今日のうた

思いつくままに書いています

悲しみのミルク

2015-01-27 21:09:14 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
2009年公開のペルー映画。
監督・脚本はクラウディア・リョサ(1976年生まれ)

(暗闇に語りのような即興の歌が聴こえてくる。
 その声は哀愁を帯びてはいるが、のびやかで涼やかだ)

 きっといつの日にか お前も分かるだろう
 ならず者たちに向かって 泣きながら言ったこと
 ひざまずいて 命乞いしたことを
 
 あの夜 私は叫んだ
 山はこだまを返し 男たちは笑った
 痛みと闘いながら やつらに言い返した

 狂犬病のメス犬から生まれた男たちよ
 だからお前たちが吸ったのはー
 メス犬の乳だ
 今度は私を飲み込むがいい
 今度は私を吸えばいい
 母犬の胸でしたように
 今歌っているこの女はー

 あの夜捕えられ 手込めにされた
 男たちは気にも留めなかった
 おなかの中に娘がいることを

(ここで画面が明るくなり、美しい歌声は死に瀕した老母のものだということが分かる)

 あの恥知らずたちはー
 娘が見ている中 手と肉棒で犯した
 それだけでは飽き足らず
 殺された夫のものを口に押し込んだ
 哀れないちもつは火薬の味がした

 あまりの苦しみに 私は叫んだ
 いっそのこと 殺して欲しい
 そして夫と一緒に埋めるがいいと
 この世は分からぬことばかり

(画面に娘の横顔が現われ、歌いだす)

 思い出すたびに 涙を流す母さん
 悲しみの涙と汗が ベッドに染み込む
 何も食べていないのね
 要らないならそう言って
 食事は作らないから

老母の歌
 お前が歌うことで 乾いた記憶がー
 よみがえるのなら 何か食べよう
 思い出せないのは 死と同じだから

娘の歌
 さてと 起きて
 まっすぐ 座ってよ
 じっと寝てたら 小鳥の死骸みたい
 少しだけ シーツを直すから

(その後、老母は亡くなり、娘は鼻血を出して失神する。おじが病院に連れていくと
 医師は入院を勧める。娘の膣にジャガイモが入っていて、直ぐに取り出さないと
 危険だという。だが娘は拒絶する)

おじ「村ではつらい時期を過ごし、テロの時代に生まれた。
   母の恐怖が母乳から伝わったんです。
   そういう子を恐乳病と呼んでいます。
   恐怖と一緒に 魂を土に埋めている
   鼻血は恐乳病のせいだ」

娘 「テロの時代に近所の人もしていた。
   気味悪がらせて レイプされないように
   賢い方法だと思った」

おじ「今は時代が違う」

娘 「母さんから聞いた」

娘の歌
 母さん、おじさんは分かってくれない
 身を守るためなのに
 私は全部 見てたもの
 連中がやったことも 母さんの苦しみも
 これは盾であり ふたでもあるの
 なぜって 強烈な不快感だけがー
 下劣な男たちを止められるから

 母さんの服をー
 しっかり洗わなきゃ
 私と一緒にー
 村に帰ったとき 悲しみがにおわぬように

(老母を村に埋葬するためのお金を稼ごうと、娘は音楽家のメイドになる。
 娘は兵士の写真を見るや吐いてしまう)

娘の歌
 さあ 歌うのよ
 楽しいことを歌わなきゃ
 恐怖心をまぎらわし
 こんな傷なんて
 ありもしないふうに
 悟られないように
(娘は伸びたジャガイモの芽を切る)

(娘はひとりでは町を歩くことができない)

娘「村では壁に寄り添って 歩かなきゃならない
  浮遊霊に捕まって 死んでしまう
  兄もそれで死んだ
  がりがりにやせ細って
  霊を無視したからよ
  とてもお腹が痛いと言ったわ

  母さんは畑仕事をしていた
  おじいさんは町で 家畜を売っていた
  形見は病院から戻った胃の写真だけ」

娘の歌
 村の人は 気づくかな
 変わり果てた 母さんの姿に
 今度は私が おぶって行く
 子供の頃 してくれたように
 これで父さんも
 土の中でも1人じゃない

(音楽家は、即興で歌う娘の歌に心惹かれ、一曲歌うごとに真珠をひと粒あげると約束する)

音楽家は、娘の歌をうたう
 昔から 私の村に伝わる話ではー 
 音楽家が人魚と 契約を結びました
 人魚との約束が いつまで続くのか
 もしも彼らが 知りたければ
 暗い畑に行って 拾ってくるのです
 人魚のために 片手1杯のキヌアを

 人魚はすぐに数え始めます
 その人魚が言うには
 ”この1粒が 1年分よ”
 人魚は数え終わったとき
 彼を連れ去り 海へ放つでしょう 

娘が続きを歌う
 だけど母さんは言った
 キヌアは数えるのが 難しい
 人魚は数えのに 疲れてしまう
 おかげで音楽家はー
 永遠の才能に恵まれました ※につづく

娘を慕う庭師「君には慰めがいる」

娘「どうして」

庭師「こんなにたくさんある花からー
   ヒナギクを選んだから
   人が言えないことも 花は教えてくれる
   茎は指紋と同じ
   植物の命が入っている記憶装置だ
   
   時々土は掘り起こして 入れ替える
   同じ所に太陽が当たるとー
   かさぶたみたいに 土が硬くなってー
   植物が乾いてしまう」

娘の歌
 小さな ハトさん
 迷いバトさん
 おびえて 逃げ出して
 魂を落としてしまった 
 ハトさん
 
 お母さんハトが 産気づいたのは
 おそらく戦争中のこと
 きっと驚いた拍子にー
 生まれ落ちたのよ

 たとえそこで つらい目に合っても
 それは泣きながら 進むためじゃない
 苦しみながら 進むためでもない
 さあ 探すのよ
 落としてしまった魂を
 闇の中を探しなさい
 土の中を探しなさい
(娘は伸びたジャガイモの芽を切る)

(音楽家は、娘にさっきの歌の続きを促す)

※娘の歌
  暗い畑へ行って 拾ってくるのです
 人魚のために 片手1杯のキヌアを
 人魚はすぐに数え始めます
 その人魚が言うには
 ”この1粒が・・・” (中断)

(娘は庭師に尋ねる)

娘「ここはゼラニウム、ツバキ、ヒナギク、全部あるのに なぜ ジャガイモはないの」

庭師「君はなぜ 1人で道を歩くのが怖いの?」

娘「決めたから」

庭師「俺だって同じ そうしたいだけ」

娘「怖くないわ 私の意志だもの」

庭師「死だけは人間の義務だが それ以外は自分の意志だ」

娘「レイプされて殺された その死も意志だと言うの?」

(音楽家は娘がうたった歌をコンサートで演奏し、大成功を収める。
 だが約束の真珠は与えず、娘を放り出す)

(おじは寝ている娘の口と鼻を塞ぐ。娘は必至でその手を振りほどこうとする)

おじ「見ろ こんなにはっきり息をしてる。 なのに 生きようとしない」

娘「(喘ぎながら)おじさん 放して」

おじ「(泣きながら)だったら生きろ しっかり息をして」

(娘は町をさまよい、音楽家の家に行き 片手1杯の真珠を取り返す。
 その後娘は気絶するが、庭師が助ける。娘は庭師の腕の中で叫ぶ)

娘「(泣きながら)お願い 取って 取ってちょうだい 私の中から」

(娘は老母の亡骸(なきがら)を村に運ぶ。老母を背負い、砂丘を超え、海に来る)

娘「母さん 見てごらん 海に来たよ」

ある朝、娘の家の門の前には、鉢にしっかり根づき、花を咲かせたジャガイモが置かれていた。

全篇をながれる哀しみをおびた旋律、うつくしい即興歌、そして
娘役の、生命力あふれるマガリ・ソリエルは、ずっと私の中に残ることだろう。

この映画は80年代から90年代のペルー内戦が背景になっている。
戦争は酷い。2014年7月13日の私のブログ「ゆくゆきて、神軍」にも書いたが、
戦争をしていることさえ忘れるほどの飢餓。
その中で、人間として赦されない行為があったという事実。

戦争は多く語られ、本にも映画にもなった。
だが語られない、記録されない事実の方が多い。
わずかな知識で歴史を判断し、永年にわたり人々が築きあげてきた「歴史認識」を
変えようとすることは、為政者の傲慢だと、私は思う。
まだまだ知らないことがたくさんある。
語りたくても語れないことがたくさんある。
歴史に対して私たちは、もっと謙虚であるべきだ思う。




(画像はお借りしました)



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追記 1 追記 2 追記 3 追記 4 追記 5

2015-01-21 10:04:31 | ②一市民運動
「武器や無駄な公共事業より 教育や弱者に」の追記が長くなりましたので、独立させます。

追記1
連続テロ事件が起きたフランスで、スーパー立てこもり犯の声がテレビから流れた。
容疑者はいらついた様子で店内をうろうろしながらわめき散らし、人質にも
「政府を助けているのは、税金を払っているおまえたちだ」と怒りをぶちまけたという。

テロは絶対に許されない!
だが集団的自衛権の行使で、日本が他国の戦争に巻き込まれ、私たちの税金がその戦争に
使われるようなことになると、私たちが標的にされることもあり得る。
そう考えると他人事ではなく、怖くなった。

改めて、泥憲和氏の『護憲派・泥の軍事政治戦略 安倍首相から「日本」を取り戻せ!!』から
個別的自衛権と集団的自衛権の違いを引用します。
「(もしも尖閣攻撃があった場合は)尖閣攻撃への対応は侵略に対抗する正当防衛行為だ。
 集団的自衛権ではなく、すでに保有している個別的自衛権で可能である」

「集団的自衛権は(あくまで)他人のケンカを買いにいくこと」

「アメリカは自己都合で戦争をするから、多くの国から恨まれテロにあう。
 そのアメリカの戦争を日本が手伝ったら、日本も恨まれるのは必至だ。
 集団的自衛権でいっそう平和になるどころか、日本国内でテロの危険が高まるだろう。
 日本はこれまでテロの被害がない安穏な国だった。それなのにどうしてわざわざ、
 国民を危険にさらすような道に踏み出すのか」

