チェケラッチョ!! - Don't Be Afraid (098)
チェケラッチョ!!(2006) - goo 映画
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ぜつぼうの濁点原田 宗典教育画劇このアイテムの詳細を見る |
小説家原田宗典による絵本。
なんて不思議な話なのだろう。昔、存在したという言葉の世界。その真ん中に穏やかなひらがなの国があったという。
「や」行の町の道端に「〝」と濁点が置き去りにされていた。もともとは、主人の「ぜつぼう」についていた濁点であった。いつも接している主人の絶望の深さが自分のせいではないかと思って、主人の「ぜつぼう」に頼んで、捨ててもらったのだ。濁点は、他のひらがなたちに一緒になってくれるように頼んだが、「ぜつぼう」に付いていた濁点は誰からも嫌われた。
「おせっかい」が、濁点を「し」の沼に放り込んだ。濁った水に中で溶けてしまえばいいと言われて。
濁った水の中に沈みながら、主人だった「ぜつぼう」の気持ちが理解できたような気がした。濁点は、もともと、主人を思って捨てられたのだから、こうして沈んでいく孤独というむなしさの中から、主人を救い出せたのだから、それを喜びとしようと思った。これでいいのだ。これでよかったのだ……というつぶやきが「きほう」の三文字に変わった。「きほう」は、濁点に自分にくっつけと言う。水面に浮かんだ時、「きぼう」という言葉が生まれ、ぱちんとはじけて、あまねくこの世を満たしたという。
不思議な神話的世界。濁点の心意気が希望を生み出したのだ。よだかの星に通じる世界。
シリーズ憲法9条〈第2巻〉平和を求めた人びと (シリーズ憲法9条 第 2巻)汐文社このアイテムの詳細を見る |
図書館に、扶桑社の新しい歴史教科書が置いてあった。今年は、それに関与したグループも内紛を起こし、自由社からの教科書と合わせて、戦前への逆行を思わせるものが2種類となった。図書館においてあったのは、一般読者向けのものであった。
戦後、時間が進むにつれて、右翼思想はだんだんと縮小するものと思われたのに、小泉政権の誕生以来、若者の間にまで、ネット右翼という形で、亡霊が復活しつつある。安彦良和氏が、おたくとネット右翼との関係を論じた対談の中で、近現代史が教育現場で教える時間がほとんどない結果、歴史的知識の空白の中に、国家主義が抵抗もなく刷り込まれたことに言及していたことが印象に残っている。また、想像力の欠如ということも言われていた。要するに、もし、今、外国の軍隊が東京や大阪を占領して、たとえ、インフラ整備を行おうと、占領された国民はどんな思いかということへの想像力の欠如がネット右翼を生み出したのだ。同じことを、戦争中に日本が行ったことへの安易な肯定感。
本書の最初に、敗戦の日に書かれた群馬県高崎市の国民学校の3年生の作文が紹介されている。
「 ぼくは、戦争がまけたので、くやしくてくやしくてたまりません。また二十年ぐらいたつと、またせんそうははじまるというきもちでべんきょうするのだ。…ぼくが大きくなったら、また必ずこのかたきをとります。」
別の男の子2人も「あの、にくいにくい米英のためにまけてしまった。…よし、いつかはきっと、あのにくいにくい米英をやぶるために、まいにち、まいにち、いっしょうけんめいべんきょうをやっていこう。」「ぼくは戦争にまけてくやしいです。まるで夢のようです。…ぼくは、早く大きくなって、戦争には今度こそかちたいとおもっています。」と書いている。
いま、この軍国主義に洗脳された子どもたちの思いと同じ亡霊が、一部の若者の精神をむしばんでいる。これは、恐ろしい連続体だと思った。
当時のフランスの子どもが書いた作文。「『戦争は終わった!』うれしい。わたしたちはもとのように自由になったのです。そう思うとうれしくてなりません。そして、なん千という人が、もう戦争で死ぬこともなくなったのです。人びとは、喜びにかがやいています。もうけっして戦争をしないために、私たちは団結しなければならないと思います。あすの平和をのぞみ、国境をこえて、ドイツの子どもたちに手をさしのべましょう。日本の子どもたちに手をさしのべましょう。」
この違いは何なのだろう。よく、考える必要がある。
本書では、与謝野晶子をはじめ、平和を求めた人々が紹介されている。われわれの誇るべき先輩たち。彼らの意志を受け継ぐためにも、彼らの生き方を知る必要があるのだ。たとえば、日本国憲法の中に「戦争放棄」の条文を入れたのは誰かという説で有力なものは、本書でも紹介された幣原喜重郎首相の強い主張だとされる。ただ一人、大政翼賛会に入ることを拒否した人物でもある。
こうした平和を求めた人々の残したものは、われわれの大切な遺産である。まず、そうした視点で歴史を学ぶことで、終戦の日にあのような作文を書いた子どもがもう出てこない世の中を作る必要があるのだ。