日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

私の神観(神に対する見方)

2010年02月06日 | Weblog
私の神観(神に対する見方)

1, 神をどうでも良いと思えば、神の方も私をどうでもよいと言う感じで対応
スらだろう。真剣になればそれなりの対応はある。

2, どうも神は毎日私を見つめているようだ。 そして時々私の神に対する思いを試すことがある。お前はどれほど真剣になって神と取り組んでいるのかと。
それはいやなことである。しんどいことである。困難なことである。信仰をやめたくなる気になる。
がしかしこの神の試練を乗り越えて、なお神に食らいついていったときには、褒美が貰える。想像さえつかない喜び事が現実に起こる。こういう事は何回も経験した。それは偶然の出来事かあるいは、神の恩寵かわからないけれども、私はそれを恩寵と思いたい実際にそう思う。

人間にとって神の存在は必要なのだろうか。それは人それぞれであるが、太古の昔から、人間には常に神があった。存在の有無は各人の問題にせよ、態勢的には厳然として神はいた。

仏教の伝来以来日本固有の神と仏教が神仏習合した。(させられた)だから我々は神仏を一体と考えがちだが、神と仏は異質のものだと思う。神棚と仏壇が同居するのは 納得がいく。しかし神を祀る神社とお寺が同居するかというとそうではない。春日大社と東大寺は同居 するのではなくて、別居している。そこに仕える人は神官と僧である。私の神観(神に対する見方)

1, 神をどうでも良いと思えば、神の方も私をどうでもよいと言う感じで対応
スらだろう。真剣になればそれなりの対応はある。

2, どうも神は毎日私を見つめているようだ。 そして時々私の神に対する思いを試すことがある。お前はどれほど真剣になって神と取り組んでいるのかと。
それはいやなことである。しんどいことである。困難なことである。信仰をやめたくなる気になる。
がしかしこの神の試練を乗り越えて、なお神に食らいついていったときには、褒美が貰える。想像さえつかない喜び事が現実に起こる。こういう事は何回も経験した。それは偶然の出来事かあるいは、神の恩寵かわからないけれども、私はそれを恩寵と思いたい実際にそう思う。

人間にとって神の存在は必要なのだろうか。それは人それぞれであるが、太古の昔から、人間には常に神があった。存在の有無は各人の問題にせよ、態勢的には厳然として神はいた。

仏教の伝来以来日本固有の神と仏教が神仏習合した。(させられた)だから我々は神仏を一体と考えがちだが、神と仏は異質のものだと思う。神棚と仏壇が同居するのは 納得がいく。しかし神を祀る神社とお寺が同居するかというとそうではない。春日大社と東大寺は同居 するのではなくて、別居している。そこに仕える人は神官と僧である。