トッペイのみんなちがってみんないい

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第32回納涼能①『夕顔』

2009-07-27 22:03:57 | 演劇・舞台


 7月17日㈮、国立能楽堂の納涼能に行く。能楽堂で、能を鑑賞するのはずいぶんと久しぶりであった。また、国立能楽堂は初めてである。

 ① 『半蔀(はじとみ)』(観世流)
    前シテ(里女)、後シテ(夕顔の精) 梅若玄祥
    ワキ  (旅僧)          村瀬 純
    間   (所の者)         大蔵吉次郎

 夕顔は、夏にふさわしい花である。源氏物語夕顔巻による能である。源氏物語では、光源氏が17歳の時に、六条の貴婦人のもとに忍び通っている頃、ある夏の夕方に、その邸への道すがらに、五条に住む源氏の乳母であった大弐の乳母を見舞いに行ったときに、隣家の家に気を留めた。そこは、桧垣を新しく作って、上の方は半蔀を四、五間ばかり上げて、簾なども白く涼しげである。そこの切懸には、夕顔の花が咲いていた。源氏がその花を折らせようとすると、その家から童女が現れ、扇を持って、この上に夕顔の花を乗せてお渡しになったら良いと言う。源氏が扇を見ると、歌が書かれており、乳母子の惟光にこの家の女の素性を調べさせる。その後、しばらくは女のことを忘れていた源氏だが、夕顔の宿の女が頭中将のゆかりの者らしいと聞くと、女に近づいた。身分を隠し、顔も見せずに夕顔のもとに深夜通いつめた。夕顔は、内気で頼りなげな風情であった。ある時、源氏は夕顔とともに廃院に行く。初めて源氏の顔を見る夕顔。しかし、その屋敷で、美しい女人の姿をした物の怪におびえた夕顔はやがて息絶えてしまう。この女人の姿には、正妻六条御息所の姿がオーバーラップしている。はかない夕顔の命であった。

 ※半蔀とは、上半分に日よけを付け、下半分に格子などを打った戸で、上半分だけ戸を外側へ上げるようにしたものである。

 さて、能「半蔀」は、夢幻能の形をとる。雲林院の僧の夢の中に現われた夕顔の霊、ないしは夕顔の精の物語となる。

 京都北山の雲林院の僧が、立花供養を行っている。一夏の修業を終えるにあったって、その期間中に仏に備えた花の供養である。そこへ、夕顔の花を手にした里の女が現れ、花をささげる。いぶかしく思った僧は、女に素性を明かすように問うが、女は「五条あたり」の夕顔の花とだけ答えて、立花の陰に隠れるように姿を消して去って行った。ここで、「五条あたり」という言葉から、源氏物語の夕顔であることが観客にはわかるようになっている。
 雲林院の僧は、その昔、光源氏が夕顔をみそめて連れ出した五条あたりのとある家を訪れた。夕顔の菩提を弔うためである。すると、その家の半蔀を押し上げて夕顔の精ないしは霊が現れる。僧は、その美しさに涙する。ここで、夕顔は源氏との馴れ初めから契に至るまでを語って見せる。もとになった源氏物語とは違い、楽しかった昔をしのぶという形をとり、夕顔は悲壮感に満たされるようなことは語らない。源氏と関係を持った喜びを素直に語っている。夢幻能の形式には、この世に執着心を残した霊が、僧に成仏のための供養を頼むものがあるが、この能には、そうした要素がない。東雲が近づくと、夕顔はまた半蔀の中に入っていく。朝になり、僧は夢から覚める。

 後シテは、緋大口二兆県の姿で現れるが、これは品位のある女性の表現である。当日の装束は、前シテも白を基調とした装束で、いかにも夕顔の風情であった。この演目だけで使われる半蔀に作り物には、夕顔の花と実が巻きついている。当日は、一の松あたりに置かれていたが、常座の他に、流派によっては、大小前に置かれる。

 源氏物語を踏まえた清々しい一番であった。


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