日々雑感

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オスカー君1-8

2007年08月20日 | Weblog
オスカー君は猫の名前である 。

2007年8月20日の朝日新聞 科学面 第10版には次のような話が載っている。
一段と大きな活字で 「ベッドに上ると、数時間後に患者死亡」
アメリカの 最後を予言する猫」 話題。 とある。

オスカーの写真も載せられているが、見たところ、首に鈴をつけた、どこにでも、いそうな感じの猫である。ご丁寧にも 天使?それとも死神? の文字もある。

話題の主 オスカー君は、アメリカ・ロードアイランド州都・プロビデンスにある、養護リハビリセンターで飼われている2歳の雄猫である。

彼のことはブラウン大学のデビッド・ドーザ准教授が、米国医学誌のコラムで取り上げたことから、注目を浴びるようになった。

そのコラム「猫のオスカーのある1日」によると、オスカーは3階を住処にして、入院患者がいる病室を、自由に出入りして生活している。

日によっては、突然患者のベッドのうえに上り、そのままそこに、いついてしまうが、そうすると、患者は数時間のうちになくなるという。

なんか薄気味悪い話であると同時に、にわかには信じられない話である。 が、そんな思いとは別に、これは事実なのだろう。


猫といえば、僕はと言うよりは、家内が不思議体験をした。僕の家族は犬猫など嫌いで一度も飼ったことがない。

ある夜、お客さんが帰るので、玄関を出て、階段の下まで、客人を見送りに出た。
そしたら、どこから現れたのか、今まで見たこともない真っ白な毛並みの猫が、家内の足に身体を摺り寄せてきた。家内は気持ち悪がって、僕の腕をしっかり握っている。僕も気持ちが悪かったので、その猫をシッ シッと声を荒げて追い払ったが、白猫は逃げることなく、家内の足にへばりついている。よほど足蹴にかけようかと思ったが、客人の手前そんなことも出来ず、実情は猫のするままに、放置しておかなくてはならなかった。不思議にも猫は、家内の足元にのみ、身をこすり付けてきて、他の誰にも身を寄せては来なかった。

客人の車が見えなくなるまで見送って、家内は自ら声を出して追い払ったが、それでも、しつこく、左右の足のくるぶしに、身体をこすり付けてくる。気持ちの悪い猫だったが、蹴飛ばすこともなく、階段を上がって、玄関までたどり着いたが、白猫は玄関までは、ついてこなかった。

今の住まいに30年近くすんでいるが、白猫の姿など見たこともなければ、今回のように身体をこすり付けられたこともない。
 その晩は気持ちの悪い猫の話で、家族はいろいろ話し合ったが、何の結論も出なかった。後味の悪い、薄気味悪さだけが残った。

ところが、翌日早朝、家内の母がなくなった。
話題は昨夜の白猫の出現に集中した。きっとお母さんが、猫に姿を借りて、明日この世を去るから、お別れに来たのだ。それは全員が一致した意見だった。とはいえ、みながそう思っただけで、科学的な根拠は何もなかった。
不思議だな。気持ちが悪い。猫に人間の死の予知能力があるのだろうか。

今回のオスカーの行動については、次のようなコメントがついている。

「死期を予言するのではなく、病院スタッフの動きの違いを見分けているのでは。」という意見の他に、「猫にはまだ知られていない、第六感のようなものがるのではないか。」というのがあった。

僕らのたった一回きりの経験から言えば、猫に限らず動物には、人の死を予知して、行動を起こす現象があるのではないか。似たようなことを、僕は雀で経験している。
それは不可解なことで、いまだに説明がつかない。しかし起こった現象は事実そのものである。
ある日突然窓から家の中へ、雀が飛び込んできた。不思議である。めったにあることではない。早速窓を閉めて雀を捕まえて、ザルを逆さに伏せて、その中に入れて、鳥かごを買いに出かけた。
籠を買って持ち帰って、ザルの中を見ると、雀がいない。家の窓は全部閉めているので家からは逃げることは不可能である。にもかかわらず、雀の姿はない。
まるで雀の神隠しである。 家中どこを探しても、雀は見当たらないので窓を開けたが、雀はどこからも、逃げていかなかった。
不思議なことがあるものだ。家族全員が首をかしげた。

 果たして翌日、叔父が死んだと病院から連絡があった。元気にしていたから、よもや死ぬなんて、想像すらできない急死だった。
そこで問題になったのは、雀の件である。雀はきっと叔父の死を知らせに、いやおじにかわって別れの挨拶に、家の中に、飛び込んできて、家族に何らかの異変をしらせ
、お役目を果たしとばかりに、どこかへ飛び去ったのだろう。

 常識で説明のつかないことだから、そう思うのだ、といってしまえば、それまでだが、オスカー君をはじめ、白猫、雀の闖入など この世の常識では理解できないことが起こっていることは事実である。
 
説明がつかないという理由で、この種の出来事を無視するというのは、あまりにも極端な科学主義だと思う。僕はこの世にはまだまだ科学的には解明されていないことが多いと思うのである。
そしてそれは決して、そのような謎めいたところに、ロマンを感じるという情緒的なものではない。