今日のうた

思いつくままに書いています

シャトーブリアンからの手紙 1

2014-10-25 06:28:51 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
私がこれまで観た映画で一番衝撃的だったのは、「ブリキの太鼓」だ。
そのドイツ映画界の名匠、フォルカー・シュレンドルフ監督の作品「シャトーブリアン
からの手紙」が10月25日から渋谷の「イメージフォーラム」で公開されるという。
朝日新聞文化欄、玉川透氏の記事より

 本作は、第2次世界大戦中のナチス・ドイツ占領下のフランスが舞台。
 独軍将校暗殺の報復として、ヒトラーが収容所のフランス人150人の銃殺を命じた
 実話が元になっている。
 2年前の初公開時は、フランスの歴史的な悲劇を加害者側のドイツ人の監督が
 手がけたことが話題になった。

 ・・・それだけに、本作がフランスで好評だったことを(監督は)手放しで喜ぶ。
 「もう犠牲者を生みたくない。戦後70年近くを経て、その思いを独仏が
  育んできた証しだ」

 キャストもスタッフも独仏の混成。犠牲者だけでなく、人質選びを命じられたフランス人
 の役人、ヒトラーに背けない独軍将校らの葛藤にも切りこんだ。
 「独軍兵士も人間。一人ひとり思いは違ったはずだ」

 ヒトラーが処刑を命じた150人の中に、17歳の少年ギィ・モケがいた。その若さ
 ゆえ、戦後、ナチス抵抗の悲劇の象徴となり、パリの地下鉄の駅名にもなった。
 2007年にはサルコジ仏大統領が、ギィ・モケが処刑直前に家族に宛てた手紙を
 全国の高校で読むように指示し、物議を醸した。

 だが監督は、ギィ・モケを家族を愛し、恋する普通の若者として描いた。
 「英雄伝を映画にしたかったのではない。誰も責任を感じず、大勢の人々が事務的に
  殺される。そんな極限状態の人間を描きたかった」
 「いちど回り始めた歯車を止めるのは難しい。だが、何が正しいかを自分で考える
  勇気を無くしたら、シャトーブリアンの悲劇はまた起きる。責任は集団ではなく、
  常に個人にある」監督が作品を通して最も訴えたかったことだ。(ここまで引用)

独仏の文化というか、社会のもつ深みを感じた。
私自身、社会の動きに不安をもつ自分はおかしいのではないかと考えていた時なので、
シュレンドルフ監督の言葉はとても励みになった。
是非、映画を観に行こうと思います。




(画像はお借りしました)


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シャトーブリアンからの手紙 2

2014-10-23 06:29:45 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
10月31日に映画を観に行った。
映画館の近くの青山学院大学では、この日から学園祭が始まり、若者で賑わっていた。
平日の第一回目の上映ということで、観客はひとりで来ている中高年の男性と
女性が多かった。

フォルカー・シュレンドルフ監督は、できるだけ劇的なものを排除し、事実を淡々と
描いている。17歳のギィ・モケを演じるレオ=ポール・サルマン
(オーディション時は役者ではなく高校生)の透き通るような肌がまぶしかった。
そしてその恋人(オデット・ネリス)役のヴィクトワール・デュボワは、大地に
根差したような生命力を感じさせた。

映画の中で一番印象に残ったのは、シャトーブリアン収容所でドイツ兵が同志にいう
言葉だ。「ここでは何も考えるな」

そして処刑の場面で上官は、手際よく銃殺を行うために次のように命じる。
「テンポ、テンポよくしろ」

銃殺される人々は、心臓の位置が分かるように衣服の上から×印が付けられる。
全てのことが日常のなかで、淡々と進められてゆく。
「インターナショナル」を歌いながら、刑場に向かう場面では涙が出た。

また、独仏をステレオタイプに描くのではなく、ドイツ側の人物を丁寧に描いている。
ここより、パンフレットからの引用
この収容所のオットー・フォン・シュチュルプナーゲル将軍(その後、1944年
7月のヒトラー暗殺計画に加担し、失敗して処刑される)は、大尉エルンスト・ユンガー
に次のように命じる。
「この一件を記録してくれたまえ。時系列で時々刻々と。何が起こり何が語られたか。
 軍事報告書ではなく、より文学的なものを」

