今日のうた

思いつくままに書いています

宝島(1)

2019-06-29 15:26:41 | ⑤エッセーと物語
真藤順丈著『宝島』を読む。(第160回直木賞受賞)
戦後から沖縄の本土返還(1972年)までの、546ページに及ぶ物語である。
生きるために味わった彼らの生活が、むせ返るような熱気で、ヒリヒリとした痛みで、
出口のない絶望で、身の毛もよだつ恐ろしさで、どんなことがあっても生き抜く
強い生命力で描かれている。
大スペクタクル・エンターテインメント小説だ。

この小説を読んで、いかに沖縄について知らなかったかが解った。
これまでの知識が、点から線になっていった。
それにしても、当時の佐藤栄作内閣の【核ぬき・本土なみ返還】は全く
果たされぬまま、当時も今も沖縄の現状は少しも変ってはいない。
沖縄の怒りは沖縄だけのものなのだろうか。
心に残った言葉を引用させて頂きます。(多くのルビは省きました)

① アメリカの倉庫や基地から物資を奪ってくる。
  それが、戦果アギヤーだ。
  積み荷の伝票をごまかす軍雇用員も、茂みからひょいと手を伸ばして
  米兵のお弁当をかすめる農婦も、憲兵(MP)の車からガムやチョコをせしめる
  浮浪児も、みんながみんな戦果アギヤーだ。

②「この世には、いったん転がりはじめたら止められないものがあるさ。
  貧乏とか病気とか、暴動とか戦争とかさ。そういうだれにも止められない
  ものに、待ったをかけられるのが英雄よ。
  この世の法則にあらがえるのが英雄よ」

③ あえて言葉にしなくても、沖縄人(ウチナンチュ)たちは知っている。
  朝貢国として中国の冊封体制下にあった琉球王国の御代から、
  ヤマト世(ゆ)、アメリカ世(ゆ)と支配体制が変わるなかで、そのつどの苦難を
  ”なんくるないさ”でしのいできたからこそ、この世の摂理はどんなときでも
  移り気で、不変のものなんてありはしないと知っている。
  だからちゃぶ台を返すような価値の反転にも高い順応力を
  示すことができるのさ。通り雨を降らせる空がたちまち晴れわたるように、
  盗みをなによりも卑しんだ土地柄がうってかわって”戦果アギヤー”の台頭を
  許したように、この島ではわずかなあいだで、ちょっとしたきっかけだけで、
  道化が英雄になる。

④ ああ、この島ではーー
  どこにいても、どんなに歳月を隔てても。
  鉄の暴風が降ってきて、なにもかもを焼きつくされる。

⑤ グスクは息を呑んだ。政府や軍の公文書ともなれば管理は徹底され、
  おいそれと紛失するようなことはないはずだ。だれかが破棄したとすれば、
  アメリカに不都合な過去が記されていたのではと勘ぐりたくもなる。
  グスクが嗅ぎまわっていた”隠された真実”がほんとうに存在するのかもしれない
  と小松も疑念を抱きはじめていた。
  そこにきて時期をはかったように、特高警察の残党のような男がグスクを
  検束したのだ。
  こうなるとだれも信用できない。小松への疑念も晴れたわけじゃない。
  ダニー岸はあの”象の檻”で暗殺計画をつかんだのか、軍司令部の記録の
  消失が意味するものは?   (2へつづく)


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宝島(2)

2019-06-29 15:23:45 | ⑤エッセーと物語
⑥ 知っていた?
  複数の証言が上がっていて、政府の関係者も大筋で認めているという。
  まさかそんなことがあるか、知っていたってどういうことよ。
  知っていたのならどうして、どうして放っておくことができるのさ。
  毒ガスの持ちこみを黙認していたのなら、本土(ヤマトゥ)もまた同罪という
  ほかになかった。
  「これが現実やさ、本土(ヤマトゥ)のいつものやりくちということさ」
  この報道には、国吉さんもすぐには立ち直れないほどがっくりきていた。
  聞いているのもつらいその嘆き節は、それでもたしかに土地の叫びだった。
  おためごかし、空約束、口からでまかせ。
  それらをテーブルに並べて、沖縄(ウチナー)を裏切ってきたのが
  日本(ヤマトゥ)だ。
  アメリカに追従するばかりで、不都合な真実にふたをしてきたのが
  日本(ヤマトゥ)だ。
  これじゃ本土復帰の旗も振れないーー

