機上で乾杯
インドでは何が起こるか判らない。僕は前回インドを旅してつくづくそう思った。万事インド的なのである。日本のようにきちっとしたタイムスケジュールを作った所で、そのスケジュール通りに
事が運ばない事が多い。しかし日本人の僕はあくまで、日本的スケジュールでもって動こうとする。そしてうまく行かないと挫折感みたいなものを強く感じ、その不満の為にインドをどうしょうもない国、お粗末な発展途上国と、ちょっと後ろ指を指した、さげすみの目で見てしまう。
インドには昔から、この大地に合うような生活のリズムがあり、人々はそれをそのままに継続しているだけのことである。そして
このリズムの違い、テンポの早さの違いが、まさしく文化の差なのであり、その差がカルチュアーショックなのである。
郷にいれば郷に従え、なのであるが、急に自分のリズムやテンポを変えることは出来ないのも、また事実である。
ところが今回のこの出来事はこういう種類のものではなくて、丸でばかばかしい話である。
東京から5人の看護学校の生徒が、カルカッタにある、
マザーテレサのハウスに研修をかねて、インド旅行をした事から、話は始まる。
僕はその時、カルカッタのダムダム空港にいた。急にあたりが騒がしくなって、日本人の女子学生と思われるヤンギャルが、何かあわてた風で、あちこち走り回っていた。顔の表情は皆真剣で、血走った目をしている子もいる。一体何があったんだ、何が起こったんだ、僕はとわづかたらずに、じっと見つめていた。
やがて事情は飲み込めた。このグループの中の誰かが、
エアーチケットを持っていないことで、皆が騒いでいるのである。それも、もうすぐ搭乗が始まると言う段になってのことである。
この期に及んで一体どう言うことなんだ、チケットがないと乗れないし、次の乗り継ぎ便だって、乗れる保証はない。僕は他人事ながら気になりだした。
じっと耳をすましていると、どうも一人がホテルを出てくるときにチケットを誤って捨てたらしい。電話の内容はそんなことだった。ひょっとしたら、ごみ箱の中に捨てたかもしれないので、そのごみ箱をしっかり探して欲しいと言っている。しばらくして掛けた電話では、チケットは見つかったらしい。やっぱりあったんっだな、僕は一瞬ほっとした。しかしよく考えてみると、それを今から空港まで持ってきてもらうにしても1時間はかかる。後30分で飛行機は離陸しようとしているのに、1時間掛けてここまで持って来たところで、どうなるものでもない。所詮は乗り遅れだ。もう一度バンコックまでのチケットを手に入れないと帰れない。さてどうするのだろうか。
僕は気が気でないので、よけいな事ながら、彼女たちに今までの経緯を聞かせて欲しい、そして僕に出来ることがあったら、何か役に立ちたいと申し出た。そうしたら先ほどから一番落ち着いて、
ばたばたしなかった子が、よろしくお願いしますと言った。どの人がなくした人なのか、と聞いたら、自分です、という。それでは先ほどから走り回っていた学生たちは、チケットをなくしたこの子のために、ばたばたしていたわけだ。僕は驚いて彼女の顔を見た。
ひとこと小言を言いたかったけれど、ここで何を言うよりも、まず真っ先にしなくてはならないことがあると思いなをして、言葉を飲み込んだ。
即ち今日、明日中に乗れるチケットを手に入れることだ。僕はそのことを彼女に言った。そしてすぐ手配するようにアドバイスしたが、なにせ、初めての海外旅行での出来事で、知恵が回らないだけでなく、どうしたらよいかさっぱり判らない風情である。当然だろう。これが僕だったら、やはり同じように、たちすくんだだろう。
ところが人にはツキと言うものがある。ちょうどこのとき領事館関係者が空港に来ていた。初めての面識で直接は知らないのに、
この人が親切にも、彼女の相談に乗ってくれた。
彼は彼女が乗るはずだった飛行機に、マラリヤ患者を乗せるべく、その仕事で空港に来ていたのだ。
その患者と言えば、僕は今朝がたサダルで同席した人だった。灰色の顔をした女が、ひょっこり僕の前に現れた。僕は席を詰めて、狭いけれども良かったら、座りませんか、と彼女に声を掛けたのだった。彼女は何を思ったのか急に、私マラリヤにやられたの、と言いながら僕の横に腰を掛けた。マラリヤがどんな病気か詳しく知らないが、伝染病の1つだと思い、僕は警戒して、入れ替わるようにして席を立ったのだ。
