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日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

独り居は侘びし 二人はなお寂し

2010年08月12日 | Weblog
独り居は侘びし 二人はなお寂し

このフレーズには原典が有るらしい。山田先生の場合は北原白秋が出所だというが、白秋の前にコノフレーズを用いた人がいたらしい。

西多摩霊園にある山田耕筰先生の墓石の裏にか横にかこのフレーズ が有ったように記憶している。さてここで二人居とは誰と誰のことか。独りは山田先生自身であることに間違いないが、後の独りは僕は先生の奥さんだと推測している。
というのは、第三者的に先生の夫婦のあり方を見てみるに、二人の間のベクトルの方向がちがっていたように思えるからだ。

つまり先生の深い意味を込めた言葉を奥さんは理解出来ていなかったようだ。先生と僕の話す会話に奥さんは全然参加できていなかったからだ。理解が出来ていないから口にされる言葉に先生と僕は顔をを見合わせた事が幾たびかあった。

それは今現在の我が夫婦の場合も同様のことが良くある。何故こんな事が判らないのかと言う無言の想いに対して、全くあらぬ方向の解釈がなされて、おやっと思う事があるのと同様だ。24時間同じ環境で暮らす男女においてさえ通じないのか理解の仕方が違うのか。途端に孤独のど壺にはまることがある。

独り居るのも侘びしいことだが、その孤独を癒やすためにと思える人との会話には通じない場合、独りで孤独をかみしめる時よりは、もっと深刻に孤独を味わうことになる。通じ合えると信じ切っている場合は、孤独の度が余計に深まる。

やっぱり独りで生まれてきて独りで死んでいくという宿命は受け入れざるを得ない。二人居はという言葉をいくら使っても、ごまかし得ないのが真実だ