「安倍さんについていくと、平和国家というブランドを手放してテロの標的に
 なる危険が増す」

「九条をフル活用して世界の仲介役として信頼される国を目指すという考えが、
 なぜ安倍さんにできないのだろうか」
(2015年1月12日 記)

追記2
怖れていたことが現実に起きました。
「イスラム国」に人質にされた日本人お二人の解放を祈るばかりです。

安倍首相は、1月17日にカイロで次のような演説を行いました。
「(中東)地域全体で新たに25億ドル(約2940億円)相当の支援を行う。
 25億ドルのうち、「イスラム国」への対応としてイラクやシリアなど最前線にある国や
 周辺国の難民・避難民支援などに総額2億ドルの無償資金協力を行う
 ISIL(イスラム国の別称)がもたらす脅威を少しでも食い止める・・・」

首相はあくまで人道支援だと仰るでしょうが、「イラクやシリアなど最前線にある国」と
名指しし、「日本は中東の伴走者」と位置づけて積極的に関与する姿勢を打ち出したのでは、
「イスラム国」は人道支援だけとは受け取らないのではないでしょうか。

戦闘地は、私たちの想像を絶する苛酷な環境にあります。
毎日が生きるか死ぬかの戦いです。
「人道支援」だから問題はない、「後方支援」だから危険はないと考えるのは、
平和な日本にいる一部の人間の発想ではないでしょうか。

人質にされたお二人が無事に帰れますようにと祈りつつ、これ以上日本人がこのようなことに
巻き込まれないようにするためにも、集団的自衛権の行使がわたしたちに何をもたらすのかを、
改めて考える時なのではないでしょうか。
2014年12月29日の私のブログ「後方支援は安全か」に、泥氏の意見を引用しましたので
お読みください。 (2014年 1月21日 記)

追記3
今日(1月22日)のクローズアップ現代は、「なぜ日本人が標的に?イスラム国の真実」
を放送した。
冒頭でカイロでの安倍首相の演説を紹介したが、都合の悪い箇所はカットされ、
安倍首相はイラク・シリアへの人道支援を約束したところ、
「イスラム国」は誤った解釈をし・・・直ぐにチャンネルを替えた。

私は「イスラム国」のしたことは許せないし、憤りを覚える。
だが、それとこれとは別のものだ。
国民は公平な報道を受ける権利がある。
公平な報道から国民は、今回の事は防げなかったのか、あるいは防ぐことが出来るとしたら
どうすべきだったのか、そして今後、どのようにしたらよいのかを考える。
考える前提となる報道が偏ったものであれば、判断に誤りが生じてしまう。

政権の尻拭いをするようでは、何のための公共放送なのだろう。
どんな力が働いて、今日のような報道に至ったのだろう。
今後、このような報道にしないためにはどうしたらよいのか、NHKにお尋ねします。
(2015年1月22日 記)

追記4
今回の事件で、マスコミに対して報道規制があったという。
人質にされた方の命を一番に考えるのは当然だし、報道もそうあるべきだと私は思う。
だが、報道すべき内容まで規制されてはいないだろうか。
衆院選の時のような、「自民党からテレビ局へのお願い」は無かったのだろうか。

1月25日の「サンデーモーニング」で、中東問題に詳しい寺島実郎氏の発言を聴いていて、
婉曲表現でしか発言できないようなもどかしさを感じたのは、私だけだろうか。

この番組を観た後で、録画してあった1月24日の「報道特集」を観た。
報道する側の責任が感じられる「特集」だった。
動画をブックマークに入れましたので、是非、ご覧ください。
「特集」は放送16分後からです。
放送の57分後あたりに、イスラム史研究の第一人者、板垣雄三氏への
インタビューがあります。
今回の事件は、日本の大きな転換点になってしまったという板垣氏の言葉は重いです。

「報道特集」を(1)のブックマークに、柳澤協二氏へのインタビューを(2)の
ブックマークに入れました。
(2015年1月26日 記)

追記5
東洋経済オンライン(2015年1月27日)に、元駐イラン大使の孫崎享氏のインタビュー
「安倍外交が『イスラム国』のテロを誘発した」が載っています。
私が思っていることを、ずばり仰ってくださっています。
是非、是非、是非、ご覧ください。
(2015年1月28日 記)

●上に書きました孫崎享氏のインタビュー「安倍外交が『イスラム国』のテロを誘発した」が
 新たに削除されていました。
(2015年4月27日 記)
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この民の知性 2

2015-01-20 15:05:42 | ②一市民運動
2014年2月14日の私のブログに、「この民の知性」を載せている。

2月14日の朝日新聞 「声」 に後藤乾一氏が、「大東亜戦争」 の直前に
南原繁氏が詠んだ短歌を紹介している。

 あまりに一方的なるニュースのみにわれは疑ふこの民の知性を   南原 繁

そして 「メディアに課せられた重い責任と、政治に向かう市民一人ひとりの知的勇気が、
今ほど試される時はない」 と結んでいる。
(引用ここまで)

最近の【正義】を振りかざす風潮や、物事を単純に考えようとする傾向をみると、
後藤乾一氏が投稿された時より更に、市民一人ひとりの知的勇気が試されているように感じる。

半藤一利著 対談 『昭和史をどう生きたか』に興味深い言葉があった。
野中郁次郎氏との対談より

野中:「半藤さんは司馬遼太郎さんとお親しかったと思いますが、
    『坂の上の雲』を例にとっても、明治維新の頃の人々は非常に深く考えていますね、
    謙虚に。ああいう深さはというものはどこから来たのでしょうね」

半藤:「当時、国民の知的レベルが相当高かったからではないでしょうか。
    私がなぜ『ノモンハンの夏』を書こうかと思ったのかと言いますと、
    もしあの時点で反省し、教訓を学んでいれば、その後日本を滅ぼすような
    ことはなかったのではないか、と思ったからです。ところが、実際に
    本を読まれた方々はそうした教訓よりもむしろ、現在の日本と似ていると
    思われたようなのです。
    
    戦争の時代になぜ、いい意味のインテリゲンチャがいなかったのだろうか。
    リーダーの中に知性の欠けている人が多いのはどうしてか。
    現在もリーダーに本来の意味での知的人物がいないのはどうしてだろうか、
    と聞かれることが多くなりまして、それで私も考えました。
    その結果、国民全体の教養レベルが低い時には、どうしてもいいリーダーが
    出ないのじゃないか、と。幕末から明治維新にかけての国民の知的レベルは
    相当に高かった。それでいいリーダーが出て、明治維新も成功したのでは
    ないかという気がしています」

野中:「太平洋戦争の頃は、新聞、マスコミの知のレベルも低かったのですね。
    逆に戦争を煽(あお)っていますからね。極めてプリミティブな攻撃性と
    申しますか、情緒的な知が支配していた、ということが問題ですね」

半藤:「そう、情緒的な知、いまとあまり変わりませんな(笑)」

野中:「もう一つ感じましたのは、『坂の上の雲』などでは、本質を見抜く哲学的な思想が身
    についている。しかも彼らは美しい言語で概念と言いますか、コンセプトを出せる。
    経験知が深いということは、西田哲学で言えば純粋経験ということに
    なるのでしょうか、我を超えてまさに対象と一体化する、非常に深い暗黙知が
    そこにはある。これが私たちの直観、まさに道を究めるスキルを磨くわけです。
    単なる直観を超えた自覚と言い換えてもいい。
    この自覚に至るためにはどうしても経験知が形式知と相互作用しなくてはいけません。
    そこで日本の軍人、とくにノモンハンなどの失敗を見ていますと、
    経験は積んでもそれを言語とか概念に捉え直すということがないのですね。
    言語にしませんと私たちの経験を自覚的に捉えることができませんから、
    反省を欠きますね」

半藤:「なるほど、たしかにそうですね。正確な言葉にして教訓を残していない」・・・
   「おっしゃるとおりで、日本の組織にいちばん欠けているのは自己点検による
    自己改革。さらに言語化。これができないんです」・・・
   「簡単に言えば、組織の名誉を傷つけるな、という言葉が集団を縛るのですね。
    『日本陸軍の恥辱になる』という言葉の前に立つと、正論が消えてしまう」

野中:「今日は大変興味深いお話をいただきましたが、とくに、本当に知的なリーダーを生み
    出すには時代が知的でなければいけない、というご指摘が胸にこたえました。
    まさしく現代と似ているな、と感じました」

半藤:「歴史をまったく知らない国民がこれだけいい気になっているのですから。
    そこからすごいリーダーが出るなんてありえない。
    平成32年、42年くらいを目指してもう一度日本をやり直したほうが
    よろしいのじゃないでしょうか」

野中:「たしかに歴史をどんどん捨てていますからね。いま見ていますと過去の否定だけで、
    極めて建設的なものが出にくい世論になっています。まさしく歴史を学び、
    歴史を超えていくビジョンが必要な時だと思います」 (引用ここまで)

太平洋戦争にしろ、福島第一原発事故にしろ、時の為政者に都合の悪いことは隠され、
あるいは破棄される。目を向けないどころか、むしろ無かったことにしたいようだ。

大分前の話だが、タモリさんが出演された番組「世にも奇妙な物語」に心底怖い話があった。
テレビから、新聞から、書物から、教科書から、戦争の記録が全て無くなっているのだ。
そのことに気づいた主人公が、家族や友人、先生に聞いても、みんな
「そんな戦争はなかった」と言う。
図書館で調べても、あらゆる手段を尽くして調べても、どこにも「戦争」という言葉が無い!
私はこの話を時々思い出し、その度に自分だったら・・・と怖くなる。

私は、学校で現代史を習わずにきて60歳を過ぎた。
現代史のところはいつも時間切れで「自分で読んでおくように」と言われた。
大学ではパレスチナゲリラという言葉を耳にしたが、よく分らずに来てしまった。
原発のことも、難しいことには目を背けてきて3・11に遭った。
あまりにも歴史を知らないで来てしまったと思う。

きちんと遺すべき歴史は書き残し、国民は面倒なことにも目を逸らさずに
歴史を受け入れていかないと・・・

「太平洋戦争?そんなものは無かったよ」 あるいは、
「太平洋戦争で日本は勝利したんだ」

「原発事故?そんなこと聞いたこともないよ」

という時代を、未来の人たちが迎えることになりかねない。
国民が変わらなければ、国は変わらない。

  
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武器や無駄な公共事業より 教育や弱者に

2015-01-11 09:02:57 | ②一市民運動
新聞を読む度に、2015年度の予算から必要な予算がどんどん削られていく。
その度に書き加えてきたのだが、余りに増え続けるので、「民主国家とは」と「富裕層による
富裕層のための」から一部を、改めてこちらに載せます。

議員の定数削減や諸経費削減、政党交付金の見直しはそのままに、法人税を下げ、富裕層への
減税の幅を拡げ、防衛費・公共事業費を引き上げる。
介護報酬や障がい者福祉報酬、生活保護費、教育費は引き下げられる。
史上最高の予算総額で、これっておかしくないですか!

