべての絶え入るものをいとおしまねば
 そして私に与えられた道を
 歩いていかねば。

 今夜も星が 風にかすれて泣いている。

この詩が書かれたのは、1941年11月20日。朝鮮民族に決定的な危機が訪れた頃だ。
前年の創氏改名実施に加え、治安維持法改訂、朝鮮思想犯予防拘禁令公布、朝鮮語教育
全面禁止といった、まさに魂を殺戮するがごとき政策が次々実施された。
東柱は文学を学ぼうと日本への渡航を決心し、1942年1月渡航証明書取得のために
創氏改名届を出す。みずからの意志によるとは言え、誇り高き者には名を奪われるという
出来事は耐えがたかった。
在学中に学校教育で禁じられてた朝鮮語で詩や日記を書きためたが、特高警察はそれが
「独立運動」につながるとみなし、治安維持法違反で1943年に逮捕。1944年に
懲役2年の判決を受ける。そして解放直前の1945年2月16日、27歳で獄死する。
「毎日、名のわからなぬ注射を打たれ」、生体実験の犠牲になったとも言われる。

(名前を奪われ、母国語を奪われることは、どんなに辛く屈辱的なものだったろう。
 植民地になったことのない日本人には、想像すらできないことかもしれない。)

(2)ライナー・マリア・リルケ (1875~1926 享年51歳)

 すべての存在(もの)を貫いて ひとつの空間がひろがる、ー
 世界内面空間が。鳥たちは静かに
 私たちを貫いて飛ぶ。おお、成長しようとする私、
 その私が外部(そと)をみる、すると私の内部に 樹が育つ。  (傍点は省略)

 そこに死が立っている 下皿のない茶碗のなかの
 青味がかった煎液が。
 なんという奇妙な場所にそれはあることか
 その茶碗は或る手の甲のうえにのっている
 釉薬(くすり)のかかっているその反(そ)りのあたりには いまでもはっきりと
 耳のかけたあとが分るのだ それは埃りだらけだ
 そして腹のところには 摩り消えた書体で「希望」と書いてある   (「死」)

(3)石原吉郎 (1915~1977 享年63歳)

 1945年シベリア抑留され、その苛酷な期間を「事実上の失語状態」の中で
 生きのびた。
 53年特赦により帰還後に、詩と散文を書くことで極限体験と向き合っていく。
 帰国後15年経って書き出したエッセイは、再び抑留の日々を生きるという
 苦痛を強いる。
 だが一方、帰国直後から書き出した詩では「最終的に自分自身をかくしぬこう
 という姿勢」を保つことが出来た。
 むしろ、言葉が思いがけない美しさで苛酷な体験を照らしだす
 救済にも似た瞬間に恵まれた。シベリアでの地獄の光景は、詩的リズムも伴い
 本質的なものへ研ぎ澄まされた、詩のイメージへと見事に昇華された。

 なんという駅を出発して来たのか
 もう誰も覚えていない
 ただ、いつも右側は真昼で
 左側は真夜中のふしぎな国を
 汽車ははしりつづけている
 駅に着くごとに かならず
 赤いランプが窓をのぞき
 よごれた義足やぼろ靴といっしょに
 まっ黒なかたまりが
 投げこまれる
 そいつらはみんな生きており
 汽車が走っているときでも
 みんなずっと生きているのだが
 それでいて汽車のなかは
 どこでも死臭がたちこめている                    (「葬列列車」)

 花であることでしか
 拮抗できない外部というものが
 なければならぬ
 花へおしかぶさる重みを
 花のかたちのまま
 おしかえす
 そのとき花であることは
 もはや ひとつの宣言である
 ひとつの花でしか
 ありえぬ日々をこえて
 花でしかついにありえぬために
 花の周辺は適確にめざめ
 花の輪郭は
 鋼鉄のようでなければならぬ               (「花であること」)

2につづく

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闇より黒い光のうたを 十五人の詩獣たち 2

2015-05-06 09:38:01 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(4)立原道造 (1914~1939 享年24歳)
 