その女を所定の飛行機に乗せてから、彼は仕事から解放され、真剣にこちらの相談にも乗ってくれるようになった。ところで彼の話では、カルカッタは初めての赴任で、地理はもちろんの事、街の様子がまだよくわからないという。それでも分からないなりに、彼が協力姿勢を示してくれたことは、心の中では大きな支えになった。何をどうして良いか判らない彼女にかわって、とにかく明日の飛行機に乗れるように、チケットをとって欲しいと彼に頼んだが、
チケットは空港ではなくて、街に行かないと手に入れられないのではないかと言う。今日今から街へ直行しても4時になるのに明日8時のチエックインのチケットが手に入るとも思えない。僕は無駄かもしれないが、航空会社のカウンターで、何とか手にはいるよう頼んでみては、もしそれが駄目なら街の旅行代理店に行くが、せめて明日の便の予約だけでもしておかないと、乗れなくなるおそれがある、と彼に言った。彼も同感で、すぐ何らかの手配をしてみると言うことだった。
さて僕はと言えば、余程自分が動き回った方が納得できたし、安心もできた。しかし全く善意で困っている彼女を助けようと懸命になっている彼を差し置いて、手だしすることは、はばかられた。
彼女はついている。ラッキーガールだ。確かに日本人が困っているのを座して見るに忍びない。だが、そうかといって、彼女と縁もゆかりもない人が、彼女のために何かをしなくてはならないと言う理由もない。冷たいようだが、僕はそうも思った。今のところ自分のことは何も心配ないような状態でいるからこそ、彼女のことも心配してあげられる。つまり余裕があるのだ。それにしても海外の空港で、もし今回と同じようなケースが起こったら果たして、領事館に派遣されている彼のような人に巡り会うことが出来るだろうか。いやこんな事は滅多にないことだ。何処から考えても、やっぱり彼女はラッキーなんだ。きっとご先祖さんが善行を積んでその報いがいまこんな形で子孫に返ってきているのだろう。僕はこんな事まで考えた。
彼女はとみれば、あいかわらずのほほーんと構えている。僕はあきれる前にこんな性格に生まれついた彼女が羨ましかった。恐らく枕が変わって寝付かれないと言うことはないだろう。僕なんかこのインドの旅では常に緊張しているので、神経がたって寝付きの悪いことが多く、毎晩睡眠導入剤を用いているというのに。
人さまざまだ。
僕が空港のオフイスでチケットを手配するように言った事が効を奏して、新米派遣君は、上手く買えた、とにこにこしながら連絡してくれた。僕は彼女を促して、すぐ代金を払い、チケットを手にするようにいった。オフイスにいった彼とにこやかな顔をしながらロビーに戻ってきた彼女に、これで帰れるのだから、明日は時間に遅れないようにと注意して、この幸運を喜んだ。チケットを見るとそれは僕と同じ飛行機じゃないか、よかった。
これで間違いなく日本にも帰れる。僕はほっとした。なんと運のいい子だ。仲間は先に帰り、たった一人で見知らぬ外国で、1日遅れて帰ることに、内心は不安いっぱいだろうと僕は推測したが、彼女は表面は相変わらず,心配はどこ吹く風で、のほほーんとしていた。
考えてみればチケットを手配してとってくれた人がいた。明日乗る飛行機には、エスコートしてくれるおじさんもいる。これだ万全の筈だ。もし乗れないと言う事態になったら、この子の面倒はもう誰も見きれない。とにかくついている子だ。僕はそのラッキーさに感心した。
ともかくもハッピーなかたちで事態は進んでいるが、考えてみれば、ここダムダム空港では、前回僕はひどい目に遭っていたので
ある。両替では金をだまし取られ、タクシーでは約束と違った所でつれていかれ、わずか30分ほどの間に、2回も胃が真っ赤になるような苦汁を飲まされた所なのだ。僕の感覚からすれば、今回のように助っ人が居ないで、彼女一人で、あの態度で事を進めていたら、たちまちにして、ここにいる悪党の餌食にされてしまう。男の僕でさえ、かなり恐ろしい思いをしたのだから、旅慣れない女一人ではどんな罠が仕掛けられるか、しれたものではない。僕にいわせれば虎の檻にほりこまれた子羊みたいなものである。危険きわまりない。しかし彼女にはそのことが判っていない。僕があなたはラッキーだと言っても、ラッキーの表面的な意味しか判らない。恐らく僕が経験したような深刻な事態は、想像だにしないだろうから、きっと理解出来ないに違いない。あつものに懲りてなますを吹く、きらいがないでもないが、僕はそう思った。