★2015年政党交付金を2014年11月29日のブログ「どこかおかしい!」に
 載せました。
 自民党は前年比8%増で過去最高の170億4900万円。
 政党交付金は、政党・政治団体への政治献金を制限する代償として作られたのだから、
 従来通り献金を受け取っている自民党に、過去最高額の交付金はおかしくないですか。
 政党交付金の合計額は320億1400万円(見込み)。

★そもそも消費税増税は、社会保障のためではなかったのですか。
 財務省のHPには、なぜ消費税を上げるのですかの質問に、次のように回答しています。
 「今後、少子高齢化により、現役世代が急なスピードで減っていく一方で、高齢者は
 増えていきます。社会保険料など、現役世代の負担が既に年々高まりつつある中で、
 社会保障財源のために所得税や法人税の引上げを行えば、一層現役世代に負担が集中する
 こととなります。
 特定の者に負担が集中せず、高齢者を含めて国民全体で広く負担する消費税が、高齢化社会に
 おける社会保障の財源にふさわしいと考えられます」
 (ここまで引用)

※2015年予算案が1月14日に閣議決定された。
 第2次安倍政権になってから3年連続最高を更新し、15年予算総額は過去最高の
 96兆3420億円で14年度より4600億円増加(0・5%増)
 新たな借金のための国債発行額36兆8630億円で、予算の38%が借金になる。
 税収の増加により、14年度より新規国債の発行額は4・4兆円減。
 国債費(借金の元利払い)は23兆4507億円で、国債残高は増えるが
 金利低下で0・8%と微増。

 ちなみに日経新聞によると、2015年度末までの国の借金は1143兆円に
 なるそうです。  
 (今、生まれた赤ちゃんも含めて、国の借金は1人平均820万弱)
 過去最高額の予算を組んで、果たしてこの国は財政再建する気があるのでしょうか。
 GDPに対する借金残高は205%で、財政危機だったイタリアより悪く、
 先進国で最悪の水準。
 政府は2020年度には黒字化すると目標を掲げていますが、本気で黒字化するつもりなら
 こんな予算にはならないはずです。

「ダイヤモンドQ」より、藤巻健史氏のことば
「日本の借金は14年6月末で1039兆円と巨額になっています。それに対して、税収入+税外収入
 は55兆円しかない。歳出を削って年10兆円ずつ返済しても100年かかる計算だ。返済するのは
 相当困難だ。それどころか、毎年40兆~50兆円もの財政赤字を垂れ流して借金を
 増やしているのだから、あきれたものです。
 これまで日本国債は国内金融機関が買い手となっていたが、いまや日銀以外は
 売り越しするようになり、外国人も買ってくれません。もはや日本国債の買い手は
 日銀だけです。もし巨額の日本国債を購入している日銀が市場から去れば、
 国債価格が暴落し、政府は資金繰り倒産するしかない。だから日銀は、
 異次元緩和を終了できません。

 現状での「日銀の国債買い増し中止」は一気にジ・エンドを迎えるでしょうし、
 「国債買い増し継続決定」は何度も繰り返されるうちに円への信用がなくなり、
 ヘッジファンドが円売りを仕掛けてくる可能性があります。
 消費税率を10%に上げられなかった場合も危険です。「日本政府は税率を上げられる」
 ことが幻想だったと思われて、円が下落しかねません。
 当然、国債の入札で応札額が募集額に達しない「未達」が発生することも、
 引き金になり得るでしょう」 (引用ここまで)

私は経済はよく分らないが、今は金利の低下で、国債費(借金の元利払い)は
23兆4507億円で収まっているが、国債に買い手が付かないと国債の金利が
アップするのではないでしょか。
それに連動して全ての金利が上がったり、国債費が雪だるま式に増えたりするのでは
ないでしょうか。

 「勝ち組」優遇 遠い支え合い、公共事業・防衛費3年連続増、統一選にらみ地方に手厚く、
 財源不足 高齢者につけ、介護・低所得対策を縮小・・・新聞の見出しが
 全てを語っています。

 
 法人税・・・・・引き下げ(現在34・62%の法人実効税率を、2015年は
         2・51%下げ、2016年との累計3・29%下げて
         31・33%とする。1兆円規模に減税。
         数年で20%台に下げる考えだという。
         穴埋めのため、法人事業税(地方税)の外形標準課税を強化するというが、
         全体では減税が増税を約2千億円上回る。
         これにより利益を出している企業の負担は軽くなり、
         稼げていない企業は負担増となる)

 相続税・・・・・引き上げ(抜け道あまた 下の※を読んでください))

 社会保障費・・・31兆5297億円(3・3%増)

 介護報酬・・・・引き下げ(2・27%)
          介護事業者向け報酬は実質約4%の減額

 介護保険料軽減・・大幅に圧縮(所得が低い65歳以上の高齢者を対象にする
          予定が見直された)

 介護保険料・・・全国平均4972円を5550円に引き上げ

 障がい者福祉報酬・・・事業者向け報酬は実質1・78%の減額

 入院食事代・・・・自己負担1食260円を2018年までに460円にする
          (1200億円の削減)

 生活保護費・・・・住宅扶助と冬季加算を見直し、320億円の減額

 防衛費・・・・・3年連続増で、過去最高額の4兆9801億円(2%増)

 公共事業費・・・5兆9711億円で昨年と横ばいだが、民主党政権で
         4・6兆円まで減額された公共事業費が3年連続増額

 整備新幹線・・・増額 稲田朋美氏の地元を通る北陸新幹線、金沢ー敦賀の開業時期
         前倒し等による

 ダム事業費・・・1616億円で9・1%増
           民主党政権で建設中止にされたダムが、ゾンビのごとく復活してゆく。
           ダムの必要性の検証が始まったが、有識者会議の委員は
           ダム推進派が大半。
           継続46(55%)、中止(25%)、残り16カ所は検証継続。
           始めにダムありきで税金を使われるのであれば、
           何のための増税だったのか!

         
 八ッ場(やんば)ダム・・本体工事と生活再建関連予算として約119億円
 (総事業費約4600億円)
 地すべり地帯で砂がたまりやすくダム適地でない。利根川水系で河川改修や
 堤防強化を優先すべきと言う意見や、人口減が予想され、利水面でも効果は
 疑問といった意見は無視される。           

 沖縄振興費・・・・3340億円で5年ぶりに162億円の減額
 (余りにも露骨であいた口が塞がらない)

 名護市辺野古移設費・・・14年度当初予算の約83倍となる1736億円
 (これでも民主国家なのか)

 地方交付税・・・・15兆5357億円(3・8%減)
 
 地方創生枠・・・1兆円 補正予算で商品券、旅行券などに使える新交付金4200億円
                (私にはばらまきにしか思えないが)

 公立小中教職員定数・・・100人削減(自然減3000人はを除く)

 警察官・・・・・・・・1020人増員

※自民党税制調査会は27日、結婚や子育ての資金として、親や祖父母から、
 子や孫がまとまった
 お金をもらっても、1人につき1千万円までは贈与税がかからないようにする
 方針を決めた。来年度から実施する。高齢世代のお金を若い世代に回し、
 少子化対策や消費の活性化につなげる狙いだが、世代を超えて格差が
 固定化する可能性もある。

 お金などの贈与を受ける場合、年110万円までは今も非課税で、親や祖父母から
 生活費などをもらっても税金はかからない。ただ、使い道が決まっていない
 大金を一度にもらうと贈与税がかかる。
 改正後は、親や祖父母から1千万円を贈与されても、結婚、妊娠、出産、子育てに
 使う目的なら非課税にする。具体的には、親や祖父母が信託銀行の口座に
 まとめてお金を入れ、子や孫は必要な時に引き出す。

 学校の授業料など教育資金については、2013年4月から同じような非課税の仕組み
(非課税枠は最大1500万円)が15年末までの期間限定で導入された。
 これを16年以降も継続するほか、篤志家など親や祖父母以外から贈与を受けた場合も
 対象にする。教育資金の贈与は信託銀行でつくる信託協会によると10月末までに
 約9万4千件の利用があった。

 また、住宅購入資金を非課税で贈与できる仕組みも拡充や延長をする方針だ。非課税枠が最大
 1千万円ある今の制度は、今年末で期限切れになる。これを延長し、
 来年は最大1500万円、
 16年1~9月は1200万円、10月以降は3千万円とする方向だ。

追記1
滋賀県知事選、沖縄県知事選につづき、佐賀県知事選でも政権が推す候補者が敗れました。
「政権を好き勝手にはさせないぞ!」という民意の現われと、嬉しくなりました。
【政権を握る=何でも思い通りに出来る】と勘違いしている安倍首相の耳に、
国民の声がもっと、もっと、轟(とどろ)きますように!

