日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

フアジャンシル

2008年05月30日 | Weblog

フアジャンシル

もう、かれこれ30分も動かない。たとえ走ったとしても、せいぜい100mぐらい。いったい前方に何か起こったのか。事故か、工事中か。自然渋滞か。

私の乗ったバスの四,五台まえの乗用車から、幼稚園くらいの子供を連れた若い女が、降りて、高速道路の土手の方へ走っていった。土手と言っても、高い斜面ではないから、彼女の肩から上はバスの窓から見えた。

女の子は、道路の端にしゃがみこむなり、パンツをおろして、おしっこをし始めた。奥さんはさすがに人目をはばかるのか、子供のようなまねはしなかったが、しゃがみ込んでいる。あのスタイルからすると、用をたそうとしているふうだった。
車の人々の目をはばかりながら、用をたそうとするところをみると、よほど辛抱ができない状態だったんだろう。バスの乗客は、とみると、クスクス笑いながら奥さんの方を見ている。そして隣同士で何か話し合っていた。

突然、車の列が動き出し、前方100mぐらいのところまで走った。奥さんの乗っていた車も、クラクションを鳴らしながら走りだした。奥さんより先に車に戻った子供は大声で、母親を読んでいる。たぶん「お母さん早く早く。車が動き出したから帰ってきてくれなくちゃ」と、こんな内容だったに違いない。それでも、奥さんは斜面に、しゃがみ込んで用足しのスタイルをとってたから、ほんのわずかな時間、おそらく何十秒間の出来事なので、奥さんが快くまで用を足したとは思えない。たぶん中途半端だったはずである。あるいは、今から、というとき、だったはずである。たまったものをすべて放出した後のあのさわやかな開放感など味わえる時間がなかったことには間違いない。


ソウルを出てから2時間半も経つと言うのに、まだ50キロも走っていない、本来ならどこかのサービスエリアについていなければならない時間であるが、奥さんも運が悪い。

そうかと言って、車の中で用足しもできないから、土手の斜面まで、走ったのであろうが、よほどツラかったに違いない。さもないと、衆人注目の前で、用足しなどできるものではないから。
奥さんは若い。まだまだ羞恥心がある年頃である。それが証拠に、しゃがみ込んだ時彼女があたりをキョロキョロする仕草をしていた。バスの乗客たちはそれを見てニヤニヤしている。
ずらりだんご状に連なった車の人の目を半ば、はばかりながら、半ば公然と、用足しに、走ったということは、よほど辛抱ができなかったことを物語る。
羞恥心対生理現象という構図だろうが、用を足すのは、羞恥心を打ち破る勇気ではなくて、辛抱できなかったという、生理現象のしからしむるところだろう。

諸君。私が目にした光景を想像したまえ。そして奥さんの心中を察したまえ。決して笑い事では済まないできごとである。



ピリピリとしめこんできた。下腹がごろごろ鳴っている。トイレを探さなくちゃ。やばい。
私は、足早に歩き出した。歩くと、体を揺するせいか、しめこみはぐんぐんと強くなってくる。ものの、300mも歩き出した頃には、空襲警報のサイレンがなったような心境になった。
言葉も話せないし、字も読めない。たとえ近くに公衆便所があったとしても、それを捜しあてるのは、あてにならない勘を働かせる以外にはない。到底無理なことである。

危機に立たされた私は思わず、交番へ飛び込んだ。そして、トイレを貸してほしい。と、身ぶりで、おまわりさんに頼んだ。3人いたうちでいちばん年若い、警官が、トイレとおぼしき場所を指さした。僕は救われた。気分になって、「さあ来い下痢め」、と心の中で叫んだ。引き戸を開けてみると、男性用の小はあるが大は無い。

アレ-?、僕は慌てた。さあ来いと思った強気はどこかへ飛んだ。戸をしめながら、私は警官に、尻をたたいて、大の方だという仕草をした。彼らはゲラゲラ笑いながら、それはない。と手を振った。私は困った顔をして立ち止まってしまった。その様子を見て気の毒に思ったのだろうか、先ほどの警官は、交番の前にある商店街を指さした。

商店街は良いのだけれど、トイレをなんと言えばよいのか分からないから切羽詰まった。
今の状況はとても抑えることができない。私は困った顔をした。親切な警官はしきりに前を指さした。ともかくも、私は頭を下げて交番を出て指示された商店街に飛び込んだ。

