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主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

電気回路を学ぶ意義。

2014-06-25 01:17:47 | 工作・実習
ふとしたことがきっかけで,本腰を入れて電気回路を学ぼうという意欲が増してきた。

火種は一年前からずっとくすぶっていたのだが,タイミングよく電気回路の教科書を人から借りることが出来たので,ここ一週間ほど持ち歩いてはことあるごとに眺めて楽しんでいる。

今日,ようやく回路の Δ-Y 変換の変換公式を自力で導くことができたので,一年来の宿題をようやく解決できて嬉しい限りである。といっても,喜んだのはほんの一瞬で,おそるおそる電気回路の教科書を見てみると,僕のやり方よりずっと自然でエレガントな導出法が述べられていたので,有頂天から一転,落胆してしまった。

その話はいずれ機会を改めて述べることにして,最近電気回路の教科書を見て感じたことを書き留めておく。

電気回路とは,抵抗,コイル,コンデンサの3種類の受動素子で構成された回路のことをいう。抵抗は電流を電位差に,あるいは電位差を電流に変換する素子だというのが,一年前から持ち続けている持論である。また,コンデンサは電圧と電荷に関する「電場担当」の素子であり,コイルは電流と磁場を担った「磁場担当」であるという風にとらえている。コンデンサとコイルの振る舞いは Maxwell の方程式系を基礎に理解できるが,抵抗は電位差と電流を結びつける役割を果たしており,それは Maxwell の方程式系から外れて Ohm の法則を体現している。そしてこれらは Kirchhoff の法則という一つの回路解析の基本ツールとして統合されるわけである。

全くの余談であるが,Maxwell の方程式系からわかることは,電場があると電荷は加速されて電流が増大するということである。もちろん,電荷が加速度運動すると電磁場が変動し,その変動が電磁波となって放射されるため,エネルギーが減少して多少は減速するだろうが,とにかく放っておけば速さは増大する一方であろう。ところが Ohm の法則の教えるところは,加速は無制限ではなく,むしろ何かの妨害によって加速度は打消され,電流,つまりは電荷の移動速度(に相当するもの)は一定に保たれるわけである。

電荷の移動を妨げるのは抵抗内の原子である。電荷が電場の作用で加速されて獲得するはずだった運動エネルギーの増加分が何に吸い取られるかと言えば,電荷を担っている電子がぶつかる相手の原子の振動である。それが Jourle 熱に他ならない,という見方ができるだろう。

こうして,電気回路を学ぶと必然的にエネルギーやら熱やらと付き合う羽目になる。

そもそも電気回路は Maxwell の方程式系という微分方程式に基礎をおくわけだから,微分積分や微分方程式の知識が必須である。

また,複素インピーダンスやリアクタンスという概念を導入することで交流回路の解析が極めて容易になるわけだが,その際,ベクトルや複素数の知識が必要となる。

さらには,これらの受動素子は抵抗のみならずコイルやコンデンサにまで適用される「拡張された」 Ohm の法則に従うと考えて回路に流れる電流に関する方程式系が導かれるが,それは連立1次方程式である。したがって線形代数も必要である。

もっと言えば,正弦波以外の交流を取り扱う際に有効な Fourier 級数も顔を出す。

というわけで,回路理論をきちんと学ぶためには高校の新旧の学習指導要領で取り扱われている数学のほぼすべての知識を総動員しなければならない。場合の数と確率,集合と論理,そして不等式や整数,整式の理論は使う機会がないが。

こう考えると,大学に入ってまた微分積分や行列を習うのは電気電子系の学生にとっては必然であるように思われるのである。ただ,それらが専門科目にどう使われるのかをちゃんと見据えた取扱いをするべきである。


さて,電気電子系以外の分野の学生,特に物理学を専攻する学生にも電気回路を学ぶことを強く勧めたい。例えば複素数を用いた交流回路の取り扱いに習熟していれば,量子力学の波動関数の取り扱いもずいぶん楽になることと思う。特にフェーザ表示と呼ばれる,位相差を含めた電圧や電流の表示などからは学ぶことが多いのではないだろうか。また,線形回路の取り扱いで鍵となるのは重ね合わせの原理であるが,これはそっくりそのまま量子力学でも基本的な原理として重宝されている。思えば,この重ね合わせの原理を量子力学の重要な特性として前面に押し出したのは,他ならぬ電気工学科出身の Dirac ではなかったろうか。