追記2
2015年4月28日の朝日新聞によると、
欧米系の格付け会社フィッチ・レーティングスは、2015年4月27日に
日本の国債の格付けを21段階あるうち上から5番目の「Aプラス」から、
「A」に1段階引き下げた。
格付け「A」は、イスラエルやマルタと同じで、中国やチリより1つ下になる。
フィッチの分析によると、「政府が15年度に続き16年度も法人減税を実施する
意向であることや、14年度の税収の上ぶれ分を同年度補正予算の財源に使って
しまった点などを指摘。
こうした対応は『財政再建に対する政治的なコミットメント(約束)を巡る不透明さを増大
させるもの』とした。(引用ここまで)

法人減税などで税収入が増えても、補正予算でじゃんじゃん使ってしまっては、
財政再建からますます遠ざかってしまう。
また、安倍首相が外遊する度に、いろいろな国へ多額の援助を約束していくことも気になる。
国のお金は、あなたのポケットマネーではありません。
こうしたことをチェックする機関はないのだろうか。あっても公開しないのであれば同じだが。
「主要国の国債格付けランキング2015」をご覧ください。
(2015年4月29日 記)
              ↓
http://lets-gold.net/sovereign_rating.php
(2015年6月30日 記)


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冬の小鳥

2015-01-10 09:49:15 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
韓国映画は好きでよく観るが、あまりにも残酷なシーンが多く、
神経がくったくたになることがある。
何日にも分けて観たり、残酷なシーンを早回しするのはざらだ。
だが、この「冬の小鳥」は安心して観ることができた。(2009年公開)

映画初出演となる、ジニを演じる9歳のキム・セロンはなんという役者だろう。
2か月ほど前に観たのだが、今でも、いつでも、彼女が私の心に蘇ってくる。

先日、拒食症と思われるほど痩せた母親と、7歳くらいの女の子がコンビニから出てきた。
歩きながら、一個の菓子パンを二人でちぎって食べている。
今日、初めての食事なのかもしれない。キム・セロンを思い出していた。

この映画は、脚本・監督であるウニー・ルコントの幼い頃の体験がもとになっている。
ジニは父親の再婚で、何も知らされないまま孤児院で暮らすことになる。
父親が迎えに来るのを毎日、毎日、待ちつづける。
9歳の子ができる精一杯の知恵をしぼって、父親を探し出そうとする。

映画の最初のシーンで、父親と自転車に乗っているキム・セロンのとびっきりの笑顔。

死んだ小鳥を埋めたように穴を掘り、その中に自らが入り落葉で覆いつくす。
息苦しさに耐え切れず、落葉をかき分けて顔を出す鬼気迫るシーン。

孤児院から脱走を試みるが、果たせず、自らの意志で門を入っていく時の
哀しみが貼り付いた、キム・セロンのほそい手と脚。

顔も知らない養親の待つフランスへ、ひとり空港をゆくキム・セロンのくすぐったそうな顔。
映画はここで終わる。

キム・セロンは、この映画のどのシーンでも生きている!

キム・セロンは自分のブログに、次のように書いているという。
「俳優になろうとするなら、数千回倒れ、泣かなければならない」

キム・セロンに夢中になり、「バービー」、「アジョシ」、「天上の花園」と観たが、
「冬の小鳥」が一番よかった。

ウニー・ルコント監督が、9歳でフランス人の養女となり、映画監督になるまでの
その後の人生を想った。

※お節介・・・DMM.comでも、楽天レンタルでも借りられます。

追記1
5月に「私の少女」を観た。
キム・セロンとペ・ドゥナが共演している。
ペ・ドゥナは「空気人形」を観て以来、好きな女優である。
2人の好きな女優が出ていて、映画の主題もはっきりしている。
それなりに楽しむことができる。

キム・セロンは女の子から少女に成長して、綺麗になっていた。
演技もうまい。でも何だろう、この違和感は。
キム・セロンにこの映画のオファーが来た時は、断ったそうだ。
オーディションを何度してもふさわしい女優が見つからず、最終的に引き受けた。
きわどい演技も要求され、少女としては汚れ役と言っていいだろう。

「冬の小鳥」では、映画のどのシーンでもキム・セロンは生きていた!
「私の少女」では、どのシーンにも女優キム・セロンがいた。
女優として難しい年頃なのだろう。
才能がある人なので、機が熟すのを待ってもよいのではと、老婆心ながら思った。
(2015年7月15日 記)

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参加します(梅田啓子)

2015-01-09 13:21:18 | ⑥題詠blog2015
今年もこのような場を設けてくださり、ありがとうございます。
9回目となりますが、参加させて頂きます。

今年は出来るだけフィクションを詠んでいこうと思います。
五十嵐きよみさん、みなさん、よろしくお願いいたします。

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題詠blog2015

2015-01-07 17:32:35 | ⑥題詠blog2015
「題詠blog2015」が今年も始まるようです。
五十嵐きよみさんが、お一人で立ち上げてくださり、そのご苦労を思うと頭が下がります。
ブックマークに入れましたので、興味のある方はご覧ください。

自分を取り巻く環境が、日に日に厳しくなってゆくように感じます。
自分の気持ちを直視して詠むと、時事詠ばかりになってしまいそうです。
それではますます苦しくなります。

今年は現実から離脱して、「虚」の世界に遊べたらと思います。
時代を、空間を、性別を、常識を・・・超えて詠めたらと思います。

「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん」

趣味は楽しむもの。
いつギブ・アップするか分りませんが、今年も参加したいと思います。

追記1
短歌には境涯詠というジャンルがあります。
自分が現在、生きている立場を詠んだもので、自分の事や身の周りのことを詠みます。
当然、自分や周りの人のプライバシーを詠むこともあります。

詠むからには綺麗ごとには詠みたくないという思いが、私にはありました。
これは自分の事では当然のことですが、私が詠んだことで、
傷つけてしまう方がいらっしゃるかもしれないという、配慮が欠けていました。
私の知らないところで、傷つけてしまった方がいらっしゃいましたら、
この場をかりてお詫びしたいと思います。本当に申し訳ありませんでした。
これからは遊びとして、気晴らしとして、短歌を楽しんでいけたらと思います。
(2015年1月28日 記)


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ふたりご 1

2015-01-01 20:49:54 | ⑯第一歌集 『ふたりご』・その他
あけましておめでとうございます。
ブログをお読みくださいましてありがとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

短歌を始めてもうじき11年になります。
ひと区切りをつける意味で、2013年10月に上梓しました第一歌集『ふたりご』の一部を、
書き記しておこうと思います。

2004年から2013年までの歌を、ほぼ作歌順に収めています。
2007年~2013年までに「題詠blog」に投稿した歌は、かなりの数になります。
それらを普通の章立てに入れられるものは入れて、入らなかったものは
「題詠blog2007~2013」に収めました。
お読みくだされば幸いです。


  地球を感じよ

空砲の鳴る畑道(はたみち)をゆく朝(あした)やらねばならぬこと何もなし

つややかな辛夷(こぶし)のつぼみに触れたれば仔犬のような温もりのあり

抱擁のごとく芒(すすき)に巻きついて荒れ地に葛のつるの幼き

ゆるき風わが身に受けては押しかえし太極拳を庭に舞いおり

山おおい送電線をものぼりゆく葛という字を子は嫁(か)してもつ

超音波画像に胎児と会える子の涙は枕につつっと落ちぬ

赤黒き顔ぬめぬめとひかりいる羊水を出(い)で二時間経(た)つも

たんぽぽの綿毛のような髪を撫でひしと抱(いだ)けば乳の匂いす

みどりごの重みの腕に残りいき ぬるき風ふく地下鉄ホームに

〈すしのこ〉の匂いがすると女子(おみなご)の髪をむすめは拭きてまたかぐ

意志をもち歩き初(そ)めたる孫ちひろ地球を感じよその足裏(あなうら)に


  新毛斯 

一瞬に真鯉あらわれ泳ぎくる鈍色(にびいろ)のさざなみ押し分けながら

強風に羽ばたきいたる雲雀(ひばり)の子たちまち凧(たこ)のごとく落下す

風にゆれ凌霄花(のうぜんかずら)ひとつ落つ母に背(そむ)きし夏の思わる

リウマチの指に包丁重ければ果物ナイフに菜(な)を切る母は

木棚より新毛斯(しんモス)ひと巻き引き出(い)だし母は裁(た)ちにき曲れる指に

                             新毛斯=綿織物。

割烹着(かっぽうぎ)のポケットにいつも入ってた母が拾いし輪ゴムが二、三

茄子(なす)の実の地につくままに朽ちてゆく ひとつの町に母は生きたり

生前に母はノートに記(しる)しいき「香典返しは敷布(しきふ)にすること」

火屋(ひや)の母 灰となりたるその中に人工関節あかく光れり

                             火屋=火葬場。

母の頭(ず)のまろきかたちを覚えおり髪洗いいし右の手のひら

ひゅるひゅると気管支の鳴る秋の夜は母の胸にて泣きたきものを

煮こぼれし醤油のにおい立ちこめて誰かの子供でいたき夜なり


  シュプレヒコール

三十年返しそびれしままの本『ゴドーを待ちながら』われの書棚に

                   『ゴドーを待ちながら』=ベケットの戯曲。

サナトリウムに憧れていし若き日の一時期 喘鳴(ぜんめい)という言葉を知らず

曼珠沙華(まんじゅしゃげ)のまっ赤な花が咲いていた おもいで少なきはたちの恋は

愛しさの風化するまであとすこしメタセコイアの針の葉を踏む

西日受けバターの溶けるアパートが初めてわれの砦となりき

冬空に拳(こぶし)をかざす花梨(かりん)の実シュプレヒコールも遥けくなりぬ

メルシーのラーメンいまも健在と婿は言いたりGABANが置かれ

                            ギャバンの缶コショウ。

ラーメンの汁飲み干して汗ぬぐうこの煮干し味三十年ぶり


  子と過ごす夏

人間を南瓜(かぼちゃ)のように積むHONDAラッシュ・アワーのタイのハイウェー

散歩することはないのか バンコクの路傍にねむる痩せた犬・犬

巨大なる足裏みせる涅槃仏(ねはんぶつ)タイの暑さはかなわぬ、かなわぬ

全裸にて少年ひとり飛び込みぬ夕陽かがやくチャオ・プラヤ川に

ピシピキと薪の火はぜて煙立つ いつかは終わる子と過ごす夏


  朝の蓮池

音階の狂ったオルガンめく音にウシガエル鳴く朝の蓮池

朝の陽(ひ)に睡蓮の葉の揺らぎいて鯉のうろこのひかり浮かび来(く)