 夢はいつもかへつて行つた 
 山の麓のさびしい村に  
 水引草に風が立ち  
 草ひばりのうたひやまない  
 しづまりかへつた午さがりの林道を  
 うららかに青い空には陽がてり 
 火山は眠つてゐた   
 -そして私は  
 見て来たものを 
 島々を 
 波を 
 岬を 
 日光月光を  
 だれもきいてゐないと知りながら 
 語りつづけた・・・・・・    
 夢は 
 そのさきには 
 もうゆかない  
 なにもかも 
 忘れ果てようとおもひ  
 忘れつくしたことさへ 
 忘れてしまつたときには             「のちのおもひに」

(5)シャルル・ボードレール 
   (1821~1867  生前唯一の詩集『悪の華』 享年46歳)
 
 弥高(いやたか)い天なる力の、 
 特に命ずるとことによって、  
 <詩人>が、倦怠(アンニュイ)に悩むこの世に現れ出る時、  
 その母親は、おそれおののき、冒涜(ののしり)を胸に湛えて、  
 拳(こぶし)をわなわなと震わせる、憐れみ給う神に向かって。  
 -「ああ!なにゆえ蝮(まむし)のひと塊りを産み落とさなかったのでしょう、
 こんなおかしな笑いものを育てるほどなら!  
 私の腹が、この身の贖(あがな)いの種を宿した、  
 はかない快楽(けらく)の夜こそは、呪われてあれ!                  (「祝福」)

(6)中原中也 (1907~1937 享年30歳)
 
 黒い夜草深い野にあつて  
 一匹の獣(けもの)が火消壺の中で  
 燧石を打つて 星を作つた。  
 冬を混ぜる 風が鳴つて。  
 獣はもはや、なんにも見なかつた。  
 カスタニェットと月光のほか  
 目覚ますことなき星を抱いて、  
 壺の中には冒涜を迎へて。  (二連略)  
 黒い夜草深い野の中で、  
 一匹の獣の心は燻る。  
 黒い夜草深い野の中でー  
 太古(むかし)は、独語も美しかつた!・・・・・・        
 (「幼獣の歌」 『在りし日の歌』)

(7)宮沢賢治 (1896~1933  詩集『春と修羅』。 享年37歳)  

 心象のはひいろはがねから  
 あけびのつるはくもにからまり  
 のばらのやぶや腐植の湿地  
 いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様  
 (正午の管楽(くわんがく)よりもしげく   
 琥珀のかけらがそそぐとき)  
 いかりのにがさまた青さ  
 四月の気層のひかりの底を  
 唾(つばき)し 
 はぎしりゆききする  
 おれはひとりの修羅なのだ                             (「春と修羅」)

(8)小林多喜二 (1903~1933  特高警察の拷問にて死去。 享年29歳)
 ぼう 
 へ ・・・・・  
 燈りもさびしい留守  
 静けく・・・・・・低ーく  
 港の夜更  
 独り室ぬちに聞くー汽笛  
 あゝ私の懐かしい揺籃よ  
 そして淋しい子守歌よ  
 私はそれの枕に  
 その音律に  
 遠い昔の私を想う                                  (「私の揺籃」)

(9)原民喜 (1905~1951  広島にて被爆。 享年45歳)

 ギラギラノ破片ヤ  
 灰白色ノ燃エガラガ  
 ヒロビロトシタ 
 パノラマノヤウニ  
 アカクヤケタダレタ 
 ニンゲンノ死体ノキメウナリズム  
 スベテアツタコトカ 
 アリエタコトナノカ  
 パツト剥ギトツテシマツタ 
 アトノセカイ  
 テンプクシタ電車ノワキノ  
 馬ノ胴ナンカノ 
 フクラミカタハ  
 ブスブストケムル電線ノニホヒ  
 ヒロシマのデルタに  
 若葉うづまけ  
 死と焔の記憶に  
 よき祈よ こもれ                                 (「永遠のみどり」)  

