トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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八王子祭りが始まります/準備中です

2009-08-07 13:39:41 | わが街と近隣


 今日から、八王子まつりが始まります。午前中、駅前の本屋に出かけましたが、既に祭りの準備がされていました。今日、明日は、夜店が出ます。
 今、外では埼玉方面から、黒い雲が出てきました。雷も鳴っています。一雨来るのかな。もう、昼ですけれども、夜店が始まっていると思われます。雨、降らなければ良いのですが。
 今回は、準備風景の紹介です。












MERCEDES SOSA メルセデス・ソーサ

2009-08-07 10:03:36 | 音楽
Mercedes Sosa - Gracias a la Vida - 日本語訳付


Mercedes Sosa - Sólo le pido a dios 日本語訳付


BALDERRAMA -- MERCEDES SOSA --- HGPD


 今、南米は変わっている。かつてのアメリカの中庭といわれていた時代と様変わりして、中道左派や左派政権が次々と誕生した。※しかし、ホンジュラスのクーデターによるヤラセ大統領の追放問題は、いまだ解決されていない。いまだ、軍部と特権階級による揺り戻しの危険は皆無とはいえない。

 かつては、チリにおけるアジェンデ政権の転覆など、米国のCIAが関与したと思われる内政に関する干渉が続いていた。アルゼンチンも軍事政権のもとにあった時代が続いていたことがある。フォルクローレの歌手であったメルセデス・ソーサも、歌による社会変革を目指した新しい歌運動(チリのビクトル・ハラ同様)を展開していた故に、軍事政権の時代は、フランス・スペインでの亡命生活を送らざるを得なかった。軍事政権下では、本国で歌う自由も保障されていなかった。しかし、彼女の口をふさぐことはできなかった。
(その後、1982年にアルゼンチンが民政に変わり、彼女も帰国をした。)

 亡命期間中も、世界各国を訪れ、歌によるメッセージを発信し続けた。日本には、1975年と1977年の2回、コンサートの訪れている。僕が、彼女の歌を聴きに行ったのは、どちらの年であったのだろうか。ただ、日本人の多くは「遥か離れた」南米の政治的状況には無関心のものが多く、コンサートの観客数に関して、彼女の失望の話を聞いた。幸いに、地域でのコンサートは、そうしたことはなかったようだ。

 歌も単なるプロパガンダだけでは、人を感動させることはできない。彼女の歌唱力はもちろんのこと、歌から感じられる人間性なども含めて、歌うことの持つ意味、歌の持つ力を彼女のコンサートから学ぶことができたようだった。現在の南米の政治情勢を見るにつけても、当時のことが思い出される。

 チリからも、キラパジュンやインティ・イジマニらの新しい歌運動のフォルクローレグループが来日した。僕はインティ・イジマニのコンサートに参加することができた。彼等は、軍事クーデターで虐殺されたビクトル・ハラの歌も歌った。

 宗教上の解放の神学を知ったのも、その頃のことであった。ラテンアメリカのカトリック教会の司祭たちも変わりつつあった。宗教は、民衆を共にあるべきだというメッセージを受け取った。

 変革途上の南米のニュースに触れる度に当時のことが思い出される。



 

ものには名前がある/絵本『カーロ、せかいをよむ』

2009-08-07 02:20:19 | 絵本・児童文学
カーロ、せかいをよむ―きりんのカーロ〈1〉
ジェシカ スパニョール
フレーベル館

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 カーロはキリンの子ども。ものには、みんな名前がある。カーロは、自分が住む世界のものの名前を読んで覚えていく。それぞれ、ページに出てくるものの絵には、名札がついている。その名札には、そのものの名前が日本語と英語で書かれている。

 人間は、言葉を通して世界を理解する。そうしたことを、カーロを通して知ってみよう。文字を読めることは、とても大切なこと。それは、世界を知る入口。

 ジェシカ・スパニョールの作品を詩人のアーサー・ビナード氏が日本語に翻訳している。最近は、アーサー・ビナード氏の作品を続けて呼んでいる。本書もその一環。
 この絵本はもともとイギリスで出版されたものである。アメリカでも出版されたが、イギリスの英語とアメリカの英語では、表現が違う点が多く、アメリカ版では、アメリカ人の編集者が編集してアメリカの表現に直したという。アーサー・ビナード氏のエッセー集『出世ミミズ』によると、アメリカの編集者は、「ガガンボ」をアメリカ英語に直すのを忘れて出版したそうだ。なお、「ガガンボ」という日本語は、大きい蚊という意味で「蚊ヶ母」と呼ばれていたのが、「ガガンボ」になったそうだ。もとの話に戻って、イギリスでは「ガガンボ」は"daddy-long-legs"という。あしながおじさんと同じ名前である。それが、アメリカでは鶴のイメージから"crane fly"と呼ぶそうな。しかし、アメリカの編集者は、”daddy-long-legs"のままにしてしまった。アメリカでは、”daddy-long-legs"というのは「ザトウムシ」という蜘蛛の仲間の名前になるそうだ。だから、アメリカの子どもたちは、絵本の「ガガンボ」の絵を見て変な感じがしたのだろう。本当に、言葉は大切な表現方法である。アーサー・ビナード氏の著作は、言葉を考える上で、面白い本である。