睡蓮の葉をくわえたる鯉は今ヘディングするがに縁(へり)をちぎりぬ

雨の日のわが間脳はゆるびいてとろとろとろとろ魚のねむり


  次女の引っ越し

玄関にピンクのサンダル置きしより娘のいるごと華やぎ初(そ)むる

ひとさし指くちにふくみて眠る児(こ)とエレベーターに乗り合わせたり

むらきもの心の置き処(ど)のなき昼はひとり茶漬けに山葵(わさび)を入れる

               むらきもの=「こころ」にかかる枕詞(まくらことば)。

みどりごのよだれのような粘液にまみれたる手にアロエベラ剥(む)く

いちだんと重くなりたる孫を抱く夢のなかでも成長しており

追記
この歌集は2013年に出版され、出版元である青磁社では「品切れ」になっています。
ところがここに来て、「新品」あるいは「ほぼ新品」が多く出回っています。
Yahoo関連のお店では、12店全てが同一価格(2750円+送料)です。
Amazonでは考えられないことです。
なんででしょう。なんとも不思議な話です。
(2019年12月21日 記)





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ふたりご  2

2015-01-01 20:48:50 | ⑯第一歌集 『ふたりご』・その他
     日傘をまわす

藍染(あいぞめ)のあやめの浴衣着たる子は「奥様みたい」と日傘をまわす

再婚しわれの味噌汁変わったという子は白味噌、夫は赤だし

じぶじぶと鰆(さわら)の西京漬焼けて味噌の香ばし白飯(しらいい)をもる

弾みいる声にうそなど交(まじ)らいて子はあたらしき恋をするらし

帰りゆくむすめの背中は四つ角で夕日を受けてくるりと返る

鉄さびの浮くヘアピンの置かれおり浴槽のへりに子が忘れゆき

長雨に紫陽花(あじさい)の枝たわみいる 諍(いさか)うことの少なくなりて

棒打ちて鳥遣(や)らいつつ歌うたう老女を想うさびしき日には
                            遣らう=追い払う

幼き日していたように蚊帳(かや)に入(い)る白きレースの端をゆらして

子の腕の傷にガーゼをあてやれば指はねかえす弾力のあり

      われに男(お)の子なし

深みどりのジェラートのごと切り立てる山脈のあり われに男(お)の子なし

坑道のごとくしずもる大腸をライトに照らし内視鏡入(い)る

水芭蕉の苞(ほう)のかたちにうしろ髪結(ゆ)いし娘が見舞いに来たり

窓ガラスに白蛾(はくが)はりつき天井にやもり貼りつき夏の夜(よ)は過ぐ

頬張りて噛み砕きては嚥下(えんげ)する食(た)ぶとはかくに生臭きこと

老いてなお恋に縋(すが)れる人のごと百合のおしべの花粉の重し

じりじりと木を登りつつ交尾せし蝉は離(さか)りて声低く鳴く

黒雲の裡(うち)より爆音聴こえきて機影はあらず夏の終わりに

      この日を迎う

一斉(いっせい)に木が芽吹きたりプロポーズされしと子よりメールのありて

結婚の許しを乞(こ)いに来たるひと膝を合わせてソファーに坐る

「至らない子ですがきちんとやる子です」うつむく娘の手に涙落つ

二年前「恋をするらし」とわが詠(よ)みし子はゆっくりとこの日を迎う

エニシダは黄(きい)の光をまきちらす二度と還(かえ)らぬこの一瞬を

三面鏡閉じなくなりぬ婚礼に母購(か)いくれしものみな旧(ふ)りて

パソコンのオフの画面に映りいる夕日のいろの濃くなつかしき

      歯の塚ならむ 

赤紫蘇(しそ)を煮出したる濃きむらさきに酢を垂(た)るせつな鴇(とき)色(いろ)の海

指先が鉄さびのような臭いする辣韭(らっきょう)五キロ漬けたる夜に

瓶(びん)底に堆(うずたか)くある辣韭はスピノサウルスの歯の塚ならむ

ノルウェーよりトマトのできを尋ねくる夫の声の受話器にひびく

最北の地ノールカップにいま立つと夫の声きく午前三時に

大ぶりの茶碗に飯(いい)を食(は)みており旅に出(い)でたる君に代わりて

身のおくか熱の生(あ)れきて耳たぶのふるえ始める新月の夜

                         おくか=奥処(おくか)。

新旧の石鹸ひったり貼られおり 壮年の夫(つま)をわれは知らざる

雨の日の畳の部屋には亡き人の足跡はつか滲(にじ)みいるらし

白髪をふり乱し咲く銀水引ゆうぐれどきの路地のかたえに

      トローチの穴

冬空に毛細血管ひろげいるメタセコイアが深呼吸する

トローチの穴の確かさ ゆがむ字に年賀状くるるわれの先生

担任が同僚でありし七年間わが緊張は十六歳(じゅうろく)のままに

作りくれし娘の受験お守りは先生の庭の四つ葉のクローバー

わたくしと「く」の心棒をしかと持ち太田さん話す日本語うつくし

くきやかな顎(あご)のラインのそのままに姪(めい)は二十歳(はたち)の誕生日迎う

梅の咲く下に車椅子の老い人はまがれる口に紅さしており

先生と互(かたみ)に呼びて語り合う職退(ひ)きしいまも四人集(つど)えば

腿(もも)うちに銃弾のこるカルロス君 少年時代をペルーに過ごしぬ

八年間放置されいし銃弾よ十八歳のからだの中に

       蓮の実

干芋を食(は)みつつ夫(つま)と相撲みる昔の父と母とのように

一番を終えし力士がへたりこむ黒き足裏そのまま見せて

E・Tのごとく蓮の実そら見上ぐ みどりの揺れる葉の間(あわい)より

夕まぐれ風吹くときに眼下(まなした)の池は一瞬鳥肌となる

だしぬけに雨音迫りパソコンの光のうかぶ部屋に目覚めぬ

輪ゴム切れわが指を打つ痛さなり夫の息子のことに触るるは

だんだんに声荒げゆく夫(つま)見ればああこのひとも人の親なり

戸袋に入(い)りたる風のやすらぎて時おりとろろん雨戸を揺する

椅子の位置ぴたりと決まらぬ日のようにちぐはぐな会話つづいていたり




(生命力の旺盛な葛)

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ふたりご 3

2015-01-01 20:47:59 | ⑯第一歌集 『ふたりご』・その他
      ひまわり

夏の朝大ひまわりの蕊(しべ)ひかる いがぐり頭が汗噴くごとく

葱坊主のうす皮ごしに花の見ゆ はちきれそうな少女のふともも

山吹(やまぶき)色のむすめの着物干しおれば母の箪笥(たんす)とおなじ香のする

珈琲を淹れてもいれても色の出ぬ夢に起きだす秋冷えの朝

結納にひと日限りの夫婦なり十年前に別れし人と

正月に皿鉢(さわち)を食べに来てくれと言われたる子に高知が近づく 
                            皿鉢=高知の名物料理

ここに来て触れよとばかり光りいるアキノエノコロ種落ちやすし

秋の蚊はこめかみと手の四箇所を刺して今宵もわが部屋に生(い)く

手に残るアカイエ蚊の漿(しょう)液を真夜(まよ)に洗いつ冷たき水に

公園のひまわりの蕊に爪たてて盗人(ぬすっと)のごとく種はがしゆく

晩秋に肋(あばら)のごとき雲うかぶ つね痩せていし父のその胸

トラクターに掘り起こされし広き野にひまわりの茎あちこち刺さる


     熟柿(じゅくし)

金泥(きんでい)の海のごとくに照り返す凍(い)てし朝(あした)の路面の雪は

熱き湯に雪の塊(かたまり)入れくれし母若かりき そとは雪ふる

冬の朝触れしノートは冷え切りてたちまち指の熱の奪わる

屋上に発声練習せし朝は「ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ」空にぶつけて

冬空を噴き上げいたる水ふいに止(や)みて一気にわれも落ちゆく

その記憶われにあらねど子はここを叩(はた)かれたると指差して言う

今日ひとに触るることなき手のひらに湯に浮く柚子を握りしめたり

くずれたる熟柿(じゅくし)に蜂のうごく見ゆ 夭折(ようせつ)知らせる手紙がとどく

寒き夜(よ)は祈るかたちに手を組みぬ十本の指ひったりつけて

火の見えぬファン・ヒーターに暖をとる輪郭のなき冬のいちにち


      山ざくら

ぷっくりと空気をはらむ葱の葉が春の畑を一面おおう

そのうろこ螺鈿(らでん)のごとく光りいて春のくちなわ道に死におり
                   螺鈿=貝の真珠色の部分を漆器にはめ込んだ飾り
                   くちなわ=蛇