また,システム理論や制御理論,通信理論でよく出てきそうな理論のひな形は2端子対回路ではないかとも思われる。そもそもシステムの理論は回路理論から派生しただろうから,回路理論を学ぶ意義は明らかであろう。

かくいう僕は学部生の頃に電気回路の授業を受講しようとしたことがあるが,授業で紹介された「鳳―テブナンの定理」という定理の名称だけが記憶に残っているだけで,肝心の定理の内容や他の理論は全く理解せずに挫折してしまった。若かりし頃にできる限りマスターしておけばよかったという気もするが,今こうして自発的に学ぶ気になって楽しみが一つ増えたことを思えば,昔にさぼってしまったこともあながち悪いともいえまい。


などと書くとさぞかし今真面目に一所懸命電気回路について勉強しているのだろうと思われるかもしれないが,恥ずかしながら理解できる事柄は未だにほんのわずかでしかない。できれば標準的な教科書を一冊,じっくりと読み解き,そこに書かれた内容を確実にマスターしたいものだが,2端子対回路や三相交流という,教科書の最後の方で書かれている単元は,正直,理解できそうな気がしない・・・。

とりあえず,インピーダンスやリアクタンスを使いこなせる程度を目標に,もう少し粘ろうとは思っている。
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完全微分方程式とスカラーポテンシャル。

2014-06-25 00:24:11 | mathematics
いまさらこんなことを理解した,などと書くのはまずいかもしれないが,書いてしまおう。

常微分方程式の解法はよく整理されているものの,様々な技法がたくさん出てきて身に付けるのは大変である。

代数方程式の解法にたとえれば,連立1次方程式のCramerの公式と2次方程式の解の公式,さらには3次方程式と4次方程式の解の公式を次々に習ってそれらの使用にある程度習熟することが要求されるわけである。それぞれ使いこなせるようになるまでにそれなりの経験を積む必要がある。

それはさておき,常微分方程式の解を積分によって具体的に求める求積法と呼ばれる解法は,微分積分学の基本定理を樹立した Newton と Leibniz,そして彼らと同時代,あるいはすぐ次の時代に活躍した Bernoulli 一家や Euler によって,ほぼ100年の間にことごとく確立されてしまったようである。曲線の方程式から接線の方程式を見出すような微分法は Huygens, Pascal, Fermat など,Newton と Leibniz の少し前の世代によってかなり発展させられており,Newton や Leibniz の時代には,逆接線の問題,つまりある法則に基づいて定められるような接線を持つ曲線を見出すという問題が大流行していたようである。そもそも Newton が Kepler の三法則をヒントに,観測データから物理法則を見出すという一種の逆問題を解決したことも,似たような精神が作用していたに違いない。

ところで,Newton と Leibniz のことはあまりよく知らないのだが,ごく限られた断片的な知識に基づいて勝手に偏見を下させてもらえば,Newton は神の摂理を解明するというスタンスでさまざまな物理現象を解析したのに対し,Leibniz は人間の知的活動,とりわけ論理的な思考に強い興味を抱いており,そうした知的活動の一つである数学にも多大な興味を有していたのではないかと感じる。何が言いたいかというと,両者はともに微分と積分が互いに他の逆の演算操作であることをはっきりと見抜いたという点で微分積分学の創始者に並び称されるわけだが,その微分積分学を究明しようとした背後の動機はかなり異なる物だったのではないかと思うのである。

Newton は造幣局長といったポストにつき,Leibniz は政治の世界でも活躍したそうだが,それらの本務の合間を縫って,一体どういった時間にそれらの創造的な深い研究を成し遂げたのか,彼らの一週間の過ごし方に非常に興味があるのだが,伝記などを調べればヒントが得られるかもしれない。特に社交界などに出入りしていたら,あまりプライベートな研究時間は取れなかったのではないかと思うのだが,どうなのだろう。なんだかんだいって,多忙な現代人と同じくらい忙しかったのではないかという気がするのである。