今日も日記

2009-08-07 01:49:51 | 日記
 8月6日に関連したことを書こうと思っていたが、透析から帰って、少しばかり片付けごとをして本を読んでいたら、寝てしまった。しばらくして起きようとしたが、身体が動かない。多分、完全に覚醒していなかったのだろう。部屋の中は暗くなっている。頭の中で起きようと身体に命令するが、身体がまったく動かない。頭の位置を変えることもできない。身体が壊れたのかと思った。脳がいかれたかな、なんて考えているうちに少しずつ身体が動けるようになった。この所の疲労が出たのであろう。金縛りの一種だったのだろう。当然、寝覚めはよくない。やっと頭を上げて、時間を見る。もう7時を少し過ぎている。夕食の時間だ。

 すっきりしない頭で、夕食をとる。

 今は、窓から風が吹き込んでいる。早く、ブログを書いて寝なくては。内容は、とりとめのないことにしよう。

 ガンダムのフォルダーがついたカミソリを今日から使う。前は、ザクのフォルダー付きのカミソリを使っていたが、汚れが目立ってきたので、ガンダムにとりかえる。399円で買った特価品だ。

 ガンダムをテレビで放映している時は、敢えて見なかった。子どもが戦争をするのが気に食わなかったからだ。

 ガンダムのストーリーも当然知らなかった。ただ、ガンプラを見かけることはあったが。

 ガンダムの世界に触れるようになったのは、数年前からだった。友人の趣味に合わせるためであった。最初は、友人のゲーセン通いに付き合う。その頃、三国志大戦と並んで、ガンダムのカードビルダーのアーケードゲームが盛んであった。どちらも、カードを組み合わせたデッキで、オンラインで相手と対戦する。ゲーム終了後に、機械からカードが排出される。このカード、めったに出ないカードが貴重なものとされる。ゲームで使用する時も、能力が高い。きらきら光っているので、きらカードなどと呼んでいた。普通は、レアカードと称している。この手の、対戦型ゲームは苦手である。でも、ゲームに負けようが、カードは排出されるわけであるから、カードを集めるという楽しみは味わうことができる。ガンダムのストーリーが分からないのに、カードの登場人物の種類は覚える。このカード、その手の店で取引されている。カードに値段がついて売られているのだ。スーパーレアカードになると、1万円以上で売られている時があった。もちろん買い取りもやっている。もし、高いカードが排出された場合は、売ることでお金が手に入る。不思議な世界だと思った。ICチップが埋め込まれたカードが売買の対象になるのであるから。また、流通量で値段が上下する。子どもも含めた若者世界での、相場のような世界の展開は驚きであった。さほど、ゲームに興味が持てない僕は、1枚5千円でカードを売ったこともあった。労せず儲けるというのは、ホリエモンの時代は、肯定的に受け止める社会だった。

 その頃、八王子の市立夢美術館で、安彦良和氏の展覧会が行われた。それに関連するイベントとして、市内のホールで劇場版の機動戦士ガンダムの3部作の上映会が行われた。いい機会だったので、そのうちの1日目の上映会に参加した。透析をしていると、なかなか催し物の日程に合わないことが多い。1日目は、『機動戦士ガンダム』と『機動戦士ガンダムII 哀・戦士編』の上映であった。内容は、テレビ版の再編集である。ここで、やっとガンダムの世界の一部を知ることになる。二日目は『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙(そら)編』と『アリオン』の上映だったが、透析日なので参加できず。第3部は、例の友人がDVDを貸してくれたので、1年戦争のストーリーの概略は理解できた。
 そのうちに、テレビのローカル局でガンダムの放送が始まった。東京はMXテレビ。旧作を毎週火曜日に放送した。

 その中で、一番好きだったのは、OVAの0080『ポケットの中の戦争』だった。サイド6という中立地帯で起きた話で、戦争を格好いいと思っている少年アルと、ジオン公国の新米兵士バー二ィとの間の話で、クリスマスの日に起こった悲劇を描いていた。戦争の虚しさを感じさせる小品であった。珍しく、モビルスーツの登場よりは、人間ドラマの要素が強い作品であった。
 
 今でも、まだ、子どもが戦争で成長していくというストーリーは、あまり好きにはなれない。

 今、同じ美術館では、ガンダムのメカデザインを担当した大河原邦夫氏の展覧会が開かれている。また、ちょっと寄ってみようと思う。