  「ずっとそうだった。飛行機が墜ちようが、娘たちが米兵の慰みものになろうが
   知らんぷり。毒ガスが持ちこまれようが見て見ぬふり。なにもかも
   本土(ヤマトゥ)の政府にとっては対岸の火事さ。
   自国の領土なら大騒ぎすることでもこの島で起きたらやりすごす。
   肝心なのはわれら沖縄人(ウチナンチュ)の安全や尊厳やあらん。
   アメリカーの機嫌を損ねずに自分たちの繁栄を守ることさ。
   残念ながらこの島はもうずっと日本列島には勘定されておらん」

⑦ 勘弁してくれ、もう勘弁してくれ。この島の人たちはみんな、理不尽な運命に
  あらがう処世術を、身のよじれるような悲嘆や憎悪からの自衛手段を教えられて、
  いまもそれを次の世代へと引き継いでいる。そんな営みをいつまでつづけなきゃ
  ならないのか、この島がふたたび日本(ヤマトゥ)になって毒ガスも兵器も
  基地もなくなったら、もっとまともな知恵を継いでいけるのか?

⑧ アメリカの統治が終わっても基地はなくならない。
  ”核ぬき・本土なみ”は果たされない。
  だったらなんのために日本(ヤマトゥ)に戻るのか?この島の人たちがなにを
  復帰に望んでいるのかを佐藤政権は、日本人(ヤマトンチュ)は
  わかっていなかった。
  いや、わかっていて知らんぷりを決めこんだ。二国の関係強化のため、
  アメリカとのいっそうの一体化のために、この島に基地を残しておきたいのは
  ほかでもない日本人(ヤマトンチュ)だ、グスクにもそれがよくわかった。

⑨ おいらはどこから来て、どこに行くんだろう。
  海の上で揺られながら、ずっとそればかりを思っていたんだよ。

  三十六方位に涯のない世界で、乳白色のもやがかかった
  原初の記憶のなかで、
  産声を上げて数年の魂は、ゆりかごのようなそんな疑問に
  包まれていたんだよな。
  うん、そうなのさ。それだけおぼえてる。
  自分がなんなのかもまだわからなくて。
  ずっとそのことをくりかえし、くりかえし考えていたんだよ。
  たったいまも、おなじさーー                  
  (引用ここまで)

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山海記(せんがいき)

2019-06-18 09:37:48 | ③好きな歌と句と詩とことばと
佐伯一麦(かずみ)著『山海記』を読む。
仙台で東日本大震災を経験した作者は、水辺の災害の記憶を訪ねる旅に出る。
次の文章から、日本は災害大国であることを改めて思い知る。

「時代によって活動期と静穏期があるものの、記録があるこの千六百年ほどの間に、
 死者が出た地震は日本全国でざっと数えただけでも百七十回以上も起きており、
 均せば少なくとも十年に一度の勘定にはなると知ると、
 どういう国土に住んでいるんだ、と彼は嘆息を洩らした。
 いっぽうで、曲がりなりにもそれだけの厄災を辛うじて生き延びてきた
 者たちの末裔である、という思いも兆した」

2011年八月から九月かけて台風12号により紀伊半島を襲った大水害をたどって、
彼は奈良県十津川村へとバスの旅をする。
土砂崩れのことを蛇抜けとも言い、蛇が付く地名は鉄砲水や山津波が発生した
場所に付けられる。
かつては東京目黒区にも蛇崩(じゃくずれ)という地名があった。