エルンスト・ユンガーは20世紀ドイツ文学を代表する巨匠のひとりで、まさに彼の言葉が
あったからこそ映画化できた、とシュレンドルフ監督は語っている。
ユンガーは、当初150人の人質の即時銃殺を要求していたヒトラーとの交渉に注意を
払うだけでなく、ナント(フランス西部)で最初の人質が銃殺された際の彼らが静かに
死に赴く様子に個人的な見解を記していた。誰もが彼らの勇気と尊厳に満ちた
態度を讃えた。「死に直面した時にこそ、その人間の偉大さが分かる。人がこのように
人間の意志を賞賛する時、変革の兆しが現れる」

名前を呼ばれてから銃殺されるまで1時間。
収容所にモヨン神父がやってくる。のちに彼は、27名の人質の手紙を預かることになる。
神父は副知事が、「報復のリスト」作りに関わったと知り、
「君も加担していることになぜ気づかない?」と叱責し、
「銃殺は暗殺を、暗殺はさらなる銃殺を生み、報復の連鎖にしかならない」と語る。
お喋りをやめるよう促すドイツ軍人に対しても、
「あなたは何に従う?命令の奴隷になるな。良心の声を聞きなさい」と神父は
ひるまなかった。

パンフレットに載っているその他の言葉

シュレンドルフ監督
「この大虐殺の実行に関するすべての人間は、誰一人最終的な責任を負うことのない、
 純粋な行政行為とすることに成功したのだ。(フランス人処刑のきっかけとなった)
 ホッツ大佐の死からたった2日後の銃殺、人質の選択さえも官僚的に管理された」

「最後には数十人の死体が残る、しかし、誰も責任を負うものはいない。すべてが
 行政行為だからです。誰もが、命令通りに動いた。市民としての勇気は発揮しなかった。
 ドイツ側もフランス側も。私は、70年後の今日からみて、関係した者たちは、
 それでも全員が人間だということを示したいと思いました。彼らは善意を持った
 人間だった。完全な悪人はいなかった。
 しかし、それでもなお虐殺は行われた。それが重要です」

「人間が自由意志で、どれだけ責任を負うか。『シャトーブリアンからの手紙』は人間と
 しての誇り、心の姿勢、抵抗、不服従を扱っています。神父が言ったように、
 盲目的に『命令に従うのではなく、良心に従いなさい』 と」

「これからの時代を生きる若い人たちにとって大事なのは、自分が責任を負わなくては
 いけないという意識を持つこと、自分はどうなんだと一人一人が人間としての責任に
 ついて意識することだと思っています」

五所純子氏
「・・戦争を身近に感じるようになったからだと思う。あたしはそれなりに短くない
 時間を生きてきたつもりだけれど、これほど軍靴の足音が聞こえてきたのは
 生まれて初めてのことで、かなり戸惑っている」

「目の前で進行してゆく暴虐を、止めもしないが、加担もしない。この消極的な態度は、
 一見すると何も間違っていないように感じられる。けれども現状を黙認することで、
 それを維持し補強している。つまり、消極的に見過ごすことは、暴虐を積極的に
 押し進めているのと変わらないのである」

「フォルカー・シュレンドルフが胸をはって、この不幸な事件、恥辱の歴史を
 『私の歴史』と呼びかけながら抱きしめ、あらたに差し出した。
 それが『シャトーブリアンからの手紙』ではないかと、戦争のまがまがしい
 予感を感じながら、あたしは見た」

最上敏樹氏
「おそらくシュレンドルフは、≪残された者の義務≫をいかに果たすかに最も関心が
 あるのだろう。感傷を忍び込ませずに事実を淡々と描き、書き遺すことによって
 先立った人々の存在意義を浮き彫りにする。実際、この映画を観ていると、
 フランスの詩人、フランシス・ジャムの詩の、次のような一節を想い起こすのだ。

  だからぼくは、この人生の続きを語ろう。
  そして、生あるがゆえに知る、
  今日のこの悲しみの喪について語ろう。
  なぜ、みなが死ぬときぼくだけ生き残るのだろう。

