今日のうた

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きみに贈る本

2021-01-30 10:21:25 | ③好きな歌と句と詩とことばと
2016年に出版された『きみに贈る本』を読む。
6人の作家(中村文則・佐川光晴・山崎ナオコーラ・窪美澄・
浅井リョウ・円城塔)が、自己紹介にかえて自作一作と、
お薦めの本9冊を挙げている。なかなか面白い。
こうした本を若い頃に読んでいたら、
少しは本好きになれたかもしれない。

中村文則
①自作は『教団X』を挙げている。その中の言葉が解りやすく
興味深いので引用させて頂きます。いつも思うのだが、
若い人に向けるまなざしがあったかい。

戦前・戦中の日本のことも書いたのには、現在の日本が少しずつ
右傾化・全体主義化していることへの僕なりの危惧があった。
だから小説の中で戦争を描き、第二次大戦に向かった日本について
の論争も大きく入れた。右傾化も、全体主義も、思想として持つ
のは別に自由だ。しかし、国全体をそれで覆うのは非常に危険
だと感じている。

東京裁判で問題にされた敗戦までの十七年間、実は日本の政権は
十七回も代わっている。
いくらトップが代わってもあの戦争の流れを止めることはできなかったし
一度全体主義の空気が出来上がってしまえば、一部が暴走し
(関東軍が起こした満州事変のように)、それに全体が巻き込まれてしまう。
現在の政権が信用できるかどうかではない。日本はシステムが
一度出来上がれば、もう誰がトップになっても止めることができなくなる。


(この本が書かれたのは2016年だが、国のトップが代わっても
 なんら変わらないということを痛感している)

現在の日本の流れは非常に危険だと思っている。作家として、
書くべきことは書かなければならないという思いがあった。
どんな戦争にも、裏には必ず利権があることは言うまでもない。

例えば十年後、さまざまな戦争に巻き込まれ、膨大な数の
外国の人達を殺害し、膨大な数の自衛隊員も死傷し、中東諸国
などからも強く敵視されるようになった無残な日本を見て、
こんなはずじゃなかった」と愕然とする事態が来ないように
僕たちは考えていかなければならない。  (引用ここまで)

②お薦めの1冊に、太宰治『人間失格』を挙げている。
その中の言葉を引用させて頂きます。

確かに、人間とは何か、みたいなややこしいことを考える
のには、精神的な体力がいる。もしかしたら、若い人たちの
中で、こういうややこしいことを考える精神的な体力のない
人が増えていて、その結果「それ中二病じゃん」と切り捨てる
風潮があるのだろうか。違うとは思うけど、もしそうだと
したらなかなか大変なことだ。

この本を嫌いという意見もよく聞くが、まあ文学なので、
好き嫌いというよりも「なるほど、こういう考え方もあるのか」
というふうに読んだ方が他者への想像力を養うことができる。

今の若い人たちも、友人から「中二病じゃん」といわれても、
そっと隠れて本を開いて、ちゃんと自分の精神に滋養を与える
時間を確保してほしいなと思う。
自分の内面まで他人に合わせる必要はない。

その方がきっと面白い人間になれる。
      (引用ここまで)

(「中二病」、なんて嫌な言葉なんだろう。誰が考え出したかは知らないが、
 私には「政治と宗教の話はタブー」という言葉同様、
 口封じ・思考封じにしか思えない。
 ついでに
 「〇〇させて頂く」、この言葉の多用はいつから始まったのだろう。
 私が〇〇する、という代わりに使うことで、主体性封じにしか思えない。
 決して丁寧でも美しい日本語でもない。
 以前、「寄席を観させて頂きました」、と言う若者がいた。
 おいおい、自分のお金で行ったんだろう。だったら
 「寄席に行きました」でいいのでは。
 「引用させて頂く」、これは作者の了承を得ないで引用しているので、
 敬意を払う意味で使っています。

 ついでのついでに
 「拝見する」という語は、見るの謙譲語だ。自分がへりくだることで
 相手を敬う。だから「拝見させて頂きました」は二重にへりくだって
 いるので、「拝見しました」でいいのでは。
 映画パーソナリティが「是非、拝見してみてください」と言っているが
 人に謙譲語を使うのはヘンですよ。「是非、観てください」でいいのでは。
 やたら言葉ばかり丁寧にするの止めようよ!

佐川光晴
①お薦めの1冊に秋山駿『歩行者の夢想』を挙げている。
副題に「二十五歳、飢えるように読んだ」とある。※飢(かつ)える
佐川は大学を卒業して出版社に就職するが、1年後には辞め、
以後10年半を屠畜場で牛の解体に従事する。
言葉を引用させて頂きます。

①ここには共感を示す傍線が引かれている。次の箇所にも鉛筆で
太い傍線が引かれている。
「私には何もなかった。ただ自分が現にいまここにいるという、
 わずかに私にとって真の唯一の現実と見えるものを一本の
 糸筋にして、当てもなく歩くという行為があるだけであった」
 秋山駿『小林秀雄の戦後』

歩行を思考の基盤においた文芸評論家。ひたすら抽象的である
がゆえに、頭と胸に直(じか)に響く秋山駿の内省的モノローグ
を読むと、私は二十五、六の頃に引き戻されたような切迫した
気分になる。

しかし、「歩行する」と「牛を屠る」は思っていた以上に性質の
異なる行為であり、ナイフを自在に操れるようになるにつれて、
わたしは秋山駿を読まなくなった。それは予期せぬ別離だったが、
わたしが秋山駿に救われたことに変わりはない。今回、傍線で
真っ黒になった氏の著作の数々を読み返しながら、わたしは
切羽詰まっていた二十五歳の日に秋山駿に出会えた幸せに
深く感謝した。
          (引用ここまで)




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