トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

「世界最初のろう学校創設者ド・レぺ」(本)②

2008-09-23 02:18:40 | 読書
 本書には、ろう者は歴史上どのように見られていたかについての簡単な記述がある。
 ギリシャ時代、哲学者アリストテレスは、視覚、聴覚、臭覚を比較して、生活の必要性では視覚が最も優れているが、言葉を獲得し理性を発達させる点では聴覚が最も優れていると言及している。だから、聴覚を欠いたろう者よりは盲人の方がより理性的であると指摘している。(この考え方は、手話法より口話法の方がろう教育に相応しいという考え方に通じるものがある)。

 6世紀、東ローマ帝国では、皇帝ユスティアヌスよりローマ法大全が編纂されたが、その中で、生まれつき聞こえない場合には、ろう者には市民権が与えられなかった。しかし、中途失聴の場合は、文字が書ければ市民権は奪われなかった。

 ルネサンス期は、神中心の考えが改められた時代で、ろうあに関する見方にも変化が生じた。16世紀、イタリアの医師たちは耳の構造とろうあの関係を明らかにした。特に、ガルダーノは聞こえないことが精神遅滞でないことを説いた。それまでは、先天的に聞こえない人への教育は無駄であるとされていたのだから、教育の可能性が生じたことになる。フランスでは、思想家のモンテーニュが、ろうあ者同士は身振りでもって話すことに言及している。
 子の頃、16世紀半ばに、スペインで修道士ペドロ・ポンセは、修道院に預けられた貴族の子である2人のろうあの兄弟に読み書きを教えた。これが記録に残る最初のろう教育である。このようにして始まったろう教育は、貴族の家に生まれたろうの子供に、読み書きができることにより、家督を相続させるためのものであった。
 一方18世紀初めに、フランスでは、世界最初のろうの教師、修道士のエティエンヌ・ド・フェイがが手話を使って、修道院で裕福な家のろう児に教育を行っている。ある意味では、世界最初のろう学校の創始者といえる人物だが、修道院という限られたスペースで、裕福の家の子弟だけを対象としていたため、ド・ペレが世界最初のろう学校の創始者の称号を与えられる結果になった。

 なお、イギリス・オランダでのろう教育の歴史、及び日本での歴史については、本書を読んで理解していただきたい。

 さて、ド・ペレがろう教育を始める前には、フランスはヨーロッパでは遅れをとっていた。18世紀に、ポルトガル系のユダヤ人、ジャコブ・ロドリゲス・ペレール(1715~80年)がユダヤ人に対する弾圧を逃れてフランスにやってきて、生活のために裕福の家の子弟に対してろう教育を有償で始めた。彼は、口話法により教育を行ない、かなりの成果を出してフランスで有名となるが、ド・ペレが用いた手話法と対立することになる。これは、手話法ではろう者が抽象的な思考をすることが不可能であるという、今日でも誤解されている誤った考え方によるものである。

 シャルル=ミシェル・ドペレ(1712~1789)は、フランスの神父で世界で最初にろう学校を自宅に開き、当時不幸な境遇にあったろう児を集めて、無償で手話による教育を始めた人物である。当時のフランスでのろうあに対する世間の見方は、治療も教育も不可能である、どちらかといえば知的障害・精神障害に近いものとするものだった。裕福な層は、多額の寄付をして修道院に子どもを預けた。それが出来ない庶民は、シャラントン精神病院といった施療院に入れて厄介払いするか、人に頼んで家から遠く離れた場所に捨てていた。捨てられたろう児は、盲人同様に、手に鈴を小さな鈴を持って、それを鳴らしながら物乞いをした。彼は、宗教的信念から、彼らろう児を救おうとした。彼の私塾ともいえる学校での教育は、著しい成果を上げ社会の注目を集めることになる。やがて彼の死後、ろう学校は国立となる。

 本書では、アメリカのろう教育の祖と言われるトーマス・ホプキンス・ギャローデットがパリろう学校で手話法の習得に至る話や、べラールの孫の策動により世界のろう学校のほとんどに口話法が採用されるきっかけとなった1870年のミラノ会議の事など多くの興味深い話も紹介されている。

 2020年はド・ペレ生誕300年の年である。ド・ペレがろう教育に携わるきっかけとなった2人のろうの姉妹との出会いなどのエピソードや、手話がろう者の母語であるという認識の獲得などを本書を通じて多くの人が学ばれることを希望する。

 中野善達・赤津政之著『世界最初のろう学校の創始者ド・ペレ 手話による教育をめざして』(明石ライブラリー77 明石書店)


 


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