僕はチケットが手に入った段階で、今晩はここで一緒に泊まろうと誘いたかった。僕だって明日の便には絶対に乗らないとチケットが無駄になるので、20時間も前にここで待機しているのである。その理由はインドでは何が起こるかしれたものではない、また何が起こっても不思議ではないという、インド観であった。早目はやめに手を打っておかないと、こちらの計画通りには事が運ばないと
思っていた。しかし僕はそういう自分の心つもりを詳しく話さなかった。というのは一口で20時間と言うが、それはそれは気の遠くなるような退屈な時間である。よしんば彼女とここで夜明かしをするにしても話すことはない。2、3時間も話せば話はつきるし、
その後は黙るしかない。退屈が待っている。
僕は旅慣れているからいいとしても、恐らく彼女は耐えられないだろうと思ったからである。でも一応泊まるかどうか声は掛けてみた。彼女は派遣館員の車で、街迄行き一晩泊まって明日になったらここへ来るという。僕は5時起きして、すぐタクシーに乗ってここに来るように、決して寝過ごしてはいけない、と何回も釘をさして車に乗せた。僕は夜明かし覚悟だが、そのことが気になって、1時間おきに目が覚めた。遅れませんように、それは祈りにも似た気持ちだった。
翌朝7時過ぎに、彼女は若い男の子をつれて空港にやってきた。やれやれこれで二人とも帰れる、顔を見て安心、ほっとした。
送ってきた大学生によれば、今日は早朝からタクシーがストをやっているとのことだ。それならどうしてここまで来れたのかと聞いたら、スト破りのタクシを雇って、ここまで来たという話、ストをしていると本来はここまで来れないはず、だのに彼女はいま僕の目の前にいる。僕はつくづく感心した。途中で何もなかったのかと付き添い学生に聞いたら、やばいことがあったという。僕は一瞬青ざめた。もしあの学生が付き添ってくれていなかったら、初めての海外経験で、果たしてスト破りを決行出来たかどうか。
ほほー、感心する前に、驚きの感嘆詞がでた。またもや彼女は守られている。これは単なる偶然や、ラッキーが重なったとは思えない。思い返せば派遣官員との出会いがあり、僕との出会いでエスコートを手に入れ、さらに付き添いの大学生を見つけて、彼に付き添ってここまで送ってもらい、極めつけはスト破りタクシーを雇ってチエックインタイムにちゃんと間にあっているではないか。
チケットだって、ないと断られても不思議ではないし、旅慣れた僕が居ることによって、ややこしいインドの出国手続きや、タイでの入国手続きがどれほどスムーズになるか、更に早朝大学生に付き添ってもらい、ストやぶりタクシーで、タクシーのストライキを突破しているのである。。恐らく神の助けが働いて、すべてが上手く事が進んだのだろう。僕はこの世に神様は居ると思った。
飛行機は定刻通りに離陸した。インドはぐんぐん遠くなっていく。1時間ほどしたら軽食が出た。僕たちは顔を見合わせてコーラで乾杯をした。それは何よりも、昨日から今日へ掛けての、彼女のラッキーにたいしてだった。僕は心からこのことを祝福した。しかし
それだけではない。今回僕も無傷だった。前回のような目には一度も会わなかった。前回よりも一週間も長い日にちであったが、いたって健康で、風邪はもちろんの事、下痢の一つもしなかった。
勿論恐怖を感じたことは一度もない。途中気をつけていなければ
やられたであろう事は、何回かあったが、それもうまくすりぬけたし、だまされはしなかった。確かに神経はぴりぴりさせていて、
つかれたが、それが原因でどうかなった訳でもない。これも乾杯ものである。
最後に今日は僕の満00歳の誕生日だったのである。僕の乾杯にはこんな意味が込められていた。我々は顔を見合わせて、にっこりほほえんだが、それは心の底からくる安堵と、祝福のほほ笑みだった。いまになって考えてみると、彼女の身に起こったことは、僕に人生の何かを見せてくれてるようだった。早い話が彼女との出会いがなかったら、僕がこんな文章を書くこともなかったろうに。
こんな人生芝居を見せてくれるのは、一体誰だろうか、僕はこの宇宙の中に壮大な演出者がいて、我々は自立的に動いているようだが、その実この演出家の指図に従っているのかもしれない。そんなことを感じたインドの旅ではあった。