「シュレンドルフがドイツ人であることを想い起こしておこう。彼はかつての自国の
 恥部を見すえ、静かな口調で明るみに出しているのだ。それはドイツ国民にとって
 恥ではない。見すえず、ほおかむりをすることこそが、民族にとって本当の恥なのだ。
 そういう映画を仏独合作で作れるところに、この両国の和解の確かさがある」

渡辺和行氏
「処刑された27名中、ギィ・モケは最年少の17歳であった。彼が、ふたたび耳目を
 集めたのは2007年のことである。この年、大統領となったニコラ・サルコジは
 選挙戦の前からギィに言及し、当選後にギィが死の間際にしたためた手紙を
 愛国心の発露と評価して、命日の10月22日に全国の高校生に朗読させることを
 決定した。ギィが共産党の活動家であったことは伏せて手紙のみを朗読させる
 大統領の手法に対して、記憶の政治利用だという批判が巻き起こった」

日本でも歴史修正主義が問題になっている。自分たちの都合のよいところだけ
ピックアップして政治利用する。これは見過ごすことの出来ない大きな問題だと、
私は思う。

観ながら、なんども鼻をかんだ。
そしてこれは決して過去の事ではないと、強く思った。




(画像はお借りしました)



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言葉への違和感

2014-10-21 06:15:22 | ②一市民運動
安倍政権の三人の閣僚(有村治子女性活躍相、高市早苗総務相、
山谷えり子国家公安委員長)が10月18日、秋季例大祭が行われている靖国神社を参拝した。

その後のインタビューを観ながら、何ともいえない言葉への違和感をもった。

山谷えり子氏
「国のために尊い命をささげた御霊(みたま)に、感謝の誠を捧げました」

高市早苗氏
「国策に殉じて尊い命を落とし、国の存立を守ってくださった方に、
 感謝と哀悼の誠を捧げました」

私はこれまで「御霊」とか、「国策に殉じ」とか、「誠を捧げる」とかの言葉を
身近に聞いたことはない。

広辞苑によると、「捧げる」には次の意味がある。
(1)神仏や目上の者へ物をたてまつる。
(2)自分のもっているものをすべて相手にさし出す。

「国のために尊い命をささげた」とは、(2)の意味で使っているのであろう。
本来、「ささげる」とは、自発的な行為に使うのではないだろうか。

また、「殉ずる」には次の意味がある。
(1)ある物事のために自分の生命を投げ出す。
(2)自分が仕える人の死や辞職のあとを追って、同じ行動をとる。

「国策に殉じて」とは、(1)の意味で使っているのであろう。
本来、「殉ずる」は、自発的な行為に使うのではないだろうか。

自分の意に反して命令に従い、命を奪われた方も多くいたはずだ。
それをこのような美化した言葉で一括りにすることに、私は大いに違和感を覚える。

皇后が10月20日に80歳の誕生日を迎えられた。
その時の言葉
「私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを
 摘み続ける努力を積み重ねていくことが、大切でないかと考えています」

この言葉には違和感が全くないし、まさにその通りだと思う。

皇后80歳、山谷氏64歳、高市氏53歳。
現在、日本が世界が置かれている立場を意識した言葉と、
あまりにも時代錯誤な言葉との違いを、ひしひしと感じた。


追記1
2014年10月21日、朝日新聞夕刊「時事小言」に、藤原帰一氏が次の言葉を載せている。
 ■戦場を知る責任
 犠牲の記憶が隠す事実

「このように、国民の視点だけから戦争を見る限り、語られる犠牲と語られない犠牲が
 生まれてしまう。ここで必要なのは、自分たちの犠牲ばかりを語って相手の犠牲を無視
 するのではなく、自国の国民ではない人々の経験に開かれた戦争の認識である。
 慰安婦を犠牲者として捉えつつ、戦争の加害者である日本兵士も犠牲者としての側面を
 持つことを見ることができれば、戦争の記憶をナショナリズムの束縛から解き放つことも
 可能となるだろう。

