トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

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今日の日記/外来植物のこと

2009-07-16 20:59:19 | 日記

 今日は、市役所に診断書を届けに行きました。透析の帰り、市役所まではバスで行きました。

 市役所のロビーには、地元の漁協による展示の浅川の魚が水槽の中で泳いでいました。八王子も最近になって、ようやく下水道の整備が進んで、多摩川の支流である浅川の水質も良くなりました。この夏休みには、ガサガサ探検隊も開催されます。でも、まだ、工場の排水を川に垂れ流している所があり、残念です。夏は悪臭を出しています。利益を出して操業しているのですから、もういい加減、整備をしてもらいたいと思います。下流の日野市で、清流を取り戻そうという運動をやっていても、上流の八王子で汚水を垂れ流していたら、意味のないことになってしまいます。なお、今までは、サバイバルいかだレースが行われていましたが、去年をもって終了となってしまいました。

 

 帰りは、川の沿って歩いて帰りました。今日も、梅雨明けの暑い一日でした。



 河原に繁茂しているアレチウリは困りものです。外来生物法で、特定外来生物に指定されています。冬の間は枯れますが、木に巻きついた枯れ草が異常に醜いです。一部の自治体では、駆除しています。在来種に対する侵略的外来植物とされ、自然保護団体でも、まめに駆除している団体が三多摩にもあります。とにかく、お邪魔虫状態の植物です。こういうのに限って、繁殖力が強いわけです。いずれは、多摩川水系から姿を消してもらいたい植物です。









 近年、よく見られるようになった、ナスの花のような植物も困りものだそうです。その名もずばり、「ワルナスビ」。有毒植物だそうです。はるか、アメリカ合衆国からやってきた、これもお邪魔虫。従来からの、日本の植生が破壊されているという証しでもあります。昔は、蛍も当たり前に飛ぶ河原には、懐かしい在来種がたくさん生えていました。


手話を使うこと/絵本『わたしたち手で話します』

2009-07-16 20:35:10 | 絵本・児童文学


 聞こえないということは、どういうことなんだろう?聞こえない人は、どんな生活を送っているのだろうか?そんな疑問にこの絵本は答えてくれます。

 リーザは耳が聞こえません。だから、声を出して話すこと難しいのです。お父さんもお母さんも、音が聞こえるので、時々は聞こえるって不思議なことに思えてくるのでした。
 その日も、広場に行きました。いつも、一緒に遊べる友達を待っているのですが、聞こえないことで友達もできませんでした。手を使って話すのですが、誰もリーザが何をしているのかもわかりませんでした。リーザは、いつもずっと待っていたんですね。お話のできる友達が現れることを。それは、叶わぬ望みだったのでしょうか。

 でも、その日は特別な日でした。ベンチに座っているリーザの足元にサッカーボールがころがってきました。サッカーをしていた子どもたちがリーザに向かって何かを行っています。リーザは手を使って話します。でも、両方とも、お話が通じません。

 そこへ、突然、男の子がかけてきました。なんと、手を使って話しだしたのです。「やあ、ぼくはトーマスだよ。このあいだ、ひっこしてきたんだ。」

 リーザはうれしくなりました。この時をどんなに待っていたことか。

 他の子どもたちが集まってきました。そして、手で話すことが少しわかったようです。

 トーマスの両親はろう者です。トーマスは耳が聞こえます。コーダを呼ばれることがありますね。

 二人は、お互いのサインネームを教えあいました。あだ名といったらいいのかな。

 集まってきた子どもたちが、聞こえない人のことを色々聞きます。トーマスは、わかりやすく説明します。リーザは、音の世界のことを聞きます。

 みんなで町の広場にやってくると、バンド演奏で、たくさんの人が踊っています。
ユーリアがリーザのことを音楽が分からないので気の毒に思えてきました。でも、リーザは飾ってあった大きな風船を手にとって、両手でしっかり持つと踊り始めました。音楽のリズムが風船に伝わってきていたのです。

