いまさらこんなことを理解した,などと書くのはまずいかもしれないが,書いてしまおう。
常微分方程式の解法はよく整理されているものの,様々な技法がたくさん出てきて身に付けるのは大変である。
代数方程式の解法にたとえれば,連立1次方程式のCramerの公式と2次方程式の解の公式,さらには3次方程式と4次方程式の解の公式を次々に習ってそれらの使用にある程度習熟することが要求されるわけである。それぞれ使いこなせるようになるまでにそれなりの経験を積む必要がある。
それはさておき,常微分方程式の解を積分によって具体的に求める求積法と呼ばれる解法は,微分積分学の基本定理を樹立した Newton と Leibniz,そして彼らと同時代,あるいはすぐ次の時代に活躍した Bernoulli 一家や Euler によって,ほぼ100年の間にことごとく確立されてしまったようである。曲線の方程式から接線の方程式を見出すような微分法は Huygens, Pascal, Fermat など,Newton と Leibniz の少し前の世代によってかなり発展させられており,Newton や Leibniz の時代には,逆接線の問題,つまりある法則に基づいて定められるような接線を持つ曲線を見出すという問題が大流行していたようである。そもそも Newton が Kepler の三法則をヒントに,観測データから物理法則を見出すという一種の逆問題を解決したことも,似たような精神が作用していたに違いない。
ところで,Newton と Leibniz のことはあまりよく知らないのだが,ごく限られた断片的な知識に基づいて勝手に偏見を下させてもらえば,Newton は神の摂理を解明するというスタンスでさまざまな物理現象を解析したのに対し,Leibniz は人間の知的活動,とりわけ論理的な思考に強い興味を抱いており,そうした知的活動の一つである数学にも多大な興味を有していたのではないかと感じる。何が言いたいかというと,両者はともに微分と積分が互いに他の逆の演算操作であることをはっきりと見抜いたという点で微分積分学の創始者に並び称されるわけだが,その微分積分学を究明しようとした背後の動機はかなり異なる物だったのではないかと思うのである。
Newton は造幣局長といったポストにつき,Leibniz は政治の世界でも活躍したそうだが,それらの本務の合間を縫って,一体どういった時間にそれらの創造的な深い研究を成し遂げたのか,彼らの一週間の過ごし方に非常に興味があるのだが,伝記などを調べればヒントが得られるかもしれない。特に社交界などに出入りしていたら,あまりプライベートな研究時間は取れなかったのではないかと思うのだが,どうなのだろう。なんだかんだいって,多忙な現代人と同じくらい忙しかったのではないかという気がするのである。
しまった。ついつい最近ぐるぐると頭の中で考え続けていることをここぞとばかりに掃き出してしまった。もともと書こうと思っていたことを書こう。
自分たちで考え出した問題を解くために,天才たちは自力で解法を編み出していった。それらはとにかく正しい解にいかにして到達するかという職人芸の集大成であって,「こうやってみたら解けた」という工夫の寄せ集めに過ぎない。天才たちが日夜苦心惨憺して編み出した技の数々を,我々凡人はありがたく受け継がせていただくだけでいいわけであるが,そうした技の一つに,dx と dy を同等に扱った
Pdx+Qdy=0
と書かれる微分方程式がある。微分方程式の解とは,与えられた条件を満たす接線を持つ曲線のことだという,当時の常識から考えれば至極当然の成り行きであるが,関数たるもの,y=f(x) という式で表されていなければならん,と中学生の頃から叩き込まれてきた我々現代っ子はこのような自由奔放な問題の書き換えに出会うとひどく面食らう。
さて,この微分方程式の解は,P と Q を生み出す一つの原始関数 u である。それはつまり ∇u=(P,Q) となるスカラーポテンシャル u を見出すことに他ならない。しかし,スカラー関数の勾配の回転はゼロベクトルになるという,揺るがすことのできない厳然たる数学的事実があるため,∇×(P,Q,0)=0 とならないような関数 P, Q の組み合わせに対しては,残念ながらうまい u が存在しない。ただ,誤解してはならないのは,この渦無しの条件を満たさなくとも,微分方程式の解がないというわけではなく,-P/Q という2変数関数が連続な偏導関数を持つというもっとゆるい条件を満たせば必ず解が存在することは言えるのである。ただ,そのような解を見出すうまい手法はきわめて特別な場合でなければ存在しない。その特別な場合というのが,変数分離形であることだったり,-P/Q が未知関数 y に関して線形であることだったり,同次形であることだったりするわけである。それらの枠組みから外れたものも一部含むのが完全微分方程式と呼ばれるグループであるに過ぎない。