雀は鵯(ひよ)と交わることのあらざるや鵯の木のあり雀の木あり
                           鵯=ヒヨドリ

白髪のなびくがごとく風にのり吉野の谷にさくら散りゆく

弁当の煮しめに降りくる山ざくら雀の色に染まりてゆけり

前登志夫のうたに誘われ来し吉野 十日前にはここに在(いま)せり 
                            2008年4月5日逝去

菜の花は莟(つぼみ)切られて並び立つ首級(しるし)とられし戦士のごとく

絵の隅にくれないのすじ過(よ)ぎりいるムンクの鮮血(あらち)を塗りこめたるか

大鰺(おおあじ)の腸(わた)を抜かむとわが指がやわきに触れて一瞬ひるむ

ブルマーの脚に包帯巻かれおり痣(あざ)をかくしし十五歳(じゅうご)の写真

くふくふと体(からだ)の奥にひそみいる甘えたかりし幼きわれが

球形の薊(あざみ)のつぼみ棘(とげ)立ちてゆうべの風を傷(いた)めつけおり

マンガーノの映画観し夜(よ)のバスタブに扁(ひら)たきわれが浮かびていたり
                       マンガーノ=イタリアのグラマラス女優

茗荷(みょうが)の芽が幟(のぼり)のごとく突き立てる朝(あした)アドレス一つ削除す

言い返すまえに勝負はついており入道雲を見ずに夏逝(ゆ)く


      ふいごのように

黒土よりチューリップの芽でて来たりひな鳥が餌(え)を欲(ほ)るくちに似て

八年間ひとり暮らししアパートを去りぎわ娘はカメラに納む

子のかたえ今日より眠るひとのいる 春の夜道を帰り来たりぬ

水切りの石は水面(みなも)を跳ねてのち沈みゆきたり五月の沼に

緑濃き人参の葉はジオラマの森のごとくに畑をおおう
                  ジオラマ=実際の風景に似せて小型模型を配したもの

たんぽぽの綿毛に変わる瞬間を見たことはなし 老眼すすむ

新しき姓にて届くカーネーション何かが違う今年の赤は

子はみんなそうだと言いてくれしこと われと夫の子にあらねども

子のためとアイスクリームの天麩羅(てんぷら)に醤油かけやる母なりしわれは

泣きたきを我慢するときわが胸はふいごのようにふくらみちぢむ
                      ふいご=足で踏むなどして風を押し出すもの

一日を咳して終わるゆうぐれは声を持たざる蟻(あり)を見ており


      ジューン・ブライド

亡き母の帯のからだに馴染(なじ)みおりジューン・ブライドの母なりわれは

色白の子のなお白きおしろいを塗りてふっくら笑(え)まいつつ来る

水引を髪につけたる巫女(みこ)のあと一団となり黙(もだ)しつつゆく

ひと呼吸おきて斎主(さいしゅ)の読み継げる姓の違(たが)える父と母の名

高き音たててルージュの転がれり玉串をもつ巫女のかたえに

わが犬の最期を看取(みと)りくれし義姉(あね) 襁褓(むつき)あてしと声を詰まらす
                            襁褓=おむつ

「おばちゃん」と今なお呼びてくるる人 十一年の間(ま)に三児の母なり

中学の恩師のスピーチ続きおり「イベントになると燃える子でした」

ふるさとの鰹のたたき配りゆく婿は襷(たすき)をきりりと掛けて

わが詠みし歌の飾られたる横に高知の母の布の蝉とまる

里芋の煮っころがしの弁当の礼を娘は泣きながら言う

点滴を受けて臨(のぞ)みし結婚式とどこおりなくすべて終わりぬ







追記
このページを見てくださる方が多いようなので、ここに載せます。
私は『ふたりご』という歌集を2013年10月に出版しました。
出版社からのアドバイスもあって、お会いしたことのない短歌界の方にも
数多くお送りしました。
私のような素人の歌集をお読みくださり、本当に嬉しく思いました。
もちろんお代を頂いた方は一人もいません。

最近アマゾンで、6年前に出版した本を新品として売られているのを見つけました。
しかも定価の何倍もする価格もありました。
送料はスマートレターでも180円なのに、高い価格が表示されているのもあります。
驚くと同時に、どなたが?との思いでいっぱいです。
私の歌集はそんな価値は全くありませんし、現に残ったものが家に積まれています。
自分の手を離れてしまった以上は何も言えないのでしょうか。
10円でも取っていれば、私は文句は言いません。
でも無料で送られて来た本を、高額で売るのは止めて欲しいです。
新品で売って欲しくないこと等をアマゾンに書きましたところ、
削除されてしまいました。

お読みくださる方には無料でお送りいたします。
ただし価格以上の売値での転売はしない、との約束を守ってください。
以上、よろしくお願いします。
(2019年8月26日 記)
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ふたりご 4

2015-01-01 20:46:38 | ⑯第一歌集 『ふたりご』・その他
      初生(な)りトマト

夏空に葛、やぶ枯らし、金葎(かなむぐら)フェンスを越えて蔓(つる)さき立たす

地下足袋にペダルこぐ老い人われを抜く荷台に鍬(くわ)を一本積みて

ぬばたまの黒き鳥なるオオバンの額(ぬか)のみしろく神は創(つく)れり

蓮の葉の漏斗(ろうと)のような窪みへときるきる雨が吸い込まれゆく
                            漏斗=じょうご

手のひらに寄り添うような軽さなりロゼ色ケータイ子より贈らる

嫁ぎたる子より着信今日もなし初生(な)りトマト滴(したた)らせ食(た)ぶ
  
花道を菩薩のような笑みうかべ琴欧洲ゆく優勝決まりて
                        二〇〇八年五月場所にて

立合に張り手が空(くう)を切るごとき批評と気づく歌会(かかい)を終えて


      凌霄花(のうぜんかずら)

雨しずくつけて蜘蛛の巣撓(たわ)みおり 今は言わずに黙っていよう

凌霄花(のうぜんかずら)落ちいる路面うつ雨に勢いありて花びら浮かす

雨あがり血溜(ちだま)りのごと固まれる凌霄花のおもく揺れいる

腎を病む母は氷を舐(ねぶ)りつつ喉の渇きに堪えていたりき

六十二歳(ろくじゅうに)のその半分を病みいたる母に習いしこと思い出せず

楓(かえで)の木の根方(ねかた)に胞衣(えな)を埋めしという母の言葉を
いまも畏(おそ)るる
                           胞衣=胎児を包んだ膜と胎盤

夏の夜の水琴窟(すいきんくつ)より聴こえくる忍びわらいの死者たちの声


      のっぺらぼうな日日(にちにち)

池の面(も)がしずかに息を吐くように輪の生(あ)れ鯉のうろこの見ゆる

レントゲンの肺の翳(かげ)りの浮かび出(い)づ入道雲のあわいにひとつ

二階よりよしず吊(つる)せば商家めき氷小豆が食べたくなりぬ

菜園にモロヘイヤ摘む夫(つま)が見ゆ首のうしろを黒光りさせて

逆光にひまわりの萼(がく)ならびいるのっぺらぼうな日日(にちにち)のごとく

葱の香の満つる畑道あちこちに切り捨てられし白が散らばる

葱畑(ねぎはた)にゆまり終えたる老い人は夕光(ゆうかげ)の中もんぺ上げおり
                           ゆまり=尿

われをさけ欅(けやき)もみじ葉降りしきるだれも知らないまひるの快楽

ウォーキングしたる日の夜(よ)の体(からだ)から獣(けもの)のにおう鏡のまえは

まなかいに白きうなじのうつむけば銀杏(ぎんなん)に似る骨うかび出(い)づ
                           まなかい=目の前

人疲れしたる日のよる栗をむく栗むき栗むくテーブルの上


      なおも手を振る

小きざみに声を浮力に変えながら雲雀(ひばり)はあがる七月の空を

ためらいのごとき間(ま)をもち潰(つぶ)れゆくわが靴底の青き梅の実

烏骨鶏(うこっけい)二羽に仔猫の六匹が農家の庭のそれぞれを占む

急(せ)くことのひとつひとつと無くなりぬ うす紫のカンパニュラの花

ただひとつ希(ねが)い叶わばゆったりと子を育てたし数珠玉(じゅずだま)つみて

原っぱの土管(どかん)の中にまどろめり遠くにわれを呼ぶ声がして

父と同じ箸づかいする人ありて秘事(ひじ)知りしごと心みだるる

手を振りて見送りくれし病室に戻ればなおも父は手を振る

鴉(からす)去りてアンテナしばし揺れており十月の午後つめたき雨ふる


      黄花コスモス

半球の空を背負いてゆく朝はひろき歩幅に畑道をふむ

傷(いた)みある小蕪(こかぶ)をかごに帰り来て夫は冷めたお茶を飲み干す

クリップに散(ばら)ける紙を留(と)むるごと職退(ひ)きし夫(つま)は気を使いおり

プレミアムモルツのように君だけが光りつつ来るカートを押して

憧れいしノールカップより帰り来て夫はその後を旅には出(い)でず

老眼鏡すこしずり下げ夫(つま)は読む付箋つけたるわたしの歌を

通信簿を見せいるごとく待つわれに「いいね」と言いて夫は顔上ぐ

〈光の春〉を教えてくれし日は過ぎてひだまりに夫(つま)は爪を切りおり

閑(しず)かなる老後というはこのことか背すじ直(す)ぐなる夫を見ている

ノックをせずに扉をあける人と居て知らぬ間(ま)にわれはゆるびていたり

こすもすに黄花コスモスまじり咲くこのままでいいとようやく思えり

牡蠣(かき)鍋のにおいの残るわが髪よ夫の寝息を聴きつつ眠らむ


      柚子味噌

魚には発熱というはあらざるやひかりまぶしき冬晴れの朝

雪は止(や)みキーンと射しくる陽(ひ)の中へひとり、ひとりと人が湧きくる

庭隅(すみ)がうごき始むる午後三時待ちきれないか「ウワン」とひと哭(な)き

だぼだぼの靴にゴボウの足入れてむすめは走る仔犬ひきつれ

うす桃色の新居に犬を飼いし日のわが巡りには音あふれいき

「賑やかなお正月でした」のふみ添えてポンカン届く子の姑より

ポンカンを剥けば果汁がほとばしり高知は娘のふるさとになる

ベランダが満艦飾(まんかんしよく)の日々ありき シーツ二枚を冬の日に干す
                  満艦飾=軍艦が艦全体を信号旗などで飾り立てること

一合の米研(と)ぐ指のたよりなさ硬めのごはんに柚子味噌のせる

元気なら会えずともよし 子の齢(とし)に母のさびしさ思わざりけり

冬のあさ松の幹より湯気立ちてしずかに空へ吸われてゆきぬ
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ふたりご 5