しまった。ついつい最近ぐるぐると頭の中で考え続けていることをここぞとばかりに掃き出してしまった。もともと書こうと思っていたことを書こう。


自分たちで考え出した問題を解くために,天才たちは自力で解法を編み出していった。それらはとにかく正しい解にいかにして到達するかという職人芸の集大成であって,「こうやってみたら解けた」という工夫の寄せ集めに過ぎない。天才たちが日夜苦心惨憺して編み出した技の数々を,我々凡人はありがたく受け継がせていただくだけでいいわけであるが,そうした技の一つに,dx と dy を同等に扱った

Pdx+Qdy=0

と書かれる微分方程式がある。微分方程式の解とは,与えられた条件を満たす接線を持つ曲線のことだという,当時の常識から考えれば至極当然の成り行きであるが,関数たるもの,y=f(x) という式で表されていなければならん,と中学生の頃から叩き込まれてきた我々現代っ子はこのような自由奔放な問題の書き換えに出会うとひどく面食らう。

さて,この微分方程式の解は,P と Q を生み出す一つの原始関数 u である。それはつまり ∇u=(P,Q) となるスカラーポテンシャル u を見出すことに他ならない。しかし,スカラー関数の勾配の回転はゼロベクトルになるという,揺るがすことのできない厳然たる数学的事実があるため,∇×(P,Q,0)=0 とならないような関数 P, Q の組み合わせに対しては,残念ながらうまい u が存在しない。ただ,誤解してはならないのは,この渦無しの条件を満たさなくとも,微分方程式の解がないというわけではなく,-P/Q という2変数関数が連続な偏導関数を持つというもっとゆるい条件を満たせば必ず解が存在することは言えるのである。ただ,そのような解を見出すうまい手法はきわめて特別な場合でなければ存在しない。その特別な場合というのが,変数分離形であることだったり,-P/Q が未知関数 y に関して線形であることだったり,同次形であることだったりするわけである。それらの枠組みから外れたものも一部含むのが完全微分方程式と呼ばれるグループであるに過ぎない。

上に書いた微分方程式が完全微分方程式であるための条件はベクトル関数 (P,Q,0) が渦無しの条件を満たすことであり,このとき,このベクトル関数はスカラーポテンシャル u を持つ。P と Q が具体的な式で表されているとき,そのスカラーポテンシャルをどのような計算で求められるかを表す解の公式があるが,それは3次元のベクトル関数のスカラーポテンシャルを表示する公式に拡張することができる。それを最近久々に思い出して書いてみて,実際にそれで解になっていることを微分して確かめたというのが,今回ここで書きたかったメインの話である。

そんないまさらのことをやって遊んでいて思い出したのが,さらに成分の多い n 次元ベクトル関数にポテンシャルの表示式を拡張することである。ちょうど2成分の完全微分方程式の解の公式から3成分のベクトル関数のスカラーポテンシャルの表示公式へと進んだわけであるから,そのまま一気に n 成分へと進むというのは,自然な話と言えるだろう。とはいえ,恥ずかしながら独力でそういう方向へと発展させようと思いついたわけではなく,大貫義郎氏の『解析力学』というテキストの付録にそんな話題が載っていたことを思い出しただけである。若かりし頃にその付録に二度ほど目を通したことがあったように思うが,そもそものモチベーションがピンと来ていなかったこともあり,腰を据えて読み込んだわけではなく,ななめ読みしただけであった。しかし,ようやくその問題意識に今の自分が到達し,さらには n 成分版のスカラーポテンシャルの表示公式も無事に導けたので,昔よりは何がしか成長したのかもしれないという気分になれた。

んで,この辺の話は数学的には Pfaff(パフ)形式と呼ばれて,非常に詳しい研究がなされているのではなかったかということも思い出した。熱力学は多変数関数で記述されるので,Pfaff 形式が顔を出す。n 成分のベクトル関数を生み出すスカラーポテンシャルが用いられているのは,電磁気学や流体力学,解析力学だけではなく,熱力学もそうだということなので,実質的に物理学の全分野で必須な知識だということになる。ということを今さらながらにようやく理解できた。めでたしめでたし。
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