上に書いた微分方程式が完全微分方程式であるための条件はベクトル関数 (P,Q,0) が渦無しの条件を満たすことであり,このとき,このベクトル関数はスカラーポテンシャル u を持つ。P と Q が具体的な式で表されているとき,そのスカラーポテンシャルをどのような計算で求められるかを表す解の公式があるが,それは3次元のベクトル関数のスカラーポテンシャルを表示する公式に拡張することができる。それを最近久々に思い出して書いてみて,実際にそれで解になっていることを微分して確かめたというのが,今回ここで書きたかったメインの話である。
そんないまさらのことをやって遊んでいて思い出したのが,さらに成分の多い n 次元ベクトル関数にポテンシャルの表示式を拡張することである。ちょうど2成分の完全微分方程式の解の公式から3成分のベクトル関数のスカラーポテンシャルの表示公式へと進んだわけであるから,そのまま一気に n 成分へと進むというのは,自然な話と言えるだろう。とはいえ,恥ずかしながら独力でそういう方向へと発展させようと思いついたわけではなく,大貫義郎氏の『解析力学』というテキストの付録にそんな話題が載っていたことを思い出しただけである。若かりし頃にその付録に二度ほど目を通したことがあったように思うが,そもそものモチベーションがピンと来ていなかったこともあり,腰を据えて読み込んだわけではなく,ななめ読みしただけであった。しかし,ようやくその問題意識に今の自分が到達し,さらには n 成分版のスカラーポテンシャルの表示公式も無事に導けたので,昔よりは何がしか成長したのかもしれないという気分になれた。
んで,この辺の話は数学的には Pfaff(パフ)形式と呼ばれて,非常に詳しい研究がなされているのではなかったかということも思い出した。熱力学は多変数関数で記述されるので,Pfaff 形式が顔を出す。n 成分のベクトル関数を生み出すスカラーポテンシャルが用いられているのは,電磁気学や流体力学,解析力学だけではなく,熱力学もそうだということなので,実質的に物理学の全分野で必須な知識だということになる。ということを今さらながらにようやく理解できた。めでたしめでたし。
常微分方程式の解法はよく整理されているものの,様々な技法がたくさん出てきて身に付けるのは大変である。
代数方程式の解法にたとえれば,連立1次方程式のCramerの公式と2次方程式の解の公式,さらには3次方程式と4次方程式の解の公式を次々に習ってそれらの使用にある程度習熟することが要求されるわけである。それぞれ使いこなせるようになるまでにそれなりの経験を積む必要がある。
それはさておき,常微分方程式の解を積分によって具体的に求める求積法と呼ばれる解法は,微分積分学の基本定理を樹立した Newton と Leibniz,そして彼らと同時代,あるいはすぐ次の時代に活躍した Bernoulli 一家や Euler によって,ほぼ100年の間にことごとく確立されてしまったようである。曲線の方程式から接線の方程式を見出すような微分法は Huygens, Pascal, Fermat など,Newton と Leibniz の少し前の世代によってかなり発展させられており,Newton や Leibniz の時代には,逆接線の問題,つまりある法則に基づいて定められるような接線を持つ曲線を見出すという問題が大流行していたようである。そもそも Newton が Kepler の三法則をヒントに,観測データから物理法則を見出すという一種の逆問題を解決したことも,似たような精神が作用していたに違いない。
ところで,Newton と Leibniz のことはあまりよく知らないのだが,ごく限られた断片的な知識に基づいて勝手に偏見を下させてもらえば,Newton は神の摂理を解明するというスタンスでさまざまな物理現象を解析したのに対し,Leibniz は人間の知的活動,とりわけ論理的な思考に強い興味を抱いており,そうした知的活動の一つである数学にも多大な興味を有していたのではないかと感じる。何が言いたいかというと,両者はともに微分と積分が互いに他の逆の演算操作であることをはっきりと見抜いたという点で微分積分学の創始者に並び称されるわけだが,その微分積分学を究明しようとした背後の動機はかなり異なる物だったのではないかと思うのである。