また次の言葉から、災害はどこでも起こりうることが分かる。

「東日本大震災後に、江戸時代に仙台藩が飛砂や塩害を防ぐために防潮林として
 植えてきた黒松や赤松は、潮風や痩せ地でも根を深く張り、生長も早いものの、
 土壌保持力が小さいために津波には弱かったと言われ、広葉樹が混成する
 森こそが防潮林にふさわしい、という声が上がっていたことを思い出したりした
 ものだが、その後に深層崩壊のことを調べてみて、地殻変動によって生まれた
 日本列島の成り立ちそのものに由来する災害であることを知らされると、
 地震や噴火とともに、自然の猛威を克服することは人知を超えている、と
 思わざるを得なかった。
 そして、この国では、どこに住んでいようとも、一生の間に一度は大きな厄災に遭う
 ことを覚悟しなければならない、という思いを東日本大震災の後に強く抱くように
 なったが、図らずもそれを象徴している場所に、知らず知らずのうちに
 引き寄せられるようにしてやって来た、と改めて痛感させられた」

2011年の台風12号による記録的な豪雨は、紀伊半島に激甚な被害をもたらした。
当時私は短歌をしており、次の歌に息を呑んだ。
吉野の山中に住んでいらした、なみの亜子さんの歌を引用させて頂きます。

 身をかたくしおるか谷は増水の川に全身打撲せられつ  なみの亜子


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あちらにいる鬼

2019-06-18 09:36:34 | ⑤エッセーと物語
井上荒野著『あちらにいる鬼』を読む。
作者の父である井上光晴とその妻、父の愛人であった瀬戸内寂聴をモデルに、
作者が5歳の1966年から2014年までをそれぞれの目線で書いている。

読みながら、「なぜ作者はこの小説を書いたのだろう?」
「なぜ書かねばならなかったのだろう」と、何度も何度も考えた。
当事者が当事者の目線で書くなら解る。
また子どもである作者が、彼女の目線で3人を描くのなら解る。
また3人が故人というなら解る。(両親は亡くなっている)
自分の記憶や瀬戸内に聴いた逸話などを膨らませながら、
フィクションとして書いたのであろうが。

瀬戸内はなぜ、彼女が書くことを許したのだろう。
愛した人の忘れ形見に、二人のことを記録させたかったのだろうか。
あるいは、彼女が文壇で活躍する手助けをしたかったのだろうか。

私が一番印象に残っている場面は、瀬戸内が井上と愛し合おうとする
まさにその時に、そして彼への当てつけに若い男と関係を持とうとする
まさにその時に、突然生理が始まり、二人の男の指を赤く汚す。
私の勝手な解釈だが、作者は父や瀬戸内に復讐したかったのではないだろうか。
二人の関係がたとえどんなに特別なものであったにしても、
それを書かずにはいられなかったのではないだろうか。 (敬称略)

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鏡の背面

2019-06-18 09:35:09 | ⑤エッセーと物語
篠田節子著『鏡の背面』を読む。
平野啓一郎著『ある男』もこの小説も、他人にすり替わる物語だ。
だが読後感がぜんぜん違う。
途中までハラハラドキドキ読んだことを思えば、
サスペンスとしては成功していると言えるのかもしれないが。
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ある男

2019-06-18 09:32:01 | ⑤エッセーと物語
平野啓一郎著『ある男』を読む。
久しぶりに小説の醍醐味を味わった。
私たちは何の疑いも持たずに、家族や友人、同僚、隣人たちと生きている。
だが信じていたものが、土台から覆されてしまったら・・・。

3・11以降、多くの人たちは同じような生活を送っている。
心の中までは解らないが、何もなかったかのように生きている。
あれ以降、主人公は足元が常に脅かされるような感覚のもとに生きている。
私が主人公に最もシンパシーを感じた瞬間だ。



追記
石川慶監督「ある男」を観る。
この監督の映画は「愚行録」「蜜蜂と遠雷」を観ているが、
どれも素晴らしく大いに楽しめた。
石川慶監督1977年生まれの46歳、
原作者の平野啓一郎は1975年生まれの48歳、
若い才能は伸びやかで気持ちがいい。

最近、大御所と呼ばれる監督の映画を観る機会があったが、
海外での賞を意識したかのような作品でがっかりした。
才能にも旬があるのだろうか。
(2023年6月24日 記)


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