2015-01-01 20:45:29 | ⑯第一歌集 『ふたりご』・その他
      わが季(とき)をゆく

わが子より我に似る目に笑いたり四十年ぶり会いたる従兄

一九六九年(いちきゅうろくきゅう) 映画のように語りあう受験せしわれ 闘争せし従兄

初めてのデモに終電乗りおくれ深夜喫茶に朝を待ちいき
 
役者になると母を泣かせし日のありき駅の灯(ひ)に蛾のぶつかりて飛ぶ

広東麺(かんとんめん)のとろみに舌の灼(や)けつきぬ終わりにすると決めし日の夜(よ)は

フライヤーのポテトのごとく人間を押し出し信号赤に変われり
                             フライヤー=揚げ鍋

Gパンにエイとししむら押し込めて調子はずれのわが季(とき)をゆく
                             ししむら=肉体

      二十二歳の夏

鯉と鯉しずかに淡くすれちがう死者のたましい宿せるごとく

鯉池に投げ込まれたるえびせんの油膜がにじむ ぶり返すいたみ

家族という傷もつふたりが出会いしはサルビアの咲く二十二歳(にじゅうに)の夏

「この人には何を言っても赦(ゆる)される」そう思わせしおのれに怒(いか)る

そののちを知らず逝きたる母さんに「阿呆(あほう)やったね」と呟いてみる

ひとり住みふたりになりてふたり増えいまはしずかにふたりに暮らす

子の家の行きと帰りに買うマスクおひとり様二点限りに
            2009年は新型インフルエンザが流行し、マスクが品薄だった

婿の背に毛玉のあまた付いている 怒った顔を見たことがない


      手鏡

小(ち)さき耳あまたそばだて炎昼にポンポン・ダリアの白き花咲く

南アより運ばれ来たるパパの声に五歳の孫はチュチュチュと応(こた)う

おばあちゃんと呼べるようになりおばあちゃんに我はなりゆく四年ぶりなれば

「フィギュアかって」と買うまでを泣くおみなごの睫毛(まつげ)の先より涙したたる
                      フィギュア=人の形をした立体的な像

腐食ある手鏡ソファーの上にあり思春期に子がいつも見ていし

一日の濃度がねんねん変わりゆく紅茶にミルクをたっぷりいれる

七年間毎昼カレーを食べるという儀式のごときイチローの一日

テレビ観てひと日ベッドに臥(ふ)しおれば二十杯ものカフェラテCM

眠られぬ夜にひとりの友おもう ほくろの位置が思い出せない

手脚折りユニット・バスに浸るとき人の体はしみじみ四角


      十三回忌

声明(しょうみょう)のごとき数字を聴き分けてちいさき指に珠(たま)はじきけり

白糸のごとく飛びゆく乳汁(ちじる)あり古きお寺のお蔵の絵馬に

黒豆の誤嚥(ごえん)にはじまる父の死は 歳晩(さいばん)につどう十三回忌

姉妹にも陰陽はあり近づけば目眩(めくら)むばかり陽のいもうと

白米がバター・ライスになったよう付け睫毛(まつげ)ながき姪(めい)の笑顔は

職辞すという弟を留(とど)めし日 われのおとうと遠くなりたり

怒らざる文句言わざる父なりき生きてる内(うち)はわからなかった

帳簿には「酒心(しゅしん)を断(た)つ」の父の文字おおきく二箇所書かれてありぬ

酒々井(しすい)という淋しきひびきのふるさとよ父はお酒を愛し憎みき
          酒々井=佐倉と成田の間にある町。父は神田須田町から疎開し、
          この地に住み着いた

人住まぬ家は荒(すさ)びて色はなし実生(みしょう)の木だけが枝をひろげる

風袋(ふうたい)の目方(めかた)差し引く生き方を厭(いと)いし日ありき 父に似てくる
                               風袋=包装紙、箱など

湯のなかの柚子をしぼれば油膜いでわれの巡りをゆらりとかこむ


      冷たいほっぺ

田の水にうつる日輪(にちりん)どこまでもわが前をゆく 距離を保ちて

突然の雨に濡れたるおみなごの肌はアーモンドの匂いする

形成外科にむすめと待ちぬ眼の痕(あと)のしろく扁(ひら)たき人と並びて

アイス・バーのような木片(もくへん)つみ重ねつみ重ねゆくひとりごの孫

つるつるの冷たいほっぺ撫でやればころり寝返るママがいない夜(よ)

アラブの地に就(つ)くころ傷は癒ゆるだろう砂漠の風に前髪ふかれて

十八歳(じゅうはち)に家を離れて幾たびか 深夜便にてむすめは発(た)てり


      「が」が重いから

かき氷を食(は)みたるごとくきいいんと血管しまる大寒(だいかん)の朝

雪のこる畑(はた)より帰り来し夫(つま)の手に白菜は葉さきが透ける

とろとろと金柑を煮るきんかんはこそばゆそうに臀(しり)を浮かせる

いつしらに蚊を飼いており病める日は眼(まなこ)ころがし二匹と遊ぶ

人群れがわれに向かいて押し寄せる白き朝(あした)は過呼吸になる

音を消すラップ・ミュージック鳴り出してМ・R・Iの検査はじまる

ゆるやかに走査しながら上がりきて光がわれの顔を捕(とら)うる
                            CТスキャンを受けていた

一年で医師は異動すこの先も癒ゆること無きわれを知らずに

ノブ回す、雨戸を閉める、髪を梳(す)く、右の肋(あばら)に直(じか)につながる
                            咳でひびが入る

羽毛布団の空気みたいに生きてくね お母さんがの「が」が重いから

朝(あした)には必ず会える人のいて『キッチン』読みつつひとりに眠る
                        『キッチン』=よしもとばななの小説

すかすかの胸は冷たく目覚めたり春の厨(くりや)に牛乳をのむ

菜の花のたばね棄(す)てられたる中にそこより伸びる一本のあり
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ふたりご 6

2015-01-01 20:44:34 | ⑯第一歌集 『ふたりご』・その他
      赤き水

無意識の顔をさらして皿あらう対面式のキッチンというは

病める日も祝いのあとも立っていた生きてるうちは台所に立つ

袖(そで)を通すことなく旧(ふ)りしわが着物いちまい、いちまい母が見し夢

若き日に海馬(かいば)に記憶させし眼を四十年の間(ま)ときおり取り出す
                            海馬=記憶に関与する

六十歳(ろくじゅう)は母の晩年なることを思いつつ過ぐわが生(あ)れし日は

ぎしぎしとわたしの髪を洗うのはリウマチを病む前の母の手

一度だけ泣くを見たりき硝子(ガラス)戸の向こうに母は値札付けつつ

ひぐらしの羽のごときが光りいし 朝のシーツに母の落屑(らくせつ)
               薬の副作用で、うすく光る角質層の片が散らばっていた

いつからか母を寛(ゆる)せるわれとなり享年までは残り二年に

赤き水入れれば赤きペット・ボトル机の上に淋しさを置く


      炭の風鈴

草いきれの中を歩きし若き日を思い起こせるルッコラの青

蜜蜂や蜂をしたがえ栗のはな初夏の陽射しにしずかに垂るる

千代田線の車内にマニュキア塗るひとは一爪(ひとつめ)ごとに翳(かざ)し見ている

コマ送りの粗き映画をみるようだ昔のことを責めてむすめは

誰もだれもよき父母(ちちはは)ではいられない あじさいの花いろを増しゆく

なりわいの炭の風鈴音を立つ 足裏(あうら)黒くし遊びし日ありき
                         伯母は燃料店を営む

わがままに生きるが勝ちか夕道をニセアカシアの花びら掩(おお)う

離れ住む母を気遣う心地して旧仮名使いき六年の間(ま)を
                  二〇一〇年八月、旧仮名表記を新仮名表記に替える


      理系G組

七月の教室に入(い)り後退(あとずさ)る体育終えし理系G組
                        女子八名、男子三十六名だった

「先生は岡村孝子に似ています」髪かきあげて鈴木君告ぐ
                        岡村孝子=シンガー・ソングライター

竹の節ぐんと伸びたるまぶしさに君を見上げて二学期始まる

深海魚のように眠れる生徒たちマリン・スノーの降る教室に

放課後の渡り廊下のうす闇にしらずしらずと足早(あしばや)になる

声の出ぬ授業のあとの教科書は教卓打ちつけ歪(いびつ)になりき

平日のランチにさざめく女たち職退(ひ)くまでは知らざりしこと

痩せたねと子はわが肩に手を置きぬ玻璃(はり)窓ごしに庭を見ていて

歌の中のone of themに紛(まぎ)れたしこころ弱りに十月となる


      鉄腕アトム

花の上に風に圧(お)されて回りたり紋白蝶は蜜を吸いつつ

切り抜きを父の集めしその中に南田洋子の若き日があり
                          南田洋子=女優

きゅっきゅっと鉄腕アトムが歩きゆく みな前を向き生きてた時代

太陽の色より生(あ)れし真桑瓜(まくわうり)シャツを汚して頬張りし夏

コッペパンにピーナツ・バター塗りながら店のおばちゃん指さき舐める

笑い合いトマト、草もち交換す行商(ぎょうしょう)専用電車の中は

ゆたんぽのお湯に洗顔せし朝はちゃぶ台かこみ五人揃いき

「人さらいが来るよ」と言いし母の声いまごろ気づく威(おど)しでないと

厳寒の地に置き去りにせしことをその母語りぬ永山則夫(ながやま)・五歳
          一九六八~六九年にかけて連続ピストル射殺事件を引き起こした刑死者

横丁の文化がひとつ無くなりぬ銭湯で飲むフルーツ牛乳

映らねば上をたたきし日のありきテレビは家族のまん中に居た

捨てられし幾千万のテレビたち無音の箱となりて積まるる
                      二〇一一年、テレビは地上デジタル放送になる

団塊の世代のしっぽに連なりて転校生のままに年経(としふ)る
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ふたりご 7