Newton は造幣局長といったポストにつき,Leibniz は政治の世界でも活躍したそうだが,それらの本務の合間を縫って,一体どういった時間にそれらの創造的な深い研究を成し遂げたのか,彼らの一週間の過ごし方に非常に興味があるのだが,伝記などを調べればヒントが得られるかもしれない。特に社交界などに出入りしていたら,あまりプライベートな研究時間は取れなかったのではないかと思うのだが,どうなのだろう。なんだかんだいって,多忙な現代人と同じくらい忙しかったのではないかという気がするのである。
しまった。ついつい最近ぐるぐると頭の中で考え続けていることをここぞとばかりに掃き出してしまった。もともと書こうと思っていたことを書こう。
自分たちで考え出した問題を解くために,天才たちは自力で解法を編み出していった。それらはとにかく正しい解にいかにして到達するかという職人芸の集大成であって,「こうやってみたら解けた」という工夫の寄せ集めに過ぎない。天才たちが日夜苦心惨憺して編み出した技の数々を,我々凡人はありがたく受け継がせていただくだけでいいわけであるが,そうした技の一つに,dx と dy を同等に扱った
Pdx+Qdy=0
と書かれる微分方程式がある。微分方程式の解とは,与えられた条件を満たす接線を持つ曲線のことだという,当時の常識から考えれば至極当然の成り行きであるが,関数たるもの,y=f(x) という式で表されていなければならん,と中学生の頃から叩き込まれてきた我々現代っ子はこのような自由奔放な問題の書き換えに出会うとひどく面食らう。
さて,この微分方程式の解は,P と Q を生み出す一つの原始関数 u である。それはつまり ∇u=(P,Q) となるスカラーポテンシャル u を見出すことに他ならない。しかし,スカラー関数の勾配の回転はゼロベクトルになるという,揺るがすことのできない厳然たる数学的事実があるため,∇×(P,Q,0)=0 とならないような関数 P, Q の組み合わせに対しては,残念ながらうまい u が存在しない。ただ,誤解してはならないのは,この渦無しの条件を満たさなくとも,微分方程式の解がないというわけではなく,-P/Q という2変数関数が連続な偏導関数を持つというもっとゆるい条件を満たせば必ず解が存在することは言えるのである。ただ,そのような解を見出すうまい手法はきわめて特別な場合でなければ存在しない。その特別な場合というのが,変数分離形であることだったり,-P/Q が未知関数 y に関して線形であることだったり,同次形であることだったりするわけである。それらの枠組みから外れたものも一部含むのが完全微分方程式と呼ばれるグループであるに過ぎない。
上に書いた微分方程式が完全微分方程式であるための条件はベクトル関数 (P,Q,0) が渦無しの条件を満たすことであり,このとき,このベクトル関数はスカラーポテンシャル u を持つ。P と Q が具体的な式で表されているとき,そのスカラーポテンシャルをどのような計算で求められるかを表す解の公式があるが,それは3次元のベクトル関数のスカラーポテンシャルを表示する公式に拡張することができる。それを最近久々に思い出して書いてみて,実際にそれで解になっていることを微分して確かめたというのが,今回ここで書きたかったメインの話である。
そんないまさらのことをやって遊んでいて思い出したのが,さらに成分の多い n 次元ベクトル関数にポテンシャルの表示式を拡張することである。ちょうど2成分の完全微分方程式の解の公式から3成分のベクトル関数のスカラーポテンシャルの表示公式へと進んだわけであるから,そのまま一気に n 成分へと進むというのは,自然な話と言えるだろう。とはいえ,恥ずかしながら独力でそういう方向へと発展させようと思いついたわけではなく,大貫義郎氏の『解析力学』というテキストの付録にそんな話題が載っていたことを思い出しただけである。若かりし頃にその付録に二度ほど目を通したことがあったように思うが,そもそものモチベーションがピンと来ていなかったこともあり,腰を据えて読み込んだわけではなく,ななめ読みしただけであった。しかし,ようやくその問題意識に今の自分が到達し,さらには n 成分版のスカラーポテンシャルの表示公式も無事に導けたので,昔よりは何がしか成長したのかもしれないという気分になれた。
んで,この辺の話は数学的には Pfaff(パフ)形式と呼ばれて,非常に詳しい研究がなされているのではなかったかということも思い出した。熱力学は多変数関数で記述されるので,Pfaff 形式が顔を出す。n 成分のベクトル関数を生み出すスカラーポテンシャルが用いられているのは,電磁気学や流体力学,解析力学だけではなく,熱力学もそうだということなので,実質的に物理学の全分野で必須な知識だということになる。ということを今さらながらにようやく理解できた。めでたしめでたし。
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