最後に「十五人の詩獣たち」の十五人には入っていませんが、北村太郎の歌を引用します。

(10)北村太郎 (1922~1992 享年69歳)  

 滅びの群れ、  
 しずかに流れる鼠のようなもの、  
 シヨオウインドウにうつる冬の河。  
 私は日が暮れるとひどくさみしくなり、  
 銀座通りをあるく、  
 空を見つめ、瀕死の光りのなかに泥の眼をかんじ、  
 地下に没してゆく靴をひきずつて。  
 永遠に見ていたいもの、見たくないもの、  
 いつも動いているもの、  
 止まっているもの、  
 剃刀があり、裂かれる皮膚があり、  
 ひろがってゆく観念があり、縮まる観念があり、
 何ものかに抵抗して、オウヴアに肩を窄める私がある。
 冬の街。                              
(「センチメンタル・ジャアニイ」) (引用ここまで) 

※環境依存文字は替えてあります。 (この詩はすぅ~っと私の心に入ってきました。)
 
※改行が違っていたらお許しください。

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原子力基本法 【我が国の安全保障に資することを目的として】

2015-05-03 18:49:37 | ②一市民運動
今日(2015年5月3日)、「『原発』から平和憲法を考える 河合弘之さん」の
講演を拝聴しました。
予約がないと入場できないほどの盛況ぶりでした。内容の一部を引用させて頂きます。
2015年4月18日の私のブログ「高浜原発3・4号機運転差止仮処分決定」に、
河合弘之さんと岩上安身さんのインタビューを引用させて頂いています。
原発へのテロについては、そちらに記載しました。

2006年版の「理科年表」より「世界の地震分布」を見ますと、日本列島は地震の
頻度を表す黒い点が重なり合い、真っ黒に塗りつぶされています。
日本の近くには、「太平洋プレート」「ユーラシアプレート」「フィリッピンプレート」
「北米プレート」の4つがクロスし、世界で類を見ない最も危ない地域だと
いうことが解ります。

次に2001年の原子力発電所の分布を見ますと、原発を表す黒い点は日本、ヨーロッパ、
北米の東海岸に集中的に分布しています。
この二つの図を重ね合せると、日本と台湾以外は重なりません。
つまり、地震国であって原発が多いのは、この2国ということになります。
ヨーロッパや北米の東海岸には多くの原発がありますが、地震は殆ど起きていないのです。
世界の常識から見れば、日本の原発ほど危険な国はないのです。

事故やテロが起きれば計り知れない損害をもたらし、人々から
人格権(人が自己の生命・身体・名誉などの人格的利益について有する権利)を
奪ってしまう原発を、なぜ政権は再稼働したがるのでしょうか。
電力のためだけだとしたら、こんな割に合わないエネルギーはありません。
以前から核兵器に転用できるからではないかと思っていましたが、このことがはっきり
「原子力基本法」に明記されていることを、今回、初めて知りました。
その一部を引用します。

第二条 原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、
    自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に
    資するものとする。

2  前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、
   健康及び財産の保護、環境の保全並びに【我が国の安全保障に資することを
   目的として】、行うものとする。

第二条の2には、【我が国の安全保障に資することを目的として】とあります。
つまり原発には 核兵器開発能力があるということです。これは明らかに憲法9条違反です。
読売新聞は、原発の核兵器開発能力をはっきり認めているそうです。

その他に気になった言葉を引用します。
(1)今、日本で一番危険だとされている原発は、静岡県にある浜岡原発です。
ここで事故が起きると、日本が東西に分断されてしまいます。
東日本全部が壊滅し、5000万人が避難を余儀なくされ、何百万人が
亡くなると予想されます。

(2)政府は、全原発が停止すると3兆6千億円分の石油輸入代金増加(年)が
   見込まれると言っている。しかし実は1・5兆円で、GDP600兆円、
   国富3000兆円の日本にとっては0・5%以下の影響しかない。

