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税金を払うために働く。

2013-03-12 23:52:07 | 爺ネタ
僕のような低所得者よりも高額所得者の方が痛感していることだと思うが,稼いだお金の何割かは国に税として取られる。

今週金曜日は確定申告の締め切りである。申告に必要な書類は一カ月以上前にすでに揃えてあったので,もっと早くに手続きを済ませればよかったのだが,とにかく申告書を作成した。

例年,いくらか還付金が発生するのだが,今年もいくらか戻ってくる見込みである。給与から源泉徴収という名目で税が天引きされており,それが一時的にちょっとばかり「払い過ぎ」になっていたので,それを堂々と返してもらおうというわけである。こうして地道になけなしの財産を国から守らなければ生活が苦しくなる一方なので,面倒がらずに手続きをしなければならない。

この時期,あるいは種々の税金を納める頃には,いつも税金を払うために働いているんだなぁとつくづく思う。

小学校の社会や中学校の公民で習った知識はほとんど身についていないため,社会人としては恥ずかしいほどに税制の知識がないのだが,これまでの経験から思うに,税金というのは,「金,もしくは金に換えられる財」が人から人へと手渡される際に発生するもののようである。所得税は,給与が支払われる際に取られる。消費税は,代金を支払う際に生じる。相続税は,遺産の譲渡の際に生じるのである。銀行に預けたお金に利子がつくと,その利子に対して税金がかかる。給料のつもりでなくとも,誰かにお金を渡せば贈与税がかかる。競馬で勝った儲けにも税金がかかる。ことほどさように,基本的に人の間をカネが動く際に国が何割かかすめとっていくわけである。したがって,もらったお金を返すなんてことを繰り返したら,少しずつ目減りしていくことになる。まるで摩擦で物体の速度が減少したり,弾むボールの高さが次第に減少していくようなものである。

ただし,この原則以外にも税金がかかる場合があることに気づいた。車や土地は所有しているだけで毎年税を納めなければならない。これは所有しているだけでじわじわ目減りしていく恐ろしい仕組みである。

税金を納めるのは国民の義務だったかと思うが,政府は常にお金が足りないと感じているのだろう。使えるお金(予算)を増やすには,当たり前の話だが,収入を増やすか,支出を減らすしかない。収入を増やすのは増税という道であり,支出を減らす工夫が事業仕分けや政策見直し等である。支出の見直しには限度がある。仮に支出を 0 に出来たとしても,収入を上回る予算は原理的に捻出できない。そうすると収入を増やすべく増税したくなるが,どの税の税率を上げるかというのは難しい問題であろう。極めて粗い考え方ではあろうが,消費税を増税したら消費が冷え込み,不景気になり,所得税などが減って税収入の総額も減る,などと思惑とは正反対の結果になりかねない。

こんな風に考えると,少なくとも血税の使い道くらいは監視しなければ,という気がしてくる。政治にはほとんど関心がないのだが,税金は自分の生活にとって非常に切実な問題であるので,こういった切り口から政治に関心を寄せることは,確定申告と同様に一納税者としてすべきことだなぁ,と,今さらながらに思えてきた。
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