2015-01-01 20:43:39 | ⑯第一歌集 『ふたりご』・その他
      ふたりご

毛穴より千の蝉声(せんせい)入りきてぐんぐん時が巻き戻される

三十歳(さんじゅう)を過ぎし娘のメールには「一緒にしたこと何もなかった」

ふたりごはわれの帰りを待ちていきチラシの裏に絵を描(か)きながら

アラブの国へ絵日記十冊送りたり娘と孫がふたりに綴る

抱き合いてアラブの少女と写る子は待受画面のなか成長す

冬のあさ雲の切れ間に目のありて畑道をゆくわれを視(み)ている

笹舟も三段梯子(はしご)のあやとりも父に習いし乾きたる手に

一年ぶりに会いし幼(おさな)の手を握るかなしいまでにうすくちさき手

五歳にて砂漠の国に移り住みこの手は何に触れたのだろう

鉛筆をしっかり握り孫の書くちひろの名前はCHIHIROになれり

いつまでも子供の話を聴いている娘はこうして欲しかったのか

お土産のマトリョーシカに髭(ひげ)がある中にアラブの女性が四人


      酒を酌(く)みたし

はだけたる浴衣に父は立ちていき 逝きて八日目(ようかめ)わが夢にきて

「お父さんはもう死んだのよ」のわが声に「えっ」と応(こた)える急死だった父

寝ころびて母の肩抱くわかき父 記憶の顔は写真とおなじ

気の弱き父が一番撲(う)たれしと共に戦争に行きし人告ぐ

うそうそと厨(くりや)に父のうごく見ゆ冬のゆうぐれ酒を買おうか
                         うそうそ=落ちつかない様子

羅紗(ラシャ)問屋の家に生まれし父なれど古着をまとい数式解きいし
                         羅紗=羊毛で地(じ)の厚く密な毛織物

数学の教科書のうらに書かれおり〈酒を吞まずにはいられない〉

商売を母に預けて歌よみて数学していし記憶の父は

亡くなりて初めて読みし父のうた 母への挽歌に終わりていたり

わが歌を父に見せたし酒を酌(く)み話せなかったことを言いたし


      題詠blog2007~2013

飛行船うかぶ春には地球から〈天地無用〉の貼り紙はがす 〈春〉

伸びやかにひっひふうぅと鳥の啼(な)くシンガポールの朝のプールに 〈鳥〉

うつむきて待ちいるわれの視界へとひらひら少年の手があらわる 〈少〉

フリースのパジャマを着れば雪の野を跳(は)ねゆくわれは
五十路(いそじ)の兎(うさぎ)           〈パジャマ〉

洋服はL・Lサイズと目測す やわきひかりのルノワールの裸婦 〈Lサイズ〉

長女ゆえ譲りゆずりて生きて来ぬおおき苺は夫のくちに 〈長〉

肉骨粉、にくこっぷんと唱えれば口輪筋(こうりんきん)の伸びてゆきたり 〈骨〉

『西行の肺』をつらぬき垂れている微(かす)かにひかる白きしおりは (微)
                         『西行の肺』=吉川宏志の歌集

総国(ふさのくに)ちちふさ垂るる母の国ことしも枇杷(びわ)がゆたかに実る 〈総〉

逐電(ちくでん)をし損(そこ)ないたる女いて二階の窓より通り見ており 〈損〉
                         逐電=逃げ去って行方をくらますこと

性感帯・せいかんたいと流れゆく夏の眠りのひとすじの汗 〈帯〉

《落としても割れぬコップ》の疎(うと)ましさ ドライ・ジンジャーらっぱ飲みする 
                                  〈コップ〉

激するは飛び出すことなり鶏もきみの眼(まなこ)も血をにじませて 〈激〉
                             
心を鎖(さ)し生き来し人のくちびるは糸切り鋏(ばさみ)のごとく薄かり 〈鎖〉

散文に書かざることのふたつみつ韻律にのせひと息に詠む 〈散〉

憎しみは舌苔(ぜったい)のごとく蔓延(はびこ)れり きれいなうたはもう歌えない 〈苔〉

迫害を受けしごとくに梔子(くちなし)の花は銹(さ)びおりわが留守の間(ま)に 〈迫〉

新聞の勧誘員が言い放つ「朝日とるなら奥さんアカでしょ」 〈聞〉
                  アカ=革命旗の赤色から共産主義などの略称・俗称

悠久の墓となるのか地図になき海に眠れるオサマ・ビンラディン 〈墓〉

プルトニウムの半減期二万四千年 人類滅びしのちも残るや 〈滅〉

過去からは学ぼうとしないこの国にわが晩年を預けるほかなく 〈晩〉

干されたることさえ飯の種にして芸人ばかりが肥えゆく日本 〈芸〉

三年ものの梅酒のまろし 死の日までの準備期間をわれは生きおり 〈準備〉

「いつ帰るの」会うや尋ねるおさなごは別れの意味をもう知っている 〈別〉

肩すぼめ息を吐きたり 娘よりたしなめられて老い母になる 〈吐〉












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ふたりご 8

2015-01-01 20:42:04 | ⑯第一歌集 『ふたりご』・その他
      その他の題詠

永久凍土きょうも融(と)けゆくこの星の洗面器にて顔を洗えり 〈器〉

雪に顔を埋(うず)めて草を食(は)みている寒立馬(かんだちめ)の背(せな)
湯気立ちのぼる 〈雪〉

マグダラのマリアの口より流れ出(い)づる法悦の声かすかに聴こゆ 〈流れる〉
                 カラヴァッジョの絵画「マグダラのマリアの法悦」より

別れきてコンタクト・レンズ外(はず)す指に柑橘系のにおいの残る 〈残〉

背にもたれ椅子をぎいぎい回しおり ひさびさに聞く「女は」の言葉 〈椅子〉

噴門を入(い)りて幽門出(い)でゆきぬ夕べの怒(いか)り少しこなれて 〈門〉

腕をふり三十キロの水がゆく初夏の畑道汗をにじませ 〈水〉

小沢一郎囲む鋭き四つの眼みぎにひだりに水平移動す 〈囲〉

定型になると饒舌(じょうぜつ) あわび・烏賊(いか)・まぐろに海老と
ちらしに溢(あふ)る 〈食べ物〉

口だけがひとつの穴であることの 止(や)むことのなき友のおしゃべり 〈穴〉

成人式の晴れ着を母は新調す お下(さ)がりばかり着しいもうとに 〈新〉

鉄さびが轍(わだち)のごとく残りたり形見のハサミに白布(しろぬの)裁ちて 〈鉄〉
                       轍=車が通って道に残した輪の跡

晩年はおだやかだった母さんが振り向きそうな瀬戸内の海 〈さんずいの漢字〉

四十三年、黒縁(くろぶち)眼鏡に笑いいる写真一枚残さぬ人は 〈鏡〉

団塊の星と呼ばるる島耕作すべて手に入れいかに老いゆく 〈島〉
                    島耕作=弘兼憲史氏のコミックの主人公


      春を耕す

茄子、トマト、ジャガ芋の位置定まりておもむろに夫(つま)は春を耕す

目鼻立ちくっきりとしたトマトになれ苦土(くど)石灰をたっぷりと撒(ま)く

花冷えの夜(よ)を帰りきてテーブルにきみの置きたる蜜柑(みかん)がひとつ

生き急ぐもののごとくに水雪はわれの視界をたえまなく落つ

わが生(あ)れし日には寒さのやわらぐと父は言いたり三月十五日

流れのなかに見失いたるものたちが春の夜には顔とり戻す

ぐったりとわが背にもたるる子の熱く急ぎ自転車漕ぎおり 夢に

子を挟み四本の川に寝(い)ねしこと記憶の底にふかく沈めつ

姓の違(たが)える四人となりぬ 家族増え祈りの時間すこし延びたり


      からだの揺れを

野分(のわき)過ぎて北にひれ伏す稲穂ありアラーの神への祈りのごとく

ヂヂヂヂと蜂の羽音の響(な)るなかを海老蔵ふかぶか頭を下げる
                          記者会見にて

ふるさとの点景として今もあり駅前をゆく皮膚を病む犬

船頭の艪(ろ)をこぐたびに空ゆれて渡りし沼に平橋(ひらはし)かかる

幼なじみ一人がわれを待つ故郷おもき門扉(もんぴ)を押して入(い)りゆく

友ひとり住むには大きすぎる家 松の木ゆがみて古(ふる)硝子に見ゆ

ふるさとは父母(ちちはは)の墓、友の家 それだけあれば帰りてゆける

ひと呼吸遅れ出(い)でたる速報にからだの揺れを確かめている
           二〇一一年三月十一日十四時四十六分、東北地方太平洋沖地震発生

いく重(え)にもにじむ光の輪のできて懐中電灯くらやみ照らす

濁流の橋脚(きょうきゃく)を揉(も)む映像がいくどもいくども巻き戻される

払いてもなお水漬(みづ)くという語のうかび春さむき夜を眠られずいる

日常を脅(おびや)かされし色となりブルー・シートが屋根を覆(おお)えり

神のいる虚空(こくう)、神のいない虚空 空はいちめん祈りに充(み)ちて

〈あの日〉という記憶が人に陸・海に刻まれそして朝が始まる


     ホット・スポット

活気ある朝むかえたく出かければ駅へと急ぐとりどりの傘

たわみ無きケーブル、たわむ電線に雁字搦(がんじがら)みの電信柱

知らされず知ろうともせず生きて来て白(しろ)防護服うごくを観ている

ウランちゃん、アトムと呼びし科学の子 五十年経(へ)てその姿知る
      手塚治虫は、核兵器も含む「あらゆる核エネルギーに反対」という立場を貫いた

原爆を落とされしより放射能まき散らすまでの六十六年

「赤ちゃんが産めるの」と訊(き)く少女おり緊急時避難準備区域の

   緊急時避難準備区域=緊急時に屋内退避あるいは別の場所に避難しなければならない地域

むき出しの世界となれりおのおのが黙(もだ)し見て見ぬふりしてる間(ま)に

わが町はホット・スポットなりという新ジャガ積みて夫は帰り来(く)
                   ホット・スポット=周囲より放射能濃度が高い地域
                   わが町は福島第一原発から約200キロ離れている

「しゃえんじりは野菜畑のことながよ」高知の友はのどやかに言う

収穫のタマネギ吊ししその下の放射線量 八箇月知らず
               当時、軒下に玉ねぎを吊(つる)していたのだが、
               その地上10センチの線量は2マイクロシーベルトだった
               だが風評被害と言われるのが怖くて数値を入れられなかった

(収穫のタマネギ吊ししその下の放射線量 2マイクロシーベルト 《推敲》)
                        
わが市より一桁(ひとけた)ひくき測定値テレビは流すじゅもんのごとく
               NHK首都圏ネットワークで放射線量が毎日放送された

放射能汚染・除染が日常の言葉になれる二〇一一

空(くう)を截(き)りツバメが一羽飛びゆけり奇跡のように夏がまた来る


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