日々雑感

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宴の後

2009年05月18日 | Weblog
         宴の後

他の銀行よりは金利が高かった。そのためかそこらのおばちゃんがよく出入りしていた。にぎわった店だった。

ところが今日支店の前を車で走ったら、シャッターが降りたままで、横の空き地にはぺんぺん草が生えて空しいというのか、はかないというのか、寂しさが漂っていた。
にぎわいの落差がおおきいだけに寂れようはうらびれもはなはだしい。
今振り返ってみると一夜の夢と言うべきか。人生万般かくの如しか。

金余り現象が分かったのは専門家、玄人のはなしで日本の経済がどっち向こうが一向にかまわない庶民にはバブルが始まったころにはバブルのバの字も分からなかった。そして庶民はその程度で良かったのである。

というのはどっちに転んでも物の値段はあれよあれよと毎日のように上がり、日本列島は株も土地も絵画もとにかく1億総投機家になり金もうけに奔走したのである。土地が値上がりし、株が値上がりし、おうよそ資産と名のつくものはそろって値上がりしたし値上がり曲線は右肩上がりだったから、よほどの玄人でない限り皆このカーブの延長線上で経済を考え、わが家の財産価値が増えるのを喜んでいた。

そしてバブルが弾ける前に投機を畳んだ者は確実にもうけてうまく逃げた。1部ではあるがそんな目先の利いた奴らや、運の良い奴はうまくおいしいところだけをつまみぐいして逃げ切った。

後は日本国民が全員金持ちになって何が悪いまじめに思い、バブルとは知らないで最後まで付き合った連中がそろってババくじを引いた。もちろん専門家の間でもタイムラグのため大きな痛手を被ったところが銀行を中心に続出した。


最終は金が戻って行くところ、銀行が不良債権をしこたま抱えることになった。経営者の乱脈経営によって、あるいは不正な経営によって、庶民相手の体力のない信用金庫がまず倒れた。今から考えるとこんな経済状態がいつまでも続くはずがないのだが、バブルの最中にはバブルが弾けるなんて丸で気がつかなかったのだ。

国民全体がうなりをあげてバブルの中に飛び込んで行った。それはあたかも華やかな宴であった。 素人は日本経済の順調な発展成長としか考えなかった。今から考えると皆よくぼけだった。こうなってみて初めて金が人を支配する力の大きさは想像以上のものであることが分かる。


急激な右肩上がりの経済環境のなかで、何をやってももうかるとなれば事業を拡大するのは当然でその渦中にいては先の判断などでできない。それを求めたら求め過ぎというものだ。

まじめな男だと定評があった男の地位と金が人生を狂わせた。よもやこの年になって手錠をかけられる羽目になるとはだれが想像したであろうか。

ある信用金庫の話である。

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