インドでは何が起こるか判らない。僕は前回インドを旅してつくづくそう思った。万事インド的なのである。日本のようにきちっとしたタイムスケジュールを作った所で、そのスケジュール通りに
事が運ばない事が多い。しかし日本人の僕はあくまで、日本的スケジュールでもって動こうとする。そしてうまく行かないと挫折感みたいなものを強く感じ、その不満の為にインドをどうしょうもない国、お粗末な発展途上国と、ちょっと後ろ指を指した、さげすみの目で見てしまう。
インドには昔から、この大地に合うような生活のリズムがあり、人々はそれをそのままに継続しているだけのことである。そして
このリズムの違い、テンポの早さの違いが、まさしく文化の差なのであり、その差がカルチュアーショックなのである。
郷にいれば郷に従え、なのであるが、急に自分のリズムやテンポを変えることは出来ないのも、また事実である。
ところが今回のこの出来事はこういう種類のものではなくて、丸でばかばかしい話である。
東京から5人の看護学校の生徒が、カルカッタにある、
マザーテレサのハウスに研修をかねて、インド旅行をした事から、話は始まる。
僕はその時、カルカッタのダムダム空港にいた。急にあたりが騒がしくなって、日本人の女子学生と思われるヤンギャルが、何かあわてた風で、あちこち走り回っていた。顔の表情は皆真剣で、血走った目をしている子もいる。一体何があったんだ、何が起こったんだ、僕はとわづかたらずに、じっと見つめていた。
やがて事情は飲み込めた。このグループの中の誰かが、
エアーチケットを持っていないことで、皆が騒いでいるのである。それも、もうすぐ搭乗が始まると言う段になってのことである。
この期に及んで一体どう言うことなんだ、チケットがないと乗れないし、次の乗り継ぎ便だって、乗れる保証はない。僕は他人事ながら気になりだした。
じっと耳をすましていると、どうも一人がホテルを出てくるときにチケットを誤って捨てたらしい。電話の内容はそんなことだった。ひょっとしたら、ごみ箱の中に捨てたかもしれないので、そのごみ箱をしっかり探して欲しいと言っている。しばらくして掛けた電話では、チケットは見つかったらしい。やっぱりあったんっだな、僕は一瞬ほっとした。しかしよく考えてみると、それを今から空港まで持ってきてもらうにしても1時間はかかる。後30分で飛行機は離陸しようとしているのに、1時間掛けてここまで持って来たところで、どうなるものでもない。所詮は乗り遅れだ。もう一度バンコックまでのチケットを手に入れないと帰れない。さてどうするのだろうか。
僕は気が気でないので、よけいな事ながら、彼女たちに今までの経緯を聞かせて欲しい、そして僕に出来ることがあったら、何か役に立ちたいと申し出た。そうしたら先ほどから一番落ち着いて、
ばたばたしなかった子が、よろしくお願いしますと言った。どの人がなくした人なのか、と聞いたら、自分です、という。それでは先ほどから走り回っていた学生たちは、チケットをなくしたこの子のために、ばたばたしていたわけだ。僕は驚いて彼女の顔を見た。
ひとこと小言を言いたかったけれど、ここで何を言うよりも、まず真っ先にしなくてはならないことがあると思いなをして、言葉を飲み込んだ。
即ち今日、明日中に乗れるチケットを手に入れることだ。僕はそのことを彼女に言った。そしてすぐ手配するようにアドバイスしたが、なにせ、初めての海外旅行での出来事で、知恵が回らないだけでなく、どうしたらよいかさっぱり判らない風情である。当然だろう。これが僕だったら、やはり同じように、たちすくんだだろう。
ところが人にはツキと言うものがある。ちょうどこのとき領事館関係者が空港に来ていた。初めての面識で直接は知らないのに、
この人が親切にも、彼女の相談に乗ってくれた。
彼は彼女が乗るはずだった飛行機に、マラリヤ患者を乗せるべく、その仕事で空港に来ていたのだ。
その患者と言えば、僕は今朝がたサダルで同席した人だった。灰色の顔をした女が、ひょっこり僕の前に現れた。僕は席を詰めて、狭いけれども良かったら、座りませんか、と彼女に声を掛けたのだった。彼女は何を思ったのか急に、私マラリヤにやられたの、と言いながら僕の横に腰を掛けた。マラリヤがどんな病気か詳しく知らないが、伝染病の1つだと思い、僕は警戒して、入れ替わるようにして席を立ったのだ。
