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絶頂の一族 3

2015-03-29 14:48:45 | ⑤エッセーと物語
 新条約が自然成立しアイゼンハワー訪日の4日前となった6月15日から16日にかけ、
 新条約阻止の行動には全国で580万人が参加、空前の規模となった。ここで悲劇は
 起こった。当時22歳の樺美智子という東京大学文学部4年生が圧死したのである。
 しかし岸は強気だった。赤城宗徳防衛庁長官は、ついに岸からデモ鎮圧のために
 自衛隊出動の要請を受けたのである。

 岸:「赤城君、自衛隊に武器を持たせて出動させることはできないかね」

赤城:「出せません。自衛隊に武器を持たせて出動させれば力にはなるが、同胞同士で
   殺し合いになる可能性があります。そうなればこれが革命の導火線に
   利用されかねません」

岸:「それでは武器を持たさずに、出動させるわけにはいかないか」

赤城:「武器なしの自衛隊では、治安維持の点で警察より数段も劣ります。それに
   武器なしの治安出動という訓練も積んでいません。そんなことをして国民の間に
   『役立たない自衛隊ならつぶしてしまえ』という声が出てきたらどうします。
   私の在任中に自衛隊をなくさなければならなくなるような原因をつくるわけ
   にはまいりません。どうしてもといわれるなら、私を罷免してからにしてください」

 アイゼンハワー訪日は延期され、岸自身が総理としての責任を決意することでも
 あった。岸が「暴徒と化したデモ隊から死者」と言うように、「暴徒」という言葉で片付け
 られる事態だったと言えるだろうか。すべての出発点は、5月20日に新条約を強行採決
 したことに帰着せざるを得ない。新条約は国民の議論を無視した、数による「一党独裁」
 の議会政治の産物言い過ぎだろうか。岸は、「(5月19日、20日の)
 『やり方に賛成できない』というのであれば、ほかにどんな手段を示すことができた
 のであろうか。あのとき会期延長も採決もしなかったならば、安保改定は廃案になった
 であろう。その結果は単に岸内閣の進退にとどまらず、日米関係に重大な亀裂を生じ、
 我が国の国際的な立場は著しく低下したであろう」と言うが、それは後から持ち出した
 理由にしか思えない。
 新条約が重要問題であればなおさらだ。議会制民主主義を形骸化し、通していいものなど
 あろうはずがない。そのことをいちばんわかっていたのは、ほかならぬ
 岸自身ではないだろうか。

(まるで現在が、当時にタイムスリップしたような錯覚に陥ってしまう。筆者がお書きの
 ように、私には岸がこのようなことが解っていてしたのだと思う。だが晋三は、
 単に岸がしたのだから自分がしても許されるくらいにしか、事の重大さを理解して
 いないのではないだろうか)

(晋三の父、晋太郎の母の静子は安倍寛と離婚した後に、西村謙三と再婚し正雄をもうけて
 いる。つまり晋太郎には異父兄弟がいたのだ。西村正雄は早世した晋太郎に代わって、
 晋三の歴史観に対して仮借なき批判の言葉を遺している。2006年8月に73歳で死去)

 西村は2006年7月当時、小泉政権の官房長官に就いていた晋三に手厳しくこう憤った。
 「晋三は、小泉総理の靖国神社参拝を巡り、(小泉総理と同様に)『心の問題だ』という
  理屈を持ち出しているが、靖国神社参拝は『心の問題』ではない。歴史的事実の問題だ。
  1銭5厘の赤紙(召集令状)1枚で強制的に徴兵されて戦死した兵士と、戦争を主導した
  A級戦犯の職業軍人らが合祀(ごうし)されている靖国神社への参拝が、アジアだけ
  でなく、国際的にも『心の問題だ』という方便は通用しないということが晋三には
  全くわかっていない。

  戦死だけではない。南方では餓死が待っていた。軍部は負けるとわかっていながら、
  兵士を投入し大量の犠牲者を出した。1931年以降は侵略戦争だ。あの戦争で他国を
  侵略し、無差別に民間人を殺した。その事実を消すことはできない。

  戦後60年の2005年8月15日に、小泉総理は談話として、『我が国は、かつて
  植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の
  損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、
  改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する』と述べた。
  侵略戦争を認めているではないか。

  晋三はあの侵略戦争がわかっていない。晋三は靖国神社参拝へのアジア諸国の
  反発に対し『心の問題だ』というが、犠牲者が300万人だろうが。1人だろうが、
  侵略は侵略だ。歴史的事実を踏まえてけじめをつけなければいけない」

 西村の中であの戦争は決して終わってはいなかった。ましてや異父兄の晋太郎の
 息子である晋三が靖国神社参拝に同調していることは、西村にとって到底
 許しがたいことだった。
 
 西村が晋三に出した手紙
 「偏狭なナショナリストと離れろ。世間では『戦争好きの安倍が総理になったら、中国や
  韓国との関係が悪くなる』との見方がある。靖国神社の付属施設
  『遊就館(ゆうしゅうかん)』では、太平洋戦争はルーズベルト米大統領に騙された
  陰謀だというビデオが上映され、戦争を美化して正当化しているのだ。
  『リメンバー・パールハーバー』の精神が生きている米国でも、靖国神社は
  軍国主義の社(やしろ)と捉えられている。国家を誤らせる偏狭なナショナリストとは、
  一線を画すべきじゃないか」

 西村はコピーを私に渡しながら、こう語気を強めた。「晋三は昭和史を知らなすぎる。
 歴史から学んでいない。政治家の言葉は重いものだということをもっと知るべきだ」

 祖父にA級戦犯容疑者で、訴追を免れた岸信介元総理を持つ晋三は2006年
 8月15日の会見で、「日本において彼らが犯罪人であるかといえば、それはそうでは
 ないということなんだろう」と答え、「犯罪人」扱いすることを認めなかった。
 戦争責任についても、晋三は会見で「戦争指導者の方々に一番重い責任があるのは
 事実だ」としつつ、
 「(戦争責任は)歴史家が判断すべきことではないか」と述べたという。

 西村は亡くなる直前、東京新聞(2006年8月19日付)の取材にも応じこう
 語っていた。
 「(西村は)兵器や遺品を展示する(靖国神社)境内の博物館『遊就館』の展示に、
  時代を引き戻さ  れたように感じたという。『八紘一宇(はっこういちう)や
  大東亜共栄圏など、僕たちが小学校で習っていた戦時中の歴史じゃないか』
  『先の戦争を肯定し、A級戦犯は「昭和殉難者」だと言うのは絶対に許せない』。
  口調は厳しかった。

  A級戦犯については『「犯罪人」という言葉に抵抗があるなら、310万人の同胞を死に
  追いやった戦争責任者と言い換えてもいい』と言った。そして『殉難者という表現は
  1銭5厘の赤紙1枚で召集された戦没者にとっては耐え難いのでは・・・』
  『日本人自ら侵略の歴史を検証し、靖国に祭られている大勢の被害者と軍部など
   加害者を明確に分け、加害者の戦争責任の軽重をはっきりさせるべきだ』と訴えた。

 晋三は2013年12月、総理(第二次)に就いて初めて靖国神社を参拝した。
 父・晋太郎の弟だった西村正雄の遺言を、晋三は一顧だにすることは
 ないのだろうか。(引用ここまで)

(西村正雄氏の言葉は重い。安倍晋太郎氏が西村氏が生きていたら、息子に、甥に、
 どのような言葉をかけるのだろうか)


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