 慰安婦に関する現在の議論は、謝罪と補償の必要をめぐって展開している。
 だが、学者の議論という批判を恐れずにいえば、謝罪や補償の前に必要なのは、
 事実を見ることだ。それも相手の誤りを暴くことで自分を正当化するのではなく、
 双方の国民を横断して戦争を捉えなければならない。そして、日中戦争と第2次世界
 大戦における戦場の実態に少しでも目を向けるなら、決して引き起こしてはならない
 破滅的な暴力の姿が目に入るはずだ。

 慰安婦をめぐって展開される議論には、日本の名誉回復を求める熱情があっても
 戦場の現実を知ろうとする姿勢は見ることができない。
 それを私は恐れる」
                           (2014年10月22日 記)
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強霜(こはじも)

2014-10-09 09:51:19 | ③好きな歌と句と詩とことばと
佐藤通雅さんの第九歌集 『 強霜(こはじも) 』 より

せはしければわれにとどまるひとはなしそれでよしこころおきなく過ぎゆけよひと

かなしみを負ひて生まれしでんでんの赤子が石のところまで来つ

身のほどを、身の丈をこそ生きなむと色加へゆくムラサキシキブ

この秋はミヤギノハギのしだりをの土にとどきて土をくすぐる

母のなきこと唐突に思はるる銀杏のしたの金の円心

顔の布はがされ覗かるるはこんな感じ仮眠を覚めててのひらでこする

うすべにのあかりのなかを降雪はななめに入りて闇へと吞まる

この世界のどこにも居場所はないのだらうかヒバリが空の高きに溺れる

子宮あらば雲の赤子をはらみたい風の丘に来て両手を広ぐ

爬虫類になりたくなって草に寝る そのときだ、陽がうらがえったのは (現代仮名)

竹藪の奥の暗きに討死の兵のごとくに枯竹はあり

これは死ののちの景らし長身のラクダが脚を炎やしつつ来る

眠り足るは生命の泉カーテンをひらいて全身に緑を受ける

ベコニアのこぼれ芽あれば鉢に移すこの冬共に耐へゆかんもの

弓の町へゆうるり曲がる忘れたい事でさへけふ懐かしくつて

発表のあてなく文を書き溜むるこのひと冬の贅といふべく

ひりひりと鳴く虫ありて息継ぎのほんのつかのま闇の匂ふも

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ドキュメント"武器輸出" 防衛装備移転の現場から

2014-10-08 05:58:01 | ②一市民運動
NHKスペシャル「ドキュメント"武器輸出" 防衛装備移転の現場から」の録画を
観ていたが、怒りに体が震え、10分足らずで観るのを止めた。

「武器輸出三原則」により、日本は40年にわたり武器の輸出を実質的に禁止してきた。
それが今年4月、「防衛装備移転三原則」が閣議決定されたことで、歯止めが掛からなくなる。
多くの人の知恵や勇気が守り抜いてきたものを、一政権の閣議決定で武器外交へと舵を切る。
こんなことが許されていいのだろうか。
日本が変わりゆく様を直視しなければと、残りを観る。

新三原則の決定で、これまで例外とされてきた防衛装備品の輸出や、各国との共同開発が
一定の条件のもとで認められることになる。
今年6月、パリ近郊で、武器や警察向けの装備を集めた世界最大規模の国際武器見本市
(ユーロサトリ2014)が開催され、日本は戦後初めて専用展示ブースを設ける。

防衛省装備政策課・堀地徹課長が、ブースや人の間を笑顔を振りまきながら回り、
日本の防衛装備を世界にアピールしてゆく。
イスラエルの無人機「ヘロン」に関心を持ち、フランスとは長時間にわたって交渉する。
フランスの軍事企業ECA社の社員が「今、日本企業とお見合い中だ」という親密ぶりだ。
次の言葉から、堀地課長の高揚感が伝わってくる。

「国でやっぱりPRしているということは、フラッグのもとで士気も上がるし、
団結もあると思う。これをチャンスと捉えて・・・」

また、他の国は武器を実際に使用することで(アフガニスタン、レバノン、コソボなど)
改良を加えてきたが、今までの日本はそれが出来なかった。そのことを彼は

「(日本の装備は)残念ながら、幸いなのかもしれないけど、日本はそういう
 経験はないので・・」

普通、「残念ながら」と「幸いなのかもしれない」は、相反する言葉だ。
「私にとっては残念ながら」だが、「これまでの日本にとっては幸いなのかもしれないけど」
の意味として、私は理解した。