その女を所定の飛行機に乗せてから、彼は仕事から解放され、真剣にこちらの相談にも乗ってくれるようになった。ところで彼の話では、カルカッタは初めての赴任で、地理はもちろんの事、街の様子がまだよくわからないという。それでも分からないなりに、彼が協力姿勢を示してくれたことは、心の中では大きな支えになった。何をどうして良いか判らない彼女にかわって、とにかく明日の飛行機に乗れるように、チケットをとって欲しいと彼に頼んだが、
チケットは空港ではなくて、街に行かないと手に入れられないのではないかと言う。今日今から街へ直行しても4時になるのに明日8時のチエックインのチケットが手に入るとも思えない。僕は無駄かもしれないが、航空会社のカウンターで、何とか手にはいるよう頼んでみては、もしそれが駄目なら街の旅行代理店に行くが、せめて明日の便の予約だけでもしておかないと、乗れなくなるおそれがある、と彼に言った。彼も同感で、すぐ何らかの手配をしてみると言うことだった。
さて僕はと言えば、余程自分が動き回った方が納得できたし、安心もできた。しかし全く善意で困っている彼女を助けようと懸命になっている彼を差し置いて、手だしすることは、はばかられた。
彼女はついている。ラッキーガールだ。確かに日本人が困っているのを座して見るに忍びない。だが、そうかといって、彼女と縁もゆかりもない人が、彼女のために何かをしなくてはならないと言う理由もない。冷たいようだが、僕はそうも思った。今のところ自分のことは何も心配ないような状態でいるからこそ、彼女のことも心配してあげられる。つまり余裕があるのだ。それにしても海外の空港で、もし今回と同じようなケースが起こったら果たして、領事館に派遣されている彼のような人に巡り会うことが出来るだろうか。いやこんな事は滅多にないことだ。何処から考えても、やっぱり彼女はラッキーなんだ。きっとご先祖さんが善行を積んでその報いがいまこんな形で子孫に返ってきているのだろう。僕はこんな事まで考えた。
彼女はとみれば、あいかわらずのほほーんと構えている。僕はあきれる前にこんな性格に生まれついた彼女が羨ましかった。恐らく枕が変わって寝付かれないと言うことはないだろう。僕なんかこのインドの旅では常に緊張しているので、神経がたって寝付きの悪いことが多く、毎晩睡眠導入剤を用いているというのに。
人さまざまだ。
僕が空港のオフイスでチケットを手配するように言った事が効を奏して、新米派遣君は、上手く買えた、とにこにこしながら連絡してくれた。僕は彼女を促して、すぐ代金を払い、チケットを手にするようにいった。オフイスにいった彼とにこやかな顔をしながらロビーに戻ってきた彼女に、これで帰れるのだから、明日は時間に遅れないようにと注意して、この幸運を喜んだ。チケットを見るとそれは僕と同じ飛行機じゃないか、よかった。
これで間違いなく日本にも帰れる。僕はほっとした。なんと運のいい子だ。仲間は先に帰り、たった一人で見知らぬ外国で、1日遅れて帰ることに、内心は不安いっぱいだろうと僕は推測したが、彼女は表面は相変わらず,心配はどこ吹く風で、のほほーんとしていた。
考えてみればチケットを手配してとってくれた人がいた。明日乗る飛行機には、エスコートしてくれるおじさんもいる。これだ万全の筈だ。もし乗れないと言う事態になったら、この子の面倒はもう誰も見きれない。とにかくついている子だ。僕はそのラッキーさに感心した。
ともかくもハッピーなかたちで事態は進んでいるが、考えてみれば、ここダムダム空港では、前回僕はひどい目に遭っていたので
ある。両替では金をだまし取られ、タクシーでは約束と違った所でつれていかれ、わずか30分ほどの間に、2回も胃が真っ赤になるような苦汁を飲まされた所なのだ。僕の感覚からすれば、今回のように助っ人が居ないで、彼女一人で、あの態度で事を進めていたら、たちまちにして、ここにいる悪党の餌食にされてしまう。男の僕でさえ、かなり恐ろしい思いをしたのだから、旅慣れない女一人ではどんな罠が仕掛けられるか、しれたものではない。僕にいわせれば虎の檻にほりこまれた子羊みたいなものである。危険きわまりない。しかし彼女にはそのことが判っていない。僕があなたはラッキーだと言っても、ラッキーの表面的な意味しか判らない。恐らく僕が経験したような深刻な事態は、想像だにしないだろうから、きっと理解出来ないに違いない。あつものに懲りてなますを吹く、きらいがないでもないが、僕はそう思った。