表は、日本の問屋のような作りだが、中に入ってみると、そこはデパートだった。私は助かった気がした。デパートなら、各階のどこか隅には、必ず化粧室があるはずだ。どんな表示を探せばよいのか、そんなことを考えながら、私はキリキリ痛みさし込んでくる腹を手で押さえながら、足を引きずるようにして階段を登った。

女の店員は、コーナーには立ってはいるが、トイレはどこですか。と聞くのに、どういったらよいのか分からない。が、とにかくトイレ、トイレと話しかけた。返事は意味不明の不機嫌な顔だった。身ぶりで前をさしたり、後をさせば通じると思うが、なんせ相手は女性ばかりで、身ぶりで示すこともはかられた。私はせめ寄せてくる腹痛に、額にあぶら汗をにじませながら、自分でさがすより、ほかはなかった。

1階2階とうろついたが、ーこれは実は必死で探したのだがー、結果はうろついたことになった。そのあげく3階まで足を引きずりながら言って、ヤケ気味で、レストルームと、英語で話しかけた。ネクタイ売り場の女店員は、「?」変な顔をしたが、陳列棚からネクタイを取り出そうとした。私は慌てて、ノーノーを連発して手を振った。私はイライラして、
ばかたれ。、レストルームだよ。トイレ。トイレだよ。と心の中で、声を荒げた。私と女店員の様子を見ていた年配の店員が、私のほうへ歩みよってきて、何か話しかけてきた。私はもう辛抱できないところまで切羽詰まっていたので、恥も外聞もなく、尻を指さし、トイレトイレ。レストルーム。レストルームを連発した。

彼女は、フアジャンシルといった。私にはそう聞こえた。私は何でも良かった。やけくそで、フアジャンシルと、オウム返しに行った。彼女は人差し指で上を指さした。
何?この時に及んで、便所は上の階だというのか、私は腹が立った。しかし、4階でトイレを探しに行くほかは無い。

キリキリと攻めてきて、もう飛び出しそうな下痢をぐっとこらえながら、足を引きずって4階まで上がった。
「ああ、神様。トイレまでもちますように、神様。」誰でも良い。とにかく聞かなくては。歩き回って捜す余裕は無い。私は又、女店員に英語で聞いた。彼女は英語で、この突き当たりを右へ曲ると、ありますと、答えてくれ、その方向を指さした。お礼もそこそこにトイレに向かって急いだ。彼女の教えてくれたとおりにトイレは見つかった。

戸を開けるなりベルトを緩めるのももどかしく、しゃがみ込んで漏れそうになったものを力いっぱい放出した。
「神様。神様はやっぱりおられた。私を救って下された。神様ありがとうございます。」
私は、子供じみたこんなセリフを実感を込めて呟いた。

便器につかまりながら、私は今までのことを走馬燈でも見るように思い返した。交番のおまわりさんは親切だった。用は果たせなかったが、危機を乗り越えた今は、やはり有り難かった。いま、私がいるところを教えてくれたのは紛れもなく、あのおまわりさんだったからである。あの親切がなかったら、時を追って攻めてくる渋り腹を、私はどうしたであろうか。そんなことを思い返しているとき、私は、はっと思いついた。

昨日、ソウルからプサンへ向かう途中で見た、あの奥さんの土手の出来事である。つい、先ほどまで、私が味わったのと同じ思いだったに違いない。恥も外聞もないというけれど、普通ならやっぱり気になって、体裁をかまうものである。ところが、待ったなしの生理現象は、羞恥心や体裁や外聞を吹き飛ばしてしまう。

私は今回つくづくあの土手で、座りションしてバスの乗客から、笑いものにされたあの奥さんの心の中が手に取るようにわかった。そしてバスの乗客ともども、奥さんに同情する前に、笑ったことを恥じた。後悔した。

日本国内ならともかくも、韓国に来てまで、私は自分の体験を通して、貴重な教訓を味わうとは夢にも思ってなかった。
「わが身をつねって、他人の痛さをしれ、」その通りだ。

ふらっと日本を離れてみるのもいい。どんなことを発見するかもしれないから。
それが、私が自分に下した結論である。

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