これは私の憶測かもしれないが、安倍首相といい、堀地徹課長といい、「まさに自分たちが今、
日本の歴史を変えている」という高揚感の中にあるのではないかと思った。

日本がアメリカに事前同意を求めることなく、日本の部品がパトリオットミサイルに
組み込まれてゆく。それがどこで使われるのかを追跡することはできないのか。

元アメリカ国防省日本部長のケビン・メアの言葉が興味深かった。

「平和ボケだった日本が、やっと現実的に考えられるようになった。
 アメリカに部品を供給すれば、どこに輸出されるのかを追跡する術はない。
 アメリカはそれ(追跡)を決して認めないでしょう」

これで、アメリカと日本が対等に話し合える関係といえるのだろうか。
集団的自衛権についてもいったん認めてしまえば、日本はアメリカと対等に
交渉できるのだろうか。

2015年の夏には、各国と防衛装備の強化を計るために、職員1800人規模の「防衛装備庁」が
新設されるという。ますます武器外交は加速してゆくだろう。

最後に、東京大学名誉教授、秋葉鐐二郎氏の言葉
「こりごりしている 戦争なんか ろくなことはない
 あれでいい思いをした人がいたら おかしいんだよ
(戦争は)尾をひくべきなんだよ 忘れちゃいけないことなんだよ」

通産省航空機武器課長(当時)、畠山襄氏の言葉
「武器輸出三原則があったから断れたけど、あれがなかったら続出する可能性に耐えられたか
 どうか。もしそれがなくて、武器外交というものを十分に展開できることになると
 その時に断れるのか。断れないんじゃないか。
 際限なくいくんじゃないか そういう恐れを感じていましたね。
 戦争が起きて武器が売れるといいなと思うような そういう産業界の人をつくりたくない」

 
再放送が10月9日(木)午前0:40~1:29にあります。(今日8日の深夜です)
是非、ご覧ください。

「ユーロサトリ2014」の写真を、毎日新聞が提供しています。
ブックマークに入れましたので、こちらもご覧ください。
          ↓
http://mainichi.jp/graph/2014/06/17/20140617k0000m030067000c/001.html

追記1
NHKスペシャル「ドキュメント"武器輸出" 防衛装備移転の現場から」の録画を
ブックマーク(ブログ一番右下)に入れましたので、ご覧ください。
(2014年10月13日 記)

●この動画は削除されてしまいました。
(2015年4月24日 記)

追記2
東京新聞12月17日朝刊より
防衛省が、武器を輸出する日本企業向けの資金援助制度の創設を検討していることが分かった。
国の資金で設立した特殊法人などを通して、低利で融資できるようにする。
また輸出した武器を相手国が使いこなせるよう訓練や修繕・管理を支援する制度なども整える。
武器輸出を原則容認する防衛装備移転三原則の決定を受け、国としての輸出促進策を整備する。

国民の全くあずかり知らぬところで、軍需産業がどんどん肥大化していく。
こんなことが一政権の下に行われていいのだろうか?
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自国の原発事故の収束のめどが全く立たない中、原発を輸出し、日本が永年にわたり守ってきた
「武器輸出三原則」を破棄して武器を輸出する。
これが安倍首相の描く【美しい国】なのだろうか。
民主主義の終焉には、独裁政治が待っている。

独裁政治とは・・・強大な権力をもつ単独者・少数支配者・支配的党派が、
集中化された権力機構を通して大衆を操作・動員しつつ行う専断的政治。
一般に法治国家と政治的自由を否定する。(広辞苑より)

ブックマークに東京新聞の記事「国が企業向け促進策検討 武器輸出に資金援助」を
入れましたので、是非、ご覧ください。
(2014年12月21日 記)
東京新聞の記事は削除されました。(2015年1月31日 記)

追記3・4は、2015年6月14日のブログ「ドキュメント"武器輸出" 
防衛装備移転の現場から追記3~5」に移動しました。


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