 その後、みんなでトーマスの家に行きました。家には、両親がいました。そこで、聞こえない人の生活のことを聞くことができました。。

 聞こえない世界と聞こえる世界に住む者が、お互いを理解しあい、コミュニケーションできること、手話を通して音のない世界に暮らすことを絵本の中で説明してもらえます。

 リーザが友達に出会うまで、長い時間待っていましたが、これからは、待たなくてもいいようになるといいですね。

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ビリー・ホリディ没後50年- Strange Fruit

2009-07-16 19:02:13 | 音楽
Billie Holiday - Strange Fruit


"Strange Fruit"

Southern trees bear strange fruit
Blood on the leaves and blood at the root
Black bodies swinging in the southern breeze
Strange fruit hanging from the poplar trees

Pastoral scene of the gallant south
The bulging eyes and the twisted mouth
Scent of magnolias, sweet and fresh
Then the sudden smell of burning flesh

Here is fruit for the crows to pluck
For the rain to gather, for the wind to suck
For the sun to rot, for the trees to drop
Here is a strange and bitter crop

 奇妙な果実

南部の木々は奇妙な果実をつけている。
血に染まった木々の葉、根っ子には滴り落ちた血の海
穏やかな南風に、黒い身体が揺れている
ポプラの木にぶら下がっている奇妙な果実

華やかで美しい南部の田園風景の中
飛び出した目とゆがんだ口
マグノリアの甘く新鮮な香りが
突然、焼け焦げた肉の匂いに変わる

ここには、カラスが食いちぎるための果実がある
雨が降り注ぎ 風になぶられ
太陽に朽ちさせられ やがては木から落ちていく
奇妙な苦い果実がある

 ルイス・アラン(本名はエイベル・ミーアという白人の高校教師)の曲を、ビリー・ホリディが歌った。この曲の奇妙な果実というのは、白人のリンチで木につるされた黒人のことである。

 政権交代が現実味を帯びる昨今、ネット上では、ネット右翼が騒ぎ出した。ネオナチに共通する外国人排外主義を、今まで以上に声高で主張しだした。非合理な感情に訴え、ナショナリズムを高揚しようとする彼らの動きには注意した方がいい。
 また、コメントの中に書き逃げしていくに違いない。いまさら、大和民族単一国家を唱えるような、大和民族優位説を唱えるようなことが無いとは言い切ることはできないのだから。


最低賃金、生活保護下回る 「逆転現象」宮城、青森など/気になるニュース

2009-07-16 01:45:45 | 格差社会・貧困化社会
最低賃金、生活保護下回る 「逆転現象」宮城、青森など(河北新報) - goo ニュース

最低賃金引き上げ、難航の恐れ=経済情勢悪化で-厚労省審議会(時事通信) - goo ニュース

 かくて、貧困化がまた進むのか。生活保護の申請を受け付けなかったり、生活保護の水準を落とすような、低い方に基準を合わせるような政策が推し進められないに、注意が必要である。

三宅一生さん、米紙に原爆体験寄稿 大統領演説が触発/気になるニュース

2009-07-16 00:42:33 | 民衆の歴史

(共同通信)

 三宅一生さん

三宅一生さんが米紙に原爆体験 「倫理的責務」と(共同通信) - goo ニュース

三宅一生さん、米紙に原爆体験寄稿 大統領演説が触発(朝日新聞) - goo ニュース

三宅一生さん、被爆体験告白=オバマ大統領の広島訪問期待-米紙(時事通信) - goo ニュース

 三宅氏が7歳の時に広島で被爆していたことは、初めて聞くことであった。
今までは、『原爆を生き延びたデザイナー』と呼ばれたくなかったために、広島に関わる質問は避けていたそうだ。オバマ演説に感銘を受けての、核兵器廃絶と世界平和の実現を呼び掛けた。「もし世界から核兵器をなくそうと思えば、(被爆体験は)議論されなければならない問題である」との表明は、平和の願う気持ちの表れで、核兵器の廃絶を進める運動に力を与えるものであろう。
 自らの被爆体験(「目を閉じれば、誰もが決して体験してはならないことが今でも見える)を通じて、自分が被爆者であると声を上げることが、個人としての道義的責任とも表明している。
 また8月がやってくるが、原爆の記憶を風化させてはならないし、我が国における核兵器配備論者にも警戒を怠ってはなるまい。