(3)原子力ムラを取り巻く企業は、ゼネコン・メーカー・鉄鋼メーカー・商社・
メディア・メガバンク・地元の地方自治体・地元企業などがあり、その他に
経産省・エネルギー庁・原子力規制委員会・東大原子力工学科などの御用学者群大学・
政治家・政党・労組・経団連・・・などがあります。
原子力ムラを取り巻く勢力は、日本経済の6~7割とも言われ、取り巻きを入れると
9・5割になるそうです。特に経産省は、何度でも天下りができると言われています。
これではいくら国民が「原発反対」を叫んでも、政治家や官僚が取り上げないわけです。

(4)集団的自衛権が行使され、自衛隊が地球規模の戦争に駆り出されるようになると、
原発へのテロの危険性が今よりも数段、増していきます。

(5)福島第一原子力発電所の事故で、放射能は海に80%が落ちました。
公海を汚し、その影響はこれからもっと広範囲に観測されることになるでしょう。

(6)被災した福島の人々は多大な生活破壊を受けています。
原発事故は、憲法に保障された権利をことごとく奪っています。たとえば、
第13条
すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸せ追及に対する国民の権利に
ついては、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、
最大の尊重を必要とする。→【憲法違反】

第14条
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。→【憲法違反】

第15条
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。→【憲法違反】
(原発事故により、選挙できない人が多くいた)

第22条
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
→【憲法違反】
(移転しない自由は認められず、故郷で農業や畜産、商売や製造などができなくなった
 方が数多くいる)

第27条
すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。→【憲法違反】
(仕事を続けられなくなった方が多い)

第29条
財産権は、これを犯してはならない。→【憲法違反】
(住み慣れた家や田畑、牧場、商店、工場などが奪われた)

(7)原子力規制委員会は、原発の安全基準を審査するのではなく、原発が規制基準に
適合するかどうかを審査すると改められた。規制基準を満たした原発に対しては、
再稼働を認めることになる。
原子力規制委員会の田中俊一委員長は、あくまでも規制基準であり、安全基準では
ないと明言している。「高浜原発3・4号機運転差止仮処分決定」の判決を下した
樋口英明裁判長は、この新基準が「緩やかにすぎ」と指摘しています。

《原発をやめる=憲法を守る》 原発そのものが、憲法違反なのです!
(引用ここまで)

いくら原発の安全性が以前より高まったとは言え、もう一度事故が起きてしまったら
日本はお終いです。
現在、河合弘之さん監督の映画「日本と原発」が、全国で上映されています。
前回はチケットが買えませんでしたが、今回は買うことができました。参考までに
5月30日・・・松戸市民会館
6月14日・・・柏市中央公民館 で上映予定。

●昨日、「日本と原発」を観てきました。
河合さんはとてもユーモアがあり、温かいお人柄です。
映画の内容も、原発をあらゆる角度から分析し、とても解りやすかったです。
日本中で上映して欲しいと思います。
昨日の小笠原沖M8・5の地震、そして口永良部島の噴火と、日本は活動期に入っています。
改めて、絶対に原発再稼働はして欲しくないという思いを強くしました。
(2015年5月31日 記)
          ↓
http://www.nihontogenpatsu.com/

☆2015年5月2日の朝日新聞に、島田雅彦さんが「憲法と言う経典」を寄稿しています。
 現政権の思惑、アメリカの思惑、そしてその後に待つ莫大な負の遺産。今止めなければ、
 私たちだって彼らの自殺行為を幇助(ほうじょ)することなるという言葉は重いです。
 ブックマークに入れましたので、是非、ご覧ください。
          ↓
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11734728.html

☆2015年5月2日のTBS「報道特集」で、「戦後70年 歴史家
 ジョン・ダワーの警告」が放送されました。50年にわたり日本を見続けてきた
 歴史家の言葉は重いです。
 こちらもブックマークに入れましたので、是非、早めにご覧ください。
 (削除される可能性があります)

●案じていた通り、削除されていました。
(2015年5月10日 記)

コメント
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