トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

ふれあいこどもまつり(いちょうホール・八王子市)/『ねこはしる』

2010-03-07 22:53:47 | 演劇・舞台
 平成22年度の「ふれあい こどもまつり」、楽しかったです。すぐれた児童向けの作品は、大人の鑑賞にも耐えるものです。
 児童文化に興味があるので、観客として参加しました。今回は、午前中からの観劇等で、3作品を観ることが出来ました。

 最後に観たのが、アートインAsibinaの演劇作品『ねこはしる』でした。

 三人の役者による上演。楽器は、オカリナ、ウクレレ、そして、重要な役回りをするとても変わった楽器ストリングラフィーでした。ストリングラフィーは、考案者であり、演奏家である水嶋一江さんの事は、新聞の記事でみたことがあり、いつかは、その音色と演奏を聴きたいと思っていました。今回の上演では、水嶋さんの指導の下、役者が演奏をしました。はじく音、こする音、それぞれに不思議な音がして、劇の中の重要な表現を担っていました。また、大道具のように、立派な登場人物のような存在でもありました。

 物語は、命の賛歌のように思えました。でも、この世界に生きている者は、他の命を食べることによって、生きているし、生かされているという、とても重いテーマを扱ったものでした。その大切なつながりを、原作の工藤直子さんが詩のごとく描いた世界を、劇の中で、役者が楽器とともに、命の喜びと悲しさを、身体を使って表現していきました。

 雪国の山あいの小さな村で、まだ雪がところどころに残る早春に、猫らしくない子猫が産まれました。内気でのろまな黒猫のランは、他のきょうだいの猫のようには、走ることも、跳ぶことも、高い所から宙返りをして落ちることも出来ませんでした。そんなランが、小さな池に住む魚と友達になります。本当だったら、友達になることなんて無理なんですが。二人は、それぞれ、心を通じ合わせ、季節は、夏、秋とめぐっていきます。その間に、二人は、励まし合い、たくましく成長していきます。気が付かないうちに、ランもたくましい若者へと成長したのでした。
 しかし、彼らの関係に大きな影が差すことになります。きょうだい猫達が、池の魚の事を見つけてしまったのです。母猫は、猫の修行の締めくくりとして、子猫たちに、次の満月の日に、魚とり競争をさせることになります。

 ランと魚は、この運命をどう受け止めたらいいのでしょうか。物思いにふける二人。そして、魚は、決意します。おれ、ランに食べられてもいいんだと。どうせ食べられるなら、ランに食べられ、ランの身体と心と一体になるんだと。だから、お互いに、当日は真剣勝負をしようと。

 そして満月の夜。他のきょうだい猫たちは、魚の頑張りの前に、狩りに成功することができませんでした。そして、ついにランの番がやってきました。

 ランは、池の周囲を走ります。だんだんと速度を上げて。ついには、姿が見えないくらいの速さで、何万回と池を回ります。やがて、池の水が波立ち始めます。それをみて、ランは、次第に、走る輪を小さくしていきます。やがて、小さな竜巻に水は吸い上げられ、その一番上に傷だらけの魚がいるのでした。二人の目があった時、二人の心は通じ合ったようです。ランは飛び上がりました。母猫やきょうだい猫には、初めてみるランの姿でした。

 ランは、魚と一体になると、どこまでも、どこまでも、野原を走っていきました。

 生きるために、わたしたち人間も、他の生き物の命を食べています。

 このお話では、大地や虫、動物、植物が、ランと魚の事を、自分たちの言葉で語っていきます。
 全ての存在に、精霊(スピリット)が宿っているようです。役者たちは、三人だけですが、たくさんの精霊たちになって、その言葉も語ります。
 自然は冷厳なのでしょうか。いや、ランと一体になった魚、魚と一体になったランの気持ちが、単純にそう考えてはいけないと教えてくれるようです。

 命の授業につながる作品だと思いました。

ねこはしる三分映像


アートインAsibinaの演劇作品プロモーション第1弾「ねこはしる」の三分映像です。
ねこはしる
工藤 直子
童話屋

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