僕はチケットが手に入った段階で、今晩はここで一緒に泊まろうと誘いたかった。僕だって明日の便には絶対に乗らないとチケットが無駄になるので、20時間も前にここで待機しているのである。その理由はインドでは何が起こるかしれたものではない、また何が起こっても不思議ではないという、インド観であった。早目はやめに手を打っておかないと、こちらの計画通りには事が運ばないと
思っていた。しかし僕はそういう自分の心つもりを詳しく話さなかった。というのは一口で20時間と言うが、それはそれは気の遠くなるような退屈な時間である。よしんば彼女とここで夜明かしをするにしても話すことはない。2、3時間も話せば話はつきるし、
その後は黙るしかない。退屈が待っている。
僕は旅慣れているからいいとしても、恐らく彼女は耐えられないだろうと思ったからである。でも一応泊まるかどうか声は掛けてみた。彼女は派遣館員の車で、街迄行き一晩泊まって明日になったらここへ来るという。僕は5時起きして、すぐタクシーに乗ってここに来るように、決して寝過ごしてはいけない、と何回も釘をさして車に乗せた。僕は夜明かし覚悟だが、そのことが気になって、1時間おきに目が覚めた。遅れませんように、それは祈りにも似た気持ちだった。
翌朝7時過ぎに、彼女は若い男の子をつれて空港にやってきた。やれやれこれで二人とも帰れる、顔を見て安心、ほっとした。
送ってきた大学生によれば、今日は早朝からタクシーがストをやっているとのことだ。それならどうしてここまで来れたのかと聞いたら、スト破りのタクシを雇って、ここまで来たという話、ストをしていると本来はここまで来れないはず、だのに彼女はいま僕の目の前にいる。僕はつくづく感心した。途中で何もなかったのかと付き添い学生に聞いたら、やばいことがあったという。僕は一瞬青ざめた。もしあの学生が付き添ってくれていなかったら、初めての海外経験で、果たしてスト破りを決行出来たかどうか。
ほほー、感心する前に、驚きの感嘆詞がでた。またもや彼女は守られている。これは単なる偶然や、ラッキーが重なったとは思えない。思い返せば派遣官員との出会いがあり、僕との出会いでエスコートを手に入れ、さらに付き添いの大学生を見つけて、彼に付き添ってここまで送ってもらい、極めつけはスト破りタクシーを雇ってチエックインタイムにちゃんと間にあっているではないか。
チケットだって、ないと断られても不思議ではないし、旅慣れた僕が居ることによって、ややこしいインドの出国手続きや、タイでの入国手続きがどれほどスムーズになるか、更に早朝大学生に付き添ってもらい、ストやぶりタクシーで、タクシーのストライキを突破しているのである。。恐らく神の助けが働いて、すべてが上手く事が進んだのだろう。僕はこの世に神様は居ると思った。
飛行機は定刻通りに離陸した。インドはぐんぐん遠くなっていく。1時間ほどしたら軽食が出た。僕たちは顔を見合わせてコーラで乾杯をした。それは何よりも、昨日から今日へ掛けての、彼女のラッキーにたいしてだった。僕は心からこのことを祝福した。しかし
それだけではない。今回僕も無傷だった。前回のような目には一度も会わなかった。前回よりも一週間も長い日にちであったが、いたって健康で、風邪はもちろんの事、下痢の一つもしなかった。
勿論恐怖を感じたことは一度もない。途中気をつけていなければ
やられたであろう事は、何回かあったが、それもうまくすりぬけたし、だまされはしなかった。確かに神経はぴりぴりさせていて、
つかれたが、それが原因でどうかなった訳でもない。これも乾杯ものである。
最後に今日は僕の満00歳の誕生日だったのである。僕の乾杯にはこんな意味が込められていた。我々は顔を見合わせて、にっこりほほえんだが、それは心の底からくる安堵と、祝福のほほ笑みだった。いまになって考えてみると、彼女の身に起こったことは、僕に人生の何かを見せてくれてるようだった。早い話が彼女との出会いがなかったら、僕がこんな文章を書くこともなかったろうに。
こんな人生芝居を見せてくれるのは、一体誰だろうか、僕はこの宇宙の中に壮大な演出者がいて、我々は自立的に動いているようだが、その実この演出家の指図に従っているのかもしれない。そんなことを感じたインドの旅ではあった。